第8話 そんな魔法もあるんですね

 ミラはサイラス大公の館に掃除婦として潜り込んでいた。

 窓を丁寧に拭きながら、使用人の話に耳を傾ける。と、言ってもお世辞にも明るい雰囲気の館とは言い難い。使用人の口は重く、得られる情報は少なかった。それでも意外な事実が分って来た。

 大公クライアは大変厳しいが、使用人たちは不当な扱いを受けてないらしい。普段は殆ど一日中執務室に籠って仕事をしており、忙しい様子。たまに公子ダリウムと連れ立って、どこかに出かけている。大公と公子の間には不和はない様だ。

 公子ダリウムは粗暴であるが、女子供には決して手を挙げない。普段は怖いが、酒が入ると気安くなるらしい、というのは未確認情報。使用人で見た人がいないからだ。甘いものが好きらしい。本当だろうか。夕方になると、ふらっとどこかにでかける。長時間ではないので散歩だろう。

 大公妃と次男、長女は大公妃の実家に出され別居中である。理由は不明。別居状態はもう随分と長い様である。

 外から見ると大公は領民を抑圧して虐げ、自分の権力を強化し富国強兵に邁進している。といった印象だったので、ミラは少し脳内情報を修正した。少なくとも私利私欲に走っているというのではない気がした。

 また、公国の軍隊は結構な練度である様だ。公国は徴兵制を敷いており、十五歳から二十歳の間で三年間兵役に従事しなければならない。その間に厳しい訓練が課せられる。領民の間では働き盛りの若者が兵隊に取られることで、生活が厳しくなることが大きい。これも不満の原因だ。しかし良く聞いてみると、兵役従事者には些少ながら給料が支払われている。苦しい実家に仕送りも可能だ。一般的に他の国では、徴兵された者には衣食住が提供されるだけで、給料が支払われることは無い。

 考えに耽って仕事をしていたミラは、足元が疎かになっていた様だ。

掃除の為の水桶に足を掛けてしまい、盛大にこぼしてしまった。そして、こぼした先に人がいたのだった。立派な服装だったのでミラは慌てた。

「た、大変申し訳ありません! あ、お召し物に水が。」

 ミラは、慌てて自分のハンカチを懐から出し、拭こうとした。

「よい! 大してかかっておらん!」

 ぶっきらぼうな言葉を受けて、ミラは思わずその声の主を見ると、公子ダリウムだった。げっ!まずい! 思わず顔を伏せて、ミラは平謝りの体勢になった。

「すみません! すみません!」

 ミラは気弱な街娘が如く、肩を震わせて腰を折り謝った。

「ん? そなたは・・」

 ダリウムは腰を屈めて、ミラの顔を覗き込んできた。

(まずい! 気付かれたか。)

「やはり、あの時の娘か?」

 ミラはしらばっくれることを試みた。

「え? な、何のことでしょう?」

「そのエメラルドの瞳は印象的だ。間違える筈もない。こうすれば分かるか?」

 ダリウムは顔の下半分を首に巻いたサッシュで隠してみた。ミラは観念して話を合わせることにした。

「あ、あ。あの時の・・・」

「あの時の娘はその後どうなった?」

 ダリウムは、街でゴロツキから助けた娘の事を訊いてきた。普通、公子が気に掛ける程の事ではないが。

「は、はい。怯えておりましたので、付近で暫く休ませ、仰せの通りに家まで送り届けました。」

「そうか。よかった。それからこのことは内密にな。」

 ダリウムは囁くように言うと、顔を上げ、大股に去って行った。

 ミラは、意外と気遣いの細かいダリウスの言動に触れ、その人物像を改める必要がありそうだな、と思った。

 


 その後、ミラは何度かダリウムと短い言葉を交わす機会があった。

(どこを見て、粗暴で好戦的という評価になったのかな?)

