第7話 遠足

 月島は、いつもより少し早く鳴ったアラームに手を伸ばし、試行錯誤して消すことに成功する。なんとか起き上がると、カーテンの隙間から差し込む太陽の光で一気に眼が冴えた。


 カーテンをあけると雲ひとつない晴れ模様が広がっていて、窓を閉めて寝ると、四月中旬の朝方でもやや暑苦しく感じる。


 月島がいつもより起きたのは、決して今日の遠足が楽しみからだったでも、昨日の彼女との帰り道を思い出してしまったからでもない。いや、正確には、少しは彼女のことが全く頭にちらついていなかったわけでもないが、朝早く起きた目的は本当にそうではない。


 今日は遠足のため、いつもとは違う行動をしなければならなかったのである。集合は朝、九時の横浜駅。月島の家の最寄り駅である練馬駅からであれば、いつも通りの時間に家を出ても十分間に会うのだが、通勤ラッシュのピーク時間を避けるために、今日は家で朝食を取らず、すぐに支度をして家をでることにした。


 月島は、家を出て、最寄り駅まで自転車をこいで向かっていく。いつもより少し早く家をでるだけでも空気の匂いが違っていて、少し変な感覚がする。


 自転車を駅の駐輪所において、駅の改札に入る。予想通り、まだラッシュの時間にはなっていなかったが、少し混雑していて人混みに酔いそうになる。

 なんとかしてホームにたどり着いて、目的の有楽町線、元町・中華街行きの列車が来るのを待つ。有楽町線は、少し複雑な路線で、行先によってつく場所が全く違ってくるので、注意しなくてはならない。


 月島は都民といえばそうなのだが、この年になっても普段電車をあまり使わないせいか中々慣れない。間違えないように何度もスマートフォンを睨めっこする。


 元町・中華街行きの列車に無事乗り、目的の横浜駅まで正味一時間というところで、暇な月島は持ってきた単語帳で時間をつぶすことにした。次のテストに向けてこういう暇な時間で勉強しておくことは大切なことである。月島は、自分にそう言い聞かせておく。


 しかし、久しぶりの遠出でそわそわしたのか思ったよりも集中はできなかった。


 七時三十分を少し過ぎた頃、集合時間の九時よりだいぶ早い到着であるが、月島にとっては予定通りである。月島は駅に隣接するショッピングモール内のカフェに入り、朝食を食べることに決めていた。いつでもあれば、外食なんてしない月島だが、今日は特別だ。というのはモーニングセット半額券を以前貰っていたからである。


 月島は、このカフェに入るのが初めてでやや緊張していたが、勇気を出して扉を開ける。店内は朝とは言え、点々と人が入っているようだが、かなり落ち着いている方だ。


 恐る恐る店内を見渡しながらカウンターの方にむかうと店員のお姉さんが笑顔で声を掛けてくれた。


「いらっしゃいませ。何になさいますか」


 月島は、少しおどおどしながら店員さんの尋ねる。


「あの、このクーポンって使えますか」


 月島は、クーポンが使えなかった時に恥をかくことを回避するために、昨日何度も何度も確認した。きっと大丈夫なはずなのだが、すごく緊張する。


 不慣れそうに質問する月島に対して、店員さんは笑顔で答えてくれる。


「はい。使えますよ。モーニングセットですね。コーヒーのサイズはどうなさいますか」


 はぁ~。月島は心の中で安堵する。これでもう心配することはなくなった。月島は、リラックスしたのか少しテンションを上げてコーヒーのサイズを答える。


「Mサイズでお願いします」


「・・・」


 月島は、確かにコーヒーのサイズを伝えはずだが、店員さんは困った顔で月島を見つめる。そして、申し訳なさそうに月島に説明する。


「あのー、すみません。当店のコーヒーのサイズは、ショート、トール、グランデとなっておりまして、こちらからお選びいただければと・・・」


 月島は恥ずかしさでいっぱいであったが、できるだけそれを隠すように訂正する。


「す、すみません。と、トールでおねがいします」


 すこし、気まずい雰囲気になりながらも、やはり店員さんはプロだった。先程の出来事がなかったかのように笑顔でクロワッサンとコーヒーの載ったトレイを渡してくれた。


 月島は、できるだけ平常心を保ちながら、よく景色の見渡せそうなガラス張りの窓の席に座った。座って、すぐの時には、先ほどのオーダーミスを引きずっていた月島であったが、思いのほかおいしいクロワッサンと目の前に映るみなとみらいの景色がそんなことをすぐに忘れさせていた。


