<11ー1>
K県の県庁所在地であるY市は、人口三百万人を越える大都市ということもあって、あらゆる面で充実しており、商店の種類も数もK県において群を抜いていた。
何かほしいものがあれば、とりあえずY市にいけば買うことができるというのが県民共通の認識である。雑貨や衣類や食料品だけでなく、高額な贅沢品も安価なまがい物も、場合によっては非合法な品でさえもそろえることができた。もちろん電化製品も豊富で、携帯電話の旧機種のオプションパーツであっても買い求めることができた。
刑事である細谷と手を組むことになり、スナックで熊耳に襲撃された翌日――武蔵は朝の通勤ラッシュが落ち着いた頃に、電車に乗ってY市を訪れた。橋上駅の長い階段を下り、まだ人もまばらな電気街に足を踏み入れる。
目的地は、中古の携帯電話を専門に扱っている店だ。昨夜のうちにネットで調べ、目星をつけておいた。
その店は通販サイトも開いていたが、配送に時間がかかっては困るので直接出向くことにした。ほしいのは、母が使っていた携帯電話の充電器だ。通販サイトで確認したところ、在庫有りとなっていた。
目抜き通りに面した巨大な家電量販店の前を通りすぎ、派手なアニメポスターで埋め尽くされた陳列窓が特徴的なビルと、まだ開店準備中の古風な蕎麦屋との間の、交叉した細い路地に入る。地図アプリ上では、この先が目的の店となっていた。
しばらく進むと、道幅がぐっと狭くなる。それにともない、周囲の雰囲気に怪しいものが混じりはじめた。着飾った表通りと打って変わって、路地の奥は前時代的な空気が濃厚に満ちた年季の入った店舗が並んでいる。
錆が目立つ劣化した金属棚にいまや懐かしいビデオデッキを大量に積み重ねた店や、地元局のラジオを大音量で流しながら古い洗濯機を解体している店、堂々と違法DVDを販売している店、何を売っているのかまったくわからない東南アジア系の男性が店番をしている店など。裏世界の住人であるヤクザの目にも、いかがわしく感じる奇妙な店ばかりだ。
そのなかに、携帯電話の中古ショップはあった。とても通販サイトを開いているような先進的な要素は皆無の、ちんけな店構えをしている。子供の頃に通っていた、つぶれかけの駄菓子屋を思わせる外観だ。
武蔵が建てつけの悪い入口引き戸を開けると、客が五人も入ればあぶれそうな狭い店内が待っていた。幸いにも客はおらず、ガラス張りの平ケースに頬杖をつく店員ひとりしかいない。
平ケースには比較的新しめのスマホが並んでいたが、藤の網かごに乱雑に詰め込まれたガラケーの山やバッテリー部分のみが売りに出されており、携帯電話のショップというよりはガラクタ市のような様相を感じる。
スマホに見入っていた店員は、ちらりと一瞥したあと、何事もなかったように視線を戻した。「いらっしゃい」の一言もなく、耳をふさいだイヤホンをはずそうともしなかった。
年齢は武蔵と同年代だろう。肩まで伸びた長い髪は皮脂で湿り、汚らしい無精ひげが散りばめられ、鼻の下が長い馬面に丸い眼鏡をかけている。嫌悪感がもよおす風貌だ。もし爽やかな顔立ちであったとしても、態度一つで同様の嫌悪感を抱いたことだろうが。
「おい、客だぞ!」
苛立ちが抑えきれず、武蔵は平ケースに手を叩きつけ、凄みを利かせて声を張った。
店員は忌々しそうに顔を上げる。丸いレンズの奥で、好戦的な光が目に灯っている。
「怒鳴らなくても聞こえてるよ。用件があんなら、それを言え」
わなわなと怒りがこみあげて、拳を握りしめる。殴りかかりたいところだが、これから物を買う相手と険悪な関係になるのは差し支えがあった。頭のなかの理性的な部分が、武蔵の感情を縛りつける。ただ、あの悪徳刑事なら、問答無用で叩きのめしたにちがいない――そんなことを思った。
武蔵は一呼吸おいて、本題を切り出した。声に生えたトゲを、全部引き抜くのは難しい。
「携帯電話の充電器がほしい。機種は、えっと――」
メモしておいた機種名と型番を告げると、店員は脂っぽい長髪をかきあげながらのっそり立ち上がった。
「在庫があるかはわかんねぇよ」
「この店の通販サイトにはあったぞ。あれがデタラメでなきゃ、ないってことはないだろ」
