<7ー1>

 ヤクザは夜行性の人間が多い。職業柄夜に活動することが多いため、自然と夜型の生活に馴染んでいくのだ。

 もちろんシノギによっては、一般企業と同じように朝から働く場合もある。フロント企業となれば、目をつけられないように労基を遵守し、優良会社と認知されるケースまであった。


 暴力団直属の構成員である武蔵の場合は、だいたい昼前に出勤して、事務所の電話番をしていることが多い。合間に掃除や雑事を片づけて、午後に集まってくる先輩組員を出迎えるのが習慣であった。


 ただ今日はいつもより早い時間に目覚ましをセットし、空が白みはじめた頃に起床した。寝ぼけ眼でテレビをつけると、普段見ることのない朝の情報番組が映しだされた。女子アナがさえずるくだらない芸能ニュースを聞き流しながら、のろのろと身支度を整える。

 事務所に出勤するまでの自由時間が、武蔵に割り当てられた宝石探しの制限だ。通常業務をないがしろにはできない。


 手早くトーストで朝食を済ませて、宝石探しに出発する。家を出る直前に見た情報番組の占いコーナーでは、武蔵の生まれ月の山羊座は最下位だった。「人付き合いに注意」と、なんにでも当てはまりそうなことを言っている。武蔵は鼻で笑い、一切気にしなかった。

 中古で買った古い原付バイクにまたがり、通勤渋滞で詰まった車道に乗り出す。


「さて、まずは――」フルフェイスのヘルメットに声を響かせて、武蔵は本日の予定を確認する。「に行ってみるか」


 今日は母の遺品にあった、五つの鍵を巡ってみようと思っていた。

 思い返すと父の宗田が逮捕されたとき、住んでいたマンションに警察が家宅捜査にきた。父は盗品を自宅に隠す傾向があったのかもしれない。宝石強盗が起きた頃、すでに両親は離婚しており、盗品の隠し場所に元妻を利用するかは微妙なところだが、他にめぼしい手がかりのない状況だけに、一つずつ可能性をつぶしていくしかない。


 武蔵は効率よく巡回するルートを、昨夜のうちに考えていた。母の自転車は処分済みなので除外し、真っ先に向かうのは母子で暮らしていたアパートだ。武蔵の住居から、一番近場にある。

 混みあった車の列をぬい、多少強引にバイクを走らせて密集した住宅地の一角に入りこんだ。


 集団登校する騒がしい小学生の群れをさけながら、ゆっくりと徐行してかつての住処を目指す。ひさしぶりに訪れたので少し迷ってしまったが、徐々に記憶がよみがえり、懐かしい風景が行く先を教えてくれた。

 少年時代に通った駄菓子屋はコインランドリーに変わり、髪を刈ってもらった理髪店はコンビニに変わっていた。街並みの雰囲気は変わらないのに、ところどころに違和感があって不思議な気持ちになった。


 当時からある新聞販売所の角をまがり、目的地にたどり着く。しかし、そこに二階建ての古いアパートの姿はなく、フェンスで囲まれた駐車場があった。道をまちがえたのかと思ったが、周囲をくまなく確認した結果、正しいという結論にいたった。アパートは取り壊されて、駐車場となったのだ。


 武蔵は落胆して肩を落とす。武蔵が住んでいたときから老朽化が激しく、壁面はひび割れ、二階にかかった鉄製の階段は鉄さびで赤く色づいていたことをよくおぼえている。階段に乗ると、ぎしぎし不吉な音を立てていた。撤去はしかたないという思いと、一抹のさびしさが、同時に胸の奥でわき起こった。


 とにかく、アパートの鍵は不発に終わった。もしアパートに宝石が隠されていたなら、解体中に発見されているか、もしくは廃材といっしょに廃棄場のゴミ山のなかに埋もれていることだろう。どちらにしろ手に入れることは不可能だ、確認するすべもない。


「いや、まだそう決まったわけじゃない。他の場所に隠した可能性はある」


 脳裏をよぎった不安を振り払い、武蔵は気を取り直して次の目的地にバイクを走らせる。

 アパートから近く、目印となる煙突はすでに見えていた。次は銭湯の靴ロッカーの鍵の確認だ。幸いにも朝営業を行っている銭湯で、店先に到着するとひと風呂浴びてさっぱりとした老人が出てきたところだった。


