<10ー1>
約束どおり高架橋に戻ってきた細谷は、組事務所に向かう武蔵の原付バイクを見送り、煙草に火をつけた。ゆっくりと紫煙を味わい、満足いくまで煙草をふかす。
その様子を、じっと見つめる少女がいた。少し煙たそうにしながらも、足に根が生えたようにその場を離れない。
「何を見てんだ。お前もさっさと帰れ」
「ねえ、家まで送ってよ。女の子をこんなとこにほっぽりだすなんてまね、しないよね?」
成り行きでついてきた三森鏡子の処遇を、細谷は決めかねていた。正直に言えば、いますぐ関係を断ちたい。どう考えても邪魔な荷物にしかならない女だ。しかも、家柄を考えると、毛ほども傷つけるわけにはいかない厄介な荷物だ。割物注意どころの話ではない。
陰気臭い顔に苦悩を詰め込み、煙といっしょに舌打ちを吐き出す。
「タクシーで帰れよ。金持ちなんだから、それくらいの金持ってるだろ」
「細谷さん、絶対モテないでしょ。普通言わないよ、そういうこと!」
「ガキにモテてもしょうがないだろ――」
ちょうどそのとき、出し抜けに電話が鳴った。スマホを取り出して発信元を確認し、細谷は顔をしかめる。
目の前の厄介者より、直接的に厄介な相手からの電話だ。細谷はためらいがちにスマホをタップする。
「細谷、いまどこにいる」
「えっと、課長、ちょっといろいろありまして……」
直属の上司である刑事課長の笹沼からの電話だ。鏡子が警察署に乗り込んできたせいで、何も言わずに外出し、現在にいたっている。言い訳をしなければと思うのだが、頭がうまくまわらず言葉が出てこない。
スピーカーからため息がこぼれて、冷汗が背筋を伝う。まさか何者かに襲われて銃撃されましたとは言えない。店を損壊させてしまったので、いずれ知られることになるだろうが、もう少し言い訳を考える時間がほしかった。
「まあ、いい、話はあとで聞く。それよりも、至急I市の警察署に行ってくれないか。別件で逮捕された窃盗犯が、細谷の担当している時計店の犯行も自供した。とりあえず聴取を頼む」
「あ、はい……」無断外出について言及されるとばかり思っていたので、実務的な用件だったことに拍子抜けした。「わかりました。すぐに行きます」
電話を終えると、心持ち晴れやかな気分で鏡子に向き直る。関わらずに済む、明確な理由ができた。
「悪いが、これから仕事だ。お前は自力で帰れ」
「えー、連れていってよ。つまんない」
「いくわけないだろ、バカ!」
ふくれっ面の鏡子を置き去りにして、細谷はすぐさま車を発進させた。I市警察署までの道のりは、気楽さから穏やかな気持ちで運転できた。進入に手間取る女性ドライバーに、道をゆずってやるゆとりまであった。
滞りなく、I市警察署に到着。外来用の駐車場に軽自動車を停めて降車する。
署内に入る前に、ふと思い立ってスーツを払った。熊耳の襲撃で取っ組み合いをしたので、スーツがかなりよれている。汚れはある程度落としたつもりであったが、生地に埋もれた細かなガラス片がぱらぱらとこぼれる。
「安物とはいえスーツ代も馬鹿にならないってのに、くそっ……」
口のなかで文句を重ねながら自動ドアをくぐり、案内板にしたがって刑事課に向かう。建物の造りはちがっていても、同じ警察組織ということもあって、その雰囲気は似通ったものがある。
刑事課で応対した職員が、窃盗犯は現在取り調べ中だと教えてくれた。終わるのをおとなしく待とうかとも思ったが、I市警察署刑事課長の計らいで先に聴取をさせてもらえることになった。善意の行動なのか、はみだし者の刑事を早く追っ払いたいだけなのか、どちらとも判別つかない。
「失礼します」と、声をかけて取調室に入る。間髪入れずに聴取中の強面刑事が振り返り、細谷を認識するとギョッとして目をむいた。
「……細谷真悟……」
見知らぬ刑事であったが、相手は細谷を知っていた。自分の悪名高さに嫌気がさす。
