2024.09.16──蛇口
まったく油断した。完全なる気持ちの怠慢であり、どうしようもない凡ミスだった。私は忘れていた。なぜ水道の排出口を「蛇口」というのかを。
しっかり除湿した部屋で作業をしていた私はにわかに喉の渇きを覚え、全くの気の緩みの内にキッチンの蛇口を捻ってしまったのである。すると、蛇口からはチョロチョロと赤く細くて、二股になったものが出てきた。そしてすぐ、鱗に覆われた顔が飛び出し、その丸くギョロリとした目でそいつは私のことを睨みつけた。一番の失策だったのはそこで思わず蛇口から離れてしまったことだが、すでに遅く、開きっぱなしの蛇口からはズロロロロと鱗に覆われた細い身体がどんどん流れ出てきた。
今では、そいつは部屋の床全体を覆わんばかりになっている。すぐにでも蛇口を閉めなくてはならないが、凶暴な牙と毒を持った顔が近くで待機をしており、迂闊に近寄れない。毒牙を防げるようなものはないかと、足元を蠢く鱗の身体に気を付けながら部屋を漁っていると、効果が期待出来そうなものを見つけた。
イチかバチか、私はそれを手に台所に突入し、奴の顔めがけて思い切り噴射した。それはパステル画などに使用する定着スプレーだ。スプレーは上手い具合に奴の目に当たり、その痛みによって奴が悶え始めた。部屋中に広がった奴の鱗の身体が荒波のようにうねる。私は度々転倒しそうになりながらも無我夢中で蛇口に手を伸ばし、しっかりと閉めることに成功した。
刹那、スプレーの痛みから解放された奴が牙を向きながら私に襲い掛かる。しかしもう案ずることはない。奴は私の首筋に思い切り食いついたが、牙も顔も透明な液体に変わり、パシャリと私の衣服を濡らすだけであった。
危機を乗り越え安心したが、次はびしょ濡れになった床をどう掃除しようかと、新たな問題に私は頭を悩ませた。
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