2024.09.27──今から始める少年野球 下

 ボール拾いをしている今崎に向柳が話しかけ、今崎は驚いたように草むらから顔を上げた。

「あれっ! みんな向こうで練習してるよ? 見てなくていいの?」

「ただ見てるだけなのもつまらなくてね」

 向柳そう微笑んで、左手にはめたグローブをパシッと叩いた。

「よければちょっと、キャッチボールをしない?」

「え!? でも監督が……」

「今は他の子に掛かりっきりみたいだから、ちょっとだけなら大丈夫でしょ」

 今崎は少し考えてから、拾ったボールを持ったまま少し歩き、向柳に向き直った。

 晴れやかな表情をしていた。キャッチボールといえど、ちゃんとした練習を出来るのが嬉しいようだ。

「さあ、どーんと」

 向柳はそう言って、グローブを構えた。

 今崎が大きく振りかぶって、思い切りボールを放った。

 バシィンッ。

 向柳のグローブにボールが収まる。


 瞬間、向柳の身体がゾクゾクと震えた。


 やっぱりだ。思った通りだ。

 先ほどの打球をキャッチした時。そして今受けた一球。

 これだけで分かる。この子はとんでもない才能を秘めている。

 練習不足か、経験不足かは分からないが、それがまだ上手く表に出ていないだけだ。こんな逸材は、高校の地区予選の決勝の相手……いや、甲子園にまで上り詰めた同期の選手にだって居なかった。

 ……そんな子が、なんだってこんな田舎のチームでボール拾いをやらされているんだ?

 このままでは、この才能が開花する前に、地中で埋もれたまま終わってしまう。

 誰か、この子の才能を分かっている人間が正しく導いてやらなくてはならない。

 今、それが出来る人間は誰だ?

 ──自分しか居ないじゃないか。


「……今崎くん、私はこのチームに入るよ」

 向柳がそう言ってボールを投げ返すと、今崎は「ほんと!?」と喜色満面でボールをキャッチした。

「うん。ちょっと準備が要るから実際に来れるのは一ヶ月後くらいになりそうだけど」

「お父さんとかとお話するの?」

「……そんな感じ」

 実際に話す相手は親ではなく上司だが、と向柳は心の中で呟いた。

 幸い、仕事は在宅でも出来る業種だ。申請は面倒くさいが、勤務体制をほとんど在宅に切り替えれば、放課後にこの河川敷に赴き、野球を行うことは十分出来る。

 あとは自分の年齢をバレないようにする手立てだが……悲しいことに見た目はクリア。また自分の住んでいる場所はここから距離があるので、書面をでっち上げれば身元もしばらくはバレないだろう。

  もうこうなったらやる。とことんやってやるしかない。年齢を偽ろうが、仕事と野球との二重生活になろうが、この天才の卵を無事に孵化させるためには己が身体を張るしかない。向柳は決心した。

 向柳大典、来月で30歳。

 この時は今崎少年を助けたい一心だったが、この後三年間、同じチームで野球を続けることになるとはまだ本人も分かっていない。

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