2024.01.07──待ち合わせ

 【矢言駅】についてもう20分が経つ。

 兼子さんの姿はまだ見えない。約束の時間はとっくに過ぎているはずなのだが、何かがあったのだろうか。

 彼女に会うために服や靴を新調し、髪もキッチリ整えたのが馬鹿らしくなってくる。彼女が時間にルーズだということはこれまでの経験から分かり切っているつもりだったが、こういう大事な日までそれが適応されるとはさすがに予想できなかった。

 彼女にとって、自分という存在はそこまで大きなものじゃないのだろうか。虚しい気持ちが募る。

 何かをするわけでもなく数十分も駅の前で立ちっぱなしの男を不審に思ったのか、駅の職員らしき男性が話し掛けてきた。

「あのぉ、誰かとぉ、待ち合わせでしょうか?」

「見ての通りですよ」

 職員の気の抜けた声に苛つきながら僕は返答した。職員は「そうですかぁ」と気にする素振りも見せずに続ける。

「いやぁ……うちみたいな辺鄙な駅を逢引の場所にする人なんて初めてですから。お近くの出身なんですか?」

「いえ、東京です」

 黙って立ち続けるのにも飽きてきた頃なので、職員からされる世間話がなんだかありがたかった。

「兼子さん……ああ、待ち合わせ相手なんですけどね。彼女の方から『【矢言駅】で会いましょう』と提案されたんですけど、住んでるところから随分離れていて驚きましたよ。彼女の家からも結構あるんですけどね」

「……【矢言】?」

 僕の話を聞いた職員が怪訝そうな表情をしたので、僕は首を傾げた。

「どうしました?」

「あのぉ……お客さん……」

 職員が言った。

「ここは【牛言駅】で……【矢言】じゃないです……」

「……………………は?」

 職員の発言が何を意味するかすぐには理解できず、僕は一瞬フリーズした。

 ギッ、ギッ、ギッと油の切れた機械のような動きで、駅を見上げる。

 そこにはしっかりと書かれていた。【牛言駅】と。

「すいません!! 次の電車何時ですか!?」

「あ、はい……まもなくです」

「ありがとうございましたっ!」

 僕は踵を返し全速力で駅のホームに走った。

 なんてことだ。兼子さんが時間に遅れているのではなく、僕が約束の場所を間違えてしまったのだ。

 ホームに付くと、職員の言った通り電車が入ってきた。急いでこれに乗り、兼子さんの待つ本当の駅に向かわなくてはならない。

 ああ、どうしよう。彼女になんて言い訳をすればいいのだ。お詫びの品を買う時間もないではないか。

 電車が止まり、扉が開く。僕はその中に急ぎ飛び乗ろうとして、

「……あっ! 直道さん!? ごめんなさーい! 遅刻しましたー!」

 電車の中から出てきた人物に話し掛けられた。

「……………………え?」

 固まる僕の近くに彼女が近づく。その背後でプシューという音を立てながら扉が締まり、電車は走り去って行った。

「いやいやいやあのですね! 途中で乗り換えが分からなくなっちゃって……でも30分も遅れませんでしたよっ! これって新記録ですよね!?」

「…………兼子さん」僕は脱力しながら彼女に言った。「ここって、何駅でしたっけ」

 兼子さんは、キョトンとした表情で僕に返した。

「【矢言】ですよ?」

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