<7ー3>

「――そういうわけで、俺たちは消えた宝石を探している」


 細谷がことの経緯を鏡子に説明した直後、武蔵はぐいっと腕を引いて細谷を連れ出した。


「おい、あいつに言っていいのか?」

「よくはないけど、ごまかすにも限度があるだろ。それに、また三森の家に行く必要が出てくるかもしれん。味方に引き入れておいて損はない」


 小声で議論を交わす男ふたりに、鏡子は怪訝そうに目を細めて、しっかりとした足取りで近づいてきた。ヤクザと警察が狙う宝石の話を聞いても、まったく臆した様子はない。三森の血筋か、肝がすわっている。


「なーに、こそこそやってるの。いまさらハブろうたって、そうはいかないからね。わたしも探すの手伝う!」


 高らかに宣言した鏡子は、その場でくるりと優雅に回ってみせた。制服のスカートがふわりとふくらみ、するりとしぼんでいく。何が彼女を浮かれさせているのか、高揚を押さえきれないといった感じだ。


「おい、ほんとに大丈夫なのか?」

「た、たぶん、大丈夫だろ。せいぜい利用させてもらおう……」


 こそこそ話に、またも鏡子が首を突っ込んでくる。


「もちろん協力するからには、もらうものはもらうから。三等分だからね」


 取り分の主張を、細谷は無視した。露骨に話題を変える。


「それで、お前はどうやって宝石を探してるんだ。隠し場所のヒントになりそうなことを聞いてるのか?」

「いや、まったく聞いてない。親父が残していったものは何もないから、母さんの遺品のなかに関係がありそうなものはないか探ってる最中だ」

「ほう、くわしく聞かせろ」


 多少ためらいはあったが、一応は手を組むことになったので、簡潔に状況を説明する。

 細谷は煙草をくわえたまま熟考し、くすぶった灰が落ちるまで身動き一つしなかった。その辛気臭い顔からは、何を考えているのか読み取れない。


「なるほど、鍵か。最後の鍵がまだ残ってるんだな、だったら、俺も付き合おう。手分けして調べたほうが早く済む」

「えっ、いっしょに来る気?」

「現場検証なら警察に任せろ。車を取ってくるから待ってな」


 言うが早いか、細谷は少し離れた橋脚の隅に駐車してあった軽自動車の運転席に滑りこみ、かなり強引な運転でUターンし、歩道に乗り上げて横づけしてきた。警察官だというのに、道交法を気にする素振りはまったくない。


「わたし、助手席ー」と、お気楽に鏡子は迷わず左ドアから乗り込む。

「おい、何をしてんだ。お前も早く乗れ」

「俺はバイクで来てっから――」

「案内してもらわないと困るんだ。終わったら送ってやるから、さっさと乗れ!」


 有無を言わさぬ命令口調に気おされて、武蔵はしかたなく狭い後部座席に乗りこんだ。車内に入った瞬間思ったのは、染み込んだ煙草のにおいの不快感だ。すぐに窓を開けて、空気を入れ換える。鏡子も同じことを思っているのか、窓を開けて顔を外に向けていた。


「ちゃんとシートベルトしろよ。警察に見つかったら面倒なことになる」


 警察官の口から、もう一生聞くことはないであろうセリフを吐いて、細谷はアクセルを踏みこんだ。歩道の段差でタイヤがぐらつき、車体に不規則な振動となって伝わる。天井が低いので、油断していると頭がぶつかりそうだ。


 武蔵のナビに従い、車は細い路地を抜けて大通りに合流した。本当に警察を警戒しているらしく、運転は思いのほか慎重だ。武蔵にとっても、安全運転が望ましい。

 赤信号でぴたりと停止、タイヤがキュッと小さく鳴る。周囲に目を配る細谷を見ながら、何を思ったか鏡子がぼそりとよけいなことを言う。


「それにしても、軽自動車ってあんまり乗り心地よくないね。期待して損した」

「このクソガキ……」


 信号が変わると同時に踏みこんだアクセルの深さで、苛立ちっぷりがよくわかった。


「あのさぁ、自己紹介したよね。わたしは三森鏡子、鏡子って呼んでよ」


 細谷は短く息をついたあと、嫌味ったらしく言い直した。「このクソ生意気な金持ちのガキ、乗せてもらえるだけありがたく思え」


 そのまま片手をハンドルに添えたまま、もう一方の手でポケットをまさぐり、煙草を取り出してくわえた。バッグミラー越しに目があうと、細谷は眉間にしわの寄った顔で煙草の紙箱を軽く振る。


