<10ー2>
車のボンネットに寄りかかって待っていった鏡子は、細谷を見つけると大きく手を振った。えんじ色の制服のリボンが、動きにあわせてゆらゆら揺れている。
あふれ出した困惑を処理しきれずにいる細谷は、陰気臭い顔に驚愕を張りつけて、無意識にいつものくせでネクタイをゆるめていた。締めつけられた喉元が解放されて、幾分気分もゆるんでくる。
「お前、な、なんでここに?」
「さて、どうしてでしょう」
くだらないクイズに応じる気のない細谷は、うんざりして露骨に顔をしかめるが、鏡子は構わずクイズ形式をつづけた。
「ヒントは、車です」
「車?」と、細谷は軽自動車を見やる。新たにできたドアのへこみを除くと、これといって目立ったところはない。
高架橋で別れた直後にタクシーをつかまえて、ドラマよろしく「前の車を追って!」と追いかけてきたのだろうか。しかし、車通りのないあの場所で、すぐにタクシーをつかまえられたとは思えない。電話で呼び出したにしても、タクシーが通る大通りに行ったにしても、それなりの時間を要したはずだ。追いかけてきたという線は現実的ではなかった。
そうなると、別の手段で細谷の行き先を特定して、やってきたと考えるほかない。
「電話を盗聴してたのか?」
「ヒント、車って言ったよね。でも、考えかたとしては間違ってないよ」
「もう面倒くさいから、答えをくれ。俺の負けでいいから……」
鏡子はつまらなそうにしながらも、案外あっさりと追ってこれた理由を教えてくれた。手にしたスマホを見せつけてくる。
画面には簡易的な地図が映しだされており、場所を示す赤い印が刻まれていた。細谷は即座に理解する。
「お前、GPS仕込んだのか?!」
「まあね。うちの使用人の稲垣さんが、誘拐されたら危ないからってGPSを持ち歩けってうるさいんだ。それを助手席の下に放り込んどいた」
細谷が助手席側のドアを開けて座席の下を確認すると、小さなGPS発信機があった。
「とんでもねぇガキだな。こんなことやってると、いつか警察に捕まるぞ」
「そのときは、細谷さんの名前出して見逃してもらう。警察って身内に甘いんでしょ」
「そんなわけあるか。俺の名前出したら、よけいこじれる」
ため息をついて、発信機を投げ渡す。軽く投げたつもりだが、鏡子はキャッチしそこねて落としていた。
ふと脳裏に一つの仮説が浮かぶ。細谷は「まさかな……」と小さく声をこぼし、ひざを折って車体の下を覗き込んだ。
発信機を拾おうと屈み込んでいた鏡子と目があう。彼女は不思議そうに首をかしげて、動作をまねるように車の下に目をやった。
「細谷さん、何をしてるの?」
「見てわからないか、GPSがついてないか調べている」
「もうないよ。さすがに何個も持ってない」
「お前のじゃない。誰か他の奴がつけてるかもしれないと思って調べてんだ」
くまなく見てみたが、それらしいものはついていなかった。それならばと、車内に捜査範囲を広げる。
座席もダッシュボードも、軽自動車のせまいトランクも、床に敷いたカーマットもはいで調べた。その結果、出てきたのは灰皿からこぼれた煙草の吸い殻二本と、小銭が少々。煙草銭が浮いたこと以外、成果は何もなかった。
「ここには、ないみたいだ」と、細谷は結論づける。
「そりゃそうでしょ。細谷さんって、普段からGPSつけられるようなバカなことしてるの?」
「あ、いや、そういうことじゃない。そういうことじゃなくって――」
署に帰ると刑事課長の小言が待っていることを思うと、あまり否定できる要素はないので言葉を濁す。
「もしかしたら、誰かに監視されていたからスナックで襲われたんじゃないかと思ったんだ。俺の動きが筒抜けになっていたなら、あの場所で熊耳に襲撃されたのも納得できる」
不可解な遭遇の理由としては、それが一番穏便であったのだが、残念なことに見込みがはずれた。必然的に検証対象は絞り込まれ、裏づけの段階に行き着く。
