第8話 六つ子たちがやってきた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃんてば」

「二葉お姉ちゃん、もう、朝よ」

「起きろよ、会社に行かなくていいの?」

 なんだか、私の名前を呼ぶ声が遠くの方から聞こえました。

まだ、夢を見ているのかしら? 私は、まだ、夢の中にいました。

 素敵な家と素晴らしい住人たちに囲まれて、おいしい食事を毎日食べながら

楽しく暮らしている、そんな夢でした。

「お姉ちゃん、起きないと、会社に遅れるぞ」

「二葉お姉ちゃん」

 私の耳元で、うるさく名前を呼ばれ続けても、まだ、目が覚めません。

せっかく、いい夢を見ているのに、起こさないでほしい・・・

「もう、お姉ちゃん、起きろよ」

 私は、肩を揺さぶられて、目を開けました。

「せっかく、夢を見てたのに、起こすのだれよ?」

「お姉ちゃん、二葉お姉ちゃん、朝だぞ」

「朝・・・」

「そうだよ、朝だよ」

「まったく、二葉お姉ちゃんは、寝坊助ね」

「ハイハイ、今、起きるわよ」

 私は、まだ、半分寝ている感じです。パジャマの袖で目を擦って、目を開けると

そこには、六つ子たちが揃っていました。

「おはよう」

「おはようじゃないだろ」

「会社に行くんじゃないの?」

「会社・・・」

「今、何時だと思ってんだよ」

「えっと、ここは、どこ?」

「まだ、寝ぼけてるよ」

「どうする?」

「ふとんをはいじゃおう」

 すると、一気に、ふとんを剥がされて、寒さを感じて、一気に目が覚めました。

「ちょっと、なにするのよ」

「なにするじゃないだろ。会社に行く時間じゃないのかよ」

「あっ、そうだ。今、何時?」

「ハイ」

 私は、男の子に渡されて、枕元に置いてある、目覚まし時計を見ました。

「えーっ! うっそぉ・・・」

 目覚まし時計は、朝の8時になろうとしていました。

「なんで、起こしてくれないのよ」

「二葉お姉ちゃん、落ち着いて」

 私は、飛び上がって、着ているパジャマを脱ごうとして、あることに気が付きました。

「ちょっと、なんで、キミたちがいるのよ?」

 部屋に入るときには、ちゃんとカギはかけたはず。

その前に、昨夜の記憶がない。温泉でお酒を飲んで、それから・・・

「まったく、しっかりしてよね」

「お姉ちゃん、大人なんだろ。昨日の夜は、大変だったんだぜ」

 なに、なにがあったの? でも、なんか、怖くて聞けない。

「お風呂で酔っ払って、母ちゃんに抱きついて大泣きして、死神おじちゃんが部屋に運んでチェリーちゃんとひろみちゃんで服を着せて、俺たちとムツミがふとん敷いて、寝かせたんだぞ」

 顔から血の気が引いて行くのが自分でもわかりました。

「寝るときに、あたしたちに明日は、起こしてねって、しつこいくらい言ってきたから、起こしてあげたのよ」

 そんなことをしたんだ・・・ 私は、何をやったんだろう。

「あのさ、もしかして、キミたち、私の裸・・・見た?」

「バッチリ」

 やっぱり・・・ 私は、ガクッと項垂れました。いくら幼稚園児とはいえ、酔っぱらって、裸を見られたことは、恥ずかしくて穴があったら入りたい。

「起こしてくれて、ありがとうね」

 蚊の鳴くような声で言うのが精一杯でした。顔を上げることもできません。

それより、なんで、この子たちが私の部屋にいるんだろう?

「カン子ちゃんが、朝ご飯を作って、待ってるわよ」

「みんな、朝ごはん食べて、お姉ちゃんが最後だぜ」

「えっ、そうなの。急がなきゃ」

 そう言って、立ち上がり、パジャマを脱ぎます。

そこで、手が止まりました。パジャマの上を脱ぐと裸でした。慌てて、脱いだパジャマで胸を隠します。

「ところで、キミたちは、どこから入ってきたの?」

「アレ」

 男の子が、指を刺しました。そこは、一号室との境の壁でした。

すると、驚くことに、畳と接する下の部分に、子供が一人通れるくらいの穴が空いていました。その穴をカレンダーで隠していたのです。この部屋に来た時から、違和感を感じていました。なぜ、カレンダーが、下についているのか? 普通なら、目線の高さか、少し上にかかっているはずです。