 武蔵はさっそく銭湯の暖簾をくぐる。銭湯独特のにおいが立ち込めた玄関口は、正面には男女に分れた二つの出入口が並び、両側の壁際に鍵つきの下駄箱がすえられていた。特徴的な金属板の鍵に刻まれた番号にあわせて、下駄箱を確認する。


「あれっ、なんで……」


 どういうわけか遺品の下駄箱の鍵と同じ番号の収納場所には、すでに鍵が刺さっていた。開けてみると、当然中身は空っぽ。鍵を抜き取って比べてみると、形状が微妙にちがう。

 男風呂の入口からなかを覗きこみ、番台に座る老人に声をかけた。短い髪にきつめのパーマをかけているので、見た目で男か女か判断できない。


「あの、すんません。母さんの遺品から、ここの下駄箱の鍵が出てきて……」

「あら、わざわざ持ってきてくれたの。悪いわね」


 女性だった。声のトーンが低いのでわかりづらいが、口調からしておそらく老年の女性だ。


「この番号の場所、もう別の鍵が入ってて、どうなってんですかね」

「時々持っていっちゃう人がいるから、定期的に取り換えてるのよ。あなたのお母さんが持っていった鍵も、交換したんでしょうね」

「なかに何が入ってたかわかりますか?」


 鍵を受け取った老年女性は、困り顔で首をかしげた。


「さあ、おぼえてないわねぇ。履き物以外が入ってることはめったになかったわ、ごくまれにゴミを捨てていく不届き者もいたけど」


 武蔵の印象では、嘘を言っているようには思えなかった。「おぼえてない」が事実なのだろう。

 銭湯の下駄箱の鍵も不発に終わったわけだ。他とちがい特殊な鍵だったので、何かあるのではと期待していたが肩すかしだった。見込みがはずれて、よけいに失望が大きい。

 武蔵は礼を言って、銭湯を後にする。気落ちしてはいられない、まだ鍵は残っている。


 次に向かうのは、家族で暮らしていたマンションだ。県道に乗り、ひたすら北上して幹線道路を西に曲がる。やがて目に映る景色に緑が増え、吹きつける風まで柔らかく変容したように感じた。田園風景と言うには物足りない、都市部と田舎の境界にあるような半端な街だった。


 遠くに山間をのぞむ駅前に到着した武蔵は、一旦バイクを停めて軽く体をほぐす。片道一時間ほどの道のり、原付バイクの硬いシートは尻にやさしくはない。

 駅前のコンビニで買ったカップコーヒーで一服し、改めてかつて住んでいたマンションを探しはじめる。一二歳まですごした地域であるが、当時の記憶はおぼろげで道順に自信はない。正確な住所もおぼえていなかった。


 相当苦戦するかと思ったが、しかし、意外にあっさりとマンションにたどり着くことができた。単に運がよかったのか、それとも無意識に体がおぼえていたのか――どちらだってよかった。見つけることができれば、経緯は考慮しない。


 マンションはリフォームされて外観は変わっていたが、壁面に書かれた名称は変わっていなかった。集合ポストを確認すると、武蔵が住んでいた303号室には「鈴木」という人物が入っていることがわかった。

 一二年前に離れた部屋だ。他の住人がいても驚きはしない。問題は、鍵があうかどうかだ。


 武蔵はエレベーターで三階まで上がり、303号室のインターホンを押した。

 しばらく待ち、応答がないので再度押す。反応はなかった。留守を確認して鍵を鍵穴に差し込んでみる。鍵はなかほどで止まり、奥まで押し入れることはできなかった。

 予想していたことだった。やはり驚きはしなかった。住人が変われば鍵の取り換えがあっても不思議ではない。


 そもそもマンションに宝石が隠されている確率は低いと考えていた。両親が離婚したとき、父はまだ刑務所にいた。出所までの間、部屋の家賃を払っていたとは思えない。この部屋に、父が戻ってくることはなかったと予測している。


 それでも訪ねてきたのは、もしもの場合を想定して念のために確認しておきたかったからだ。だから、今回は落胆することはない。

 部屋のなかを調べることはできなかったが、ここは素直に引くしかなかった。無茶をして警察沙汰になっては元も子もないのだ。


 四本目の鍵も無駄に終わり、残すは最後の鍵――母が働いていたスナックの鍵を確認する番だ。来た道を戻ることになるが、経路は組事務所に向かう中間地点にあり、時間を浪費する心配はない。武蔵はアクセルをひねり、軽快にバイクを走らせる。