「お前も吸うか?」

「いや、俺は煙草吸わないんでいらない」

「くそっ、お前もか。ヤクザのくせに体を気遣ってんじゃねえよ。どいつもこいつも煙草を嫌いやがって、ふざけんなってんだ!」


 理不尽な怒りを巻き散らしながら、細谷は火をつけて煙も巻き散らす。車内を曇らせる紫煙のもやを窓の外に追いやっていると、ふと視界の端に紫色の電飾看板が映りこんだ。電気が点っていないので、看板として機能していないが、そのけばけばしい色味は飲み屋街でよく目にする色だ。

 人通りの少ないさびれた道の両側には、シャッターの閉じた居酒屋が並び、隣接したビルには複数の店の名前が書かれた表示板が掲げられていた。目的地は近い。


「わたしが吸おうか、煙草」

「ガキがバカなこと言うな。これでも警察だぞ、未成年にすすめるかよ」

「まともな警察官は、未成年の前で煙草吸ったりしないと思うよ」


 前の席でうすっぺらい言い合いをするふたりに、慌てて声をかける。「そこの電柱のとこで停めてくれ」コンクリートの柱に取りつけられたプレートに町名が記載されていた。母がつとめていたスナックの住所と、番地がちがうだけで町内は一致する。


「ムサシくん、このあたりなの?」

「そうみたいだ。直接行ったことがないから、もうちょっと探さなきゃいけない」


 車を路上駐車して、近場を捜索する。日が暮れる頃に活性化する夜の街だけに、場所をたずねようにも周囲に人がいない。偶然通りかかったおしぼり業者に話を聞けたが、似たような店が多くて特定できなかった。

 しばらくして、鏡子が細い路地を見つけた。奥を覗きこむと、小さな店がいくつも軒を連ねている。そのうちの一つに、見おぼえがあった。


「あ、ここかも。店の名前は変わってるけど、外観は母さんの写真にあった店と似てる」

 店名は、「あやこ」となっている。母が働いていた店は、「スナックかすみ」だった。


 扉に手をかけるが、びくともしない。鍵を試したが、先端の部分ではじかれる。まったく別種の鍵であることは、一度で充分理解した。

「ちがったのか?」と、首をかしげながら、改めて周辺に目を向ける。すると、店の端に人ひとりがかろうじて通れる程度のわき道を発見した。奥まった先には、ゴミ箱と積まれたビールケースが置いてあり、壁に埋もれるようにひっそりと扉がはまっていた。店の裏口だ。