「ちょっと、なに、勝手に穴を開けてるのよ」

「俺たちが開けたんじゃないよ」

「そうよ」

「それじゃ、誰が開けたのよ?」

「前の住人だよ」

「だったら、ちゃんと塞いでよ。勝手に、人の部屋を覗かないで」

 私は、剥きになって、強い口調で抗議しました。

「なに言ってんだよ。俺たちが起こしに来なかったら、遅刻するんじゃないか」

「あっ、そうだ」

 私は、自分の置かれた状況に気が付いて、六つ子たちが見ているのも気にしないで

急いでパジャマを脱いで、着替えました。

「俺たち、もう、幼稚園に行くからな」

「二葉お姉ちゃんも、遅刻しないようにね」

 そう言うと、六つ子たちは、空けた穴から隣の自分たちの部屋に出て行きました。

「なんなのよ、あの子たちは。それより、この穴、帰ってきたら、塞がないと」

 私は、そう思いながら急いで着替えました。

そして、ドアを開けて、洗面所に駆け込みます。顔を洗って、歯を磨いて、寝癖が付いた髪をとかして化粧をしている時間がないけど、口紅くらいは塗りました。

 そのとき、洗面所を出ると、見知らぬ女性とすれ違いました。

その女性は、とても美人で、大人の雰囲気があって、白いワンピースに、長い髪を一つにまとめて耳には、高そうなきれいなピアスが揺れていました。もちろん、完璧なメイクをして、優雅な香水のにおいを漂わせながら、私とすれ違います。

私は、呆然とその女性を見送っていました。

「おはよう、二葉ちゃん」

「お、おはようございます」

 すれ違いざまに私に声をかけたその女性は、いったい誰だろう?

どれみふぁ荘の住人に、こんなきれいな大人の女性は、いなかったはずです。

 その女性は、玄関の靴箱から、ヒールを履くと、振り向きざまに私に言いました。

「あたし、デートだから、今夜は夕飯は、いらないって、カン子ちゃんに言っておいてね」

 そう言って、笑顔で出て行きました。

私は、立ち尽くすだけで、なにも返事ができませんでした。

 そこに、六つ子たちが一号室から出てきました。

「お姉ちゃん、何してんだよ」

「あたしたち、幼稚園に行くわよ」

「あのさ、今の、大人の女性って、誰? あんな人、ここにいたっけ?」

 私は、六つ子たちに聞きました。すると、またしても、ビックリする答えが返ってきたのです。

「なに言ってんだよ。チェリーちゃんだよ」

「えっ? えーーーーっ!」

 アレが、チェリーさん・・・ だって、チェリーさんは、中学生の可愛い女の子なはず。

「また、アレを舐めたんだな」

 男の子が言うのを聞いて、私は、ハッとしました。舐めると、10歳年を取るという、不思議な飴のことを。

まさか、それって、ホントなの? ホントに、あの飴を舐めると、大人になるの?

「ほら、二葉お姉ちゃん、ご飯食べに行きなさい」

 私は、女の子にお尻を押されて、食堂に入りました。

「それじゃ、俺たちは、行ってくるよ」

「行ってらっしゃい」

「行ってきまぁ~す」

 六つ子たちは、元気に幼稚園に行きました。

私は、寝起きの頭がオーバーヒートするようなことの連続に、まだ、目が覚めた実感がわきませんでした。

「おはようございます」

 私は、そのまま食堂に入りました。すると、私が座ったタイミングで、カン子さんが朝食を出してくれました。

でも、時間がないので、今朝は、食べる時間がありません。カン子さんには、申し訳ないけど今日は、朝ご飯は抜きで・・・ と、思ったら、私の目の前には、ザ・朝ご飯というようなド定番の朝食が並んでいました。

