2024.05.30──虚空に千本ノック
甲子園常連の強豪校だった我が高校も、近年の急激な少子高齢化と野球人口の減少が重なって、今年に入りついに部員数が0、廃部と相成ってしまった。
物理教師の私は三年前に野球部の顧問となったが、それは顧問と言うよりも、大量に余った野球道具の始末をするという役目を授かっただけに過ぎない。今日もグラウンドの片隅に置かれた古びた倉庫に赴き、その中に残っているバットだのグローブだのを一まとめに取り出して、業者が乗ってきたトラックの荷台にそれを積む。その繰り返しだ。
思えば、赴任時より試合の出来る人数も居なかったこの野球部において、私は顧問らしいことを何もしていない。全国大会にも出たことのある(補欠だったが)この身が、生徒に野球を教えることが出来なかったことは、なんとも残念だ。
野球ボールを大量に積んだ箱を持ってグラウンドまで歩いていき、ふと足が止まった。生徒の誰も居ないグラウンドを、箱を持ったままジッと見つめる。
私は何を思ったか、ボールの箱を置くと倉庫まで戻っていき、一本の木製バットを持ってきた。ノック用の細いバットだ。そして箱からボールを取り出し、虚空に向かってノックを始めた。
それはただの憂さ晴らしであり、気の迷いとも言える行為であったが、そこで思いもよらぬことが起きた。地面に勢いよく跳ねたボールが、虚空に消えたのだ。
私は瞬きし、目を擦ったが、やはりさっき打ったボールはグラウンドのどこにも転がっていない。私は数瞬の間固まっていたが、箱から次のボールを取り出し、もう一度グランド目掛けてバットを振るった。そのボールも一度地面にバウンドすると、空中でパッと消滅した。
私は、その現象に何故か清々しさを覚えた。気が付けば三球目、四球目と次々にボールを打ち始め、そしてその全てが虚空へ消えていく様を眺めた。
しばらくすると日はすっかり傾いて、赤く染まったグランドに私の影が長く伸びていた。箱の中はすっかり空っぽで、グラウンドには一球もボールは転がっていなかった。
私はしばらくボンヤリと立ち尽くしていたが、携帯の着信音に目を覚まし、画面に表示された業者からの怒涛の履歴を目にして慌ててその場を後にした。
数か月後。
野球部の倉庫はとっくに空になり、あの日の出来事も半ば忘れ掛けていた頃、職員室に入ると、私の机の上に妙な物体が載せられていた。
それは一見、スポーツの大会のトロフィーのようにも見えるが、色は半透明で、異様に捻れている形は美術館に置かれているオブジェのようだ。
トロフィーの下には、一枚の紙が置かれていた。それは置き手紙のようで、たどたどしい筆跡により、以下の文言が書かれていた。
『おか げ さまで 大会 に優 勝 できまし た 部の 顧問とし て 礼を い います
──こ ちらの次 元より』
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