<14ー2>

 目隠しされて車に押しこまれ、移動することニ十分ほどだろうか。車を降ろされ、二度階段を昇った先で細谷は椅子に座らされた。両手を背面にまわして親指と親指を固定、感触からしておそらく結束バンドだ。さらに足を椅子の脚につながれて身動きできなくなった。そこで、ようやく目隠しがはずされる。


 細谷は明りのまぶしさに目を瞬かせると、眉間に皺の寄った険しい顔で、その場所を見まわした。

 どこかのオフィスらしき室内で、隅にデスクやら椅子が寄せられていた。どうやら部屋の中央に置かれた細谷の周辺に、空きスペースを作ることが目的らしい。前に集った顔ぶれは、先ほどとほとんど変わっていなかったが、熊耳と入れ替わりあらわれた男がいる。


 ふてぶてしい面構えの男で、年齢は三十代後半といったところ。ぴっちりとしたオールバックの髪を金色に染めあげていた。他の人員の態度から、この男がリーダー格とみて間違いないだろう。


「よくきたな、細谷刑事。歓迎するぜ、ゆっくりしていけよ」

「すぐに帰るから、おかまいなく」

「そう、つれないこと言うなよ。お前に聞きたいことがある」

「俺も聞きたいことがあった。あんた、誰だ?」


 男は歯をむき出しにして笑い、芝居じみた仕草で金髪を撫であげた。


「自己紹介がまだだったな。俺は名瀬組で若頭補佐をやらせてもらってる諏訪だ。まあ、名前なんてものはすぐに忘れてくれていい。どうせ短い付き合いになる」

「ブタ箱にいくからか?」


 諏訪は今度も笑うが、いきなり豹変して殴りつけてきた。うまくヒットせず、左の頬骨をかすめるような当たりであったが、刺々しいデザインのシルバーリングが皮膚をこそぎ、一筋の傷が血の珠をこぼす。

 かすり当たりに納得いかなかったようで、諏訪はもう一発追加で殴った。次はしっかりと顎に命中し、衝撃で椅子が後ろにずれる。床をひっかく不快な音色を、諏訪は恍惚とした表情で聞き入っていた。

 細谷は苦痛とともに軽いめまい襲われ、頭を振って意識を保つ。


「あまり舐めたことを言わないほうがいい。自分が置かれた状況を、よく考えてみるんだな」


 ぐいっと顔を近づけて、鼻先がふれそうな近距離で諏訪が脅す。凄みを利かせた声であったが、どこか軽薄な響きが混じって聞こえたのは本人の人柄がにじみ出した結果だろうか。

 細谷は背もたれがきしむほどに体をそらし、息がかからない位置まで顔を遠ざけた。


「警官を拉致って暴行をくわえて……ただ済むと思ってんのか?」

「そ、そうですよ。あいつらは身内に甘い。やばいことになるんじゃないですか」


 武蔵が同調するように言った。焦りを含んだかすれた声だ。

 それに対して、諏訪はへらへらと笑って応える。乱暴に細谷の髪をつかみ、左右に何度も激しく揺すった。


「その心配はねえよ。こいつは警察のはみだし者だ、死んだところで誰も怒りはしねえよ。むしろ清々したって喜ぶかもしれないぞ。なんと言っても、こいつは人殺し刑事だ。人を殺しといて捕まってもいない、俺たちヤクザよりもよっぽどタチの悪いくそ刑事だ」

「人殺しって……」


 武蔵は青ざめ、動揺を双眸に宿す。ぶれた視線でゆっくりと細谷を見た。


「何年か前に、暴れるシャブ中のバカに警官が発砲した事件があっただろ。あのとき撃った警官が、こいつだ」

「よく知ってるな。誰に聞いた?」


 事件は報道されていたが、名前は公表されていなかったはずだ。少し引っかかるものがあった。


「そんなことはどうだっていいだろ。ようするにだ、こいつが死んでも警察が報復行動に出ることはない。町中で派手に騒ぎを起こした張本人でもある、死んでくれたほうが警察にとって都合がいいかもな」


 諏訪は無造作に細谷の左頬をはたいた。いたぶることを楽しむサディスティックな感性を、もはや隠そうとはしていない。


「でも、お前もまだ死にたくないよなぁ。俺らだって殺したくはない。いまどきのヤクザは、無駄に手を汚すようなまねは嫌うんだよ。熊耳みたいな昔気質の暴力バカは絶滅危惧種だ。何事もスマートに、リスクを負わず稼ぐのが現代のヤクザってもんだ」