「ウソ!」

 目を丸くしている私の前に、カン子さんは、暖かいご飯をお茶碗によそって置きました。

私の目の前にあるのは、炊き立ての白いご飯。ワカメと豆腐のお味噌汁。納豆、白菜のお新香、アジの開き、卵焼き、ミニサラダでした。

こんな朝食は、食べたことがありません。まるで、温泉ホテルに泊まった時の朝食のようです。

今まで、私の朝食と言えば、焼いただけのパンとインスタントコーヒーで、ご飯に味噌汁なんて和食のご飯なんて作ったことがありません。

「あの、これ・・・」

 私は、目をパチクリしながら、カン子さんを見ると、小さくお辞儀をして厨房に入ってしまいました。そこに、おばさんがあくびをしながら食堂に入ってきました。

「やっと起きたね」

「あの、おばさん、おはようございます」

「いいから、さっさと朝ご飯を食べちゃいな」

「でも、これ・・・」

「見りゃ、わかるだろ。今朝の朝食は、和食なんだよ。もう、みんな食べて、学校に行ったんだよ。二葉ちゃんも会社だろ」

 そうだ。こんなことしていられない。早く食べて、仕事に行かなきゃ。

「それじゃ、いただきます」

 私は、手を合わせて、まずは、ご飯を一口食べました。

「アァ・・・ おいしい」

 思わず口に出てしまいました。甘くて、粒が立って、おいしいご飯。何杯でも食べられそう。

そして、出汁の効いたお味噌汁。寝起きの体に沁み渡ります。

アジの開きなんて、この数年、焼くのも面倒で、食べたことがありません。

身がホクホクして、潮がほのかに効いて、とてもおいしい。

卵焼きも甘くてものすごくおいしかった。

「それにしても、二葉ちゃん。昨日のこと、覚えてる?」

「私、なんかしました?」

「なんだい、何も覚えてないのかい?」

 おばさんは、呆れて言いました。実際、温泉でお酒を飲んだところまでしか、記憶にありません。

「あの、私、なんかしましたか?」

「しましたじゃないよ。あの後、大変だったんだから。ちょっと、飲ませすぎたあたしらも悪いんだけど二葉ちゃんは、温泉で大泣きして、そのまま、あたしに抱かれて寝ちゃったのよ」

「えっ!」

「体を拭いて、服を着せて、ふとんに寝かせて、初日から、やってくれるわよねぇ」

 うわぁ・・・ そんなことやったんだ。全然記憶にない。引っ越し初日から、やらかしてしまった。

寝起きに六つ子たちに聞いたことは、現実だったんだ・・・

私は、耳まで真っ赤になって、下を向いて、顔を上げられませんでした。

「部屋まで、運んでくれたんですか?」

「そうよ。死神が抱き上げて部屋までね」

「もしかして、裸で・・・」

「当たり前だろ。風呂に入ってたんだから」

 もうダメだ。裸ん坊のまま、温泉でお酒を飲み過ぎて、寝ちゃうなんて最悪だ。

それも、死神さんに抱かれるなんて、もう、恥ずかしすぎて、死にたくなった。

「もう、すんだことだから、忘れることだね。後で、死神にお礼を言っておけばいいから。それより、さっさと、ご飯を食べて、仕事に行くんだろ」

「あっ、そうだ」

 私は、箸を持ち直して、残ったご飯を夢中で食べました。

時間がないというのに、ご飯がおいしすぎて、二杯もお代わりして、おばさんは、笑いをこらえるのが大変そうです。

「あぁ、おいしかった。カン子さん、ご馳走様でした」

 私は、奥にいるだろう、カン子さんに聞こえるように、大きな声で言いました。

「あの、さっき、大人のチェリーさんが、夕食は、デートだからいらないそうです」

 もう一度、奥にいるカン子さんに言いました。返事はないけど、わかったらしい。

「おばさん、チェリーさん、大人になって、どこに行ったんですか? まさか、ホントにデートじゃないですよね」

「う~ン、ある意味、デートかね・・・」

 ウソぉ・・・ あのチェリーさんが、デートなんて・・・ いったい、誰と?

