2024.09.08──暗がりの香り

 地方出張の帰り。駅に向かうバスに乗り込んだはいいが、その日は早起きだったことも災いし、うっかり居眠りをしてしまった。

 気が付けばバスは都市部を離れた山深い田舎道を走っており、私は慌てて降車ボタンを押して、近くのバス停で下車した。

 日はすっかり暮れていて、街灯がまったく設置されていない山の中は恐ろしく暗く、バスのライトが過ぎ去っていくと、私は一人、闇の中に取り残された。

 こんなことなら人気のある所までバスに乗っていればよかったと思ったが、悔やんでいても仕方ない。私はスマートフォンの明かりで時刻表を照らし、次に来るバスの時間を見た。幸い20分後には来るようで、私は胸を撫で下ろした。

 しかし20分といえども、こんな明かりの無い山中に一人で居るのは不安だ。最近は熊が多く出没しているとも聞くし、どこか近くに明かりのある場所はないかと私は歩を進めた。

 少しばかり歩くと、白くぼんやりとした明かりが目に映った。近づいてみると、それは煙草の自販機だった。脇には水の湛えられた灰皿も置いてある。地獄に仏といったところだろうか。私は時間まで一服していようと自販機に指を伸ばした。

 しかし、売られている煙草の銘柄は、どれもこれも私の知るものではない。地方故のことかもしれないが、それにしても定番の銘柄を一つも販売していないのは随分強気なマーケティングだ。味の予想が付かないため、ひとまず白いパッケージの無難そうなものを買うことにする。

 ボタンを押し、取り出し口に落ちてきた箱を拾う。そこから一本だけ出した煙草に火を点け、それを口にした。

 今まで嗅いだことのない香りが、私の内側で広がった。例えるならミルク菓子のような甘く、しかしミントのような爽やかさもある、そんな不思議な香りであった。およそ通常の煙草とはかけ離れた代物だったが、私は無性に、その匂いに病みつきになった。

 気が付くと、遠くからエンジンの駆動音が聞こえてきた。いつの間にか20分経っていて、私はその間に3本の煙草を吸っていた。

 私は慌ててバス停に向かって駆け出したが、その際に、購入した煙草の箱を地面に落としてしまった。それに気づいたのはバスが発車してからで、もうあの煙草を吸えないことと思うと、私は寂しい思いがした。

 都会に戻ってからも自販機やコンビニでその煙草の銘柄を探したが、どこに行っても見つからず、あの印象的な甘い香りも、時間が経つごとに忘れてしまった。

 あの煙草は、あの自販機は、果たして実在のものだったのだろうか。深い山に棲む人知を超えた何かが見せた、幻だったのかもしれない。

 そうやってあの日のことを思い返していると、テレビでとあるニュースを目にした。現場はあの山の近くで、違法薬物を扱っていたグループを一斉検挙したものであった。

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