第4話 四号室の住人。

「おや、私の顔に何かついていますか?」

 目の前のシニガミさんが言いました。

「いや、別に・・・」

 私は、思わず目を逸らしました。目の前の男の人が、ホントに死神だったらと思うと背筋が凍りました。

しかも、なぜか、浴衣というか、着物を着ています。

さっきは、スーツにコートだったのに、今は、着物を着ている。

部屋着にしては、かなり古風な気がして、そのギャップに、どうしていいかわかりません。その時、廊下の方で、何か音がしました。

「チェリーさん、洗濯ができたピョン」

「ありがと、今行く。それじゃ、後は、二人でごゆっくり」

 そう言って、呼びに来たピョン太さんの元にチェリーさんは行ってしまいました。

シニガミさんと二人きりになると、私は、何を話していいのかわからず、早くこの場から逃げ出したくてたまりません。

下を向いている私に、シニガミさんが口を開きました。

「二葉さん、怖がらなくてもいいですよ。別に、あなたの魂を取ったりしませんから」

「えっ・・・」

「言っときますけど、私の名前は、こう書きます」

 シニガミさんは、浴衣の襟元からメモを取り出すと、ペンで名前を書きました。

それは、ホントに『死神』と書いてあったのです。

私は、それを見て、腰が抜けそうになりました。まさか、目の前に、本物の死神がいるとは・・・

「ちなみに、外では『四仁神』と言います」

 そう言って、さらにメモに書きました。そう言われても、シニガミはシニガミです。

「あの、ホントに、死神なんですか?」

「そうですよ」

「ちなみに、お仕事は何をなさっているんですか?」

「決まってるでしょ。人間の魂をあの世に送るのが、私の仕事です」

 もう、言葉が出ませんでした。ホントにホントなのか? 嘘や冗談で言ってるに違いない。でも、目の前の彼は、表情一つ変えず真面目な顔をしています。

「冗談ですよね」

「冗談なんかで、この仕事はできませんよ。私は、あの世の神様と地獄の閻魔様から、派遣されてここに来たんですから。ちなみに、私の担当は、日本を含めたアジア全部です」

 冗談じゃないんだ。ホントにホントなんだ。私は、自分の顔が引きつるのがわかりました。

「ビックリしたでしょ。でも、ご心配なく。あなたは、まだまだ生きるので大丈夫です」

 大丈夫と言われても、不安しかない。

「私の仕事は、人の魂をあの世に持っていくこと。そこで、天国なのか地獄生きかを選別します。それは、私の仕事ではないですけどね。私は、人の魂を持っていくだけだから」

「それって、死ぬってことですよね?」

「簡単に言えば、そうです」

「それじゃ、人殺しみたいなもんじゃないですか」

「人聞きの悪いことを言いますね」

 死神さんは、額にしわを寄せて、少し不機嫌そうな顔をしました。

まずい。この人を怒らせたら、私も殺される。

「す、すみません。失礼しました」

「いえいえ、気になさらずに。誰でもそう思いますからね」

 そう言うと、着物の袂からタバコを取り出すと、ライターではなく、人差し指から小さな炎を出してタバコに火をつけて、一服つきました。

「失礼。私の唯一の趣味が、タバコと酒でしてね」

 そう言って、おいしそうにタバコを吸いました。私は、タバコは吸いませんが、父親も吸っていたので特に嫌いではありません。だけど、こんなに気持ちよさそうにタバコを吸う人は、初めて見ました。

「この際だから、言っておきます。私は、人殺しではありませんよ。人には、寿命というものがあります」

 それは、私にもわかる。人は、必ず死ぬ。それが寿命というものです。

「ケガや病気、事件に巻き込まれたり、死ぬ理由は人それぞれ。でも、それは、生まれたときに決まります。人は、生まれたときに、寿命というのができるのです」

「それじゃ、私にも寿命というのがあるんですか?」

「もちろん。あなたが生まれた瞬間に寿命が決まります」

「そんな・・・ でも、私は、そんなこと知りませんけど」

「そりゃ、そうですよ。人間は、自分の寿命なんて知りません。知ってるのは、私のような死神だけです」

 私は、頭の中が混乱してきました。死神さんは、もう一度、タバコを吸うと、いつの間にか取り出した灰皿に灰を落としながら言いました。

「さっきも言ったように、私の仕事は、人の魂をあの世に送るのが仕事です。でも、それは、寿命が来たから魂を取るというだけで、わざわざ生きてる人間を殺したりしません。第一、人間でもない私が、人殺しなど、出来るわけがないんです」

