第一章 竜との対峙、廻る命

第一話 決意


「兄が仕事中に死んだ?」


 町のはずれにある小さな家。

 もともとはとある老夫婦が住んでいたこの家で、髪はオールバックで眼鏡をかけ、かなりお高そうな服をまとった華奢な男がポツリとこぼした言葉にノアは、時間が止まったような感覚になった。


「ええ、数日前に彼に重要な任務を任せました。彼の魔法なら1日で帰ってこれる任務でした。それがいつまでも帰ってこないので捜索隊を派遣したところ、これが見つかりました」


 華奢な男は、テーブルの上にドッグタグを置いた。

 兄が1日で帰ってくるといっても2.3日帰ってこない日が頻繁にあった。

 だから今回もそうなのだろうと思っていた。

 そう思いたかった。

 目の前に現実が置かれるまでは。

 

「彼の武器も見つかりましたが、ここまで持ってくることはできませんでした。かなり重かったので。ギルドに保管してあるのでいつでも取りに来てください」


 冒険者という職業は死と隣り合わせだ。それを理解はしていても兄の死は納得がいかない。

 平和の象徴だったのだから。

 この国で最強だったのだから。


 現実を突きつけられ、思考が廻り、聞きたいことが口から自然に湧き出す。


「ギルマス。兄は何に殺されたんですか?なんで一人で行かせたりしたんですか?」


 華奢な男改めこの国の冒険者ギルドのギルドマスターのフィクスはゆっくり言葉を紡ぐ。


「君には話しておくべきでしょう」


 フィクスは顔を上げ、テーブルに肘をつき顔の前で指を交差させて手を組む。

 こっちをじっと見るその目からは光が失われて、吸い込まれてしまいそうな黒が広がっている。

 フィクスも兄の死はショックなのだろうとノアは思った。


「くれぐれも内密に。今、大陸を襲っている魔物の出現理由がここから北にある霊峰ラコンにあるかもしれないということが分かりました。その調査隊の一員にこの国で一番信用できる彼を抜擢しました。彼が承諾した時点で、ほかに受けていた冒険者は……みな辞退しました。パーティを組めとは今まで何度も言いました。一人なら行くなとも。ですが止めることができませんでした。申し訳ありません」


