ブルーの行方
二度東端
ブルーの行方
ブルーな気分――という言葉がある。
僕は今ひとつ、この言葉にはピンと来ていない。一般的には落ち込んでいる状態を表しているような認識だが、その状態に至るまで、ブルーつまり青が示すような事象よりも、赤が意味するような、許容できない事象が発生しているケースが多いからだ。ブルーな気分というよりは、ブルーという結末――というのが正しいように思う。
言葉遊びの範疇かもしれないが、テストで赤点を取った結果、ブルーになる――といったように。
僕が今時分、なぜそのような巡り巡らせを改めてしていたかというと、まさに今いるこの職場が、ブルーに覆われていたからだ。特に、開発室の受付台に両手をついている営業部の川嶋の顔は、まさに青ざめていた。
今思えば、その予兆はあった。
先々週の金曜日、僕が遅れた盆休みに突入する前日である。
開発室の奥にある僕の部屋、一応の室長室に総務部長の三神玲子――通称・女史が飛び込んできた。いつもは開発室の入口で訓示と言う名の暴言を開発室メンバーに吐き捨てるか、社内メールで僕に嫌味ったらしい書類の催促をするパターンの多い女史が、一直線にこの室長室にやってきたのだから、ただごとではないだろう。そして、おそらくロクなことでもない。
「ネットニュース、見た?」
挨拶もなしにそう言い放った女史であったが、PCもタブレットも机になく、漫画本を積んでいるだけの僕のデスクを見て片手を上げた。
何も言わないのも無碍が過ぎるので、一応の推測を投げてみる。
「どしたの、ついに訴えられた?」
ちょうどその頃、当社で好評稼働中のソーシャルゲーム『スタークールガールズ』、通称スタクルのシステムが、他社のシステムをパクっているのではないかという疑惑がSNS上で盛り上がっていた。
これについては疑惑ではなくまさに真実ではあったのだが、知的財産権や特許の要件などはすり抜けているという結論で、上層部としてはブラックボックス化に成功したはずなのだが。
僕の言葉を聞いた女史は無言で再度片手を上げ、持っていたタブレットを僕の前に突き出した。週刊誌のニュースが載っていた。
『人気アイドル真島ほまれ、IT社長と熱愛か!?』
そのニュースのトップには、我が社のCMに出演してもらっているアイドル・清廉セイレーン真島ほまれの写真と、僕が10年前からすでに見飽きている顔が並んで記載されていた。
「人気アイドルグループ、『清廉セイレーン』のリーダー・真島ほまれが、自らがCM出演しているIT企業、レッドバンク社長の赤木隆平と深夜の個室居酒屋で――」
僕がそこまで声に出した瞬間、女史のチョップが僕の首筋を捉えた。
「マスコミが来てる」
「僕にどうしろと」
「一応副社長でしょ、何とかしてよ」
「結婚式場でも手配すればいいの?」
僕の軽口に女史も諦めたようだった。まぁ、本気で僕に頼るつもりはなかったのだろう。
「葬儀場の方が良いかも」
そうブラックジョークを置き土産に、颯爽としつつも怒りを含んだ歩調で女史は部屋を去った。誰の葬儀なのかは気になったが、触れる暇がなかった。いつも冷静冷徹な彼女がタブレットを忘れていったあたり、結構な怒りなのは間違いなかったけれど。
さて――である。
女史からそんなニュースを聞かされたところで、僕が何かをしなければならない――といったことはなかった。開発室を見渡すと、作業がところどころで止まり数人で会話をしている様子が伺えた。各位が端末を覗き込んでいるところを見ると、おそらく件のニュースに纏わる話だろう。
そんな中、一番室長室に近い窓際のブースに、一人佇んでコーヒーを煽っている男が居た。開発部システム課の白山だった。全てにおいて非がないようなIT業界には珍しい明朗快活な男で、部署のホープだったが、その表情を見る限り今はそうでもなさそうだった。
彼はまたコーヒーを淹れに行った。戻るなり、それを一気に煽っていた。
普段あまりそういう仕事はしないのだが、部下の調子を勘案するのも上司の仕事ではあるだろう。特に、彼のような有能な人材を手放すようなことがこの業界では命取りになるということは、流石の僕でも知っていたから。
「まだカフェインに頼るような時間じゃないのでは?」
僕が声を掛けると、白山は少し驚いた表情を見せた。近づいていることに気づいていなかったようだ。ぼんやりとしている。
「ああ、室長。やけコーヒーです」
「酒にしないあたり、まだ節度があるね」
「仕事中ですから――といっても、仕事にならないんですが」
理由を聞くと、まさに件のニュースにタイムリーであった。
白山は清廉セイレーン、特に真島ほまれの大ファンだったらしい。そう安くない給料を彼に払っているはずだが、そのほとんどは彼女に費やされているという事実を知ることになった。
「ほまれちゃんと一緒に酒を飲んでいる男がいるのに、僕は一人でコーヒーですよ」
一瞬、酒を飲んだだけで終わっていないのでは――というツッコミを用意しかけたが、これ以上ホープの傷口を拡げる訳にはいかないので、そっとしまいこんだ。
窓の下に目をやると、女史が言っていたようにマスコミが来ているようだった。無論、会社としてどうこう応える義務はないのだけれど。
「白山、帰るなら帰ってもいいけど」
「帰る気力すらないですよ。というか、日曜日セイレーンの握手会なんですけど、どうなるんでしょうね」
知らねえよ――の言葉で切り捨てるのも可哀想だったが、他に掛ける言葉もなかったのが事実だった。
