第11話 いざ、甲子園へ・・・

「お姉ちゃん、起きろよ」

「二葉お姉ちゃん、朝よ」

 私は、肩を揺さぶられて、やっと目が覚めました。

「なによ、今日は、お休みよ。もう少し、寝かせてよ」

 私は、まだ、寝ぼけていました。

「何を言ってんだよ。ひろみお兄ちゃんに会いに行くんだろ」

「早く起きなさいよ。まったく、大人なのに、世話が焼けるわね」

 六つ子たちが、枕元で私を起こします。

でも、私は、半分寝ぼけて、声が耳に入りません。

「まったく、毎朝、ぼくたちに起こされて、ダメな大人だなぁ」

「いいから、ふとんをひっぺがしちゃおう」

 すると、いきなり、掛け布団をはがされました。

「ちょっと、なにすんのよ! 寒いじゃない」

「起きろよ、お姉ちゃん」

「今日が、何の日か、忘れたの?」

 寒さに震えて、一気に目が覚めました。

「そうだ! 甲子園に行かなきゃ」

「だから、起こしてるのに、全然起きないんだから」

「朝ごはんもできてるわよ」

「そうか。ごめん、ありがとう」

 私は、ふとんから飛び起きて、部屋を出ました。

「まったく、世話が焼けるよなぁ・・・」

 六つ子たちの呆れたような言葉も耳に入らず、急いで洗面所で顔を洗って、歯を磨きます。

そのまま、食堂に行くと、カン子さんが、朝食を用意してくれていました。

「おはようございます」

 挨拶して席に着きました。目の前には、いつものように、おいしそうなご飯が並んでいました。

真っ白なご飯。湯気が立ってる豆腐の味噌汁。焼きたての焼き鮭とホカホカの卵焼き。よく漬けられた白菜のお新香。納豆に焼き海苔です。

「いただきます」

 私は、そう言って、ご飯を食べました。朝から、こんなにおいしいご飯を食べられる幸せを噛み締めながら食べるようになっていました。

カン子さんのご飯は、おいしくて、朝から元気になります。

 すると、向かいの席で、新聞を広げている死神さんが言いました。

「毎朝、六つ子たちに起こされて、立派な大人ですね」

 朝から、いきなり嫌味を言われて、昨夜のことを思い出してカチンと来ました。

「放っておいてください。それより、昨日のこと、訂正してくださいね」

「何のことでしょうか?」

 まったく、スッとぼけて、死神さんてホントにいい加減だ。

それより、これから甲子園に行くんだ。死神さんを相手にしている暇はない。

 私は、あっという間に、朝食をきれいに平らげました。

「ご馳走様でした」

 そう言うと、カン子さんは、奥から出てきて、私の食べ終わったお皿を片付け始めます。

「ムツミさんが待ってますよ」

「わかってます」

 私は、死神さんにぶっきら棒に言うと、今度は、部屋に帰って、着替えました。

ひろみくんに渡す必勝祈願のお守りを忘れずにバッグに入れました。

そこに、カン子さんが部屋に入ってきました。

「カン子さん、どうしたんですか?」

 着替えてリュックを背負ったところにやってきました。

すると、私に向かって、何かを差し出しました。

「これは?」

 そう聞いても、カン子さんは、何も言いません。

なんだろうと思っていると、それは、お弁当でした。そこには『ひろみくんへ』と書いてありました。

「ひろみくんにお弁当なのね」

 私が言うと、カン子さんは、黙って部屋から出て行きました。

「絶対、渡すからね。カン子さん、ありがとう」

 私は、カン子さんの背中に大きな声で言いました。

何のかんの言っても、ここのみんなもひろみくんのことを応援していることが、うれしくなりました。

「二葉、用意はできてる?」

 ムツミちゃんが階段から降りながら言いました。

「いつでもいいわよ」

「忘れ物はないわね?」

「お守りも持ったし、カン子さんが作ったお弁当も持ったわ」

「それじゃ、行くわよ」

 ムツミちゃんは、庭に出ると、空飛ぶほうきを持ち出しました。

「お姉ちゃん、しっかりな」

「ひろみお兄ちゃんによろしくね」

「途中で、振り落とされるなよ」

「二葉お姉ちゃん、泣いちゃダメよ」

 六つ子たちが口々に言いました。

「わかってるわよ。大丈夫だから」

 私は、六つ子たちに言いました。

「それじゃ、行くわよ。しっかり捕まってなさいね。落ちても助けないから」

 イヤ、それは、勘弁してほしい。落ちたら、助けてくれないと、甲子園に着く前に死んじゃう。私は、ほうきに跨ると、ムツミちゃんにしっかり捕まりました。

ムツミちゃんにしがみ付いている怪獣くんも笑っていました。

「ガオォ~」

「それじゃ、行ってくるわね」