 縛りつけられて暴力を振るわれている細谷には、まるで説得力のない言葉だった。ヤクザはいまも昔も変わらない、どれだけ取り繕っても中身は暴力をいとわない反社会集団団だ。


「いったい、何が言いたいんだ……」

「つまり、だ。お前に聞きたいことがある。そいつを答えてくれたら、特別に見逃してやってもいい。最後のチャンスだぞ」

「なんだ、ずいぶんとやさしいじゃないか。拘束を解いて、自由にしてくれたら考えてやってもいい」


 今度は右頬をはたかれた。「まったく。いい根性してるな、お前」諏訪は不可解そうに首をかしげ、殴り疲れたのか軽く手を振った。

 頬が腫れていくのを感じる。細谷は首をまわして痛みをごまかす――同時に、さりげなく室内に視線を巡らせ、時計がないか確認した。あいにく見える範囲に、それらしいものは見当たらない。


 この場所に連行されて、どれくらい時間がたったことだろう。細谷は最悪の事態を想定して、をかけていた。時限式の救助要請だ。発動には時間がかかる。諏訪の見逃すという言葉は信頼できない、助かるためにはできるだけ時間稼ぎをしなくてはならなかった。


「お前に聞きたいことは、ふたつある。まず、誰がお前の情報提供者なんだ?」

「さて、なんのことか」


 諏訪が目線で合図を送ると、保塚が進み出て容赦なく殴りつけた。逃げようのない状態で無防備な顔に、強烈な右フックが炸裂する。

 椅子が大きくかたむき、細谷はバランスを取れず床に横倒しとなった。すぐさま若い衆が起き上がらせる。武蔵は強張った顔で硬直し、身動きひとつできないでいた。


「つまらんしらを切るな。ムサシから聞いている」

「ああ、あいつか……」


 思考がぼやけて、目の奥がちかちかする。細谷は回復するまでたっぷりと間を取って、ゆっくりと答えた。「元警官のおっさんだ」舌がうまくまわらず、ゆっくりとしか答えられなかったといったほうが正しいか。


「元警官か。どういう関係なんだ?」

「どうもこうも、向かうから接触してきた。俺を狙ってたわけじゃない、偶然かちあったのが俺だっただけだ」

「名前は? どういう人間だったか知ってるか?」

「名前は川田次郎。俺も調べてみたが、なんで宗田の件を知っていたのかつきとめられなかった。わかったのは、警官としての評判はよくなかったってことくらいだな」


 時間稼ぎは必要だが、煙に巻いてこれ以上殴られるのは嫌だった。どうにか話を長びかせる方向で調整したい。

 その思いが通じたかのように、「川田って、ひょっとしてT署にいた奴か?」と、意外にも保塚が食いついた。


「ああ、T署の警官だったと聞いている」


 身内から出た思わぬ発言に、諏訪は怪訝そうに眉根を寄せる。


「なんだ、そいつを知ってるのか?」

「直接知り合いってわけじゃないんですが、T市をナワバリにしてた薬の売人が、警官とつるんでたって話を聞いたことがあるんですよ。もう十年近く前の話ですがね。そいつの名前が確かカワタだった。捜査の情報を渡す見返りに、金をせびるせこい野郎だって聞いてます」

「それが俺の知ってる川田と同一人物なら、川田の情報源は警察側じゃなく、ってこともあり得るんじゃないか」


 諏訪と保塚は困惑の表情を浮かべて、互いを探りあうように視線を交わした。

 そもそもの出発点である宗田による盗犯の黒幕が、細谷の予想通り名瀬組であったなら、名瀬組内に川田と内通している人物がいる可能性があるわけだ。現段階においては、まったく根拠のない憶測にすぎないが、一度芽生えた疑念は早々晴れるものではない。


 細谷としては、川田の情報源を知りたいという気持ちもあるが、それ以上に疑心暗鬼に陥って時間を稼げればと期待していた。

 だが、目論見ははずれ、川田の問題はあっさりと打ち切られる。


「まあ、そのカワタって奴のことはいい。後で調べてもらう」諏訪は金髪を撫でつけて、改めて細谷に向いた。「お前に聞きたいもうひとつのことは、俺らが探してる宝石についてだ。もうありかの目星はついてるのか?」


