第3話

「あら、鳩が豆鉄砲を食らったといった顔ね」


 そう何事もなかったかのように雛子はくすくすと笑い、また再びあてもなく歩き始めた。手を引かれて、千代子はその歩みに合わせて歩く。


 ――その言葉はどういう意味でしょうか。


 千代子の頭の中で先ほどの雛子の言葉が繰り返される。その特別とも思える言葉と感情に、千代子の心は動揺し、揺れていた。


「――今日は花火があるのよね。あぁ、そう言えば皆はそれが目的だったわね」


 だけど、雛子はさっきのことはまるでなかったかのように、いつもの調子で世間話を始めてしまう。


「えぇ、そうですよ。今日は花火大会があるから、縁日に来たのですから」


 千代子はさっきのことを聞き返すこともできずに、雛子の言葉に頷き、相槌を打つ。その度にどこか雛子の期待を裏切っているような気がして、内心千代子は気が気でなかった。


「――あ、千代子に雛子さん。どこに行っていたのよ」


 不意に呼び止められ、千代子は慌てて雛子の手を離し、振り返った。


「紗枝さん……。ちょっとはぐれてしまっていました」


 黒い浴衣に褐色の肌。日焼けした髪がほんのり茶髪に見える紗枝が千代子たちを見つけてたったと駆け寄る。活動的な彼女には少し浴衣は動きにくそうであった。


「それで雛子さんに連れてきたもらったの? 世話の焼ける子だね。ありがとう雛子さん」


 いいえ、と雛子は微笑を浮かべる。紗枝の後ろからグループの女子たちが次々と合流した。


「――あ、雛子。どこに行ってたの? みんな探してたんだよ」

「あっちで金魚掬いがあってね」


 たちまち、雛子の周囲に女子が集まり、追いやられた千代子は雛子から離れて、一息ついた。

 千代子は思う。これが私と雛子さんとの適切な距離なのだ。先程のような立ち位置は、自分には刺激が強すぎる。遠くに咲く花だからこそ眺めていられるというものである。


「どうしたの? 千代子」


 紗枝が千代子の顔を覗き込んで訊ねる。千代子は首を横に振って、遠くの雛子を眺めて微笑む。


「何でもありませんよ」


 それは何かの間違いだろう。多くの人に囲まれて愛でられる花のような雛子の姿を眺めて千代子は思う。雛子の言葉は、きっと一人で寂しく生きる雑草のような私に気を使ってくれたのだろう。


 ――好きと言われたことは今までなかったものだから、少し勘違いをしてしまうところでした。


 隣に立つ紗枝は小首を傾げて腕を組む。それを見た周りの女子がやいのやいのと紗枝をからかう。淑やかな名前と正反対だというのだ。紗枝が不服そうに口を膨らまし、眉を顰める。

 紗枝、とは確かにどこか柔らかい印象を受ける名前である。絹糸を織った真っ白な生地を広げたような、そんな印象。名前の響きと比べてみれば、なるほど確かに正反対と言えるかもしれない。

 運動部で活躍し、体育のチーム分けでは引っ張りだこ。高身長に鼻筋の通った顔立ちは、雛子と同様に男子にも女子にも人気であった。故に雛子と紗枝はクラスの人気者の双璧と言えた。

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