「ムツミちゃん、二葉お姉ちゃん、行ってらっしゃい」

「気をつけてな」

 私は、六つ子たちに見送られて、ムツミちゃんと甲子園に向けて出発しました。


 空飛ぶほうきで空を飛ぶのは何度かあるけど、やっぱり、まだ慣れません。

脚が地に着いてないというのが、こんなに不安だとは、思わなかったのです。

 一気に空高く飛びあがると、雲を突っ切って、青空を突き抜けていきます。

風が髪をなびかせて、冷たい風が顔に当たって、気持ちいい。

「ねぇ、甲子園まで、どれくらいで着くの?」

「30分で着くわよ」

「あっという間ね」

「飛ばさなきゃ、間に合わないでしょ」

 ひろみくんの試合は、準決勝の第二試合なので、午後1時からだ。

昼までに着かないと、間に合わないのだ。

 いつもよりスピードを出しているので、私は、ムツミちゃんにしがみ付くので精一杯でした。

途中で見える富士山も、新幹線を追い抜くのも、目に入りません。

「ガオォ~」

 怪獣くんは、余裕なのか、富士山や下を走る新幹線を見て楽しそうです。

「ちょっと、早すぎるんじゃない」

「これでも、抑えてるのよ。重量オーバーなんだから、スピード出ないのよ」

 ムツミちゃんは、前を向いたまま言いました。

ちょっとでも、気を抜くと、ほうきから振り落とされそうです。

 こうして、しばらく空を飛ぶと、少しずつ、スピードが落ちてきました。

「見える? 大阪城よ。もうすぐ、甲子園が見えてくるわ」

 ムツミちゃんに言われて、静かに目を開けると、目の前に大きなお城が見えました。これが大阪城なの? 子供の頃に家族で旅行に行った時以来だったので、

目の前で見る大阪城が、こんなに大きいとは思いませんでした。

 そして、大阪を過ぎると、すぐに大きな野球場が見えました。

「アレが、甲子園よ」

 ムツミちゃんに言われてみると、ものすごくきれいな、大きな野球場が見えてきました。

空から見る甲子園球場は、緑がきれいで、スタンドが広くて、言葉に言い表せないくらいでした。

「これが、甲子園なのね」

 高校球児の夢が詰まった聖地甲子園球場。迫力と神聖さに、私は心が躍りました。

ここで、ひろみくんは、投げているんだと思うと、胸が熱くなりました。

スタンドには、すでに大勢のお客さんたちがいました。

第一試合を応援するファンや学校関係者たちで、埋め尽くされていました。

「さぁ、もうすぐ着くわよ」

 ムツミちゃんは、そう言って、甲子園を旋回しながら、少し離れたひろみくんの宿泊施設に向かいました。

泊っているホテル近くの公園が、待ち合わせ場所でした。

 私たちは、無事に公園に到着すると、ほうきから降りました。

『おはよう、二葉ちゃん、ムツミちゃん』

 ひろみくんの声が聞こえて振り向くと、こっちに手を振りながらやってきました。

「ひろみくん!」

 すでに着替えたユニフォーム姿でした。それが、一段と輝いて見えて、カッコよかった。

私は、そんなユニフォーム姿のひろみくんを見て、言葉が出てきませんでした。

『どうしたの、二葉ちゃん? 昨日、チェリーちゃんから連絡もらったんだけど、何かあったの?』

 ひろみくんは、そう言って、少し困った顔をしました。

「あ、あの・・・あのね、その・・・」 

 こんなに間近でユニフォーム姿のひろみくんを初めて見て、情けないことに顔を上げることもできず言葉もしどろもどろです。

「まったく、しっかりしなさいよ、二葉。言うことあるでしょ」

 ムツミちゃんに背中を叩かれて、私は、ハッとしました。

「あのね、これ、必勝祈願のお守りと、カン子さんが作ってくれたお弁当」

 私は、急いでリュックから取り出して、両手で差し出しました。

『わざわざ、ありがとう』

 そう言って、ひろみくんは、明るく笑って受け取ってくれました。

その顔を見ただけで、涙腺が崩壊しそうでした。

ひろみくんは、私のお守りをズボンのポケットに仕舞います。

『これで、今日も勝てるよ』

 ダメだ・・・ ひろみくんの笑顔を見ると、涙が出てくる。

「それから、ハイ、これ」

 ムツミちゃんがバッグから、何かを取り出しました。

「これは、死神から、約束の誓約書とお守りよ」

『ありがと。死神によろしく言っといてくれ』

 私は、ムツミちゃんが渡したものを見て愕然としました。それに、誓約書って何だろう?

「それから、これは、チェリーが作った湿布よ。試合が済んだら、必ず肩に貼ること。それから、これは、疲労を取る薬だから、食後に必ず飲むこと。言っとくけど、変なものは入ってないからドーピングじゃないからね」