「人間ではない? それじゃ、誰なんですか。まさか、妖怪とか、幽霊とか・・・」

「そんな化け物ではありません。死神は、死神で、あの世から現世に派遣された、魂集配人です。そりゃ、あなたから見れば、恐ろしい存在だろうけど『神』の一人でもあるんですよ」

 確かに、死神には、神という字を書くので、神様の一人なのかもしれないけど、恐ろしい存在には違いない。

「だから、寿命が来た人の魂しかとりません。ちなみに、二葉さんは、自分の寿命を知りたいですか?」

 私は、首を激しく横に振りました。そんなもの知りたくない。重病で余命いくばくもないというならともかく

今は、元気に生きているのです。寿命なんて知りたくありません。

「安心してください。あなたは、まだまだ死にませんから」

 そう言われて、ホッとするとはいえ、なぜだか安心もできません。

「あの、もう一つ聞いていいですか」

「どうぞ、何でも聞いてください」

「死神さんて、年はいくつなんですか?」

「さて、いくつに見えますか?」

 なんだ、この会話は・・・ どっかのカップルみたいな会話だ。

「三十代の後半か、四十くらいですか?」

「ありがとうございます。うれしいですね。二葉さんの寿命を、あと五年、伸ばしたくなりましたよ」

 これまた、どんな返事だ。どこから突っ込んでいいのかわからない。

人の寿命を自由に変えたりできるのか? 寿命を延ばされても、うれしいとは思えない。

「それは、どうも、ありがとうございます。それで、ホントは、いくつなんですか?」

 私は、皮肉も込めて言いました。

「さて、いくつなんだろうねぇ・・・」

 若い女の子じゃあるまいし、中年の男が何を言ってるんだ。私は、少しムッとしました。

「それは、あなた自身が考えてください」

「なんで、あなたの年を私が考えるんですか?」

「だって、私は、自分の年なんて、数えたことありませんから」

 そう言われると、少しだけどわかる。死神という神だから、年齢なんてないのだろう。同じ年齢不詳と言っても、チェリーさんや一文字のおばさんとも違う。

「それじゃ、少し話をするので、聞いてください」

 死神さんは、タバコをもみ消してから、話を始めました。

「私がこの地に来たのは、ずっとずっと昔、二葉さんが生まれるよりもずっと昔のことです」

 私は、思わず、唾を飲み込みました。

「この辺は、何もなくて、草が生い茂っているだけの荒れた土地でした。二葉さんが学生の頃に日本史の教科書に出ていたので、ご存じかと思うけど、あの頃は、どこも戦ばかりで、迷惑したのは農民など、一般人ばかりでした。戦が起きれば、死人が出る。それは、犠牲になった農民ばかりじゃない。敵も味方もたくさん死ぬわけです」

 そんな昔の話なのか? 私は、頭の中で、歴史の教科書を必死に思い出しました。

「教科書で言えば、鎌倉時代よりもずっと前です」

「応仁の乱とかそういう頃ですか?」

「そんなこともありましたね」

 死神さんは、昔を思い出しているのか、感慨深そうに腕を組みながら言いました。

「そのころは、死人がたくさん出るので、死神が足らなくてね。それで、私が日本に緊急的に派遣されたのが最初でした」

 話がぶっ飛びすぎて、ついていけない。

「あの頃は、仕事も楽でした。そこら中に何百人、何千人という人が死ぬわけだから、魂も取り放題。もう、大忙しでしたよ。でも、魂を探す手間も省けるし、ホントにいい時代でした」

 人が死ぬのが、いい時代と言われても、平和な時代に生まれた私としては、ドン引きです。

「その頃ですよ。ここに、家が建ったのは」

「この家がですか?」

「そうです。もちろん、今まで何度も建て直したりしてるので、今のような形ではありませんよ」

「それって、死神さんが建てたんですか?」

「トンデモない。大家さんに決まってるでしょ」

「大家さんて・・・ 今の大家さんですか?」

「ほかに誰がいるんですか」

 それじゃ、大家さんて、いくつなんだ?

