2024.08.27──夏空
夏の終わりを告げるヒグラシの鳴き声を聴き、環山紙麒蓮は今年の夏、一度も空を泳いでいなかったことを思い出した。
窓から顔を出して天を見上げると、群青の美しい青空がどこまでも続いている。この夏最高の空であり、おそらく今年最後の夏の空になるであろう。
麒蓮はダイビングスーツに着替え、足ヒレやシュノーケルを担ぐと、マンションの部屋から出てエレベーターで屋上へと向かった。屋上に辿り着くと、遮蔽物の無くなった空がより視界いっぱいに美しく広がる。
麒蓮は準備体操をし、ダイビングの装備を身に着けると、青空に向かって飛び込んだ。麒蓮の身体はスイスイと空気を掻き分け、どこまでも澄む清き青空の中を早すぎず遅すぎない速度で進んでいく。
麒蓮は遠方に巨大な入道雲を捉えた。あの雲を、今回の空泳のゴール地点と定め、より力強く手足を動かし、空の中を突き進んでいく。
装備を整えて必要な訓練をこなしさえすれば、空泳は一年を通して行えるスポーツである。しかしそれでも、夏の空というものはやはり特別だ。この群青の世界を泳いでいると、日々の煩わしさを忘れることが出来る。
そしてこの季節というものは、現実のようであって、どこか異界に通じてしまっているような、そんな歪んだ空気がある。一人で空を泳いでいると、どこか隣で、遠い昔に離れ離れとなってしまった大事な誰かが一緒に泳いでくれているような、そんな気にさせるのだ。
一時間程経つと入道雲はもう目の前で、麒蓮はためらわずその中に突入していった。雲の中にある微細な水の粒が、ダイビングスーツを着た麒蓮の身体を湿らせ、洗っていく。
程よいところで雲から飛び出した麒蓮は、近くの建物の屋上に降り立った。着替えをビニール袋に入れて持ってきているので、どこかでこれに着替え、帰りは電車かバスを使って家に戻ることになるだろう。麒蓮は今一度空を見上げて、今年の夏に別れを告げた。
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