『ありがとな、ムツミちゃん』

「いいこと。今夜は、お風呂に入ったら、体を休めて、肩を大事にしなさいね」

『わかってる。明日は、一日休みがあるから大丈夫だよ』

 決勝戦の前に、一日の休養日があるらしい。

『それじゃ、集合時間だから、もう行くね』

 そう言って、ひろみくんは、公園から走っていきました。

「待って!」

 私は、自分でも、なにを言うのか、わからないまま、自然と体が動いていました。

ひろみくんを追いかけると、走るのをやめて振り向きました。

「ひろみくん、決勝は、見に行くから、絶対に勝ってね」

『任せとけ。二葉ちゃんが見に来るんだから、絶対、優勝するから』

「うん。がんばってね」

 私は、ひろみくんの目を見て言えました。

すると、ひろみくんは、右手を私に差し出したのです。

「えっ?」

 私が驚いていると、ひろみくんは、こう言ったのです。

『握手してくれよ。こうして会うのは、これが最後になるからさ。二葉ちゃんのこと、忘れないように俺と握手してくれよ』

 私は、ひろみくんに会っても泣かないと決めました。だから、なにがあっても泣かない。私は、ひろみくんと握手しました。

『ありがとな、二葉ちゃん』

「ひろみくん、また、会えるよね」

『さぁ、どうかな・・・俺は、優勝したら、マウンド上で消えちゃうから、会えないかもしれないな』

「そんなこと言わないで。まだ、私は、ひろみくんと話してないじゃない。もっと、たくさん、話とか聞かせてよ」

『その続きは、妹のひろみとしてくれ。二葉ちゃんのこと、忘れないから』

「私もひろみくんのこと、忘れないからね」

『ありがとな。それじゃ、またな』

 そう言って、ひろみくんは、手を振りながら言ってしまいました。

「ひろみくーん、がんばってねぇ・・・絶対勝ってねぇ。私、見に行くから。応援してるから」

 私は、小さくなるひろみくんの背中にいつまでも手を振り続けました。

完全に視界から見えなくなると、ムツミちゃんが私に言いました。

「もう、いいわよ。偉かったわね、二葉」

 ムツミちゃんに言われて、私は膝から崩れ落ちると、小さなムツミちゃんを抱きしめたまま、涙を抑えることができず、声をあげて泣きました。

「ひろみくんが消えちゃうなんて、やっぱり、イヤだよ」

「しょうがないでしょ。それが、ひろみの選んだ道よ。二葉が、応援してあげないでどうするの」

「だって、だって・・・」

 私は、ムツミちゃんにしがみ付いたまま、泣きじゃくりました。

そんな私を、ムツミちゃんは、優しく抱きしめて、頭を撫でてくれました。

「ガウゥゥ・・・」

 怪獣くんが心配して、小さく鳴くと真っ赤な舌で、私の涙を舐めてくれました。

「怪獣くん・・・」

 私は、怪獣くんも抱きしめて、涙が枯れるまで、泣き続けました。

「さぁ、帰るわよ。帰って試合を見るんでしょ。早く帰らないと、間に合わないわよ」

 ムツミちゃんは、そう言って、私を元気づけてくれました。

私は、怪獣くんに涙を拭ってもらって、リュックからティッシュを取り出して、

ぐしょぐしょの顔を拭いて、立ち上がりました。

「しっかり捕まってよ。落ちても助けないからね」

 私は、黙って頷くと、ほうきに跨りました。そして、ムツミちゃんの背中にしがみ付いて、どれみふぁ荘まで帰りました。


 無事に着いた私は、急いで部屋に入りました。