事情を説明すると、刑事はあっさり席をゆずってくれた。ただ入れ違いざまに、「ビール臭いぞ、飲んでるのか?」と疑念を口にする。細谷は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。
窃盗犯は、頭頂部がくっきりと禿げあがった小兵の五〇代男性だ。腫れぼったい一重瞼で覆った目は、ぶらぶらと左右に行き交った末に、思い出したように正面に座った細谷に向けられる。
「おや、選手交代かい?」
そんな軽口を叩く余裕があるところをみるに、おそらくは常習犯だろう。逮捕は馴れっこといった態度だ。
窃盗犯は、昨晩ブランドバッグの店に侵入して商品を物色しているところを発見され、駆けつけた警察官に逮捕された。所持品を確認すると、不釣り合いな高級腕時計を隠し持っていたことから盗難届けが出ている品目をチェックし、W市の時計店の窃盗事件につながったそうだ。
逮捕され、盗難品の所持が発覚した時点で観念したのか、早々に犯行は自供している。ただ犯行前の素行に関する言動に不透明な部分があって、まだ他にも犯罪を隠しているのではないかとI市刑事課はうたがっているようだった。
「七日前、お前はW市の時計店に、盗みに入ったよな」
たとえ別件があったとしても、細谷には関係のない話だ。時計店の盗難実態のみを聴取していく。
窃盗犯は軽薄で、終始のらりくらりとした態度を貫いていたが、時計店の犯行にしぼれば発言に不合理な点はなく、案外正直に話してくれた。
唯一面倒だったのは、唐突に話が思わぬ方角に飛ぶことだ。店の侵入経路を話していたかと思えば、脈絡なくどこぞの定食屋の飯がうまいという話に飛ぶ。犯行時の状況を説明から、どこぞのスナックのママはいい女だという話に飛んだ。
からかわれているのかと思ったが、どうやら悪意があっての振る舞いではないらしい。そういう性質――病気といったほうが正確か。一つのことに集中するのが苦手なようだ。よく泥棒をやっていけるものだと呆れる。
「あんた、W警察署の刑事なんだよな」
また話が飛び、細谷はうんざりして舌打ちを鳴らした。「俺のことはどうでもいい。説明をつづけろ」早く仕事を終わらせて、刑事課長への言い訳を考えたかった。
しかし、次の窃盗犯の言葉で、頭のなかに詰まっていた思案は、すべて吹き飛ばされることになる。
「宗田の奴、死んでたそうじゃないか。しかも、三森の家で。あそこってW警察の管轄だったよな」
突然差し込まれた宗田の話題に、細谷は動転して軽くのけぞった。パイプ椅子がずれて、ギギッと床をこする不快な音を立てた。
様子を見ていたI警察の刑事は、不可解そうに眉根を寄せる。
「お前は宗田のことを知ってるのか?」
身を乗り出して問いただすと、思わぬ食いつきに今度は窃盗犯がのけぞった。
「えっと、あの時計屋の裏口は――」
「そんなことより、宗田のことだ。知り合いなのか?」
「知り合いってか、まあ、同業者だから知ってることは知ってる。別に親しくはなかったが」
「宗田は、どんな奴だった」
さらに細谷が身を乗り出すと、窃盗犯は若干顔をひきつらせて困惑を浮かべた。
「おい、細谷。お前は何を聞いてるんだ?」
刑事が疑念をむき出しにして割りこんできた。はたから見れば、おかしな状況であることは自覚している。
だが、ここでためらうわけにはいかなかった。生前の宗田を知る貴重な存在だ、振ってわいた好機を見逃す手はない。
「うちの署の事件なんだ、ちょっと黙っててくれ!」
強い口調で追及を打ち切り、窃盗犯に詰め寄る。向かい合ったはざまに机があるので、物理的な距離が縮まることはないのだが、気持ちのうえでは額をぶつけるくらいに近づいたつもりだ。
できることなら髪をひっつかみ、机に頭を押し付けて問い詰めたいところだが、周囲の目があるのでやめておく。近頃は取り調べの可視化で、撮影されている場合もある。暴力的な取り調べは控えなくてはならない。はみだし者でも一応警察官だ、警察署内ではおとなしくルールにしたがう。
