第20話 彼女の過去

 月島は、病院に向かう途中、パラパラとした通り雨に降られた。それでも、その歩みだけは止めなかった。日向に伝えたいことがいくつもあった。ただ、それだけを考えながら月島は一心不乱に病院まで駆け抜けた。


 月島は病院に着くと、乱れた呼吸を整える間もなく受付へ向かった。


「すみません。日向さんという人がこちらの病院に運ばれたと伺ったのですが」


 月島が受付のお姉さんにそう尋ねると、受付のお姉さんは月島の姿を見て、少し困惑しながら対応した。というのも、月島は髪から足元まで濡れ切っていたからである。


「はぁ、いらっしゃいますけど、お知り合いですか・・・」


「知り合い・・・。ええ、そうですね。知り合いです」


 しばらくの間があった後、お姉さんは疑いながらも、月島の制服を見て答えた。


「301号室にいらっしゃいます。お休みかもしれませんので、くれぐれもお静かに」


「はい、ありがとうございます」


 涼しくなってきたとはいえ、まだ九月後半。月島は、雨と混ざった汗を拭いながら彼女のいる教室へ向かっていく。すると、見知らぬ人物から声を掛けられる。


「おい、そこの少年」


 月島は、声が聞こえた後ろ方向へ振り返る。


 そこには、日向以上に長い髪を携えた女性が立っていた。女性としてはやや身長が高く、百七十センチ近くある。客観的に見て日向と真梨花と同じくらい美人である。

 ただ、日向や真梨花とは違って、大人の女性のオーラを醸し出している。


「僕ですか」


「そうだ。君だ。だいぶ濡れているじゃないか。ほら、使うといい」


 すると、この女性は、月島へ向けてタオルをぽいっと浮かせて渡した。


「よくわからないが、健闘を祈るよ」


 女性はそういうと、すぐに立ち去ってしまった。


 月島は、彼女が誰なのか、どうして自分に話しかけてきたのか分からなかったが、ありがたくそのタオルを使わせてもらい、そのまま急いで彼女のいる病室へ向かった。


 月島は、彼女の病室の前に立つと、一呼吸おき、ノックを三回する。すると、病室の方から聞き覚えのある声が聞こえて来る。


「はい」


 その声を聞いて、月島は病室のドアを開ける。


 日向は、月島の姿を見ると、一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに表情を戻し、下を向いた。


「なんで来ちゃったかな~。それに今、授業中でしょ」


 彼女は少し、あきれた様子で月島に尋ねた。


「ちょうどクラスメイトと担任が追いかけっこ中だったから」


 日向は、月島の答えを聞いてまたあきれたように微笑んだ。


「何それ。返しになってないと思うんだけど」


「でも、本当なんだよ」


「本当に面白いね。君は。いつも予想外なことばっかり」


「わざとやっているわけではないんだけど・・・」


「知ってるよ。でも、だからこそおもしろい。それに君の友達も。私にはそんな友達は一人もいない・・・」


 病室が一瞬静まり返る。そして、しばらくして彼女が沈黙を破る。


「なんか、ごめんね」


「いや、別に。それより屋上のことなんだけど。あれって、もしかして・・・」


 月島が、続きを話そうというところで、日向がそれを覆うように話す。


「とりあえず、ここでは話しづらいから場所、移そうか」


 日向は、そう言うと、ベットから体を出して、黙ったまま病室を出た。月島も、彼女の背中を追って病室をでる。

 ただ、ゆっくりと、彼女の見えない足跡を辿るように着いていった。この距離感が近からず遠からず一定になるように。


 階段を上がり、彼女が屋上に出ると、月島も彼女に続き屋上へ出る。


 屋上に上がると、先ほどの通り雨はとおりすぎていたが、まだ油断のならない曇り空が広がっていた。

 月島から少し距離を取って、屋上から辺りを見わたす彼女の後ろ姿は、初めて彼女を学校の屋上で見たそれとは全く非なるものに見えた。


「で、何の話だっけ」


 月島は、一呼吸をおいて答える。


「日向さんが屋上で倒れたのって、僕と同じ理由だったりする?」


「そう、たぶん君と同じだと思う。私が初めて心臓の痛みで倒れたのは君と同じく中学生の時。正確には、私が中学一年生の時」


 日向は、これから長く話すための準備をするようにひと呼吸おいた。そして、実際、その通りに彼女は、自らの過去について語り始めた。


◇◇◇


 中学一年の日向璃子は、私立の有名中学校に入学した。その理由は、環境を変えて普通の中学校生活を送りたかったらから。ただ、それだけである。それだけであるが、日向にとっては重大なことだった。