「お帰り、二葉。ちょうど、ひろみの試合が始まるところだぞ」

 久しぶりに会った大家さんが、テレビの前に座ってみていました。

「大家さん、今、帰りました」

「疲れたじゃろ。無事に行って来れてよかった。座って応援せんか」

 もちろん、そのつもりです。言われるまでもありません。私は、大家さんの隣に座ってひろみくんを応援しました。

 試合は、帝丹高校が後攻なので、マウンドに上がるのは、ひろみくんです。

「がんばって」

 私は、祈るように思いでした。そんな私を見て、大家さんは言いました。

「お前に言われんでも、ひろみは、がんばっておる。いいから、黙って見ておれ」

「ハ、ハイ」

 私は、何か気持ちがしぼんでいくような感じになりました。

だけど、ひろみくんが一球投げるごとに、気持ちが高ぶって、つい声を出したり手を叩いてしまいます。

大家さんは、そんな私をやれやれと呆れるような顔で見ていました。

 ひろみくんは、一回から、三者連続三振です。

「やったぁー!」

 私は、飛び上がって喜びます。しかし、大家さんは、難しい顔をしていました。

「これ、二葉、少しは静かにせんか」

「でも、ひろみくんが、あんなに頑張っているんですよ。応援しなくてどうするんですか」

「まったく、二葉は、単純じゃな。死神、この大バカ者にもわかるように、説明してやれ」

 いつのまにか、死神さんが後ろにいました。

私は、死神さんのことが嫌いなので、顔を見ないように、目はテレビに向けたまま言いました。

「何の話ですか?」

「二葉さん、ひろみくんと会ったんですよね?」

「ハイ、会いましたよ」

「私のお守りと誓約書は、渡してくれましたか?」

「それは、ムツミちゃんが渡しましたよ」

「そうですか。それは、よかった」

 死神さんは、ホッとしたように言いました。だけど、そこで、気が付きました。

「あの、誓約書って何ですか?」

 思わず、後ろを向いて、死神さんの顔を見ながら言いました。

「決まってるでしょ。夢をかなえたら、魂をもらうって誓約書ですよ」

「そんなのダメです。ひろみくんの魂をもらうなんて・・・」

「二葉さんには悪いけど、それが、ひろみくんとの約束なんですから、他人が口を挟むことではありませんよ」

 私は、思わず唇を噛み締めました。悔しい・・・ こんなに頑張っているひろみくんの魂をもらうなんて

いくらそれが死神さんの仕事だとしても、ひろみくんとの約束でも、そんなの絶対ダメに決まってる。

「ほれ、死神、そんな話はあとにして、このバカ娘に、ひろみの話をしてやれ」

 私は、何のことかわからなくて、もう一度、死神さんの方を向きました。

「いいですか。ひろみくんは、今、この試合で投げるまで、何回試合をしてきたと思ってるんですか?」

「えっ?」

「ひろみくんの帝丹高校は、無名の学校です。まずは、地区予選で五回試合をしないといけません。つまり、五回、勝たないと甲子園に行けないのですよ」

 私は、指を折りながら数えます。その間に、一回の裏が終わってました。

ひろみくんは、四番バッターなので、打順は、二階の裏に回ってきます。

再び、マウンドに上がるひろみくんを見ながら、背中で死神さんの話の続きを聞きました。

「シードされている強豪校と違って、ひろみくんは、五回、勝たなきゃいけないんです。そして、甲子園に行っても、優勝するには、決勝まで、五回勝たないといけないんですよ」

