<2-3>

 時計店で発生した盗犯事件は、深夜に侵入した泥棒によるものだ。防犯設備が機能しなかったこともあって、店主は店をよく知る関係者の犯行を疑っていたが、状況的に見てプロの窃盗犯の仕事であると思われた。


 店主の聴取は前回の捜査で済ませていたので、今回は前回不在だった店員の聞き取りを行った。尋問は三〇分とかからず終了、店員のアリバイは証明される。


「どうなんでしょう、犯人は見つかりそうですか?」

「鋭意捜査中です。もう少し待っていてください」

「はあ、そうですか……」


 店主はあきらかに不満そうだった。声に懐疑的な響きがこめられている。

 しかめっ面で捜査をする刑事を信じきれないのかもしれない。ショーケースに映った自分の顔を見て、細谷はそんなことを思った。


 盗犯事件の聞き取りを終えて、時計店を後にした細谷は、すぐさまスマホを確認する。メッセージアプリに新着通知が灯っていた。

 辻からの報告だ。アプリを起動して、長いメッセージに目を通す。


 要約すると――戸代一家は一二年前に解散届を提出。若頭の熊耳幸之助くまがみ こうのすけが、同組員の新井元志あらい げんじを殺害したことが解散の決定打となったようだ。所在が判明している元組員の一覧も付随していた。川田次郎については、まだ調査中とのこと。


 細谷は時刻を見て、近場にある元組員の職場住所を確認した。W市から外れるが、車でならさして時間はかからない。電話番号も表記されていたが、連絡したところで取りあうとは思えなかった。直接出向いて詰めたほうが確実だろう。

 決断と同時に車に乗りこみ、すぐさま発進させる。目的地は高架道路沿いにある、うらぶれたマンションだ。


 国道から裏道に入って、また国道に戻り、再び裏道に進む。最短距離を通って、さびれた地区にたたずむ古びたマンションに到着。玄関口を覗きこむと、後づけしたものと思われるオートロックの自動ドアで閉じられていた。集合ポストを調べてみたが、表札は出ていない。


 部屋番号に取り次いだところで、突然押しかけてきた刑事を元ヤクザが招き入れるだろうか?――どうしたものかと細谷が悩んでいると、マンション前に白い軽バンが停まり、大きめのトートバッグを手にした女がおりてきた。

 細谷は集合ポストの脇に隠れる。三十代前後と思われる茶髪の女は、運転手と言葉を交わしたあと、マンションに入りオートロックを解除した。


 自動ドアが閉まりきる前に、細谷は素早く身を滑りこませる。その気配に気づいた女は、振り返り不審げな視線を向けてきたが、何も言わなかった。彼女から漂うボディソープのにおいが鼻をかすめていく。

 女が階段を使って二階に上がっていくと、すぐさま細谷は後を追う。恐怖を感じたのか先をいく足音が早まった分、細谷の足取りも同様に速くなった。

 顔を強張らせた女が、廊下奥の部屋のドアをあたふたと開ける。細谷は体をねじこんで強引に押し入った。


「な、なに、あんた!」と、女が上ずった声で言った。正当な反応だ、当然そうなる。

「社長の山下はいるか。話がある」


 ちらりと下を見ると、女性物の靴が複数並んでいた。細谷は構わず部屋に上がる、靴を履いたままで。

 リビングには三人の女が待機していた。うちひとりは東南アジア系だ。突然の乱入者に顔を引きつらせて、身を寄せあっている。


 元戸代一家の構成員であった山下勝やました まさるの現職業は、デリヘルの経営だった。マンションの一室を事務所として、小規模な出張風俗店を切り盛りしていた。

 騒がれる前に、細谷は警察手帳を見せる。女たちの恐怖が、先ほどまでとは別種の恐怖に入れ替わっていくのがわかった。


「安心しろ。風営法で摘発に来たわけじゃない。社長に用事があるだけだ、どこにいる?」


 女たちの視線が一斉に同じ方角を向く。同時に、ドスンと重いものが落下したような大きな音が鳴った。

 細谷が急いで部屋つづきのドアを開けると、そこはもぬけの殻、誰もいなかった。ぐるりと見まわして目についたのは、電源がついたままのパソコンとシフトが書き込まれたホワイトボード、机に放置されたスマホ、それに開け放たれた外窓だ。