どんな男の人とお付き合いしているんだろう? ホントに彼氏とデートとか・・・

だって、中学生だし、大人になったのは、不思議な飴をなめたからだし、いったい、何をしているのか気になると、悶々としてきました。

「ほら、時間、時間・・・」

「あっ、そうだ。それじゃ、行ってきます」

「ハイよ。気を付けてね」

 おばさんに玄関まで見送られて、アパートを出ました。

「あっ、そうだ。おばさん、私の部屋の壁に、穴が空いてたんですけど」

「空いてるね。それが、どうかしたかい?」

「すみませんけど、一応、私も女子だし、プライバシーのこともあるから、塞いでほしいんですけど」

 私は、少し遠慮気味に言いました。

「悪いが、それは、無理だよ」

「どうして?」

「あの穴は、いくら塞いでも、すぐに開いちまうんだ。諦めることだね」

「そんな・・・」

「そのウチ、慣れるよ」

 そんなこと言われても、これでも私は女性だし、女の一人暮らしの部屋を覗かれるのは恥ずかしい。

「大丈夫よ。覗いたりしないから」

「でも、今朝は、あの子たちが・・・」

「それくらい、どうってことないだろ。そんなことより、早く行きなさい」

「あっ、そうだった。その話は、また、帰ってきたら話すから。それじゃ、行ってきます」

 私は、そう言って、玄関を開けました。

「ワンワン」

「ケンイチロウさん、おはよう。帰ったら、お散歩に行こうね」

 白くて大きな犬の頭を撫でながら言って、急いで駅まで駆けだしました。


 通勤途中も、部屋の穴のこと、昨夜の自分のこと、大人になったチェリーさんの相手のこといろんなことが頭に思い浮かんで、今日は、仕事になりそうもない。

それでも、お店に着くと、頭を切り替えて仕事に就きました。

 開店準備もできて、ペットのワンちゃんたちをゲージに放して遊ばせます。

私は、そんなワンちゃんたちを見ながら、商品のチェックをします。

 午前中は、エサを買いに来る常連さんたちが来る程度で、それほど忙しくないので、他のペットたちと遊んだり、店長の奥さんと雑談をしながら過ごしました。

 そして、午後になり、お昼を過ぎた頃のことです。

お店の自動ドアが開いたので、私は、反射的に笑顔で振り向きながら、お客様に声をかけました。

「いらっしゃ・・・」

 そこで、言葉が詰まりました。なぜなら、そこにいたお客様というのは、六つ子たちだったからです。

「あっ、いたいた」

「やっぱり、お姉ちゃんだ」

「二葉お姉ちゃん、こんにちは」

「ハイ、こんにちは。って、なんで、キミたちがいるの!」

「決まってるじゃん。ケンイチロウのドッグフードを買いに来たんだよ」

 驚く私に向かって、当然のように言いました。

確かにウチには、ケンイチロウという、白い大型犬がいます。

「そういうこと。それで、どんなドッグフードなの?」

 私は、銘柄など知らないので、六つ子たちに聞きました。

「ドッグワンて言うの」

「ドッグワン?」

 聞いたことがないドッグフードです。こんなのウチで、取り扱っていたかしら?

私は、犬用のエサが置いてある棚を見てみました。

「えーと・・・」

 私は、棚を順番に見ましたが、見つかりません。

「あった! これだよ、これ」

 六つ子の男の子の声が聞こえました。

「お姉ちゃん、これ」

 急いで声のする方に行くと、棚の一番隅の、そのまた、一番下に隠れて積んでありました。

私は、その場にしゃがんでみると、一つだけ置いてありました。

「これのこと?」

「そうだよ。あいつ、これしか食べないんだよ」

「それに、他のお店で売ってないから、探すの大変なのよね」

 確かに、このドッグフードは、売れ筋ではないので、他のお店でも売ってないだろう。ウチでも、ほとんど売れたことがないので、私も知らなかった。

「ホントにこれでいいの?」

「うん。これ、ちょうだい」

「でも、これって、10キロ入りよ。持って帰れるの? 重いわよ」

 それは、特売品なので、10キロ入りの大袋しかない。幼稚園児のこの子たちが持って帰るほど軽くはないはずです。すると、しゃかんでいる私の耳元で、女の子が言いました。

「あたしたちを誰だと思ってるの? 妖怪よ」

「あっ!」

 そうだった。すっかり忘れていた。この子たちは、座敷童子という妖怪だった。

「お金、たりる?」

 男の子が幼稚園バッグから、財布を取り出して、お金を渡します。

「大丈夫よ。ちょうどあるから」

 私は、代金を受け取ると、その大きなドッグフードを棚から持ち上げます。

10キロもあると、私でも重たい。持ち上げるのも力がいるほどです。

「ホントに大丈夫?」

「平気、平気」

 そう言うと、六つ子たちの男の子三人が、それを軽々持ち上げると、両手で支えながらお店を後にしていく。

「ありがとうございました」

「二葉お姉ちゃん、また、あとでね」

 女の子たちが、私に手を振りながら、大きなドッグフードを抱えながら歩く男の子たちの後について行くのが見えました。

「さすが、妖怪の子供たちだ」

 私は、妙なところで、感心してしまいました。

そして、このドッグフードは、切らさないように、次も発注しようと決めました。

 