「それが、どうしたって言うんですか?」

 私は、ひろみくんから目が離せないので、口だけで聞きました。

「二葉さんは、一試合で、何球、ボールを投げると思いますか?」

「そんなこと、わかりません」

「だいたい、平均して、9回まで投げるとして、150球は投げます。五試合なら、750球になりますね。その後、甲子園でも、五試合投げたら、1500球になります。それを一人で、投げているんですよ。普通の高校生なら、肩を壊して、野球どころか、腕が上がらなくなりますよ」

「えっ!」

 そんなこと、今まで考えたこともなかった。野球のことは、まるで知らない私に、そんな知識はない。

「ひろみくんは、一人で全試合を投げてるんですよ。普通なら、投げるどころか、肩など痛くて上がらないはずです」

「そんな・・・ だって、さっき会ったときは、なんともないって」

「そりゃ、そうですよ。二葉さんの前で、弱音を吐くわけにいかないでしょ」

 私には、信じられませんでした。一人でそんなに投げていたなんて知らなかった。

「ひろみくん、投げちゃダメ」

 私は、テレビのひろみくんに向かって、大声で叫んでいました。

「大丈夫よ」 

 そこに、今度は、チェリーさんの声がして、振り返りました。

「二葉ちゃん、あたしの作った薬は、渡してくれた?」

「渡したわ」

「そう、それなら大丈夫」

 そう言うと、チェリーさんは、その場に崩れ落ちるように倒れ込みました。

小さなチェリーさんが、着ているだぶだぶの白衣のおかげで、さらに小さく見えました。

「チェリーさん、大丈夫」

 私は、膝の上に抱き起しました。

「ひろみの薬を作るのに、徹夜したから、疲れただけよ」

「渡した薬って?」

「強力疲労解消剤と肩の疲労を取る湿布よ」

「チェリーさん、ありがとう」

 私は、チェリーさんを抱きしめました。

「ちょっと、二葉ちゃん、痛いんだけど・・・」

「あっ、ごめんなさい」

 私は、慌てて、チェリーさんを放しました。

「それで、なにが、大丈夫なの?」

 さっきの話の訳が知りたくて、聞きました。

「ネットの情報と新聞の記事を見ると、ひろみは、地区予選の決勝戦以外は、コールドゲームで五回までしか投げてない。だから、今の死神の話の半分くらいの球数になる。かなり節約して投げているって感じだから、まだ、大丈夫よ」

「そうなの?」

 コールドゲームの意味も分からない私は、それでもチェリーさんの話に、うれしくなりました。

「甲子園に行ってからも、準々決勝まで、コールドゲームだから、かなり省エネ投球ね」

「それじゃ、肩は、痛くないの?」

「バカね。痛いに決まってるでしょ。いくら、コールドゲームが多いからって言っても、全部、一人で投げてるのよ」

「ほかにピッチャーはいないの?」

「いるけど、ひろみ以外じゃ、打たれるのよ。帝丹高校は、打撃はいいけど、投げる方はダメなのよ。だから、ひろみが投げるしかないのよ」

「確かに、チェリーさんの言う通りですね。コールドゲームが多いというのは、打撃に助けられているという証拠ですからね。ひろみくんにしたら、かなり助かっているでしょう。それでも、一人で投げ切るというのはそれなりに疲労はあるはずですよ」

 死神さんが、話に割り込んできた。

「確かにそうね。この試合が限界よ。それに、ひろみは、ここまで一点も取られてないのよ。ヒットは打たれても、点は取られていない、でも、完封状態が続いているし、かなり無理してるはずね」

 チェリーさんまでがそんなことを言い出すので、私は、だんだん心配になってきました。

「この試合は、9回まで投げ切って、ノーヒットノーランをやるつもりらしいですよ」

「そうなの? それでも、私の薬と明日が一日休みだから、何とかなると思うけど、不安は不安ね」

 私そっちのけで、死神さんとチェリーさんが話を進めています。

「こらこら、このバカ娘にも、ちゃんと話して聞かせてやらんか」

 大家さんが、そういって二人の間に入りました。

「いいですか、二葉さん。簡単に言うと、ひろみくんは、かなり無理して投げてます。それも、この試合で大記録を作るつもりのようです。決勝で肩が壊れても、彼は、それで満足するでしょうね」