 覗きこむと、太った男が駐輪場の薄い鋼板の屋根の上をよたよたと歩いていた。飛び降りたはいいが、肥満体を支えるには屋根が頼りなく、足取りが極端に鈍くなっているようだ。


「山下、どこ行くんだ。逃げんじゃねえよ、この野郎!」


 声に反応して振り返ろうとしたが、山下は途中であきらめた。それどころではないのだろう。

 細谷も窓から飛びだし追いかけようかと思ったが、この調子なら無茶する必要はなさそうだ。呆然とする女たちを横目に、適切に玄関を抜けて階段を駆け下り、マンションの外に出る。


 どうにかこうにか駐輪場の屋根から下りることに成功していた山下は、息を切らして大きく肩を揺らす不格好なフォームで逃走していた。

 すぐに追いつき、襟首をつかんで引きずり倒す。潰れたカエルのように仰向けに転がった山下は、青い顔をしてヒュウヒュウと苦しそうに喉を鳴らしていた。言葉を交わせるまで回復するのに、五分以上かかった。


「落ち着いたか?」

「……ええ、まあ。風営法がどうとか言ってたし、あんた、刑事さんだよね。俺ら悪いことはしてねぇぜ、なんの用で来たんだ」

「だったら逃げんじゃねえよ。戸代一家の話を聞きにきただけだ」

「ずいぶんと、古い話を持ちだすね。組はとっく潰れてるし、俺は足を洗った身だ。何が知りたいんだか」


 呼吸が整ってきたことで、山下に多少の余裕が生じていた。四十代の山下から見れば、まだ若造の刑事であることも関係しているのだろう。口調や態度はへりくだっていても、分厚いまぶたのかかった目の色に反発が宿っている。


 細谷は一拍置いて、横っ面をはたいた。小気味いい打音と共に、汗が飛び散り、頬の贅肉が波打つ。

 警察官の暴力は問題だが、相手が元ヤクザなら黙認される――と、細谷は勝手に思っている。


「よけいなことをしゃべるな。俺の質問にだけ答えろ」


 いきなりのビンタに仰天した山下は、頭が真っ白になったのか放心した顔でのろりとうなずいた。


「よし、じゃあ、宗田康司を知ってるな」

「し、知らない……」


 手を振りあげると、山下はビクッと顔を強張らせて恐々と細谷を見上げた。嘘をついているわけではなさそうだ。


「いや、名前はちらっと聞いたことがある。組の金を盗んだとか、ほんとかどうかわかんねえ噂だけど。当時俺はパクられてムショにいたから、くわしいことは何も知らないんだ」

「なら、戸代一家がどういう経緯で解散したのかも知らないのか?」


 細谷が詰めると、山下の視線が不自然に泳ぐ。わかりやすい反応だ。

 手を振りあげる前段階の肩の動きで、山下はあっさりと白状した。


「出所したあとに、仲の良かった組員におおまかな事情は聞いてる。あの頃の戸代一家は、名瀬に押されて経済的にかなり逼迫していたらしく、カシラの熊耳アニキが中心になって、なんとか盛り返そうとでかいシノギを計画してたそうだ」


 ここまでは川田に聞いていた通りだ。細谷は視線でつづきをうながす。


「その計画ってのは……と、言っとくが俺は一切関わってないからな。そこんところ忘れないでくれよ。いまは善良な一般市民なんだ」

「わかったから、前置きはもういい。さっさと話せ」

「わかってくれてんなら、それでいい。その計画ってのは、クスリだ。大量にクスリを仕入れて、売りさばく予定だった。うちの組は名瀬に海外ルートを独占されて、いつもクスリの入手に苦労してた。そんなとき、アフリカのどこだったかギャングの親分が、商売を持ちかけてきたんだ。もう店じまいするとかで一度きりだが、まとまった量を破格の値段で譲ってくれるって話だった。ただ、うまい話にはなんとやらだ。この取引には、一つ条件があった」


