<11ー2>

 W市に戻ってきた武蔵は、バスを乗り継いで昨日の高架橋にやって来た。

 呼び出したにも関わらず、細谷はまだ到着しておらず、手持無沙汰で待たされることになる。


 ようやく細谷の軽自動車があらわれたのは、約三〇分後。飽きるほど眺めたメッセージアプリから顔を上げると、どうしたものか、その助手席に鏡子の姿があった。


「ムサシくん、お待たせ」と、路肩に停めた軽自動車から鏡子が飛び跳ねるように下りてきた。

「なんで、三森が……」

「のけ者にされそうな予感があったから、警察署の細谷さんの車を見張ってたんだ。駐車場の横に張りこみするのにちょうどいいカフェがあったから、そこでね。どうせならアンパンかじりながら見張っていたかったけど、残念ながらその店にはアンパンはなかったよ」


 煙草をふかしながら顔を出した細谷は、うんざりした様子で舌打ちを鳴らす。同行について、ひと悶着あったであろうことは想像に難くない。遅れた文句は言わないでおく。


「学校行けよ……」

「また、それ言う。大丈夫だってば、心配性だな細谷さんは」

「お前の心配は一切してないぞ。俺んとこにクレームがくるんじゃないか心配してるんだ。だいたい、もう学校行く気のない格好じゃねえか。ちょっとは素振りを見せろ」


 毎日代わり映えしないスーツの細谷とちがって、今日の鏡子は制服ではなくTシャツにジーンズというラフな服装をしていた。制服というわかりやすい記号がはずれると、小柄な鏡子は幼さが際立ち、まるで中学生のようだった。装いもあいまって、家出少女を連れ歩いているような不審な気配がかもし出される。


「また危ない目にあうかもしれないし、動きやすいほうがいいと思ったんだけど、制服のほうが好みだった?」

「いないのが一番好みだ。いますぐ消えてくれるとありがたい」

「うわ、ひどっ!」


 鏡子のリアクションを無反応で流した細谷は、吸い殻を携帯灰皿に押しこみ、間を置かず二本目の煙草に口をつけた。ライターの火が先端に点ると、最初の一服を深く吸い、まずそうに煙を吐く。陰気臭い顔つきの影響もあるのだろうが、細谷はいつもまずそうに煙草を吸う。

 まとわりついた紫煙を振り払い、細谷はまずそうな顔のまま、武蔵が手にしたビニール袋に目をやった。


「そいつが充電器か。使えるのか?」

「試してみないことには、なんとも。バッテリーが死んでた場合は、データを取り出せるらしいから頼むつもりだ」

「じゃあ、さっそく試しにいくか。案内を頼む」


 武蔵がためらいがちにうなずくと、待ってましたとばかりに鏡子は助手席のドアを開けた。


「あ、ちょっと待て」慌てて制止したが、その理由についてうまく説明できず、しどろもどろになりながら言葉を吐き出す。「案内は、俺が、しなきゃいけないから、そこは、俺が座る」


