第24話 再びのお引越し

 ――そういえばこの時代、マフィンって流通してたっけ!?


 翌朝、ふと目を覚ました布団の中で突然「はっ!?」とそんなことを思った。


 あれ、カップケーキはある?

 マフィンっていつから?


 やっべ、なんか時代改竄かいざん的なことしちゃって……、いやマフィンひとつ作ったくらいでそんなことにならないよな。


 ……ま、大丈夫か!!

 

 俺別に、マフィンだなんだの名称も特に出してないし。

 しかしなんか、あれだよな……。

 なんとなくレシピを覚えてるから手癖で作っちゃうけどさ。

 材料もそんな複雑なものじゃないし。


 とはいえ、あんまり先の時代を行き過ぎたお菓子は外に持ち出すのはやめよう……。

 食べたい時は家の中だけ。

 と、朝からそう心に固く誓った俺だったのだが。



 ◇



 初等部5年生で同じクラスになり、必然的に一緒にいることも増えた俺と蒼梧にはいまや、毎日のなんとなくのルーティーンができていた。

 昼食後は学苑内の中庭にある四阿あずまやで休憩し、放課後は行きたい時に紫雲亭に行ってお茶したり勉強したりする。


 そうしてその日も、昼食を食べた後、定位置となった四阿あずまやで休憩をしていたのだが。

 

「やる」


 と蒼梧がそう言うと、とん、と俺の目の前に包装紙に包まれた小さな小包を置いた。

 

「昨日の礼だ」


 とそっけなく言って。

 そうして、当の蒼梧はまた、手元の本に目線を戻した。


「…………」


 一瞬、ここで開けていいのか? と聞きかけて――やめた。

 こいつが後で開けろと言わない時は、別に今開けても構わないと言うことだ。

 それくらい、尋ねなくても察せられるくらいの関係が、俺と蒼梧の間にはできていた。


 かさかさと乾いた音を立てながら、丁寧に包装された包みを開くと。

 中から出てきたのは、紅茶缶だった。


「うちの母親が最近ご執心なんだ。美味かったからお前にもやる」


 と。

 本から目線を動かさずに蒼梧が言った。


 紅茶かあ……。

 

 かぱりと蓋を開けると、中から溢れ出た芳しい香りが、すうっと鼻の奥を抜けていった。

 

 そのまま飲んでもいいし、紅茶パウンドケーキも紅茶とオレンジピールのマフィンも美味しいだろうな……。


 においに釣られて、一瞬でお菓子の世界に旅立ちかけた俺だったが、ふと現実に立ち戻り、蒼梧に向かって「ありがとうな」と礼を言った。


「……美味かったからな」


 と、短く答えたそれが。

 蒼梧がくれた紅茶のことではなく、昨日俺が渡したチョコチップマフィンのことを指していたのだと気づいたのは、俺が家に帰宅した後だった。


 仕方ない。

 今度紅茶のお菓子を作ったら、また蒼梧にも分けてやるか。


 そう思いながら、夕食後に淹れた蒼梧からもらった紅茶は、とても良い香りがして美味しかった。



 ◇

 


 月日が流れるのは早いもので。

 来月には菊華の華桜学苑入学をひかえる時期となり。

 それを機に、離れに移していた子供部屋を、母家おもやの洋館に戻すことにした。


 継母がいなくなったことで菊華を母家から遠ざける必要がなくなったのと、単に和式建築で作られた離れの修繕の時期が来たからだ。


 修繕中、勉強に集中しづらくなるのなら、いっそ母屋に部屋を戻そう――ということで、母屋に戻ることになったのだが。


「菊華は、お兄様の隣のお部屋じゃないと、嫌です」


 と言って、菊華が聞かなかった。


 ちなみに、俺の部屋が北側の角部屋で、西隣が白百合の部屋、南隣の部屋が家長である父の居室だ。

 それはもともと、菊華がこの家にくる前からの部屋割りで。

 菊華の部屋は、階段廊下を挟んだ南側の部屋――もともと、早苗さんが使っていた部屋になる予定だった。


「菊華? ”菊華”じゃなくて?」

「わ、わたくしは……」


 最近は、ちょっとした言葉遣いも折にふれて直すよう指導をするようにしている。

 日々の言葉遣いは心を移す鏡ですから!

 あと特に菊華は、いつまでも自分を”菊華”呼びする癖が抜けなくてね……。


 ……まあ俺も、あんまり人に偉そうなことばっかり言えないんだけど。


わたくしも、お部屋はお兄様のお隣がいいのです……」


 俺が菊華の前にどんと構えて聞いていると、菊華はたどたどしくも遠慮がちに言葉を続けてきた。

 更に言うと、俺の隣には白百合がいて。


 白百合が「お兄様、私のお部屋を菊華ちゃんに譲りましょうか?」と今にも言い出しそうな顔でちらちらとこちらの様子を伺っている。


 ――うんうん。

 いい傾向です。


 菊華も、わかっているのだ。

 自分の言っていることが我儘であると。

 そして、それが俺や白百合を困らせるのだと言うことも。


 それを分かった上でも主張するところは菊華らしいとは思うが、ちゃんと自分のしていることが他人にどういう影響を与えるかを考えられるようになったのはとてもいいことだ。


 原作の菊華だったら、何がなんでも我を通していただろう。


 それとは逆に白百合の方はと言うと、原作であれば優しさと気の弱さ故にすぐに『譲る』と菊華に言い出していただろうが、いまの白百合はそうはせずに様子を伺っている。

 

 優しさや、弱さを知るだけでは貴族社会を立ち行けないことを学んでいるのだ。


 自らが『菊華ちゃんに譲ってもいい』と言い出すことで、それは違うと俺にたしなめられることをわかっている。


 ――ふたりとも、ちゃんと俺の教えを受けて成長してくれていて、お兄ちゃんは嬉しいよ……!


 そんな、小さな喜びを胸の内で噛み締める俺を前に、じりじりとこちらの言葉を待つふたりに向かって、俺はおもむろに折衷案を出した。


「わかった。じゃあこうしよう。いま俺が使っている部屋を菊華が使って、菊華にてるはずだった部屋を俺が使う」


 ふたりが、何をどう思って俺の部屋の隣が良いと思っているのかはわからないが、隣の部屋であることが優遇されていると感じるのであれば、どちらも隣でなくなればいいのだ。


 そしてふたりが隣同士の部屋になるなら、平等だし公平だ。


 かつ、俺的にはもと夫人室である早苗さんの部屋の方が広くて日当たりもいいので、個人的にも嬉しい。

 一応言っておくが、これは決して私利私欲での部屋割りではなく、あくまでも妹ふたりの平等を期すための措置なんだからな!

 

 ほんとだぞ!



 ◇



 とまあ、そんなこんなで。

 菊華の初等部入学を前に、再び母家での一人部屋生活が始まったわけであるが。


「お兄様……」


 新しいお部屋に慣れなくて、一緒に寝てもいい――?


 ………………。


 どうやら、何かあると菊華が夜中に俺の部屋を訪ねてくるのは、恒例行事になったみたいです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る