 ノアは兄が一人でいる理由は知ってる。

 ただ感情がごちゃごちゃしすぎて、つい聞いてしまったのだ。


「こちらこそすみません。兄が一人で活動してる理由は知ってます」


それで死因はわかってるんですか?とノアは続けた。



「……トカゲです」


「は? トカゲってあの?」


「私は実際に見てはないですが、大きな翼を持ったトカゲがいたと」


 ノアは、無言でうなずき先を促す。


「私は、それを聞き古い文献を漁りました。それで特徴が一致する魔物が見つかりました。――ドラゴンという魔物です」


「……ドラゴン」


 噛みしめるようにその名を口にする。聞いたこともない名前だ見た目の想像もつかない。


「ええ、竜と呼ばれるそれは遥か昔から存在していて今もなお生きていると」


「そのドラゴンってやつが兄を?」


「おそらく。これから詳しく調べて改めて討伐隊を組む予定です」


「あまりこういうことは言いたくないですが、兄貴が倒せなかった魔物なんですよね?」


 前のめりで話を聞いていたノアは、腕を組みながら椅子の背もたれに体を預ける。


「言いたいことはわかります。ですが、誰かがやらねば大勢の人が死んでしまいます」


 兄が負けるくらいだ、そんなのが来たらこの国にいる冒険者では太刀打ちできない。


「魔物の出現で大陸内の国々は戦争をやめこの国と和平交渉を結んでいると聞きます。大陸中から強者を募っては?」


「一考の余地がありますね。この話は一旦ギルドに持ち帰らせていただきます」


――それでは、そろそろ。


 そう言ってフィクスは席を立ち玄関に向かって歩き出す。

 ノアも立ち上がり後を追う。


「今回の件は誠に残念です。心よりお悔やみを」


 玄関から外に出たフィクスは振り向き深々と頭を下げる。


「恐れ入ります。明日にでも兄の武器取りに行きます」


「承知しました。受付に伝えておきます。では、失礼」


 ノアはフィクスの姿が見えなくなるまで見送った。


「残念、残念ねえ。じゃあ、どういう死に方をすれば残念じゃなくなるんだよ」


 そんな独り言をつぶやきながら、ノアは部屋に戻る。



 フィクスが出ていきしばらくして玄関がノックされる。

 ノアが玄関を開けるとそこには、見慣れた顔が並んでいた。


 昔からの顔なじみのトリフィム・グランバトン、ジョー・ベルウッド、エニ・クラシス。ノアと一緒に冒険者パーティを組んでる面々だ。


 頭にバンダナを巻き、夕陽のような色の髪をしたトリフィム。なぜだか襟の立った服を着ている。

 すらっとした高身長で、墨を落としたかのような黒髪で、誰に対しても敬語で話すジョー。

 パーティ唯一の女性のエニ、淡い桃色の髪を後ろでゆったり結んでいる。ジョーの隣にいるからか背がかなり小さく見える。



「聞いたぜノア大丈夫か?」

「今日くらいは一人の方ががいいかとも思ったんですけど、結局来てしまいました」

「ノア君、家に入れてよ」  


「鶏肉にジョー、エニも来たのか、もてなしとかできないけど入っていいよ」


 せっかくの親切を無下にはできない。


「お邪魔しまーす」

「失礼します」

「邪魔するぜ、あとトリフィムな俺、誰が鶏肉だ」


 ノアは、パーティメンバーの前にコップ一杯の水を置き、自分も席につく。なんだかんだでもてなそうと思ったが、ギルマスをもてなしたばかりでノアの家には何も無かった。


 そんなこと気にしてるのはノアだけだが。


「ノア、大丈夫か?」


 たった一言だが、ノアを心配してくれているのはその表情から伺える。


「うん。意外と大丈夫なんだ。なんかいなくなったって気がしないんだ。もともと仕事でお互いほとんど家にいなかったし、家族が他にもいれば欠けた方を思い出したりするんだろうけど、俺には兄貴しかいなかったからね」


 このセリフに嘘はない。

 ただほんの少し、悲しみを消すための強がりが混じってるだけだ。


――それに、とノアが続ける。


「さっきまでギルマスが来ててね。話してるうちにやりたいことが見つかったんだ。悲しんでる暇なんてないよ」


「何の話です?」


 ジョーが少し前のめりになって聞いてくる。

 まあ、ジョーは特に気になるだろうな。



「内密にって言われたけど、まあ、お前達だしいいか」


「お前そういうとこあるよな」

「ノア君っぽいねえ」


 鶏肉とエニが呆れているが、かまわずギルマスに聞いた話をノアは全て話した。

 鶏肉よ呆れるのは良いけどその目をぐるって回すのやめてよ。怖いわ。


「ドラゴンねえ…」


「トカゲみたいな見た目ってことはそこまで大きくないんですかね」


 ジョーが顎を触りながら何かを考えている。

 鶏肉は絶対何も考えてない。何がドラゴンねえ……だよ。


「ノア君のやりたいことってさ……」


 エニがノアの顔を覗き込む。

 普段のほほーんとしているエニだがこういう時は勘が鋭い。


 ノアは無言でうなずく。


「なるほどなあ、それって当然俺達も一緒に行っていいんだよな?」


 鶏肉がニコッと歯を見せて笑う。親指も立ててる。襟も立ってる。


「むしろ俺からお願いしたい。兄貴が倒せなかった相手だ、当然死ぬ可能性がある、それでも来てくれるか?」


「もちろん行くぜ大将」

「当り前じゃないですか」

「当然だね~」


「ジョー、エニ、ありがとう」


 ノアは深々と頭を下げる。


「あれ、俺は?」


「ふふ、冗談だよ。鶏肉もよろしくね」


「トリフィムね。じゃあ、そうと決まれば準備もあるだろうし、しばらく普通の冒険者業は休んで、一週間後に北門前に集合でどうだ?早くいかないとドラゴンってやつが逃げちまうかもしれないしな」

 

 上機嫌な鶏肉が仕切り始める。一週間後に指定したのは彼なりの気遣いだろう。


「そうしましょう。じゃあ、そろそろお暇しますね」

 

 ジョーが立ち上がる。それにエニと鶏肉が続く。


「またね、ノア君」

「しっかり寝ろよ」



「みんな今日はありがとう。来週はよろしくね」


 ノアはみんなを見送り、部屋に戻る。

 みんな身内を亡くしたばっかりのノアを心配して集まってきてくれたのだ。

 話してる時も決して暗い雰囲気にならないようにという気遣いも見れた。

 ノアは自分は幸せ者だと思った。


 玄関のカギは閉めていない。

 ふらっと帰ってくるのではないかと心の隅で思っていたからだ。しかし、その甘くない現実に感情が追い付いてきた。


 「なあ、兄貴。死後の世界ってのは兄貴が帰ってこれないほど遠い場所にあるのかよ…」

 

 思い出すのは仕事に向かう兄を見送った時のこと。

 特別なことなんて何もない、ただただ無造作に切り取られた平穏な日常の一断面。これが永遠に切り取られてしまった。

 鍵の開いた玄関に向けた目からは、悲しみの色に満ちた雫が流れ落ちる。

 「意外と大丈夫」――そんな訳ないのだ。


 すでに日が落ち、町は闇に包まれ、魔法による灯りがゆらゆら揺れている。


 「ドラゴンか……」




 闇に溶けるその声はいったい誰のものか。

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