 日向には、周りのみんなとは違うところがあった。それは、彼女には母親がいなかった。日向の母親は、日向が幼い時に亡くなってしまったのだ。

 そのため、日向は小学生の時から、自分は周りの子とは少し違うという実感があった。友達と話すとき、家族と出かけた話を聞いたりすると、すごく居心地が悪かった。


 また、それ以上に日向には親友と呼べる友達が一人もいなかった。


 日向は、幼いころからその目鼻立ちは整っており、周りの大人からもよくもてはやされていた。当然、小学校に上がると同級生からも一目置かれる存在になった。

 そう言うわけで、日向はいつもクラスの中心にいたが、ただいるだけで喧嘩をして仲直りをするような親友と言える存在が今までいなかったのである。


 日向はそんな環境を変えようと、受験をして地元から離れた中学校に入学した。

 そんな日向の願いを聞き入れるように、日向に初めて親友と呼べるような友達ができた。それは隣の席の白石しらいし朋美ともみだった。


 朋美は下ろした髪を二つに束ねて黒縁のメガネをかけた大人しい女の子であったが、日向にとって、そんな朋美のおっとりとした雰囲気が癒しとなっていた。


「朋美、今日、駅の近くの本屋さんいかない?」


「うん。行く!」


 こんな風に日向と朋美は共通の趣味である本を通して、絆を深めていった。月島にとって、そんな何気ない日常が幸せだった。

 また、それだけではなかった。入学当初、日向はその外見から近寄り難いと思われたが、朋美と話している様子を見て、他のクラスメイトたちもだんだんと話しかけてくれるようになっていた。


「日向さんは本が好きなの?」


「私、この本読んだことあるよ!」


「ねぇ、璃子ちゃんって呼んでいい?」


 そこには日向にとって、理想の学校生活があって、日向は、こんな生活がずっと続けばいいと思っていた。


 しかし、それは淡い願いに過ぎなかった。


 日向の周りに人が集まる一方で、それをよく思わない子たちもクラスにいた。

 ある日、いつもように日向が朋美と話していると、教室の端から何やら声が聞こえて来る。


「白石さんって、最近ちょっと、調子乗っているよねー」


「実は日向さんの弱み握ってて仲良くしてもらってるだけじゃないのー」


「え~さすがにそれはないでしょ」


「ははは・・・うっそ~」


 そう言って、笑っていたのはいつもクラスの中心にいる女の子たちだった。

 月島は勇気を振り絞って、席を立った。


「あの・・・。私はそんな理由で朋美と友達になっているわけじゃない・・・です」


 日向が直接否定してきたことに二人は驚きながらも、すぐに平然とした様子を見せる。


「そう。それは、ごめんなさいね」


 軽い調子で二人のうちの一人がいうと、そのまま教室を出て行ってしまった。


 その様子を後ろから見ていた朋美が、日向のところに近づく。


「璃子ちゃん。ごめんね」


 俯いて謝る朋美に対して、日向は笑顔で優しく言葉を返す。


「何で謝るの。朋美は何も悪くないよ」


「でも、私のせいで璃子ちゃんに迷惑かけちゃって・・・」


「私たち友達なんだからそんなこと気にしないで。大丈夫、私が朋美を守ってあげるから」


 日向はそう言って、朋美の頭を撫でた。


 それからは、日向が直接言ったこともあったのかこのような陰口は一切なくなった。そして、日向はこんな一事件をすぐに忘れてしまうほど、平穏な日常を楽しんでいた。


「朋美、また明日ね~」


 いつものように放課後、駅の近くの大きな書店によった帰り道、日向は朋美に手を振る。


「じゃあね。璃子ちゃん・・・」


 遠目でよく見えなかったが、その日の帰り道、日向の目には朋美の表情が少し曇って見えた。日向は、気のせいだと思ってた。でも、この日が日向が朋美と顔を合わせる最後の日になった。


 翌朝、日向が教室に着いても遠見の姿がなかった。いつも、朋美は日向より早く来ていて、

 一度も学校を休んだことがなかったため、日向は少し朋美を心配していた。


 しかし、日向がいくら心配をしていても一向に朋美が来る気配なく、始業のチャイムが鳴る。

 担任の先生は、教卓に着くとひと呼吸おき、神妙に話始めた。


「急ではありますが、皆さんに報告があります。白石さんですが、ご家庭の事情で今日付けで転向することになりました。悲しいですが、皆さんもどうか受け入れるように・・・。それでは今日の連絡を・・・。」


 担任の言葉を聞いて、日向は頭が真っ白になった。


 ―何で、何で昨日まではあんなに普通に過ごしていたのに。何で言ってくれなかったの。


 日向が悲しみにくれていると、後ろの方からひそひそと声が聞こえて来る。


「白石さんで裏で意地悪されてたみたいだよ」


「え~。誰に~」


「あの二人だよ。私たちもあんまり言い過ぎると目付けられるから行っちゃだめだよ」


 日向は後ろから聞こえて来る会話を聞いて、すぐに犯人が分かった。悔しかった。それ以上に悲しかった。


 ―友達だって言ったのに。助けてあげるっていったのに。今からでも遅くない。


 日向が席を立とうと決めたその瞬間、後ろからさらに会話が聞こえて来る。


「でも、本当は白石さんじゃなくて、日向さんが狙いらしいよ」


「えっ、何で?」


「しっ、声が大きい。多分だけど日向さんみたいに可愛い子に直接手を出すと、周りから反感を買うからじゃないの」


「え~。こわ~い」


 日向は後ろから聞こえてきた会話に鳥肌がたった。自分が守るといった子が実は自分のせいでいじめられていた。


「私のせいだ・・・」


 日向は動悸を感じ、呼吸が荒くなった。同時に心拍数が高まり、次第に胸に痛みを感じる。そして、次の瞬間、日向は意識を失い、席から倒れた。

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