第5話
さてと、と再び一人になった千代子は後ろのグループを振り返った。雛子の周りには三人の女子がひっきりなしに話しかけ、笑顔を振りまいていた。どんな話をしているのだろうかと耳を澄ましてみても、周りの喧騒が邪魔して聞き取ることはできない。
輪の真ん中で雛子は愛想よく笑って、言葉を返していた。楽しそうな表情で、それでいて慎ましい笑顔。自分と一緒にいたときは見せなかった笑顔がそこにはあった。
けたけたと笑う女子の一人が雛子と腕を組んだ。夏の蒸した気温で汗ばんだ腕が雛子の腕に絡みつく。
不意に、千代子の胸の奥に奇妙なざわめきが起こった。見えない手が心臓をぎゅうと掴むような感覚があった。思わず千代子は生唾を飲み込んで踵を返し、一人その場を離れた。
――どうして逃げてしまったのだろうか。自分でもよくわからない感情が身体の中で小さく跳ね返る。
苦しい、というよりも悲しい気持ちが胸の中で渦巻く。
人混みから逃げるように千代子は一人になれる場所を探して歩き回った。そうして見つけた屋台の裏側に回り込み、大きな木の影に隠れる。
深く、呼吸を繰り返し、胸の奥にあるものを吐き出す。それでもすっきりはせず、喉元にしこりができたかのように引っ掛かる。
(――あなたが好き)
雛子の澄んだ声が耳元でリフレインする。――どうして、と千代子は思う。どうしてそう言ったのに、雛子さんは他の人と楽しそうに笑っているのですか。
目を閉じると、その静かに微笑む横顔が瞼の裏に蘇る。耳を澄ませば、あの囀るような優しい声が鼓膜に跳ね返るようだった。
身体の芯が熱くなる。とくんとくん、と自分の心音が聞こえるような気がした。
千代子は自分の心を理解できなかった。それを言葉にすることもできなかった。それはきっと言葉にしてしまうことが怖かったからでもあった。
はらりと涙が浮かんだ。
「――どうしてですか」
一人、ただ意味のない言葉を呟いた。
自分の中にある不可思議な感情と、そして醜い感情の発露は、千代子の心を乱すには十分なことであった。
掌で涙を拭う。母にしてもらった化粧が少し肌に着いた。懐から淡いブルーのハンカチを取り出して目元を抑え、千代子はゆっくりとまた元いた場所へ戻っていった。
――今日はもう帰ってしまいましょう。そうして家で少し考える時間を持ちましょう。
そんなことを考えていると、顔を見知った二、三人の女子のグループが視界に入った。雛子も紗枝の姿もなく、あまり喋ったことのない人たちだった。
誰かに声をかけて、先に帰ることを告げようかと迷っていると、不意に自分の名前が耳に入った。
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