 鏡子は怪訝そうに眉をひそめて、武蔵をじっと見つめたあと、ちらりと細谷に目を向けた。


「ムサシの言うとおりにしろ。というか、ついてくんな」

「はーい、後ろに座りまーす」


 おどけた調子で返事をして、あっさりと後部座席に体を滑り込ませる。鏡子は同行を拒まれるのを嫌がったのか、やけに素直だ。

 細谷はため息をついて、しぶしぶ運転席にまわる。武蔵は一呼吸置いてから助手席に乗りこんだ。


「シートベルトしろよ」と、口にして、細谷はすぐに車を発進させた。まだシートベルトのランプが消える前に。

 高架橋に沿ってまっすぐ伸びた道路を、法定速度に届かないゆるやかなスピードで走っていく。細谷は窓を開けて、何度も路面をのぞきこんでは、しきりに首をかしげていた。


「なんか、足回りがおかしい気がするんだよな」

「別に、そんな感じはしないけど?」

「なら、いいんだけどさ……」


 助手席で体感しているかぎりでは、これといって異常な点は感じられない。ハンドルを通して不具合が伝わっているとするなら、武蔵には判別しようがなかった。


「買い換えたら」と、鏡子が気軽に言ってのける。

 他人事ながら金持ちの娘の無頓着な発言に、少しいらついた。

「宝石が手に入ったら乗り換える。もう車種も決めてっから、裏切ったりするんじゃないぞ」


 車は高架橋をくぐって横道を抜けて、片側二車線の道路に入っていく。比較的交通量は少なく、快適に運転できる環境であったが、やはり車の足回りが気にかかるのか、細谷がアクセルを踏みこむことはなかった。

 信号に捕まり、余裕をもって停止する。細谷は顔をのぞかせてタイヤを確認したあと、首をかしげながら武蔵を見た。


「家はこっちでいいんだよな」

「当分はまっすぐで。近場にきたら声をかけるよ」


 赤から青に信号が替わり、隣の黒い商用バンが動き出すのを見送ってから車を発進させた。通りすぎていくうす汚れた黒いバンのボディには、木内塗装と社名が書かれていた。屋根の上には使い込まれた脚立が縛りつけてある。

 そのバンが強引に車線変更して、軽自動車の前に割りこんできた。細谷は舌打ちを鳴らし、さらにスピードをゆるめる。

 前方に位置どったバンは付近の角を曲がるつもりなのか、後ろからつつきそうになるほど小刻みなブレーキングを繰り返した。


「何やってんだ、ヘタクソ!」


 細谷は苛立たしげにクラクションを一発かまし、ハンドルを切って追い抜き車線に移る。馴れた手つきでシフトノブを切り替え、バンを抜き去っていった。


「乱暴な運転だなぁ」と、後部座席から呆れ声が聞こえてくる。

「いまのは、もたついたが悪いんだろ。ああいう雑な運転こそ、事故の元になる」

「お願いだから、安全運転してよ。警察に見つかったら面倒なことになる」


 鏡子はどこかで聞いたことのあるセリフを、おちゃらかすように言った。ストレスが見る間にたまっていくのを右半身に感じた。

 再び信号で止まると、細谷は慌ただしく煙草を取り出して火をつける。車内に充満する煙のなかで、かみ殺し損ねた笑いが後部座席にこぼれていた。


 あまり刺激するなよ――と、げんなりしながらバックミラー越しに鏡子を見た。

 その瞬間、ぞわりと肌が粟立つ感覚を武蔵は味わうことになる。


 信号が替わり、細谷がアクセルを踏んだ。武蔵は座席に押しつけられながら、首をひねって後方を確認する。発進した車のスピードは、相変わらずゆったりとしていた。足回りの問題なのか、鏡子の言葉が効いたのかはわからないが、これ以上速度計を振りまわすつもりはないようだ。

 他の後続車は次々と追い抜いていくのだが、その車はぴったりと後ろに張りついていた。まるで獲物を狙う肉食猛獣のように。


 三度目の信号停止で、不安は確信に変わった。交差点の黄色信号で早めに停止した細谷の運転にあわせて、その車はじりじりと速度を落として、隣の車線に並ぶ。

 黒いバンだ。ボディには、木内塗装と書かれている。

 窓に貼った透過率の低いフィルムに、ぼんやりと運転手の姿が映っていた。輪郭だけが浮かび上がった曖昧な影絵であったが、その大きなフォルムには見覚えがある。


「細谷さん――」

「うん、なんだ?」


 喉を締めつける恐怖という戒めを、武蔵は無理やりこじ開ける。


「細谷さん、逃げろ、熊耳だ!」


 かすかな駆動音を奏でて、バンの助手席側の窓が下りていく。運転席座った作業着の大男が、ゆっくりと顔を向けて手を突きつけた。

 拳銃を握っている。その漆黒を絞りこんだような銃口は、まっすぐ細谷を指していた。

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