第9話 「胸の痛みは・・・

「ねえ、ちょっと月島君。大丈夫。月島君」


彼女が声が聞こえる。大丈夫だ。意識はある。月島は今の自分を冷静に把握していた。


「月島君」


 日向は声を張って、月島を呼ぶ。


 月島は息を荒げながらも、首を縦に大きく振り、彼女に無事を伝える。正確には無事ではないのだが、少しでも早く彼女に安心して欲しかった。月島は、少しずつ落ち着きを取り戻して、声もスカスカであるが、出始めた。


「大丈夫。大丈夫だから」


月島の意図した通り、日向は月島の声を聞いて落ち着きを取り戻した。そして、日向は、月島の肩を自分の肩に乗せる。


「来て」


 彼女はそういうと、そのまま月島に肩を貸しながらもみなとみらい構内の中でも外れたところにある道を通り、そこにあるエレベーターの中に月島と入る。月島もだいぶ、落ち着いてきた。


 エレベーターの中に入ると、月島が見たことないくらい無数に羅列されたボタンのうちの一つを押して後、日向は月島に声をかける。


「月島くん、大丈夫そう?」


「うん。おかげ様で。それより、今ってどこに向かってるの?」


「私のおうちだよ」


「え、それってまずいんじゃ」


「大丈夫。大丈夫。家には誰もいないから」


「そういう問題じゃ」


 月島がそうつぶやくと、エレベータは日向が住んでいる三十一階に止まった。


「おじゃまします」


 月島は日向にリビングに案内される。リビングの窓は大きなガラス張りで、みなとみないの町あかりがきれいに映っていた。


 月島は、日向が観覧車に乗っている時にみなとみらい方面に全く興味を示さなかった理由がわった。わざわざ観覧車に乗らなくても毎日このみなとみらいの景色が見れるからである。なんと羨ましい。


 彼女に促され椅子に腰を掛けると、日向が用意してくれた水に手を伸ばす。一方、日向は、月島のためにコーヒーを用意し、テーブルを境に月島と向き合う。


「月島くん、大丈夫そう」


「うん。おかげ様で」


「さっきのって・・・」


「ここまで、迷惑をかけたんだ。正直に話すよ」


 月島はそういうと、少し息をのんで、自らの過去について語り始める。


◇◇◇


 中学三年生になった月島は、代わり映えのない日常を過ごしていた。毎日、部活に明け暮れ、部活のない日は近くの公園で友達とサッカーをしたり、ハンバーガーショップでくだらない話を永遠を語り合ったり、勉強なんて二の次だった。将来の展望なんて全くなくて、ただ、そこにある毎日を過ごすだけだった。


 そんな中、とある日の午後、学校から帰ってきた月島の携帯電話に一本の電話がかかる。


携帯電話の掛け主は月島の母だった。


「お父さんが、事故で・・・」


 日常を変える一本の電話であった。その電話の後、月島は中学校を二週間ほど休むことになり、その期間に月島は全てを受け入れなくてはならなかった。


 親戚の人から全く知らない人まで、いろんな人の声をきいた。


「可哀そうに」

「これから大丈夫かしら」

「来年、進学っていうときにね」


 多くの同情の言葉や現実、それを受け入れられるほど月島の心は大人ではなった。ただ、心に穴があいたように空っぽになり、その心を埋めてくれる人はいなかった。


 いろいろな手続きが終わっても、いつもより人口密度の広い部屋の中で、ただ今後の様々なことを模索し、時々涙を流す母がいるだけだった。


 そんな姿を見て、月島がその時できることは、ただ、この現実を受け流しできるだけ当たり前のように振舞うことだけだった。



 二週間の後、月島は学校へ戻ることになる。月島は、いつもどおりの表情をつくって、教室へ入る。


「おはよう」


 月島は、できるだけ明るく挨拶をしたつもりであったが、教室の反応は芳しくない。自分の席に座って、周りにいるクラスメイトたちにもう一度挨拶をする。


「おはよう」


「お、おはよう・・・」


 帰ってきたのは、どこか気まずさをまとった悲しい返事だった。


 授業がはじまっても、お昼休みになっても月島に対する反応は変わらない。


 しかし、そのような反応になるのは、当然と言えば当然であるかもしれない。クラスメイトといえども、まだ中学生のなのである。いきなり、父親を亡くした同級生にどう接すればいいかなど分からないに決まっている。


 ただ、聞こえて来るのは、ひそひそをつぶやかれる同情の声。


 クラス中から、視線を感じる。同情、哀れみ、そんなところだろうか。ただ、その視線は当時の月島には痛すぎた。


 そんな時だった。月島は違和感を感じた。心臓の鼓動がはやい。いや、それだけではない。どんどん早くなっていく。痛い。痛い。それにつられて呼吸も早くなっている。抑えなくては。そう思っても、一向に収まる気配はない。次の瞬間だった。月島は、椅子から転げ落ちた。



