閑話2
日向の家扉の外を出ると、来た時には気づかなかったが、このマンションは上から見てドーナツ状みたいになっていて、中はすっぽり空洞になっている。
タワーマンションはみんなこんな形をしているのだろうか。だとしたらお金持ちに高所恐怖症はいないな。月島は、マンションの空洞部分の中を覗いて身震いし、そう感じた。
「エレベータは高速だし、金持ちは住む世界が違うな。」
月島は、独りごとをぼやきながら一階に下りたものの、敷地が広く、コンビ二を探すのに少し手間取った。
少し迷いながらもたどり着いた近くコンビニは、夜にも関わらず月島の他に二、三人の客がいて、少し緊張しながら店内を忍び忍び歩く。なんだか大人になった気分だ。
月島は、なんとかコンビニで下着を買い終え、彼女の家に戻るとお風呂から上がり、先ほどとは違う意味で火照ったパジャマ姿の彼女がソファでくつろいでいた。月島はそんな彼女を直視しないように、さきほどのテーブルの椅子に腰を掛けた。
「遅かったね。もしかして迷子?」
「べ、別に、特に何もなかったよ。ただ、補導時間でもあるから、慎重に行ってたんだよ。」
「えー、別に気にしなくても良いと思うけどなー。敷地内だし治外法権っていうやつじゃないの?」
「あくまでもコンビニ敷地に足を踏み入れているから、法権外ではないと思うよ。」
「へー、月島くんって本当に律儀というか、注意深いというか。もうちょっと気楽に生きたらいいんじゃない。」
日向はさっきまでの態度は打って変わって、冷静に指摘した。
「言わんとすることは分かるけど、僕はこういう生き方しかできないの。」
日向は、少し首を傾げながらも妙に納得した表情で、言葉をこぼした。
「ふーん。まぁ、そういう気持ち良く分かるけど。」
「えっ?」
月島は、日向の言葉が聞こえなかったのか聞き直すように呼応した。
「ううん、何でもない。それより、体が冷えるまでにお風呂に入ってきたら。着替えとタオルは洗面所においてあるから」
「うん。分かった」
月島は、日向の言う通り、有難くお風呂に入らせてもらうことにした。
「おー。」
まるで高級ホテルのような大きさのバスタブの大きさにまず驚いた。置いてあるタオルもすごくふわふわしている。
バスルームの中はいい香りが漂っていて、何か変な気分になりそうな違和感を月島は感じた。シャワーを浴びて、髪を洗おうとシャンプーのボトルのヘットを押すと、先ほど漂ってきた良い香りの正体がはっきりと分かった。
こんなに良いシャンプーを使って入れば髪がさらさらなのも、良い香りがするのも納得だ。
結局、月島はほんの十分足らずでバスルームを出た。本当は冷えた体を深部まで温めたかったが、自分の家以外、それも同年代の女の子の家をお風呂でリラックスするほど月島の心臓には毛が生えていないのである。
「あれ、随分早かったねー」
日向は月島の考えのなど知る由もなく、無節操に尋ねた。
「別に僕はいつもこんなもんだよ。」
月島は考えを悟られたくなかったのか、それとなく答えた。
「ふーん」
日向は意味あり気な面持ちで、月島を自身の座るソファに呼びつけた。
「月島くん、ちょっとこっちきて」
「次はいったい何なの?」
月島は眠気がさしてきて、惰性のまま答えた。日向は、月島が隣に座るのを確認すると手に持っていたタオルで月島の髪を覆った。
「もー、ちゃんと髪の毛乾かさなかったでしょ。風邪ひくよ」
そう言いながら、月島の髪の毛をわしゃわしゃとタオルで乾かしていった。月島は即座を頭をそらす。
「ほら、動くとちゃんと拭けないよ」
「いいよ、自分で拭くから」
月島はそう言って、日向からタオルを取って、急いで自分の髪を乾かした。
「もー、恥ずかしがらなくていいのに」
日向は、ぷくーと頬を膨らませた。
「別にそんなんじゃないよ」
日向は不満そうな顔を続けながらも、月島の体に自分の体を寄せた。
「何か月島くん、私と同じ匂いがする」
彼女のその言葉が発せられた瞬間、一瞬の静寂が起きた。どきどきと鳴る心臓の音がどちらの音か理解する前に、月島はこの静寂を破った。
「それは同じシャンプー使わせてもらったんだから・・・そうなるよ。」
「うん、そうだよね。何かごめんね・・・」
「べ、別に構わないよ・・・」
二人の間に流れる気まずい空気を破るために、日向は話題を変えた。
「あっ、それよりパジャマのサイズは大丈夫そう?」
ぎこちなく尋ねた日向同様、月島も何かを取り繕うように答えた。
「あっ、うん。ちょっと、大きいけど大丈夫?」
「よかった。お父さんちょっと背が高いから心配だったんだ」
「お父さんに言わないで借りちゃって大丈夫だった?」
「大丈夫。あんまり帰ってこないから」
「そっか。ご両親はいつも遅いの?」
彼女はばつの悪そうな表情を浮かべながらも、少し声色を変えて答えた。
「うん。お父さんはいつも遅い。仕事柄家に帰ってこないことの方が多いと思う。お母さんは私が小さい頃に死んじゃったんだ」
そう悲し気に話す彼女の姿はこれまで見た彼女のどんな表情より暗く、無理やり作ろうとする笑顔がより一層月島にそう感じさせた。
「ごめん。何か変なこと聞いちゃたね。」
彼女は少しの間髪を開けた答えた。
「ううん。大丈夫、気にしないで。」
月島はそう話す彼女の表情を見ることができなかった。
「それより、私も知らなぬうちに月島くんを困らせるようなこと言っちゃてたよね。ごめんね。嫌だったら、嫌って言ってね」
「別に言ってないよ。もし仮にそうでも僕は気にしない」
再び、二人の間に沈黙が訪れる。それも先ほどとは違う色を孕んだ。その沈黙はさきほどよりずっと長く感じた。それが仮に短い数秒だったとしても。
「もうだいぶ遅いし、寝よう。月島くんはどうするベットで寝る?」
彼女は、そう言ってソファから立ち上がった。
「僕はこのソファで充分だよ。」
「そっか、上消すね」
「うん」
「おやすみ」
彼女がそう言うと、リビングから電灯が消える。後ろから廊下の光がリビングの暗闇に差し込んでから一秒、二秒、月島は最低限、彼女に聞こえるよう言葉を発した。
「今日は、ありがとう。助かったよ。」
「うん。・・・おやすみ。」
彼女は端手にそう返答して、廊下の光のしばらくして消えた。
月島は、ソファに横になり瞳を閉じた。月島は少し後悔した。なぜ彼女に踏み込んだ質問をしてしまったのか。普段の自分ならそもそも聞かなったはずだと。
月島は、日が昇って朝になるのが怖かった。最後まで見ることのできなかった彼女が表情が想像できなくて、想像したくなくて。
でも、疲れ切っていたのか、目を閉じて数分、月島は深い眠りに落ちた。深い眠りに。
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