六つ子たちを見送って、お店に戻ると、店長の奥さんが倉庫から出てきました。

「遅くなって悪かったわね。お昼に行ってきていいわよ」

「ハイ、ありがとうございます。それじゃ、お先に行かせてもらいます」

 私は、そう言って、エプロンをはずして、ロッカーから自分の財布を持って、昼食に行きました。

この商店街の中には、安くておいしいお店がたくさんあります。

その中でも、私が一番お気に入りで、いつも通っているのが『食堂・カンちゃん』です。安くて、おいしくて、ボリュームがあって、店員のおばちゃんと厨房のおじちゃんがとても優しくて、お店にはいると、ホッとするので、ほとんどここで昼食を食べています。

 今日も、そのつもりで、お店のドアを開けて、暖簾を潜りました。

「ハイ、いらっしゃい」

「こんにちは」

 いつものおばちゃんに迎えられて、中に入りながら、店内を見渡します。

お昼を過ぎているので、いつもなら空いているはずなのに、この日に限って、なぜか、この時間帯でも満席だったのです。

「ごめんね。今、満席なのよ。ちょっと、待っててくれる」

 おばちゃんが、申し訳なさそうに言いました。それはいいけど、やっぱり、待つのはつらい。お昼休みの時間は、限られています。早く食べて、少しゆっくりして、コーヒーくらい飲みたい。

