2024.08.15──肘覆う非常

 谷棟昌燃は足早に帰路に着く途中、歩道の方にはみ出した建物の柱に肘を強打してしまった。

 激しい痛みに悶えるものの、幸い骨にヒビが入ったりはしなかったようだ。その代わり、大きな切り傷が出来てしまった。

 ティッシュで押さえたところ、あまり出血はしていなかった。ひとまず昌燃は近くのトイレで傷を洗い、あまり外気に触れないように長袖で隠しながら、再び家に向かって再出発した。

 しかし、歩いていく内に傷がズキズキと痛みだしてきた。すぐに洗浄をしたため膿んだりはしないと思いたいが、昌燃は不安になり袖を巻くって傷を確認した。

 「それ」を見た昌燃は危うく後ろ向きに倒れそうになり、寸前のところで踏ん張って新たな傷を作らずに済んだ。

 昌燃の肘には長さ3センチ程の切り傷が付いていたはずだったが、再び確認した時、そこには同じ大きさの「唇」が張り付いていた。

【やれやれとんだことになったね。慌てて帰るからさ。もうちょっと周りをよく見て……】

 さらに驚くことに、唇はパクパクと動きながらそのように喋り出すではないか。そして唇が開く度に、昌燃の肘に痛みが走るのだ。

 これはいかん、と思った昌燃は傷口(読んで字の如く)を押さえて、家に急いだ。だが唇はモゴモゴと、籠った声で尚も喋る。

【言ったそばからせかせかして……そら、あぶないぞ……】

 次の瞬間、昌燃の目の前を高速で何かが横切った。

 無点灯の自転車であった。あと少し前に出ていたら、昌燃は轢かれていたであろう。唇に助けられた形だった。

【前だけじゃないぞ……下も見なきゃ……】

 唇がそう言ったため素早く足元を確認すると、マンホールの蓋が開いていた。このまま進めば落ちてしまうところだった。

 もしや、この唇は自分が怪我をしないための手助けをしてくれているのか? そう思った昌燃は肘から手を離し、唇はその後も達者に話し続け、昌燃の帰宅をサポートした。

 しかし、肘に突然出てきた唇よりも、このいつもの帰り道の方が危険に満ちているのではないか、と昌燃は漠然とした不安を抱えるのであった。

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