2024.12.30──歩ける海

 水の神は、水に暮らす生物を消費し尽くさんばかりの人類の所業に怒り、地上と、水面とのあいだに、透明な壁を作り出した。

 それは真冬の湖に張られる氷のようで、今後、決して溶けることも壊れることもない決定的な拒絶であった。

 人類は海や川、湖から水産資源を汲み出すことが叶わなくなった。透明な壁の向こうで、様々な魚たちが悠々と泳いでいるのがいつだって見えるが、それに触れることは、二度とできなくなったのである。


 水面の拒絶から幾年か経ったある日、少年がたった一人で海に訪れた。

 砂浜には波が打ち付けられているが、その位置は透明な壁によって固定され、少年の足を濡らすことはない。そんなことは承知の通りとばかりに、少年は海に足を踏み出した。

 足先は海面に沈むことなく、透明な壁を踏んだ。そのまま少年は海を歩き続けた。

 少年の足元では、様々な魚たちが泳ぎ回っているのが見えた。巨大な水槽を横倒しにし、そのアクリルの壁面を歩いているような、そんな感覚を少年は覚えた。

 少年は歩き続け、陸はどんどん遠ざかっていった。周りに少年以外の誰も居なかった。船も出せず、釣り糸を垂らしても針が海面にコツンと当たるだけの海を、最早人類は相手にしようとしなかった。今では限りある地上の資源を毎日のように奪い合っている。やがて森、大地、そして空にまで壁が張られる日も、近いのかもしれない。


 少年は何時間も歩き続け、ついに四方を見ても水平線しか見えない世界に辿り着いた。先ほどまでは少年の足元で元気に泳いでいた魚たちも、海の色が深くなってまったく見えなくなってしまった。

 その海には少年しか居なかった。少年はただ一人で海の上を歩いていた。

 いつしか少年は立ち止まり、広い海面の床に、ゴロリと寝ころんだ。このままひと眠りし、次起きた時、元来た道を戻ろうか、それとも、まだまだ歩き続けようか、少年の心に答えはなかった。

 その時、少年は背中の方に、とてつもなく大きな気配を感じた。そこには海しかなかったはずだが、少年は仰向けからゴロリとうつ伏せになり、視線を海面に向けた。

 そこには巨大なクジラが居た。巨大なクジラが、泳ごうともせず、少年が寝ていた場所に一頭だけで浮かんでいた。

 少年はしばらくの間動けずにいたが、やがて覚束ない足取りで海面歩き出した。すると、足元に居るクジラも、少年の進行方向へとゆっくり泳ぎ出した。

 少年とクジラは、どこまでも一緒に海を進んだ。少年が止まればクジラも止まり、少年が走ればクジラも泳ぐスピードを上げた。走って、泳いで、そのまま彼らは水平線の向こうへと消えていった。


 彼らの行方はこれ以降知らないし、海は未だ歩けるままである。

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