 いきなり核心を突いてきた。極論宝石のありかさえわかれば、川田のことなど些末な問題だ、もちろん細谷のことも。

 細谷は返答に窮する。現時点で宝石のありかは、何もわかっていなかった。そのことを知られると細谷の存在価値はなくなる、一足飛びで始末しようという結論にいたる可能性もあるのだ。


「……探してはいる。それは、あんたらも同じだろ」

「答えになってないな。はっきり言ってくれよ。少し言いやすくしてやろうか――」


 諏訪が合図を送ると、保塚を腹を蹴りつけた。衝撃に押されて、椅子は真後ろに倒れる。

 唾を巻き散らして咳きこむ細谷を、すぐさま若い衆が起こした。ぐったりと上体を伏せた細谷の髪をつかみ、無理やり顔を持ち上げる。諏訪のにやけた顔が、二重になって見えた。


「どうだ。ちょっとは口がまわりやすくなっただろ」

「お気遣い、どうも……」

「ほんと、イカれた奴だな。まだやられたりないのか」


 保塚が拳を振り上げる動作を見て、細谷は絞り出すように言った。


「三森鏡子だ」

「三森……三森孝作の孫娘か。そいつが、どう関わってくる。だいたい、なんで無関係のガキが、この件に首を突っこんできてんだ?」

「さあな、わからん」これについては、細谷も本当にわからなかった。「金持ちのガキの考えることなんて、俺にはわからねえよ」


 曖昧な説明に諏訪は憮然とするが、ここは疑問を飲みこんで話を進めた。


「その三森が何か知ってるのか」

「宗田の死体があがったのは、あいつの家だ。警察もつかんでいないネタを、隠し持っている節がある。気難しい奴だから、なかなか口を割らないが、俺なら聞き出せる。俺の言うことは、だいぶ聞くようになってきたんだ。あいつをコントロールできるのは俺だけだ」


 でまかせだった。鏡子は細谷の言いつけを聞いた試しがない。当然、彼女だけが知っている手がかりなんてものもなかった。

 そんな鏡子の名前を使ったのは、三森相手にはヤクザも手出しできないであろうという目算があったからだ。同時に、細谷に最低限の身の保障を与えてくれる。

 半信半疑といったふうに眉をたがいちがいに上下させた諏訪は、ちらりと両者を知る男に目を向けた。


「ムサシ、そうなのか?」

「ど、どうなんでしょう。ただ三森は、細谷さんになついてました。それは確かです」


 本人がどこまで理解しているかわからないが、武蔵は困惑しながら、細谷の嘘に信ぴょう性をもたらす解説を足してくれた。

 それが裏目に出る。


「そうか。だったら、話は簡単だな」


 にわかに放たれた諏訪のパンチが鼻面に当たる。痛がる間もなくニ撃目が胸元を叩いた。

 口のなかに逆流した粘っこい血の塊を吐き出し、白いシャツに赤い染みをにじませる。洗濯しても血の染みは、もう落とせそうにない――というピントのはずれた考えが、なぜか脳裏をよぎっていた。


「三森のガキをコントロールできないないなら、ガキをコントロールできるお前を調教するだけだ。素直になるまで、楽しく遊ぼうや」


 結局暴虐をまぬがれないということだ。殺される心配はうすれたが、死ぬよりひどい目にあう危険性は増した。

 細谷は絶望感に押さえられ、地面にめりこむほどに気分が落ちこんだあとに、反動で腹の底に怒りが吹き荒れる感覚を味わう。どうせ殴られるなら、嫌味のひとつも言わないことには腹の虫がおさまらない。


「やっぱりヤクザはバカだな。ボコボコになった俺を見て、あのガキが言うことを聞くと思ってんのか。常識的に考えて、そんなわけねえだろ。よけい警戒するに決まってる。ヤクザだからバカなのか、バカだからヤクザになったのか、どっちなんだ」


 諏訪のにやけた顔に青筋が浮き上がり、握りこんだ拳が左目を打ち抜いた。椅子が倒れ、細谷は頭を激しくぶつける。

 視界を縁取るようにわき起こった、真っ黒なノイズの集合体が中心に向かって侵食してきた。この幻視を、細谷は知っている。警察学校時代に武道訓練の柔道で、教官に締め落とされたときの視界の圧縮だ。


 細谷は、自分が意識を失おうとしていることを知覚した。

 このとき細谷が最後に見たものは、悲痛な表情で立ち尽くしている武蔵の姿だった。

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