第20話 継母の退場

『蓮』


 とびゃくが俺を呼んだので、とうとうこの日が来たかと思った。


「食事時にすみません」


 父と妹たちに向かってそう一言断りを入れて席を立つ。


 晩餐時、女中に頼んでいた毒の混入がうまくいっていないと感じている継母は、そろそろ痺れを切らすのではないかとずっと思っていた。

 だからびゃくに、定期的に継母を見張ってもらっていたのだ。


 食堂を出て廊下を進んでいくと、片隅で小さく揉めている声が聞こえてくる。


「お貸しなさい……! 私が入れると言っているでしょう!」

「奥様……!」


 言うことを聞かない女中に対して、継母が頬を引っ叩こうと大きく手を振りかぶる瞬間が見えた。

 その時。


 パン! と。


 女中の顔の眼前に俺が作った、小さな結界が弾ける音が響く。

 俺が咄嗟に異能で作った結界が、継母の平手を弾き飛ばした音だ。


「な……」

「――そこでなにをしているんですか?」


 びゃくを元の姿に戻し、背後に引き連れて。

 いさかいをしている継母と女中の前に進み出た。


「蓮様……」


 俺がびゃくを本来の姿で具現化させ現れたことに気圧されたのか、継母がやや怯んだように俺の名を呼んでくる。

 そこでようやく、継母が自分が手にした小瓶の存在をはたと思い出し、慌てるように俺に向かって言い訳をしてきた。


「……この者が! 怪しい液体を飲み物に混入しようとしていたので、私はそれを確認しようとしていたのですわ」

「……! そんな……!」


 継母の言葉に、女中が驚いたように継母を見た。

 どうやら今回は、いつもの粉の毒薬ではなく、別で用意した液体を入れようとしていたらしい。


 え……?

 即効性があるやつとかじゃないよね……?

 こっわ!


 しかも、その場にいた女中に罪をなすりつけようとするとか……。

 ほんと、大した度胸だよなあ……!


 と、継母に対して妙な感心を抱きながら、しかし俺は、決定打になる言葉を口にする。


「じゃあ、指紋を取りましょう」


 と。


「え……?」


 思いもよらない言葉が出てきたことで動揺する継母に向かって、追い打ちをかける。


「彼女がその小瓶の中身を入れようとしていたのなら、その瓶には彼女の指紋が付いているはずですよね」

「……」


 と、あの小瓶に、彼女の指紋がついていないことなどわかった上で、継母にそう告げる。


 俺は、早苗さんが自分が用意した毒が効かないと思い始めた時点で、次にするであろう行動パターンの予測をいくつか立てていた。


 ひとつは、毒がすり替えられていると懸念すること。

 もうひとつは、毒が本当に効かないと思うこと。


 女中に渡した毒が本当に使用されているかの確認と同時に、新しい毒は高い確率で用意されると思っていた。


 だから、継母から毒の混入を指示されていた女中には、継母が新しい何かを手渡そうとしても、絶対に手に取るなと言いふくめていたのだ。


 そうしてその結果。

 素手の女中と、素手でがっつり小瓶を握りしめている早苗さん。

 今、彼女が手にしている小瓶には女中の指紋などついてはおらず。

 早苗さんの指紋しか検出されない事態で、一体周囲がどう思うか――。


「指紋を取り、瓶の中身がなんなのかを精査すれば。ことの自体は明らかになりますよね――」


 そう言って、俺が継母に向かってにっこりと笑いかける。


「れ、蓮様……」

「なーんて」


 震える継母に向かって、ことりと首を傾げた俺は、悪意を微塵も匂わせぬ笑顔で、継母に向かって言葉を続ける。


「もう全部わかってるんですよ、早苗さん」

「え……」

「早苗さんが僕達に毒を盛っていたことも。それを彼女に指示していたことも。彼女に毒の混入を止めさせていたのは僕ですから」


 それに、最初にお茶に毒が入っていると教えてくれたのは、他でもないこの白虎です――、と。

 

「は、計られたのです! 私は! この女中に!」


 必死で言い逃れをしようとする継母に向かって「でもその小瓶、指紋は早苗さんのものしかついていないですし、中身を調べたら一発で終わりですよ?」と告げると、答えに窮した継母は、二の句が継げず黙り込んでしまう。


「早苗さん。――僕と、取引しませんか?」


 そうして、窮地を脱するため必死に思考を巡らせる継母に向かって、俺から提案を持ちかける。


「取引……?」

「ええ」


 ここで、このまま継母を断罪し、追放するのは簡単だが。

 そうすると、ことは継母だけでは済まなくなる。

 なにせ、四大華族の一角のスキャンダルである。

 世間に面白おかしく騒がれるのは、こちらとしても是とするところではない。


「療養、というかたちで、鎌倉にある別邸に移っていただきたい」

「……」


 俺の言葉に、継母は眉間に皺を寄せたまま、それでも黙って俺の言葉を聞く姿勢を見せた。


「なぜ僕が、このような提案をするかおわかりですか?」


 おそらくは、俺の意図を正しく理解しているであろう継母に向かって、あえて言葉を重ねる。


「……菊華の、ためですね」

「ええ。そうです」


 このまま、継母を毒混入の犯人として断罪すると、その娘である菊華にも余波が行くのは避けられない。

 運良く、継母と一緒に追放されず、西園寺家に残ることを許されたとしても。

 文字通り毒婦の娘として後ろ指を刺されることになるのは避けようがない。


 できることなら俺は、まだ幼い菊華に、そんな傷を残したくはなかった。

 それに、それがきっかけになって悪役令嬢への道を歩み出されるのも嫌だしね……。


「僕が温情を施そうと言う気持ちがあるうちに、ご決断なさるのが良いと思いますよ?」


 逆に言うと、今後僕を害そうとしてくるものには、容赦無く制裁を加えますから――と。

 言葉とは真逆な、ことさらに優しさを含ませた声色で早苗さんにそう告げる。


「……わかりました」


 と、観念したように継母は僕に向かって首を垂れた。


 そうして、交渉成立した俺たちは。

 ふたりで食堂に戻り、何事もなかったかのように食事を済ませた。

 その後、継母とふたりで父の部屋に行き、洗いざらいことの次第を父に話した後、俺は継母の別邸行きを父に進言した。


 その間、父に向かって説明する俺の後ろで、継母はずっと項垂れたままで。


 神妙な面持ちで話を聞いていた父は「――わかった」とただ一言だけで、俺の提案を受け入れた。


 そうして、それ以上何も言おうとしない父の前で泣き崩れた継母を置いて俺は部屋を出て。


 数日後、新年早々別邸へ旅立つ継母を、菊華と共に見送った。


 泣きそうな顔で、俺の手をぎゅっと強く握る菊華に、申し訳ない気持ちを抱えながら。


 雪の中、静かに去りゆく馬車を、ふたりでずっと見送ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る