「推し変でもしたらどう?」
とりあえずの軽口だった。白山はそうですね、と笑った。
「あ、会社の推し変はやめてね」
続けたこの軽口には笑わなかった白山の肩を叩き、僕は開発室を出た。
ノックもせずに社長室に入ってきた僕を見て、社長の赤木はため息をついた。普段から健康そうな顔色はしてないタイプだったが、いつもより白い顔をしているように見えた。
「どうしたの、飲み過ぎ?」
僕の渾身ジョークに赤木は項垂れた。そしてまた、ため息を付いた。
「女史が怒ってたよ、色々と」
「女史が俺に怒っていないことなんかあるのか」
「色々な意味で責任を取れば、その状態は解決するね」
「やめてくれよ……」
赤木は頭を抱えた。
僕と、この社長――赤木と、女史――三神は大学のゼミの同期であった。入学以来十年来の付き合いになる。年がら年中研究室に一緒に居た間柄で、知らないことはほとんどない。特に、僕は一番多くのことを知っているだろう。
女史と赤木が大学時代から交際していることに始まり――だ。多くのどうでもいい情報をそれぞれから聞かされていた。
「結婚式のスピーチ原稿、書き直さなきゃダメかな?」
「お前に頼むとは一言も言ってない」
「あ、そうか。相手が女史じゃなくなるから、僕じゃなくてもいいのか」
赤木は呻き声をあげて机に突っ伏した。彼のこういう姿を見ることはあまりなかったので、僕は思わずスマホを取り出し写真に収めた。シャッター音を聞いて彼は身を起こした。
「何をしてる」
「マスコミに売ろうかな」
「やめろ」
「じゃあ、SNSに上げるかな」
「それもやめろ」
赤木は端末に向き直った。それでも表情は冴えない。
「今日はブルーマンデーならぬ、ブルーフライデーだね」
「月曜日の株価が心配だという点では、早めのブルーマンデーだな……」
「正確には、フライデーでブルーか」
とっさのジョークに対し恨めしそうな睨みつけをする彼を尻目に、僕は社長室を辞去した。
開発室へ戻ったものの、特にやることはなかった。とりあえず、先程の写真を社内メールで女史に送りつけた。「弱ってる!今がチャンス!」というコメントを添えて。
僕は会社のルールには従う男なので、社長の指示通り、マスコミに売ってもいないしSNSに上げてもいない。
送って1分もしないうちに、開発室向かいの事務室から女史が飛び出すのが見えた。遠くからでも足音が聞こえそうな足取りで、社長室の方角に向かっていった。
何が起こるのかは知る由もないし、どういう顛末になろうが知ったことではなかった。僕は昔からそういうスタンスだ。特に今日は、明日からの遅い盆休みに僕の意識は向いていた。
8月27日、月曜日。つまり今に話は戻る。
9連休の余韻に浸るように僕は遅刻をしてしまって、開発室に到着するなりブルーに覆われた惨状を目にした。連休中は一切の連絡を断つというのが僕の主義なので、休んでいる間に何があったのかは知らない。
受付台に両手を掛け青ざめていた営業部の川嶋が、僕を見つけるなり事の顛末をまくしたてるように説明した。どうやら、スタクルの仕様に関する問題らしい。
CMで起用していた清廉セイレーンの名に掛けた、『お盆の海魔女(セイレーン)流し』というイベントを一昨日昨日で実施したのだが、ガチャの排出率が異常に高く、全く課金しなくてもレアなカードが排出されすぎるという事態になっているようだった。サーバー監視システムに異常はなく、今日出社した運用班がその事実に気づいたらしい。
「これじゃ大赤字ですよ、長期的に見て」
川嶋が泣きそうな顔で僕に言う。不謹慎だが、赤字で青ざめるというのは面白い表現だった。
次に、運用班リーダーの時田が僕のもとにやってきた。
「すみません室長、こんなことになるとは」
「原因は?」
「仮想ゲームエンジンで検証したところ、排出プログラムの下部構造にイレギュラーがあるところまではわかったのですが、複雑化されててまだ解明までは……とりあえず、メンテナンス状態にして運用は止めています」
「担当は?」
「白山です。先週の月曜日から体調不良らしく、ずっと有給扱いにしてるんですが……」
その瞬間、海魔女流しというイベント名が改めて頭をよぎった。
掛けた言葉は、精霊流し。
どうやら白山は、盆提灯の大サービスをしてくれたようだ。それが意図的かどうかは、触れるだけ野暮と言ったものだろう。
白山を責めるだけなら簡単だが、一人の人間が作ったプログラムが、多数の要員やシステムの目をくぐり抜けているという事実に対しては、開発室としての責任もあるだろう。休み明けでいきなり本気を出すような状況にまで追い込んでくれた部下の技量には、ある意味感謝しなくてはならないのかもしれない。善悪はさておき、彼は優秀なエンジニアといての技量を見せた。
しかし、エンジニアリングにおいては僕も一家言ある。
ポストがないから僕が開発室長をやっていると思っている部下がいるという話も最近聞いたので、ここは腕前を見せつけて、この窮地を乗り切るしかないのだろう。
僕は久しぶりに、開発室の端末から僕の開発エンジンにログインした。
その瞬間、エンジニアが最も嫌う青色が、画面いっぱいに広がった。
この瞬間、僕はブルーな気分という言葉に、初めてピンときたのであった。
ブルーの行方 二度東端 @tohtan_tohtan
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