第14話 「私はまだ、二十代なんだが・・・」

 テスト二日目も、変わらず雲一つない空模様で、昨日と同じかそれ以上に暑く感じる。ただ、唯一変わっていたのは前の席の佐藤の様子だった。いつもより、だいぶ遅くきた佐藤は、月島が挨拶をしても、どこか心配なくらい虚ろな表情をしていた。


「大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫」


 心配して声を掛けたが、大丈夫と答える佐藤は、とても大丈夫なように見えない。

 それもそのはずだ。確か、昨日、寝ずに勉強してから学校に来たと言っていたことに加え、その後、炎天下の中で部活の練習をしていた。大丈夫なはずはない。


 一教科が始まり、月島は淡々と答案用紙に解答を記入していく。一通り、問題を解き終わり、見直しも終え、時間を確認しようと前にある時計を見る。

 すると、視界にいささか違和感を感じる。月島の前に座る佐藤が十秒に一回、首をコクっとさせては問題用紙に向かい、またコクッとさせている。さすがに、目も当てられない様子であった。


 一時間目終了の知らせるチャイムがなり、答案用紙を回収していく。答案用紙を取ろうと月島の方を向いた佐藤の顔はまるでゾンビのようだった。


 答案用紙を回収し終え、席を立った佐藤は本当にふらふらしていて本当にゾンビのようだ。佐藤の様子を見た真梨花もさすがに心配したのか佐藤に声をかける。


「ねぇ、佐藤くん大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫」

 佐藤は今日、これしか語彙を発していない。


「大丈夫じゃなさそうだから、言ってるんだけど・・・」


「ちょっと、下でエナジードリンク買ってくる。」


 佐藤は、ふらふらしながらも教室を出ていった。



 二時限目が始まっても、佐藤の様子は一向に変わらない。どうやらエナジードリンクの効果はなかったようだ。一時限目同様、佐藤の頭は動いたり、止まったりを繰り返している。


 月島はその様子が気になって、なんだかいつもより集中することができなかった。三時限目には至っては、佐藤は残りの三十分ほどを睡眠に使っていた。


 三時限目のテストを終え、下校の時間なっても佐藤はふらふらしてた。


「じゃあな月島。俺は部活いってくるわ~」


 佐藤はうまく呂律が回っていなかったがそう言って、席を立った。

 月島は、その様子を見かねて佐藤に声をかけた。


「いやいやいや、さすがに今日は無理でしょ」


「大丈夫だって。甲子園に出るにはこれくらいしなくちゃいけないんだよ。はっはっはっ」


 佐藤は眠さのせいか、異常にテンション高く答えた。


「これくらいって、ただ寝不足なだけだけどね。でも、せめて、練習始まるまで保健室で寝てなよ」


 月島はふらつく佐藤の肩を背負った。それに応じるように佐藤も月島に体を預けた。


「そうだな。そうすることにするか」


 月島はそのまま、肩を貸しながら佐藤を保健室へ連れていった。


 月島が保健室のドアを開けると、体育祭の時にも会った保健室の先生が視界に入った。彼女もドアの開く音に反応して、座っていた椅子をくるりと回し、月島たちの方へ体の向きを変えた。