「宗田がどんな奴って……普通だな。どこにでもいる、普通のこそどろだ。たいした腕も持っちゃいない」
「こそどろが、どこにでもいてたまるか」
「まあ、大きな仕事をするタイプじゃなかった。酔うとでかいことを口にするが、素面だとおとなしい典型的な小物だ。それが、あんなことをしでかすとはなぁ」
細谷は声のトーンを落とし、尋問の深度を増やす。
「その口ぶり、戸代でのことを知ってそうだな。どこで聞いたんだ?」
「噂でちょろっと耳にした程度のもんさ。真偽のほどは知らない。あいつがやったのなら、誰にそそのかされたんだろうって、仲間内では話題になってたんだ」
「そそのかされた? ということは、宗田に指示した黒幕がいるってことか」
「だろうね。ヤクザの金に手を出すような危ないまね、いざってときに守ってくれる後ろ盾がいなきゃおっかなくてやってらんないよ。おおかたムショにいた頃に、話を持ってきた奴がいたんじゃないか――ああ、そうそう、あのなんて言ったっけ、I市のでかい商店街のなかにある喫茶店のオヤジが作る裏メニューのカレーは絶品だぞ、今度食ってみな」
また話が飛ぶ。細谷は適当にいさめながら、頭のなかで疑問点を整理していた。
窃盗犯の推測が正しいならば、宗田には仕事を持ちかけた依頼人がいたことになる。戸代一家から守ってくれそうな組織は、同じく暴力団の名瀬組くらいだろう。表面的には敵対していなくとも、競合相手だけに名瀬組が陰で糸を引いていたとするなら納得はできた。
しかし、現時点で名瀬組は武蔵を介して宝石を探している。名瀬組が宗田を操っていたとするなら、これは不可解な状況だ。宗田が宝石をひとり占めしようとして名瀬組を裏切ったか、もしくは宗田を襲い殺害した別勢力が存在したのだろうか。
もう一か所引っかかったのは、その時系列だ。刑務所のなかで戸代一家の宝石を奪うことを持ちかけられたなら、宗田が出所した頃に戸代一家が宝石を確保していると前もって知っていなければならない。元戸代一家組員の山下の話では、急いで金をかき集めたらしいので、タイミングの調整はかなりシビアだ。成功する条件を積み重ねると、ますます疑問がふくらんでいった。
「この稼業も、命あっての物種だ。うまい話には裏があるってこったな」
宗田の情報は絞り尽くしたようで、これ以上この男から聞ける話はなさそうだった。
一旦頭を切り替えて、本来の業務に戻り、時計店の窃盗の聴取を進める。手早く犯行の手順を聞き取り、調査の形式だけは整えた。
あとはI市の事件を立件後に、W警察署に身柄を移して再逮捕の手続きを行うことになる。窃盗犯の様子からして、まだ別の犯罪を秘匿している可能性があるので、おそらく移送は当分先送りになるだろう。
しばらく窃盗犯にかかずる必要はないということだ。細谷にとしては、そのほうが都合がいい。
「じゃあ、お先です」
聴取を終えて立ち上がると、居合わせた刑事たちの不審に満ちた視線を受けることになった。
「お前、いったい何を調べてるんだ?」
「極秘事項なんで、内密にお願いします」と、言い訳になっていない言い訳を口にする。
もしかすると、今回のことは佐久間に話がもれるかもしれない――と、いまさら気づいたが、もう後の祭りだ。なるようになれと半ばやけっぱちな気持ちで取調室を後にした。
I警察の刑事課長に挨拶して、重い足取りで帰路につく。頭のなかでは次なる問題、無断外出の弁明理由をこねくりまわして考えながら。
そのため、細谷は駐車場に入っても、その存在に気づけなかった。キーを取り出しながら愛車に目を向けたとき、ようやく認識し、あまりのことに度肝を抜かれる。
「やあ、細谷さん。遅かったね、何をやってたの?」
そこには高架橋で別れたはずの鏡子が、なぜか待ち構えていた。
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