 コーヒーを飲みながら、すこし感傷的な気分に浸ってガラス越しにあたりを見渡していると、見たことのある美少女が改札方向に歩いていくのが遠目ではあったが見えた。


 朝、八時前の頃の横浜駅。「さすがに見間違えだろう」ともう一度確認してみる。


 あたりを見渡してみても彼女の姿は見えない。やはり見間違いだったのだろう。


 彼女を巡って、ここ二日、三日でいろいろなことが起きていた。だから、過剰に彼女を意識してしまっているだろう。

 月島は、暇な時間を単語帳を眺めながら過ごしていると、時刻は八時四十分前。月島は席を立って、集合場所の横浜駅前に向かった。


 月島は、余裕をもってきたはずだが、既に佐藤が到着していた。


「おー、おはよう月島。早いな」


「早いなって、佐藤の方が早いじゃないか」


「あー、楽しみであんまり眠れなくて、ほぼオールできた。だから今、テンションマックス」


 すごいやつだな。それ以前に「小学生か!」と言うべきか・・・。月島は少し呆れながらも無事佐藤と合流した。


 しばらくすると、一応、同じ班の女の子三人がやってくる。


「ごめん待った~」


 リーダー格の女の子が遅れてきた時の定型文を告げると、月島がきりっとした表情で答える。


「大丈夫。今きたところ」


「あっ、そう。良かった。じゃあ行こう」


 女の子三人は、佐藤の懇親の返しをスルーして前を歩く。佐藤も逆に「きも~い」とか言われた方がよかっただろう。現実は残酷だ。


 月島たちは、先生が待つ定点で点呼を終える。どうやら一番乗りだったらしい。


「よし。行くか。どこから回る?」


 佐藤は、そういうと、リーダー格の女の子が佐藤の言葉をスルーして告げる。


「じゃあ、私たちは私たちで回るから、よろしく~」


 そういって、駅の方へ向かっていく。


「えっ・・・、あれ本当だったの・・・う、嘘だよね・・・」


 佐藤の言葉もむなしく、女子さんには完全に去ってしまった。


 こうなるとは思っていたがさすがに佐藤が可哀そうになってくる。月島は、下を向く佐藤に声を掛けようとするが、佐藤は突然顔を上げて宣言する。


「よーし。俺たちは俺たちで楽しぞ!」


 佐藤のこういうところはさすがだなと月島も関心する。自分だったらこんな風に立ち上がれないだろう。月島は、思わず笑ってしまう。


「何かおかしかったか」


 不思議そう佐藤に何事もなかったかのように月島は答える。


「いや、なんでもない」


「そっか。じゃあ、とりあえずはじめにあそこにいくか」


 佐藤は、意気揚々と歩き始める。


 おそらく以前話していた場所に向かう佐藤に対して、月島は、面倒くさいのでどこかに行くかは聞かずついていくことにした。


 佐藤は、横浜駅から少し外れた道沿いを慣れた様子ですらすら歩いていく。佐藤は、腐っても容姿だけはイケメンの部類に入る。安直にみなとみらいや中華街をはじめとした有名スポットではなく横浜駅周辺の穴場から向かっているのだろう。


 横浜駅から歩いて十分くらい歩いたところで大きな建物が見えてきた。


「よし、ついたぞ」


 佐藤がそうつぶやいたのを聞いて、月島はおそらく目的地であろう場所の大きな看板をそのまま読み上げた。


「ア・ニ・メ・イ・ト」


「そう、アニメイト」


 佐藤が自慢気に応える。


「ここが来たかった場所?」


「いや~、部活が忙しくてあんまり来れてなかったから、今日来れて良かったわ~」


 まさか横浜に来てアニメイトにくるとは思ってもいなかった。月島は、中学生の時、いわゆるオタク趣味を持っているクラスメイトがアニメイトについて話していたのを小耳にはさんでいたため、存在自体は知っていたが、まさか遠足でここに来るとは思いもしなかった。


「さすがに、冗談だよね」


 月島は、佐藤がいつものように月島を驚かせるためにわざと連れてきたのだと思った。というより、そうであって欲しかったため希望的観測を込めて月島にそう尋ねた。


 佐藤は、決め台詞を吐き捨てるように答える。


「俺は紳士だ。嘘をつかない。いつもそう言っているだろ」


「本当に行くの、遠足でアニメイトに・・・」


 月島が唖然としていると、早速佐藤が前進する。


「よし、いくぞー」


 この遠足の目的の一つは横浜という町を通して歴史を学ぶこと。とはいえ、学校の先生たちも遊びたい盛りの高校生たちがそんなことにあまり興味がないことを知っている。そのため、あえて行き場所を指定せずに生徒たちに委ねることでより一層交流を図ってもらおうとしている。