 ミラは不思議に思っていた。短い会話から察するに、ダリウムは見かけとは異なり、思慮深く思い遣りがあると感じられる。

 仕方ない。もう少し接近してみるか。と、ミラが思った時、視界の端に、館から庭に出て行こうとするダリウムが映った。

 館の庭は広い。奥には少し広い泉がある程だ。もうすぐ夕方になる。仕事を切り上げてもいいだろう。ミラは急いで仕事道具を片付け、ダリウスの後を追ってみた。

 ダリウスは泉の畔で佇んで考え事をしている感じだ。

「そなたか・・」

 ミラが近づくと、ダリウスは振り向きもせずに言った。

「こんにちは。何故、私と分かったのですか?」

 ダリウムはゆっくり振り向くとニィっと口の端を上げて笑った。

「香りだな。それと足音。そなたとはゆっくり話がしてみたかった。」

 ミラは、思わず自分の袖に鼻を付け匂う動作をし、ハッと顔を赤らめた。ダリウムを少々侮っていた様だ。ミラはダリウムの評価を上方修正した。

「お散歩ですか? ここは初めて来ますけど、良い所ですね。」

「うむ。思索するにはいい。こちらに来て座らんか?」

 ダリウムは自分の上着を脱いで草の上に敷き、そこに座れと誘った。

 ミラは自然に釣られ座ろうとしたが、自分の立場を思い出し言った。

「いえいえ。滅相もない! 私は立ったままで!」 

「わはは!遠慮することはない。俺が坐って話したいのだ。それに・・そなたは見た目通りの街娘ではないのだろう?」

 その言葉にミラは本気でびっくりした。どこまで気付いているのだろう。これはある程度開き直るしかないな。と、ミラは覚悟を決めると、ダリウムの上着を取り上げて返しながら言った。

「それでは、お言葉に甘えて。」

 ミラが優雅な所作でそこに座ると、ダリウムが再び笑った。

「そなたは何者だ? 街中で出会った時から気になっておった。街娘にしては随分と落ち着いておったものなぁ。刺客でもない。そなたには全く殺気を感じぬからな。」

 そこまで言われた時点でミラは諦めた。この機会に色々聞いてみよう。

「公子様。それにしても物騒ではありませんか? いくら館の庭と言え、一人歩きなど。責任のある立場の者としてどうかと思いますよ?それにこの館の警備は杜撰過ぎます。これまでにも侵入者は多かったのではないですか?」

 ここまで言うと、ミラは自ら間者であることを白状しているも同然だ。ダリウムは笑った。

「覚悟の上だ。刺客がある場合も殺気を感じる力は俺も父上も人一倍備えているからな。それを撃退する力も。それに情報を漏らすのも一つの戦術というものだ。もし、我らの力を上回る敵に遭遇した時はそれまでということよ。」

 ミラは首を傾げながら、どんどん更新されていくサイラスという大公家の印象に戸惑っていた。

「私の知っているサイラス大公家とは随分と感じが違う・・ あなた方は何をしたいのですか?」

「違うか? そなたほどの間者にそう思わせるならば上々だ。」

(ボクの腕を評価してる? そんな素振りは見せてないと思うけどなぁ。そして間者って言い切った! まぁ当たり前か。)

 と、ミラが考えていると、ダリウムは前触れもなく目にも止まらぬ速さで、剣を抜き振り抜いた。磨き抜かれた刃が首元で止まるのを見たミラは、軽く目を瞠った。

「ほぅ・・・ 逃げぬか。どころか全く無反応であったのう。」

「あ、あ、危のうございます~~! 公子様ぁ!」

 ミラは本気で吃驚した。今の剣がもし当たっていたら、ミラは吹っ飛んでいただろう。但し無傷で。それはそれで、言い訳が難しくなる。色々な意味で。

 グランタナの者は龍麟があるので防御に関しては全く無頓着である。従って、その戦い方はほぼ突貫であった。剣技において、防御技を使うのはその方が効率が良いからに過ぎない。服が破れるのは防ぎたいし。

 それにしてもダリウムの剣技は本物だ。ミラはそう感じた。

「わはは! すまぬすまぬ! そなたの腕を確かめたかっただけだ。さて、俺たちが何をしたいのか。だったな。答えは決まっている。この国を変えたいのだ。」

「それは存じ上げております。この国の半分をまとめ、エルネア、スルーラットに対抗しようというのでしょう? 少なくとも今のところ私の認識ではそうですが・・・」

 ミラの言葉を聞いて、ダリウムはニヤリと笑った。悪い顔だ。

「では、そういう事だ!」

 なにかおかしい。ミラはダリウムの答えを聞いて増々違和感を増した。そして先程から思っている疑問を口に出した。

「ところで、私を間者と認知した上で見逃して頂いているのは何か訳が?」

「そうだな。この事は人に言ってもなかなか信じてもらえんのだがな。父上と俺は人を見る目があるのよ。そして俺たちはそれを信じておる。そなたは間者ではあるが、悪い間者では無いな。俺のここの所がそう囁いておる。わはは!」

 ダリウムは自分のこめかみ辺りを人差し指でトントン叩きながら言った。

 何を言っているのだろうか。この人は。ダリウムの答えに対し、呆気にとられながらミラは思った。人の印象とはこうも変わる者だろうか。数刻前までのダリウムに対する印象は百八十度変わったと言ってもいい。ミラは自分自身の潜入と情報収集能力を評価していたが、今まで集めた情報に自信を持てなくなっていた。