「なんだ、また君か。テストのときに怪我とはやんちゃだね~」


 月島は、先生の的外れの発言に少しムッとして、不服そうに答えた。


「僕じゃないですし。怪我じゃなくて体調不良です」


「おっ、それは悪かったね~」


 先生は悪びれる様子もなく、流れるように質問を返した。


「それで、隣の彼は何年何組の何君かな」


 佐藤は相変わらずふらふらとしながらも、答えた。


「七組の佐藤です」


 先生は、紙に佐藤の名前とクラスを書き留めながら、再度質問をした。


「君も二年生かい?」


 佐藤は、質問に対して、首を縦に振って応えた。


「テスト期間に体調不良とは、もしかして一夜漬けかい」


 先生は分かり切っているというような不敵な笑みを浮かべた。


「やっぱり分かっちゃいます?」


 佐藤は、頭に手を当てながら、少しへらへらとして質問を質問で返した。


「それは分かるさ。私も高校生の時は一夜漬けでテストを乗り切っていたからね。だが、それでいいんだよ。どうせテストの内容なんかすぐに忘れしまうしな。はっはっはっ」


 教師にあるまじき発言に月島は苦笑いを浮かべる。一方で、佐藤は完全に同意して、激しく首を縦に振った。


「ですよね~」


 どうやら、二人は波長が合うようだ。


「いや~、それにしても先生はお綺麗ですね」


 佐藤は眠さでテンションが上がっているのか、続けてナンパ紛いの言葉を先生に投げかけた。普段でもこういった類のことはいいそうではあるが・・・。


「いや~、嬉しいこといってくれるじゃないか。だが、お世辞を言っても何もでないからな」


 先生も満更でもない様子だった。


「いやいや、お世辞じゃないですよ。全然、二十代に見えますもん」


 佐藤の発言を聞いた先生の顔は変わらず笑顔だったが、月島にはその笑顔がどこかぎこちなく感じた。先生は、数秒の沈黙後に口を開いた。


「私はまだ、二十代なんだが・・・」


「えっ・・・」


「・・・」


 月島はそっと扉を閉じた。


 月島は、保健室を後にして、教室に戻った。案の定、教室に誰一人居らず、しーんとした空気だけが残っていた。誰もいないはずの空間であるにも関わらず、教室という場所のせいなのか、誰に監視されているような不思議な感覚を植え付ける。


 少し気持ち悪きもするが、だからこそ朝勉強する時は、とても集中することができて、この雰囲気に助かってる。


 月島は荷物をまとめると、そのまま駐輪場に向かう。昨日とは違う殺風景なグランドを他所に、月島は自転車にまたがり、ペダルを推し進めていく。


 校門を出て、しばらく自転車を漕いでいくと、近くの小学校からにぎやかな声が聞こえて来る。おそらく、お昼休みなのだろう。背丈の違う小学生たちが、ボールを追いかけたり、追いかけっこをしている。


 昨日は、聞こえてこなかったにぎやかな声が聞こえてきたことに月島は不思議に思ったが、そういえば、昨日は佐藤と話していたせいで今日よりも少し遅く下校したのだった。


 にぎやかな声になつかしさを感じて、月島はなぜだかほっこりした気分になってしまう。月島が小学校を卒業してからそんなに時間は経っていないはずだが、こうしたなつかしさを感じてしまうのはきっと、ここまでいろんなことがあったからだろう。