 慎重に近づき鍵を差しこむと、すんなりと入り、ひねるとカチャリと開錠の音がした。ドアを開けて、なかを覗き込もうとしたとき――乱暴に肩をつかまれて止められた。


「ちょっと待て。防犯装置があったら厄介だ。こいつを先に入れて様子を見よう」


 そう言って、細谷が押し出したのは鏡子だ。彼女も予想外だったようで目を白黒させている。


「えっ、わたしがなんで!?」

「警官とヤクザの不法侵入がバレたらまずいだろ。その点、お前はバレても言い訳が利く。まだ未成年だし、いざとなったら三森の権力でもみ消せるしな」

「無茶苦茶だな。わたしに前科ついたら責任取ってよ!」


 文句を言うわりには、あっさりと鏡子は店に入っていった。ざっと店内を見てまわり、時間をかけずに戻ってくる。


「大丈夫だと思うよ。お店の天井に丸いドーム型の防犯カメラっぽいのがあったけど、あれ、たぶんフェイク」

「なぜフェイクだとわかる」

「だって、他にセキュリティらしきものはないのに、防犯カメラだけあるのは不自然だもん。最近の防犯設備は連動して作用するって、うちに来てる警備会社の人が言ってた」

「なるほど、そういうもんか……」


 口では納得したふうであったが、まだ不安があるのか、細谷は侵入の先番を武蔵にゆずった――というより、ぐいぐいと背中を押して無理やり先に行かせる。

 しぶしぶ店に入ると、そこはスチールラックに備蓄品を詰め込んだバックヤードであった。酒類はもちろん、グラスや皿といった必需品の他に、調理器具や土鍋といったものまである。盛り上げるときに使うのか、タンバリンとマラカスも置いてあった。


 バックヤードの隣の部屋は更衣室であるらしく、簡素な鏡台とロッカーが四つ並んでいた。キャストの私物と思われる透けるほど薄いストールが、ハンガーにかかったままになっている。染みついた化粧品のにおいが、鼻の奥を刺激して少し気分が悪くなった。


 厚手ののれんで仕切られた先が、スナック店内となっていた。ピカピカに磨かれたカウンターテーブルがあり、ソファーが囲むボックス席が三つある。よくある作りのスナックで、棚には名札つきのウイスキーボトルが陳列され、隅にカラオケ用の小さなステージ台が設置されていた。客席からは見えないようにカウンター内に隠された冷蔵庫には、なぜかタッパーに入った餃子のタネが寝かしてあった。店で餃子を振る舞っているのだろうか。


「ねえ、ここで宝石を探すんだよね。いまさらだけど、もう見つかってたりしないかな。掃除のときとかに」

「宝石が換金された形跡はないらしい。黙って隠し持ってるんじゃなきゃ、まだどこにあるはずだ。まあ、ここにあるって保証はどこにもないけどな」


 鏡子は複雑な表情で店内を見まわす。不安な気持ちはよくわかる。不毛な調査をしている自覚は、武蔵にもあった。存在する保証のない探し物は、着地点がつかめずキリがない。


「宗田はプロの泥棒だ。簡単に見つかるような場所には隠さないだろう」


 細谷はどこで見つけてきたのか、箒を手にして天井を突いていた。どうやら天井裏がないか確認しているようだ。

 こうなると武蔵も黙って見ているわけにはいかず、年季を感じさせる色褪せた床に目を配る。鏡子はカウンター内に入って、あちこちを見てまわっていた。


 それから、どれくらいたった頃だろうか。そろそろ調べる範囲もかぎられてきて、あきらめムードが漂いだしていた。誰かが「もうやめよう」と口にすれば、不服なく全員が切り上げに同意したはずだ。


 そのきっかけを探りあうなか――ふいに思いがけない異音が耳に届く。

 ガチャッと、金属が奏でる歯止めの音がスナック店内に響いた。一斉に音の元となった入口扉に目を向けて、呼吸も忘れ息を呑む。誰ひとり、動かなかった。動けなかったといったほうが正しいか。


 突然の来訪者。店の関係者がやって来たのだと一瞬思ったが、それは間違いであるとすぐに判明する。店にやって来た何者かは、鍵がかかっていることを身をもって経験したのに、何度も繰り返し、扉を開けようとノブをまわしつづけたのだ。関係者なら鍵を持っている。

 まるで寸前の出来事を認識できない、壊れた機械のようだ。鳴り響くノブの音と、そのたびに揺れる扉のありさまは、得も言われぬ狂気をはらんでいた。


「おい、裏口から逃げるぞ」


 真っ先に我に返った細谷が、しのび声で指図する。

 しかし、その行動を実行する前に、状況に変化が起きた。ノブの回転が止まり、激しい衝撃が扉をたわませた。おそらくは蹴りだ、力任せに蹴りつけているのだ。

 鏡子が思わず、「きゃっ!」と小さな悲鳴をあげる。


 二発目の蹴りで扉の蝶番がゆがみ、三発目であっさりとはじけ飛んだ。扉が勢いよく押し倒され、目をくらませる眩しい光が差し込んできた。

 恐怖におののきながら武蔵が視線を向けた先には、逆光のなかに立つ巨大な人影があった。

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