第3話
◇
コーンポタージュは昔から好きだった。
昔からと言えるほどに私は年数を生きていないけれど、それでも私の好きなものはコーンポタージュだということができる。
私は身体が弱いらしい。記憶はおぼつかないけれど、それでも何度も病院に通ったことくらいは覚えている。風邪をひくことなんてしょっちゅうで、学校に行けない日々が何度も続いてしまうのも日常的なこと。
仕事の合間をぬって、そうして私を病院まで連れてきた姉は、そんな私を慰めるように、いつもコーンポタージュを買ってくれた。自動販売機から排出される、スチールで覆われた熱のある飲み物。その温もりに手を浸していたことが綺麗な思い出として心に残っている。私は姉の優しさを感じてコーンポタージュが好きになった。
先ほどまでいたトイレから距離を離して、病院の入り口にまで足を運ぶ。
入り口の付近には三台ほど並べられている自動販売機があり、私は右の自動販売機の方に立った。右下の方に隠れるようにあるコーンポタージュと、その値段を示す数字。それを眺めながら、私はポケットからいくつかの小銭を取り出して、それを買う。ガシャ、とあからさまに大きな音がしてから、取り出し口からそれを手に取る。
水で冷め切っていた手の表面が、この温もりに絆されていく。この温もりに永遠に浸ることができればいい。すべてを忘れて、私はずっとそれを手に抱えることしかできなかった。
◇
「そろそろ帰るね」と私は病室に戻って姉にそう言った。
「送っていこうか?」と彼は言葉を吐く。私はそれに対して感情を出さないように、大丈夫です、と言葉を吐いて病室を後にした。
きっと、父親というものがいれば、今頃私はその存在と一緒に帰っていたのかもしれない。手に抱えているコーンポタージュの温かさは、誰かの手の温もりだったかもしれない。
でも、私が何を思ったところで、それらは何一つかなわない。
私たちに、もう両親はいないのだから。
◇
姉が生まれたころに、父親という存在は蒸発したらしい。蒸発の意味は分からなかったけれど、とりあえずいなくなってしまった、ということだけ姉から教えてもらった記憶がある。
それからは母が一人で姉を育てていたそうだが、無理をしていたらしく体調を壊すことになった。その際に母を支えてくれる男の人がいて、そうして惹かれあったそうだけれど、母が私を授かってからは逃げるように消えてしまったと姉から聞いた。
それにショックを受けた母は、結局心労に向き合うことができなかったのか、私を生んで亡くなってしまった、とのこと。詳しいことを姉は教えてくれない。でも、教えてくれないのなら、別にそれでいいと思う。
私は父親の顔も、母親の顔も見たことがない。幼い頃から姉だけを家族としか思っていないし、それ以外の存在なんてどうでもいい。
それでいい。きっと、それでいいはずなのだ。そして、そのままでいたい、という気持ちもあった。
でも、もう、そういうわけにもいかない。
彼に手を出されているこの状況、姉に対して幸せを願っているほどに恩を受けているのに、そのすべてを仇で返すようなことしかしていない現状。
私は、自立しなければいけない。
誰かが、幼い子供が何を言っているんだろうって馬鹿にするかもしれない。けれども、そうするしかできないのだ。
はあ、と息を吐いた。世界が暗くなる中で、電燈に淡く照らされた吐息は白く輝いている。
手に抱えていたコーンポタージュは外の温度に手を引かれて、温もりを失いつつある。溜息しか出てこない。
私は、電灯の下で立ち止まる。
彼らに隠していた携帯電話を上着から取り出す。いつもの人に文面を送り付けて、そうっと息を吐いた。
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