 山下は一旦話を止めて、唇が渇いたらしく何度も舌なめずりした。下品な所作に苛ついたが、話の腰を折っては面倒だ、細谷は殴るのを我慢してやった。


「で、条件ってなんだ」

「そのギャングがいた国は政情が不安定で、いつドンパチが起こるかわからない状況だった。ギャングの親分は身の安全を優先して、平和な国に亡命するつもりだったようだが、無事国外に逃げだせたとしても、ため込んだ金を自由に引き出せるかは未知数だった。国の情勢次第では、ストップがかかることもあり得る。クスリの密売で稼いだ汚い金なんで、不服を主張することも難しい。そこで、戸代一家にクスリの代金は金銭価値のある現物で払えと言ってきたんだ。国外に持ち出せて、自由に換金できる現物だ」


 高級品とは縁のない細谷は、現物がいまいちピンとこない。脳裏に思い浮かんだのは、「現物って……金の延べ棒とか?」

「まあ、そこらへんだな」と、山下は鼻で笑い、あしらうように言った。


 反射的にビンタをかます。山下は頬をかばいながら、涙目で話を再開した。


「貴金属でも高級時計でも、なんだったら美術品でもよかった。熊耳アニキが選んだのは、宝石だった。知り合いにインドの宝石商がいたんだと。組の金をかき集めて、足りない分は借金をして、どうにか資金を揃えて宝石を買った。その額、三億円分。貴重なダイヤなんかもあって、案外分量は少なかったそうだ。ギャングの条件にはぴったりだが、それがあだになった」


 三億円という金額が、細谷に衝撃を与えた。背筋が粟立ち、心が震える。

 川田が狙うのも納得だ。多少危険を冒すことになろうとも、退職金の足しには申し分ない。それは、細谷にも言えることだった。未来のない冷や飯食いには、三億円もの金が今後視界をかすめることはないと断言できる。

 警察官になって、ついぞ芽生えることのなかった野心が、動揺をともなってちらつく。


「必死こいて集めた宝石が、盗まれたのは取引前日だったそうだ。あんたが言ってた、宗田って奴が犯人かどうかはわからねえ。わかってるのは、怒り狂った熊耳アニキが、金庫番だった新井をぶっ殺しちまったってこと。金をなくし、組を支えてたアニキも捕まっちまっては、戸代一家はおしまいだ。それで、潰れた。この話は、ここで終わり」


 最後まで話し終えると、山下は短く息をついた。昔を思い出して、脂肪の詰まった顔に哀愁が差す。

 細谷は間髪入れずにビンタした。元ヤクザの感傷に付き合う趣味はない。


「えっ、ええっ、なんで?」と、山下は驚き、目を丸くする。

「おい、この話、誰にもするんじゃねえぞ。俺が来たことも、何を言ったかってことも、全部忘れろ。もし誰かに話したりしたら――」

「わ、わかってるよ。誰にも話したりしねぇ!」


 その言葉を信じるに足る要素はまったくなかったが、これ以上釘を刺したところで意味はない。時間の無駄だ。

 細谷はスマホを取り出し、時刻を確認する。そろそろ署に戻らなければならない頃合いだった。多少遅れたところで鼻つまみ者の刑事に気を配る同僚はいないだろうが、なるべくならよけいな詮索は避けたい。


「三森にいくのは明日にするか……」


 独りごちながら車に乗りこむ細谷を、呆然と山下が見送る。

 発砲事件から久しく得ることのできなかった感覚が、胸の奥に息づいていた。それは、感情を揺すぶる昂ぶり。細谷はしかめっ面にわずかなほころびをまとって、力強くアクセルを踏みこんだ。

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