「うちは通販をメインでやってて、こっちは形だけ取りつくろった店舗なんだ。本体の倉庫のほうにはあるかもしれないけど、こっちにあるかはわからない」
「もしなかったら、何日くらいで取り寄せられるんだ?」
店員は軽く肩をすくめてみせる。苛つく身振りだった。
「さあな。二、三日ってとこじゃないか」
店の奥に引っ込み、店員は在庫品のチェックをはじめる。扉を開けっ放しにしていたので、その様子をのぞき見ることができた。整理されているとは到底思えない積み重ねられたダンボール箱の側面に、内容物の目録がマーカーペンの太い文字で書かれていた。それを目視で確認してまわっている。
「こんなことなら、ネットで注文しとけばよかった」と、武蔵は心のなかで後悔する。
だが、予想外に店員は目当ての品を見つけ出してくれた。このむさ苦しい店員に、はじめて好印象を抱く。
「よかったな、あったぞ。これだろ」
そう言って差し出されたのはガラケーをセットして充電する台座だ。想像したとおりの物だったが、それが母の携帯電話と合致するかはわからない。
「古いガラケーなんだが、もし充電できなかったらどうすりゃいい?」
「バッテリーが死んでるなら、バッテリー交換するしかないな。けど、そんな古い物、使いつづけるのはおすすめしない。うちで新しいの買ってけばいいじゃん」
「俺が使うわけじゃないんだ。なかの情報を知りたいだけだ」
店員はきょとんとして武蔵を見つめたあと、眼鏡にかぶさっていた束になった髪をかきあげた。
「それなら、こんな面倒なことしなくたってデータを吸い出せばいい。有料で、うちでもやってるぞ。ケータイを貸してみな」
「そんなことできるのか……。あ、でも、いま持ってない。家にある」
「じゃあ、こいつを試して、電源がつかなかったらまた来いよ。データを取り出してやるよ、有料で」
代金を払い、充電器を入れたビニール袋を手に店を出る。とにかく目的の物を入手し、失敗だった場合の解決策も知ることが出来た。成果は上々だ。
武蔵は足取り軽く来た道を戻り、駅舎を目指す。少し時間が経過したことで、人の往来は増えていた。
電話が鳴ったのは、橋上駅の長い階段を昇っている途中だ。スマホを見て、足を止める。後ろについていた女性が、気だるげにさけていく。
小さく深呼吸して、気持ちを落ち着けてから電話に出た。
「もしもし、俺だけど」
「どうも、細谷さん」と、返事。自分で思っていたよりも、暗くよどんだ声だった。
「ムサシ、今日はどうするんだ?」
一瞬ためらったが、ためらったことを勘づかれないように注意して言葉をつなぐ。
「いまY市で母さんが使ってた携帯電話の充電器を買ったとこで、これから帰って充電できるか試してみるつもりだ」
「携帯電話に宗田のメッセージが残ってないか調べるわけか。よし、それなら俺も立ち会う」
思いがけない提案に、武蔵は戸惑い声を詰まらせた。必死に思考を巡らせて、回避する方法を考えたが、ろくな解決策が浮かばない。結局、どうにか絞り出せたのは、当たり障りのない質問だった。
「な、なんで、そこまでするんだ?」
「そりゃ抜け駆けされたら困るからだ。おふくろさんの携帯電話に、宝石のありかが入ってるかもしれないだろ」
ぐうの音も出ない返答だった。それを言われては、断りようがない。断ったりすっぽかしたりすると、うたがわれることになる。
「待ち合わせは、昨日の高架橋のとこでいいよな。待ってるからな」
電話が切れたあとも、しばらく武蔵は階段の途中で立ち尽くしていた。面倒なことになってしまったと、心労がのしかかり、引き裂かれる思いで胃がキリキリと痛む。
のろのろと泥土に埋もれたような足取りで階段を昇りながら、ポケットにスマホをしまうが、すぐに思い直して取り出した。
やはりしまう、取り出す。またしまう、取り出す――と、同じ動作を階段の一段ごとに繰り返し、最上段にたどり着いたときはスマホを手にしていた。
まるで最低の花占いだ。武蔵は自嘲の笑みをもらし、迷った末にメッセジーアプリを開く。
武蔵は覚悟を決めて、改札を通った。
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