残念だけど、今日は、違うお店に行こうと思って出て行こうとすると、私を呼ぶ声がしました。

「そこのお嬢さん。ここ、空いてますよ」

 私は、自分のことかと思って、立ち止まって振り向きました。

すると、二人掛けのテーブルの向こうから、一人の男の人が私を呼んでいました。

「ここ。空いてますよ」

 そう言いながら、手招きしました。私は、その男の人を見て、眩暈がしました。

なぜなら、その人は、私のよく知っている、どれみふぁ荘の住人の中でも、

最も苦手な、死神さんだったのです。

「あの、同席、よろしいですか?」

 おばちゃんが私に話しかけました。私は、返事の代わりに小さく頷きました。

私が、死神さんの向かいに座ると同時に、おばちゃんが水を持ってきました。

「どうしました? 何か、私の顔についてますか」

 死神さんが、目の前の私に表情一つ変えずに言いました。

「なんで、死神さんがいるんですか?」

「決まってるでしょ。お昼ご飯を食べに来てるんですよ」

「そんなこと聞いてるんじゃありません。なんで、ここにいるのか、聞いているんです」

「お腹が空いたからじゃ、いけませんか? この店は、安くてうまいんですよ。知らないんですか?」

「いいえ、よく知ってます」

 私も表情変えずに、言い返しました。なんで、死神さんが、私の通っているお店にいるのかよりによって、鉢合わせするなんて、今日は、運が悪い。

「今日の日替わり定食は、サバの味噌煮ですよ」

 なんで、常連の私より、日替わりメニューを知ってるのか、悔しくなった。

「おいしいんですよ」

「知ってます」

 私は、死神さんを睨みつけながら、おばちゃんに言いました。

「すみません、こっちにも、日替わり定食をお願いします」

「ごめんねぇ。日替わりは、それで終わっちゃったんだよ。なんか、違うのにしてくれないかな」

 なんでよ・・・ どうして、私のはないのよ。私は、目の前の死神さんを見ました。

「あげませんよ」

「誰も取りません」

 死神さんは、両手で定食が乗ったトレーを守るように囲みます。それが、なんだか、イラつく。

「早く頼まないと、お昼休みが終わっちゃいますよ」

 死神さんに言われて、大事なことに気が付きました。

私は、壁に貼ってあるメニューを見ながら考えて、早く出てくるものにしました。

「すみません、カツカレーをください」

「ハイよ、カツカレー、一つ」

 おばちゃんが、奥で料理を作っているおじちゃんに言いました。

それが出てくるのを待つ間、目の前でおいしそうにサバの味噌煮を食べている死神さんが悪魔に見えました。

「イヤぁ、残念ですねぇ。サバの味噌煮は、私も大好物なんですよ」

「私も大好物です」

「それは、ホントに残念でしたね。特に、ここのサバ味噌は、おいしいんですよねぇ」

 なんで、幽体の死神さんが、サバの味噌煮定食を食べているのか、意味がわからない。

「あの、死神さんも、こーゆーの食べるんですか?」

「当り前でしょ。お腹だって空きますよ。あなた、私を誰だと思ってるんですか?」

「決まってるでしょ。死神でしょ」

「わかってるなら、聞かないでください」

 そう言いながら、サバ味噌をおいしそうに食べながら、白いご飯をモリモリ食べている。なんか、人として、負けた気になって悔しい。

「ハイ、お待ちどう様。カツカレーです」

「ありがとうございます」

 おばちゃんが私の前に、カツカレーを置きました。

おいしそうなカツカレーです。サバ味噌もいいけど、カツカレーもおいしい。

私は、一口食べようとすると、死神さんが言いました。

「二葉さん、食べる前に、私に一言、言うことがあるんじゃないですか?」

 きれいに定食を食べ終えた死神さんが、水を飲みながら言いました。

私は、スプーンを置いて、丁寧に頭を下げて言いました。

「昨夜は、迷惑かけて、すみませんでした。部屋まで、運んでくれて、ありがとうございました」

 そう言うと、死神さんは、スーツのポケットから、スマホを取り出すと、一枚の画像を見せました。

顔を上げてみると、それは、私でした。お風呂の中で、裸の私は一文字のおばさんに抱きついて大泣きしている姿でした。

「えっ!」

 私が絶句していると、さらに、一枚二枚と、画像を見せます。

もちろん、裸の胸も丸見えで、涙で顔がグシャグシャでした。

「と、言うことです」

 死神さんは、そう言って、何事もなかったように、スマホをポケットにしまいました。

「それ、どうするつもりですか?」

「別に」

「まさか、それで、私を脅迫するつもりですか?」

「トンデモない。そんな、人間みたいな真似するわけないでしょ」

「それじゃ、消してください」

「イヤです」

「どうして?」

「決まってるでしょ。おもしろいからですよ」

 そう言って、意味深な笑みを浮かべて、当たり前のような顔をしました。

いつか、死神を殺してやろうと、強い殺意を覚えました。もちろん、人間の私には、無理だけど。

「別に、誰にも見せたりしませんよ。安心してください」

「お願いだから、消してください」

 私は、両手を合わせて、拝むようにして、お願いしました。

死神なんかに、私のみっともない姿をずっと見られると思うと、恥ずかしくて乙女のピンチです。

「お願いします。何でも、言うこと聞くから、それだけは、消してください」

「ホントですね?」

「ホントです」

「ウソじゃないですね」

「ウソじゃないです」

「よろしい。それじゃ、消しましょう。その代わり、ここの代金、お願いしますね」

 そう言うと、スマホをポケットから取り出すと、目の前で画像を消してくれました。ホッとすると、死神さんは、立ち上がりました。

「それじゃ、あとは、お願いしますね。どうも、ご馳走様でした」

 そう言って、お店を出て行こうとしました。

「あの、お代を・・・」

「それは、あのお嬢さんが、どうしても払いたいというので、あちらの方からもらってください」

「いいんですか?」

「いいんですよ」

 そう言って、死神は、堂々とお店を出て行きました。

そして、おばちゃんは、申し訳なさそうに請求書を私に見せました。

「あの、これ・・・ ホントに、アンタが払ってくれるの?」

「しょうがないのよ」

「でも、これよ」

 そう言って、その請求書を見て、私は、目が飛び出して、腰が抜けそうになりました。

「なによ、これ!」

「あの人は、毎回、ツケでね。今月分は、これだけなんだよ」

 そこには、今月分として、3500円と書いてありました。

なんで、私があんな人の分まで、払わなきゃいけないのよ。

あの写真を消す代わりに、何でも言うことを聞くとは言ったわよ。

ここの代金くらいなら、私にも払えるから、大丈夫だと思ったわ。

だって、日替わり定食と私のカツカレーなら、1500円でお釣りがくるから、安いもんです。それが、なんで、3500円なのよ! 私の分と合わせたら、4000円でも足りないじゃない。

 死神さんにやられた。これが、あの人の狙いだったんだ。

帰ったら、この分、お金を返してもらわなきゃ。

私は、財布の中から、なけなしのお金を出して払いました。

おかげで、財布の中は、スッカラカンです。そして、私の目の前には、すっかり冷めてしまったカツカレーが寂しく見えました。


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