 小学校を通過してもまだ聞こえて来る声に、不思議な感覚を覚えながらも月島はペダルを漕ぎ進めていくと、月島を呼ぶ声が聞こえてくる。


 気のせいかと思ってかまわずペダルを漕いでいると、もう一回、二回と声がする。


「月島くーん、月島くーん」


 月島は、斜め前方から聞こえて来る透き通ったやや高い声の方に目を向ける。視線の先にいたのは、艶やかな髪を靡かせた美少女、日向だった。


◇◇◇


月島は、自転車から降りて、彼女が手を振る小さな公園の中に入り、彼女の近く寄っていった。


 月島が、日向と話せそうな距離まで近づくと、彼女は不自然に不満そうな顔を浮かべた。


「もー、無視するなんてひどいよー」


 月島は、どこか困惑した様子だったが、とりあえず無理にでも申し訳なさそうな顔だけは浮かべた。


「ごめん。ごめん。ちょっと考え事してて」


「ほんとーかな~?いつもそう言っていない?」


 彼女は、変わらず不満そうな顔で、じ~っと月島を見つめる。


 月島も、変わらず申し訳なさそうな顔で彼女に謝罪の意を訴える。


 しばらくして、彼女はくすっと笑った。


「冗談だよ。行こう」


 彼女はそういうと、通学路に戻っていく。月島も自転車を引きながら、彼女の背中を追いかけていく。


 月島は、日向に追いついて、声を掛ける。


「最近、見かけなかったけど、何かあったの?」


 月島は何気なく日向に尋ねた。


「えっ?」


 日向は、月島の言葉が予想外だったのか、少し驚いた表情を見せた。月島は、その様子をみて、再度尋ねた。


「いや、二週間くらい見なかったから、風でも引いてたのかなって」


 日向は、月島の言葉を聞いて、なるほどという感じで首を何度か縦に振った。


「あぁ~、そんなことないよ。最近、雨が多かったから、たぶん月島くんを見かけづらかったんじゃないかな~。傘差してたし」


「そっか。なら良かった」


 月島は、彼女の説明に納得したのか、気がかりだったことが晴れて、少しすっきりして気分になった。


「なんか、心配かけちゃってごめんね」


 日向はそう言って、横を歩く月島との距離を縮めた。月島は、それを察して日向に尋ねた。


「何か近くない?」


 月島が、日向にそう尋ねると、日向少しわざとらしく答える。


「えっ?そうかな?」


 日向は、ニヤリと頬を緩ますと、今度は月島の肩にぶつかりそうなくらいに近づいてきた。何なら、少し当たっていた。


 月島は、なんだか恥ずかしくなって、彼女から距離を取る。


「揶揄わないでよ」


 日向は、さすがにやりすぎたと思ったのか、上目遣いで申し訳なさそうに月島を見つめる。


「ごめんね。ちょっと調子乗りすぎちゃよ」


 そんな目で見られたら許せないわけがない。月島は、彼女から目線をそらす。

「いいよ。そんなに気にしてないし・・・」


「うん。ありがとう!」


 彼女は、満面の笑みで答えた。月島は、彼女の笑顔がまぶしすぎたのか再度目線をそらした。月島は、とりあえず、話題を変えようと日向に声をかえる。


「それより、テストはどうだったの?」


日向は、月島の何気ない質問に、少し頭を悩ました。


「ん~。まぁまぁかな」


「『まぁまぁ』って・・・」


 月島は、日向の曖昧な答えに少し呆れていると、対する日向も反論する。


「でも、意外とこういうのって答えづらくない?逆に月島くんはどうたったの?」


 月島も頭を抱えてしばらく考えた。


「まぁまぁかな・・・」


 日向は月島の答えを聞いて、お腹を押さえて笑いだす。


「月島くんも同じじゃん」


「意外とこれくらいしか思いつかないものだね」


「でも、月島くんの言う『まぁまぁ』はまぁまぁでないないよね」


「どうして?」


「だって、月島くん毎回学年一位だったよね?」


「まぁ、そうだけど。別にたまたまだよ」


 月島は、少し照れ臭そうに言った。


「でも、きっと努力の証だよ」


「そうかな」


「だって、私もそこそこ勉強したのに十位だったもん」


「そこそこって、遠まわしの地頭いいアピール?」


「ち、違うよー、やっぱり月島くんって意地悪」


「そんなつもりじゃないんだけどな~」


 月島が少し落ち込んだ様子を見せると、すかさず日向がフォローする。


「冗談冗談。月島くん真面目だなぁ~」


 そう言って、彼女はクスリと笑った。二年生になってから、彼女に振り回されっぱなしな気がする。それでも月島はなんだか嫌な感じはしなかった。

 そんな会話を続けていると、地下鉄の入り口が見えてくる。彼女はその前まで少し駆け足で向かうと、くるりと振り返った。


「じゃあね。月島くん。テスト最終日も頑張ろう。終わったらデートだよ」


「デート?」


 月島は、日向の思いがけない言葉に少し驚いた。日向は月島のその様子を見て少し悲しそうに尋ねる。


「約束したの覚えてない?プール行くって・・・」


 月島は、彼女の目がウルウルしているように見えて、少し焦って答える。


「覚えてる。覚えてる。しっかり覚えてる」


 月島の言葉を聞いて、すぐに表情を戻す。


「良かった。じゃあまたねー」


 そう言って、彼女は手を振ると風のように去ってしまった。

 彼女は嵐のように現れて、嵐のように去っていく。文字通り、嵐のような人である。


 そう言えば、彼女は学年十位と言っていたが、日向さんなんて珍しい苗字の人の名前を成績の張り紙で見た気がしないのだが。月島はどこか気になりつつも、そもそも今まで周りのことなど気にしていないだからと納得して残りを帰路を駆け抜けていった。


◇◇◇


 テストが終わり、テストの返却もままならぬ間に、甲子園西東京予選の一回戦が始まった。佐藤は、四番としてホームランを放ち、活躍したが苦しくも単独のホームランに終わり都立練馬第一高校は三―一で敗北し、一回戦敗退だった。


 あれだけ練習しても、地区予選の一回戦で敗退してしまう事実に、改めて野球という競技のレベルの高さを感じる。


 さすがの佐藤も、翌日は落ち込んでいたが、その次の日からは来年の甲子園を目指すと豪語していた。


 一方で、佐藤の成績は過去に類をみないほど悪かったらしく、結局佐藤が練習を再開したのは、補修が終わった一週間後だった。


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