 しばらくして、ふいに耳に馴染んだメロディが聞こえた。スマホホルダーに目を向けると、電話の着信を知らせている。バイクを路肩に停めてスマホを手に取り、表示された名前をじっと見る。「三森きょうこ」からの連絡だ。


 前日知り合った三森家の娘とは情報交換を約束していたが、こんなにも早く連絡があるとは思っていなかった。住む世界がちがう大金持ちのお嬢さんが相手だけに、年下の女子高生だが少し緊張する。


 おずおず通話ボタンにふれると、「もしもし、ムサシくん」すぐに鏡子の明るい声が届いた。元来そういう声色なのだろう、何も考えていないような能天気な声だった。


「三森か、何かわかったのか?」

「うーん、まあ、そんなとこ。ムサシくん、いま、どこにいるの。会って直接話がしたい」

「いまは出先だ。戻るのに少し時間がかかる」


「だったら――」と、ここで唐突に声が止まる。少しの沈黙。ほどなくして会話は再開された。「いまから、ここに来れないかな。W市に通ってる電車の高架橋のところなんだけど」


 くわしい場所を聞き、地図アプリで確認する。スナックに向かう道からははずれるが、それほど遠くではない。鏡子と会ってからスナックに行っても、時間的に余裕はある。


「わかった、そこに行けばいいんだな」

「うん、待ってるねー」


 電話が切れると、武蔵は再び走り出す。少し引っかかる点がなかったわけではないが、別段気にすることなくハンドルを切って行き先を変更した。

 片道三車線の広い県道に潜りこみ、背の高いビルが立ち並ぶオフィス通りを抜けると、やがて右手に線路が目に入る。フェンスで仕切られた盛土に敷かれた線路は、周囲の地表が下がるにつれて、その居場所を高架橋に移していった。


 武蔵の行く手には太いコンクリの橋脚がつづき、目的地間近であることを教えてくれる。頭上の橋桁が日射しを遮っているせいか、一帯は薄暗く、どことなく陰気な空気を漂わせていた。


 ふと視界の端で、橋脚の間にぽつんと立つ少女の姿をとらえた。場違いな有名お嬢様学校の特徴的なブレザー制服を着ている。鏡子が着ていたものと同じだ。武蔵はスピードをゆるめて、フルフェイスのなかで目をこらした。

 それは、間違いなく鏡子だった。彼女も気づき、大きく手を振る。


「おーい、こっちこっち」


 鏡子の前でバイクを停め、武蔵はメットを脱いだ。こもった熱気で火照る肌に、日陰のひやりとした空気が心地いい。


「こんなとこに呼びだして、なんなんだよ」

「んー、ちょっと他の人には聞かれたくない話だったんで」


 周囲を見まわすまでもなく、付近に人の気配がないことはわかった。コンクリの橋脚にはグラフィティと呼ぶにはおこがましい、下手な落書きが描かれているので、まったく人通りがないというわけではないだろうが、現在は見当たらない。そもそも落書きがある時点で、あまり人が寄りつかない場所である証拠だった。

 のろのろとした足取りで奥に入っていく鏡子を、不審に思いながら追いかける。


「いったい、どんな話なんだ?」

「えーっと、先に言っとくね。ごめんね」

「はあ?」と、疑念の声が口からこぼれた瞬間、いきなり背後から何者かに羽交い絞めにされた。おそらくは橋脚の裏に隠れていたのだろう。驚きと恐怖で身をよじるが、間髪入れずに腕が首にまわり、頸動脈を押さえられる。


 必死にもがき、声をあげようとするが――無駄な抵抗であった。しっかりと決まった裸締めから逃れるすべはなく、あっという間に意識は彼方に飛んだ。


 どれくらいたったあとか。一瞬か、数時間か、時間感覚が狂って判然としないが、ふいと意識が舞い戻った。橋脚を背にうなだれるような姿勢で座りこんでいた武蔵は、混乱してはっきりとしない頭を持ち上げる。

 そこには、スーツ姿の辛気臭い顔をした男が、煙草を吸いながら見下ろしていた。

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