それを目ざとく察したのか、鏡子は跳ねたくせっ毛に指を這わせながら、わかりやすく首をかしげてみせた。細谷の判定に待ったをかける。
「うーん、他にも考えられないかな。その熊耳って人は、元からスナックを見張っていたとか」
「それはないな。もし見張っていたのなら、わざわざ鍵のかかった正面入口をこじ開けるなんて馬鹿なまねはしないだろ。裏口から入っていくのを見てないとおかしい」
「細い路地のほうで見張ってたんじゃなくて、大きな通りのほうで見張っていたとしたら、どうやって店に入ったのかはわからないんじゃない」
妙案を思いついたとばかりに、パンを手をあわせて、鏡子は得意げに言った。
一瞬気後れするが、論理的に無理があることはすぐに判明する。
「だとしても、見張っている時点で俺たちが行くスナックを特定していたことになる。そうなると当然裏口も確認済みでなきゃ不自然だ。無理やりドアをこじ開けるのは辻褄があわない」
見張っていたのではなく、場所を指定されて向かったと考えるのが妥当だろう。川田が言っていたように、協力者の存在が裏にいるのはうたがいようがない。
「でもでも、もしドアをこじ開ける理由があったとしたら?」
「どんな理由だよ。いきなり銃をぶっ放す奴だぞ。入口で手間取ったら逃げられる可能性があったのに、故意にドアをこじ開ける理由はないだろ」
鏡子の主張を否定しながら、細谷はひっかかるものを感じていた。
熊耳及び協力者の目的が宝石探しであるなら、無闇やたらに暴れるのは得策ではなかった。明確に邪魔者である細谷はともかく、宗田の息子である武蔵にまで危害をくわえるのは具合が悪い。誤って殺してしまっては元も子もないのだ。それに、騒ぎを起こして警察が介入するような状況となっては、宝石探しに支障が出る。どの勢力であっても、さけるべき事態であった。
熊耳が暴走しているのか、それとも熊耳をコントロールしきれていないのか。熊耳と協力者の間の取り決めがわからない以上判断できないが、実際に対峙した感覚としては、本人の意思で行動決定しているように思う。協力者の意図を越えたところで熊耳が暴れているとしたら厄介だ。考えてみれば熊耳にとって武蔵は、組をつぶした怨敵の息子ということになる。
「現段階で特定できることは何もないが、また熊耳があらわれるようなことがあったら、そのときは考えないといけないな」
「そうだね。都合が悪いことは後回しにするのがいい。わたし、後回し賛成派。夏休みの宿題は、切羽詰まってからはじめてもなんとかなるもん」
お気楽な鏡子の意見に同調するのは抵抗あるが、突き詰めるには時間も材料も足りなかった。後回しするほかない。ちなみに、細谷も夏休みの宿題は最終日まで手をつけないタイプだった。
「まあ、いずれわかる。もろもろ含めて、全部……」
希望を込めて口にしたが、正直わかるとは到底思えなかった。何やら裏側で複雑に絡み合っているが、何が絡んでいるのかもまだ見えてこない。
小さく吐息をもらし、ポケットをまさぐる。指先にふれた紙箱をつまみだすと、煙草は最後の一本だった。署に戻れば買いだめのカートンが半分ほど残っていたはずだが、署に戻るのが憂鬱でならない。
煙草に火をつけながら、ちらりと西に目を向ける。ライターの火よりも煌々とした赤が、はるか遠くの空をにじませていた。
「しょうがない、そろそろ行くか」
紫煙を吹きながら、乱闘で疲弊した体を運転席に沈める。
「ちょっと、今度こそ送ってよ!」鏡子は慌てて助手席側に回り込む。「足代は出すよ」
その手には、いつの間にか五千円札がにぎられている。
「お前、ほんとに嫌なガキだな……」
細谷は、鏡子を家まで送ってやった。
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