2024.06.22──魔を退ける者㉒

「私とお母さんが朝食の準備を終わらせてもあなたは中々降りてこなかった。だから私は2階に上って……そこは酷く静かだった。あなたの部屋の扉は開いていて、鍵をしていたはずの、お父さんの部屋も開いていて、あれはあなたが開けたの? ううんそんなのどうだっていい。あなたには分かる? 見慣れた部屋を覗いた時に自分の父親の死体が床に転がっていたのを見た人間の気持ちが。それを見下ろしながら血だらけのナイフを持って立っているのが、自分の恋人だと分かった時の気持ちが?」

 酒井サカイは座ったまま声を張り上げず、涙も流さず、頭の中に浮かぶ疑問を朗々と読み上げるように土屋ツチヤに語り続ける。

「お母さんはまだ正気に戻らない。あなたに『人殺し』と叫んでからそれきり。きっともう二度と戻らない。私だって同じ。もう以前のように暮らすことなんて出来ない。以前のようにあなたを見ることなんて出来ない。私は、私は……!」

 ダンッ、と酒井が机を叩いた。

「こんなことの為に退魔師を……あなたを呼んだんじゃない……!」

「ならば何の為にお呼びになったのです?」

 そう言った土屋の声音は、先程までのものと変質していた。

を、見て見ぬふりしてもらうつもりで呼んだのです?」

「…………っ!」

 酒井が顔を上げた。土屋の顔は、表情の変化に乏しいこの男にしては、傍目に見てもはっきりと分かる程に変貌していた。

 それは怒りであり、失望の表情だ。

「地図を広げながら貴方の話を聞いていた時、ゾンビ被害の出ている場所をチェックする内に妙な違和感を覚えました。事件現場は、貴方の家を中心に広がっているとしか考えられなかったのです。それでもまだ、貴方達が知らないどこかに潜んでいるという可能性もありました。だけどその期待も、2階で見つけたあのゾンビを見て裏切られた。何故、貴方はを匿っていたのです? 私の話を聞いていた貴方がゾンビの正体を見破れないとは思えない。何故あのような……」

「父親だからに決まっているでしょう!?」

 酒井がそこで初めて叫んだ。取調室の鏡の裏で何人かが動く音が聴こえたが、土屋はその鏡に向かって首を振った。酒井はなおも叫び続ける。

「ゾンビだから……人をっ、殺したから……!? 自分の大切な肉親が殺されると分かっていてすんなりと切り離すことが出来る人間がどれだけいる!? 私は退魔師なんかじゃない……! 簡単に何故だなんて言わないでよ……!!」

「私は退魔師です」

 土屋は言った。

「例えゾンビの正体が肉親であれ、親友であれ、恋人であれ、そのモノの存在をこの世から退けること、それが私の仕事です──そのゾンビが、他の人の大切な誰かを殺す前に」

 取調室の扉が開き、先程とは別の警察官が入ってきた。

 警官は酒井の父親の遺体の解剖結果を告げた。土屋はその日の内に釈放となった。

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