 月島は気が付くと、病院の一室だった。目の前には母がいた。


「良かった。気がついたのね」


「うん。心配かけたね」


「それより、体の方は大丈夫そう」


「うん。全然平気。たぶん貧血か何かで倒れただけだと思うから、心配しない」


「ごめんだけど、お母さん、仕事に戻るね。何かあったら連絡してね」


「うん。気を付けて」


 母が教室を出ていくと、代わりに先生が入れ替わりで入ってきた。四十代半ばくらいのおじさんというには少し気が引ける背の高いダンディな先生だ。


「体調はどうだい」


「おかげさまで。今は何ともありません」


「それは良かった。検査でも、特に異常はなかったよ。突然、倒れたと聞いたけど、何か覚えていることはあるかい」


「心臓の鼓動が急に早くなって、痛くなって、呼吸も整わなくなって、気づいたら意識が飛んでました」


「そうか。君もか」


「えっ」


「いや、申し訳ない。ただ、最近こういった事例を若い子たちを中心によく聞いてね」


「そうなんですか」


「性格な症状を特定することはまだできていないのだが、類似する事例がある。医学的に表現するならば血管迷走神経反射性失神という症状になる」


「一生覚えられなそうな長さですね」


「この症状は、精神的ショックやストレスが原因で血液が心臓に戻らなくなり、意識が一時的になくってしまうというものだよ。君にも、何か抱えていることがあるのかい」


「・・・、いえ、特にそういったことはないと思います。もしかすると、テストが近いからそれでストレスを感じていたのかもしれないですね」


 本当は、全てを話したかった。今、胸の中にある全ての感情を。それが誰であろうと。しかし、これ以上、周りの人に迷惑を掛けるわけにはいなかい。月島は、自分の感情を押し殺した。


「そうか。ただ、あまり一人で抱え込まない方がいい」


「はい、ありがとうございました」


 やはり、病院の先生は忙しそうだ。先生は、少し駆け足で病室を後にした。


 月島はその後も学校に通い、できるだけ普通に振舞うように努力した。クラスメイトたちも最初は戸惑っていたが、気をつかいながらも少しずつ話しかけてくれるようになった。


 しかし、以前と同じような会話にも、月島は違和感を感じ続けた。誰々と誰々が付き合った話、今度遊びに行きたい場所の話、そのどれもが以前どこかで話したような話だが、自分だけが取り残された気持ちだった。


 誰かと付き合ったり、遊びにいったり、きっと楽しいのだろうけど月島はいくらお金がかかるとか、この間に他の何か有意義なことができるとかそんなことを考えてしまう。


 そんな考えを持ち始めてから、月島の周りは次第に人が少なくなっていった。

 月島は教室を出る。後ろから女の子の声が聞こえる。振り向くと月島の幼馴染の女の子だった。


「ねえ、ねえ、ってば」


「ん」


「今日、久しぶりに一緒に帰らない」


 少しの沈黙の後で、月島は答えた。


「ごめん。今日は一人で帰るよ」


 これが、二年前、月島が中学生三年生のときの話である。


◇◇◇


 月島は、日向に話を終えると、彼女が入れてくれたコーヒーを一口、口に入れひと呼吸する。


 しばらくの沈黙の後、うつむいていた顔をあげ、彼女の顔を伺う。月島が見上げた視線の先の彼女は何とも言えない優しい表情をしていた。


 月島たちはしばらく見つめ合うと、日向は席を立ち、月島が座る椅子の方まで来る。彼女は月島の正面に立つと、なにも言わずにただ月島を優しく抱きしめた。


 突然の柔らかな感覚に月島は少し焦って、彼女に訴える。

「ちょ、ちょっと」


 月島が、彼女の手をどけようとすると、彼女は少し力を入れて抱きしめる。そして、月島に諭すように囁く。


「今はもう、泣いていいんだよ」


 そんな彼女の優しい囁きに月島は少し、抵抗する。


「本当に大丈夫、大丈夫だから」


そんな月島の抵抗に対して、日向はさらに力を強めて抱きしめる。


「今、そんなことされたら・・・」


 月島の目からあの時は流れなかった涙が流れる。それだけは足りない。抑えようとしても、抑えようとしてもただ涙が溢れてくる。月島は、抵抗もむなしく彼女の胸でただただ溢れるばかりの涙を流した。



 彼女はただ何も言わず月島を抱きしめ続けた。五分、いや十分くらいだろうか。たったそのくらいだった気がするが、月島にとっては一時間にも、二時間にも感じた。

 月島の涙が一通り流れ終えると、日向は手をふりほどき、席に戻る。テーブルを境に向き合う二人はどこか照れ臭そうだった。


 しばらくの沈黙の後、月島が切り出す。


「今日は本当にありがとう。本当いろいろと」


「うん。こちらこそ」


「そろそろ帰るよ」


 月島はそういって席を立ち、玄関へ向かう。彼女は月島へついていき、尋ねる。


「駅まで送ろうか」


「大丈夫」


「わかった。じゃあ気をつけてね」


 ゆっくりと手を振る彼女に対して、月島の手を振り返し、扉に手をかける。


 二人の会話は、どこかぎこちなさを感じさせるが、これまでより暖かい空気が漂っていた。

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