 しかし、まさかアニメイトに行く生徒がいるとは、さすがの先生たちも予想はしていなかっただろう。


 店内に入ると、月島が見たことのない景色が広がった。アニメのグッズや漫画で並べてられた棚の羅列が広がっており、目が痛くなるほどだった。

 どんどんと中へ進んでいく佐藤に、月島は遅れないようにただついていく。佐藤は急に止まった思えばアニメのフィギュアを持って、語り始める。


「いや~、このフィギュア完成度たっけーな。おい」


「いや、知らないけど」


「まぁ、そうだよな。今日はたくさん布教してやるから楽しみにしておけよ」


 笑顔でそう答える佐藤は、続けて違うアニメのグッズを持ってくる。


「とりあえず、初級編からだ。これ知ってたりするか」


「いや、わかんないな。あんまりゲームとかアニメ興味ないから」


「そっか。じゃあ、これなんかはわかるんじゃないか」


 そういって、佐藤が手に取ったのは昨年の夏に大ヒットしたアニメーション映画の画集だった。


「あ、これは見たことある」


 その映画は月島がみた最後の映画だった。一昨年の夏、受験期間であったが、世の中の注目の高さかに便乗して友達と伴に映画館に出向いた。内容は、「時間を超えて入れ替わった男女が恋をする」というもので、月島も当時、夢中になったが今となっては遥か遠くの昔のように感じる。


「こんなメジャーなアニメーションに関するものもあるんだね」


「次は、これはどうだ。結構いいだろ」


 佐藤が見せてきた美しい青空を背景にした美少女キャラクターのだった。最近どこかでみたような。月島はすかさず感想を述べる。


「まぁ、悪くはないんじゃない」


「なぁ、意外といいだろ」


 佐藤は、少し誇らしげにニヤリと笑みを浮かべる。


 意外なもので、アニメイトという場所は月島が想像するようないわゆるオタクという人はほとんど存在せず、おしゃれな服装で身を包む男女からかしこまった格好のサラリーマンまで様々だった。


 また、そこに置かれているものは、もちろん美少女キャラクターのフィギュアが多数存在したが、国民的アニメスタジオの画集や本格小説まで、こちらもバラエティーに富んでいた。



 月島たちはこの場所を後にして、ようやく横浜駅を出発し、本来の遠足にもどった。その後は横浜で一番高いタワーの展望台にいったり、中華街でお昼を食べたりと、相変わらず先生たちが望むような横浜の歴史を学ぶということは一秒もなく、午後三時、解散場所である中華街のはずれにある野球のスタジアム近くの公園で佐藤と別れることとなった。


「じゃあな月島、俺、部活行くから急ぐわ」


「うん。頑張って」


 どうやら、佐藤は、部活にいくようだ。遠足の後に、部活とは、いささかブラックな部活な気もするが、これからさらに部活に励むことはなんて若いのだろうか。自分には無理だ。月島は強く思った。


 月島は、佐藤と別れるとすぐには家に戻らず、今日いかなかった横浜湾の方へ風にあたりにいくことにした。


 月島が向かったのは山下公園。横浜スタジアムから元町中華街を通った先にあるみなとみらいの建物群、横浜ベイブリッジを見渡せるデートスポットである。平日の午後と言えどもベンチで体を寄せ合う恋人同士や親子連れであふれていた。


 月島は少し歩いて見渡しのいいところでしばらくの間、風にあたる。決して開けた海ではないが、月島にとっては久しぶりの海。少し感慨深い気持ちになる。


 しばらく横浜湾の景色を眺めた後、山下公園を抜けて駅に向かうことにした。


 その帰路に立つと、月島は横浜湾を眺める一人の美少女に目を取られる。そう、その美少女とは例の彼女のことである。


 日向は、少し儚げな表情を浮かべて橙色に変わりつつある海上を眺めていた。なんて画になる光景なのだろう。そんな彼女に姿に月島の視線も自然と引き寄せられる。


 ふと、彼女に意識を取られていると、彼女も月島の視線に気づいたのか、すぐさま月島の方に顔に向ける。月島は反射的に目線を彼女から外す。


 しかし、彼女は月島に気づくとすぐに笑みを浮かべ少し声を張って呼ぶ。


「おーい、月島くーん」


 月島は今気づいたというような仕草を見せながら、彼女に近づく。


「や、やあ、ぐ、偶然だね」


 月島は、少しカタ言になりながらも、彼女に話しかける。


「ふふ、偶然?だね」


「いやーほんとに」


「でも月島くん、話しかける前から私を見てたでしょ」


「べ、別にみてないよ」


「ふーん、本当かな。でも女の子は視線には敏感なんだよ」


 似たような会話を昨日もしたような気がする。とりあえず月島は言い訳を重ねることは止めておくことにした。


「まあ、なんか君が悲しそうな表情をしていたから」


 月島がそういうと彼女は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに表情を戻し応える。

「そんなことないよ。ただ、景色がきれいだったから少し感傷的な気持ちになっちゃただけ」


「ねえ、そんなことより今からデートしない?」


「えっ?」


「嫌、かな?」


「嫌、ではないけど」


「よし、決まりだね。いこう」


 彼女はそういうと少し前へかけていった。


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