「住むところを失った人たちのために建てたんですよ。でも、すぐに戦が起きて焼かれたり、つぶされたりしてね。何度もそんな目に合っても、大家さんは、立て直すんですよ。私は、それを見ていてね、何をやってるのかと思いました」

 またしても大家さんの謎の過去だ。

「それを見ているうちに、大家さんを手伝うようになってね。気がついたら、そこに住み着いていた。死神としては、ここにいれば、楽に魂を取れるしね」

「それじゃ、死神さんは、何百歳とか・・・」

「そうなりますよね。でも、大家さんのが、もっと、年上ですよ。年上というか、あの頃から、変わってないですね」

「どういう意味ですか?」

「それは、直接、大家さんに聞いてみるといいですよ。私が口にすることじゃありませんからね」

 それきり、大家さんのことは、話してくれませんでした。

「このアパートって、そんな昔からあったんですか?」

「そうですよ。正式な住人は、私が初めてじゃないかな。それまで、たくさんの人が出たり入ったりしましたよ」

 確かにそうに違いない。その話が合ってるなら、今日まで、何百人、何千人、もしかしたら何万人という人がこのアパートに住んでいたに違いない。

「その後も、戦国時代があって、徳川の時代があって、一時は、戦がない時代もあったけど、その昔は、今みたいに医学が進んでなかったから、ちょっとした病気が流行ると、大人も子供もバタバタ死んで魂も取り放題で、忙しかったけど、楽しかったですね」

 魂が取り放題なんて、笑顔で言われても、私は笑えない。

「だけど、今度は、戦争が始まって、一瞬にして、何万人ていう人が死んだわけですよ。私としては魂を取り放題だから楽ですよ。だけど、人間は、なんで、自分から死ぬのかわからなくなってね。決して、寿命が来たから死んだわけじゃない。寿命が来てないのに、一方的に、意味もなく殺されるんですよ。そんな魂なんて、あの世に持っていく意味があるのか? 私は、その時、悩みましたよ」

 死神でも、悩むことがあるのかと、ちょっと驚きました。

「私は、寿命が来た魂しかとりません。取っちゃいけないんです。それなのに、あちこちに死人が数えきれないくらい転がってるわけですよ。私の目には、生きてる人間より、魂のが多く見えてね。しかも、成仏できない。そりゃ、そうですよね。寿命が来たから死んだわけじゃない。成仏したわけじゃないんです」

 私は、またしても、ゴクリと唾を飲み込んで、死神さんの話に聞き入りました。

「そんなとき、私は、仕事を放棄したんです。今まで取った魂は、果たして、ホントに寿命が来た魂なのか? もしかしたら、寿命が来てないのに、一方的に命を奪われただけなのかもしれない。そう思うと、この仕事を続けて行く気にならなくなってね。特に、第二次大戦で、日本に原子爆弾が落ちて、一瞬にして死者が多数出た。

あの時は、死神といえども絶句しましたね」

 その話なら、授業で教わったことがある。修学旅行で広島に行ったときに、博物館を見たこともある。

あんな悲惨な戦争は、二度と起こしてはいけないと、子供心に思ったのを覚えている。

「その時、大家さんが言ったんですよ。人は、愚かな生き物なんだとね。同じ人種同士で殺し合うなんて、これほど愚かな行為はない。動物には、他の種族を殺すには、意味がある。生きるために食う。肉食動物と草食動物の関係ですよ。でも、人間は、そうじゃない。人は、人を食べたりしにないですよね」

 私は、静かに頷いた。

「魂にいいも悪いもない。それを裁くのは、神か閻魔だ。お前は、黙って魂を取ればいい。それが、どんなに悲しい仕事だとしても、それが死神の仕事なんだと言われたときは、自分を呪いましたよ。だって、そうでしょ。大昔に戦が起きて、死人が山ほど出たときは、魂が取り放題で楽だとさっき言いましたよね。そんな、取り放題で楽なんて思った自分をずいぶん責めましたよ」

 死神さんは、恐ろしいことをしているのに、なぜだか、この人は、優しい人なのかもと思いました。

「だから、そんな愚かな人間の魂なんて、好きに取っていいんだと、考える必要はない。そう大家さんは言ったんです。でも、私は、この世を何百年と生きているうちに、人間という生き物が少しずつでも、変わってることに気が付いたんです。人は、大家さんが言うほど、捨てもんじゃないってね」

 私は、なんだか歴史の先生に授業を受けているような気分でした。

「だから、安心してください。二葉さんの魂は、取りませんから」

「でも、私は、そんな立派な人間じゃないですよ」

「何を言ってるんですか。あなたがここに来たということが、すでに、立派な行いですよ」

「ここに来たってことがですか?」

「そうですよ。自分は、わからなくても、二葉さんは、ここの住人になる資格があるんです。そうじゃなければ、ここに来ませんよ。もちろん、出て行くのも、あなたの自由ですけどね」

