2024.10.27──世界を擦る石
静まり返った一室で、二人の男が机を挟み向かい合っている。
一人は白い口髭を蓄えた初老の男で、椅子に深々と腰を下ろしている。
もう一人は若く、椅子にも座らず立ち続けている。片手には小さめのジュラルミンケースを携え、それを持つ手の力の入り様から、結構な重量があることが伺える。
初老の男が言葉を発さず手振りのみで、ジュラルミンケースを机に置くよう促した。若い男は了承し、音を立てないよう慎重にケースを置いて、それをゆっくりと開いた。自分で中身を確認すると、それが初老の男に見えるようにケースの向きを変えた。
ケースの中には、黒く、長方形をした石のようなものが、一個だけ納められていた。
「……これが、そうなのか?」初老の男が言う。
「まず間違いございません」若い男が返す。
「価値の割には随分と粗末なものだな」初老の男が苦笑した。「まあ、こいつが本当に平安時代から現存するものなのであれば、十分すぎるほどの保存状態と言えるが」
「長い年月を湖の底の、さらに泥の底に沈んでおりました。風化も摩耗もせず、おそらく使用していた当時の状態のままだろうと……こちらの検証班も驚いておりました」
「湖の底か……最後の所持者は、よほどこいつを日の目に曝したくなかったようだ」
初老の男は立ち上がり、ケースの中に入っているものを手に取って、自身の顔の前に持ってきた。
「『介書の硯』……こいつで擦った墨で文字を書くと、そこに書かれたことが現実になる……こいつが伝承の物であれば文化的価値がかなりものだろうが、大事なのは価値ではなく」
「伝承が本当かどうか……ですね」
初老の男が指を鳴らす。部屋の扉が開き、一人の、和装の若い女が入室し、お辞儀をした。
「この国随一で書道家だ。私の書道の先生でもあるんだがね。この硯はしばらく彼女に預けることにしよう。異存はないかね?」
若い男も、和装の女も反対はしなかった。硯は和装の女の手に渡り、初老の男と若い男はそのまま部屋を退室していった。
一人になった和装の女は、硯を持つ手を震わせた。この国、いやこの世界を左右させるかもしれない代物を、その手に抱えている事実に、興奮とも恐怖心ともつかない、謎の感情が湧いてきた。
自分たち書道家達が長年言い伝えて来た、この世の力の均衡をも侵しかねない秘密兵器。
そしておそらくは、これを持つ自分自身も、同様の扱い、警戒を受けるのであろうと、彼女は理解した。
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