 俯いて考え事をしていたミラに、ダリウムは言った。

「先程はすまなかったな。お詫びに今度なにか奢らせてくれ。」

「え? 公子様とお食事ですか? い、いや、身分が違い過ぎます。そ、それ以前に男の人と食事はちょっと。」

 それを聞いてダリウムは笑った。見た目と違って結構笑う人だ。

「わはは!俺はな。そなたが気に入ったのだ。それに男同士で酒を飲むのに何が障害だ?」

「え?ええ! 何時から気付いて!?」

 ミラはこれまで女装がバレたことはない。むしろその姿の方が普通で落ち着くくらいだ。なので、それを指摘されたことで、無性に恥ずかしくなった。

 顔を真っ赤にしながら両手を頬に当てて俯く姿は、そこら辺の女性よりずっと乙女だった。



「何時からボクのこと気づいてたのですか?」

 ミラはかねてからの態度を崩し、少し不貞腐れた様に訊いた。

 後日、ダリウムは約束通りミラを食事に招待した。

 最初は街の行きつけの酒場でご馳走しようと考えていたみたいだが、それはミラが断った。女の格好で行くわけにはいかないし、男の格好でもミラはいいとこ男装の令嬢までしかならなかったからである。これは非常に目立つし、今後の活動に支障がある。そこで、個室のある貴族御用達の高級料理店である。

 ミラはその場に合わせて、少し着飾っていたが、ダリウムを知る店の主人以下使用人達は、ダリウムが連れて来た綺麗なご令嬢に興味津々であった。少なくともダリウムが女性を伴って店に訪れたことは無い。どんな関係だ? 店の裏側ではこの話題で持ち切りだった。

「長いことこの格好でいるけど、バレたのは初めてですよ。」

 料理はかなり美味い。ミラは遠慮なく料理をパクついた。

 密談にも使われる個室は、防音完備で遠慮なく話ができる。ミラの問いかけに、ダリウムがニヤリとして答えた。

「そなたが泉の畔で俺に話しかけた時だな。いや。切っ掛けはそなたが廊下で水をぶちまけた時か。あの時俺は違和感を持ったのだ。」

「それはどういう・・」

「そなた、ハンカチを出して濡れたところを咄嗟に拭いてくれようとしたであろう? あの時のハンカチが女物にしては簡素に見えたのだ。」

「えぇ? 女の人でもその程度のハンカチはあると思うんですが? ましてやボクは只の使用人ですよ? 贅沢なものは持ち歩かないと思います。」

「そうさなぁ。そなたほどの美形が持つハンカチに釣り合いが無かったというか。だが、それは切っ掛けにすぎぬ。前にも言ったであろう? 我が父上と俺は人を見る目があると。これは一般的な勘、ということではない。たぶん魔法的な能力だ。これまでの親子二代の経験がそう結論付けた。その証拠の一つがこの食事会だな!」

 まじか! それを聞いてミラは驚いた。だが、なるほどそう考えるとダリウムのこれまでの行動の辻褄が合うような気がする。ミラは目の前にある上品な酒を一気に煽った。

「ふぅ! そんな魔法もあるんですね。それで、どこまでボクの正体を測れるんです?」

「話したことがほぼ全部だ。しかし重要なのは人を見る目があるってところだ。その人物が害になるのか、益となるか、敵となるか、そして味方になってくれるかを高確率で判断できる。」

「つまり、間者であるボクが公子様の味方になるかもってことですか?」

 ダリウムはいつもの如く、ニヤリとニヒルに笑っている。

「さて、ここから先が本題だ。これを聞くと、そなたは引き返せなくなるであろう。どうする?」

 ミラは思った。ダリウムは思った以上にやり手だ。現状、ミラが翻弄されている立場にある。

 ミラはじっとダリウムの目を見つめた。粗暴な雰囲気が漂う外見の中でそのヘイゼルの瞳は妙に真っ直ぐで、透明感があった。視線を切らすことなくお互いに暫く見つめ合っていたが、ミラは溜息をつきながら視線を逸らした。

「あなたの様な人は初めてですよ、公子様。それでボクに何をさせようというのです?」

「特には何も。見たところそなたは外国の間者だな。敵対するところが見えないあたり、ラスアスタ辺りか。予想だが、アルジェントと関わりの深いアノワンダ侯爵配下の者か。まあ、そこのところはどうでも良い。俺の話を聞いて、そなたはどのように動くかな? 楽しみだ。」

 ミラはこのずっと年下の男に翻弄されているのが気に入らない。気に入らないが、その実力は認めていい。ダリウムの話を最後まで聞く気になっていた。

「公子様。ボクは覚悟を決めました。お話下さい。」

 ダリウムはよし!と言って、食事をしながら、世間話をするようにミラに話すのだった。

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