「でも、残された妹のひろみちゃんはどうなると思う? あの子は、まだ、若いのよ。これからも長く生きるのよ。肩が壊れて動かなくなったら、この先、どうやって生きていくの? そういうことまで、私たちは、考えているのよ。単純に応援してればいいって問題じゃないの」

 私は、完全に打ちのめされました。その先のことなど、まったく考えていませんでした。

妹のひろみちゃんは、まだ若い。人生だって、まだまだ長い。それなのに、肩が動かないなんて・・・

「そんな・・・ そんなこと・・・」

 私は、テレビで投げるひろみくんのことが、応援できなくなりました。

「そうなるかもしれないという話じゃ。本気にするな。わしらは、もしもの時のことも考えておるから、お前は、心配しないで、しっかり、ひろみを応援してやれ」

「そんなの無理よ。そんな話を聞いたら、ひろみくんを応援なんてできないわ」

 私は、大家さんにそう言いました。

「バカもん! お前が応援せんで、どうする」

「だって、投げたら、ひろみちゃんはどうなるの? もう、投げちゃダメよ。負けたほうがいい。勝っちゃダメ。ひろみくん、投げちゃダメよ」

 私は、テレビに向かって叫んでいました。しかし、ひろみくんには聞こえません。

「二葉!」

 大家さんは、そう言うと、私の右の頬を平手打ちしました。

私は、右手で頬を触ると、頬が熱く感じました。そこに、冷たいものが伝わります。

私の涙でした。私は、泣いていたのです。それは、大家さんに、打たれたからではありません。

「しっかりせんか。ひろみは、お前のために、自分のために、妹のために、がんばっておるんじゃぞ。泣いてる場合か。このバカもんが。しっかり、応援してやらんか」

「でも、このままじゃ・・・」

 二階の裏で、四番のひろみくんがバッターボックスに入りました。

「ひろみくんには、二葉ちゃんの応援が必要なのよ。わかるでしょ」

 チェリーさんが、私の膝から見上げて言いました。

「まったく、二葉は泣き虫で、弱虫なんだから、困ったもんだ。こんな奴に応援されても、ひろみは、喜ばないわね」

 今度は、ムツミちゃんが私の顔を見ながら言いました。

「アンタ、悔しかったら、さっきみたいに、笑ってひろみを応援してやったらどうよ」

 ムツミちゃんは、私の肩を掴むと、私のおでこに自分のおでこをくっつけました。

「あたしの勇気を分けてあげる。ほら、ひろみが打つわよ。しっかり、見てやりなさい」

 言われて、テレビに目を向けると、バットを構えたひろみくんが、目に飛び込んできました。

そして、次の瞬間、振ったバットに当たったボールは、甲子園のスタンドに目掛けて、一直線の特大ホームランになりました。

「やったー! ひろみくん、カッコいいよ」

 私は、泣いているのも忘れて、喜んでバンザイを繰り返していました。

「やっと、元気が戻ったようだな」

 大家さんが、呆れたような顔をしてました。

痛かった頬っぺたのことなど、もう、頭にありませんでした。

 結局、準決勝は、5対0で帝丹高校が勝って、明後日の決勝にコマを進めました。

しかも、ひろみくんは、ノーヒットノーランという、すごい結果を残して勝ったのです。

テレビを抱きしめたくなるのを、みんなが止めるくらいでした。

「ひろみくん、すごいよ。決勝よ、決勝。絶対、優勝するよね」

 私は、泣き笑いで、そこにいた全員に必死で訴えました。

「やれやれ、二葉にも困ったもんじゃな」

「これじゃ、明後日の決勝戦が、思いやられますね」

「こんな調子で、大丈夫かしらね?」

 みんなは、呆れた顔をしていました。でも、私は、うれしくてたまらなかったのです。

こうなったら、明後日の決勝は、声が枯れるまで、応援しようと思いました。



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