 なんだか謎かけみたいな話になってきた。

「さて、私の話は、これでおしまい。あっ、でも、最後に一つ、よろしいですか?」

 死神さんは、そう言って、立ちかけたのをもう一度、座り直した。

「人は、二度死ぬって意味、わかりますか?」

「二度ですか・・・人は、二回亡くなるってことですか?」

「そうです」

「一回じゃないんですか?」

「いいえ、人は、二度、死ぬんです」

 私は、首を傾げて考えてみた。でも、人は、必ず死は訪れるけど、それは、一回だけのはず。

「少し前にやった、アニメの映画は見たことありませんか?」

 そう言われて、私は、思い出した。

「あっ! それって、リメンバーミーって映画ですよね」

「ご名答。アレは、いい映画でしたね」

「確か、あの映画にも、そんなような話がありました」

「そうです。よく見てますね。いいですか、人は、必ず死にます。でも、それは、肉体が滅びただけで、魂は生きているんです。つまり、体というのは、ただの入れ物なんですよ」

「入れ物?」

 自分の体を入れ物と言われて、ちょっとムッとしました。自分の体は、自分のもので、入れ物ではない。

「そうです。魂は、自分で動いたり話したりできないんです。だから、代わりに自分の意思を伝えたり、動いたり話したりできる入れ物が必要なんです。しかし、その入れ物は、年を取るにつれて、劣化していきます」

 私は、死神さんの話を聞いていると、人体の不思議みたいに感じました。

「そして、死が訪れます。しかし、それは、肉体が死んだだけで、魂は生きている」

「でも、目に見えませんよね」

「そのとおり。人の目には、見えません。でも、魂には、あなたのことがみえているのですよ。ご実家に、仏壇はありますか?」

「ハイ、ありますよ」

「そこには、遺影は飾っていますか?」

「祖父と祖母の遺影があって、毎朝、手を合わせていました」

「二葉さんは、おじい様とおばあ様のことが好きだったんですね」

「ハイ、大好きでした」

 私の両親は、仕事で忙しい人なので、小さい頃は、祖父と祖母が親代わりで育ててもらいました。

親に怒られて泣いている私を、優しく抱いて慰めてくれたおばあちゃん。

寝るときに、いつも絵本を読んでくれたおじいちゃん。目を閉じると、あの頃のことを思い出して今でも泣きそうになります。

「お二人の魂は、まだ、あの世で生きて、孫のあなたをいつも見守っています」

「そうなんですか」

「もちろんです。でも、二葉さんが、お二人のことを忘れてしまったら・・・」

 死神さんは、そこで話を区切ると、静かな口調で言いました。

「本当に死ぬんです。あの世からもね」

 私は、ゴクリと唾を飲み込んで、死神さんの話の続きを聞きました。

「それが、二度死ぬという意味です。現世のあなたに忘れられた時、本当の死となります。それが、二度目の死という意味です」

「私、忘れません。おじいちゃんとおばあちゃんのことは、忘れたくないから、絶対、忘れませんよ」

 思わず、言い返していました。しかし、死神さんは、黙って頷くだけでした。

「仏壇に遺影を飾って、手を合わせているだけで、きっと、満足しているでしょう。そして、お盆やお彼岸の時にあなたに会いにあの世から来るんです。あなたのおじい様とおばあ様は、とてもいい方なんですね」

 魂を取るのが仕事という死神さんから、褒められるとなんかうれしいような、照れくさいようななんだか背中が痒くなってきます。

「二葉さんは、決して、お二人のことを忘れてはいけませんよ。それと、入れ物である、その体は、親からもらったものだから大事にしてくださいね。それと、一つしかない命は、決して、無駄にしてはいけませんよ。魂だけになった、二葉さんとは、会いたくないですからね」

 そう言って、ちょっと笑うと、立ち上がった。

「それじゃ、これで、ホントに私の話は、おしまいです。失礼」

 そう言って、死神さんは、二階に上がっていきました。

私は、なんだか力が抜けて、ホッと息をつきました。

「なんか、疲れた・・・」

 私は、独り言のように呟くと、部屋に戻ろうと廊下を歩きました。

その時、玄関が勢い良く開いて、元気な男の子の声がしました。

『ただいま、腹減ったぁ・・・』

 玄関の前を通った時、その男の子・・・ 言え、女の子? と目が合いました。

それが、五号室の住人との、運命の出会いでした。

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