第2話 まぁ! 覚えてやがれ、ですって!
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「見えて来たわ王都。久しぶりね。相変わらず綺麗だわ!」
長い黒髪を揺らしながら、馬車から身を乗り出しリンゼがはしゃいだ声をあげた。
「ああ。リンゼはアリス様の戴冠式に来て以来だもんな。僕も久しぶりだ。増々発展してる気がするよ。」
リンゼとエミレンが馬車に揺られて王都への旅路について半月余り。殆ど館の周りから出たことが無い引き籠りのリンゼを待っていたのは色々と久しぶりに興味深い外の世界だった。
「まぁまぁ! 本や手紙で色々聞いてたけど、実際に見るのは全然違うわ! まぁまぁ!」
長い旅路の最中、どれもこれもが新鮮で、見るもの聞くものすべてに対して、はしゃぎっぱなしのリンゼだった。エミレンは旅の知識を、リンゼは本で得た蘊蓄の知識を互いに交換しながら楽しい旅程だった。
「旅って素敵ね。前に来た時は儀式の用向きだったから、緊張しちゃってあまり覚えてないのよね。その前はもっと子供だったしね。本の中の世界も素敵だけど、もっと外に出てみようかなぁ。」
「リンゼも我が同胞って感じだね! まぁ、子供の一人旅は難しいからね。これからは機会があれば色んな所に連れてってあげるよ。」
「わ~い! ちぃ兄さまだいすきぃ!」
リンゼはエミレンに抱き着き、こらこら馬車の中はあぶないよ?と言いつつ、少し冷や汗を掻きながらエミレンはリンゼの頭を撫でた。
リンゼは一族の中でも特殊な能力を持っている。龍人は基本的に龍麟という絶対防御の加護を持っているが、攻撃面はその高い運動能力による物理攻撃に依る。しかし、リンゼは物理攻撃がからっきしの半面、反射という特殊能力を持っていた。龍麟という絶対防御が特化した形だろうか。エレンが最強と評したことは誇張でも何でもない。リンゼに対する攻撃はその強度で自分に跳ね返ってくるのだ。
どうやら、悪意を持つ攻撃や、指向性のある攻撃に限って反射が働く様だが、線引きが難しい。馬車の中で転んだらどうだろう、とリンゼの頭を撫でるエミレンだった。
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「さあ、着いた」
グレンタナの上屋敷は王都にあるが、今回は一般人として王都に滞在する。隠し身分としてはグランタナ家が時々使用するサナス子爵家を名乗ることになっている。ちゃんと貴族名鑑にも記載されている正式なものだ。王女と付き合うにはその方が都合がいい。
馬車から降り立ち、小奇麗な石積みの一軒家を見て、両手を頬にあてリンゼは目をキラつかせた。
「まぁ!素敵なおうち! 庭があるわ!何育てようかしら。」
リンゼは館にいる時も、本で得た知識を検証する為に、手の届く範囲では、色々やってきた。畑仕事もその一つである。
「小さい家だけど、僕と二人だからね。十分な広さはあるよ。好きな部屋を選ぶといい。」
リンゼは家に駆け込み、ぐるっと回って二階の朝日が当たりそうな明るい部屋に決めた。簡素だが、ベッドと机、二人掛けのテーブルと本棚が設置してある。
「むふっ。なんか新生活って感じね。どんなお部屋にしようかしら?」
「じゃあ。僕は向かいの部屋ね。一応、生活道具は揃ってると思うけど、後で買い出しに行こうか。」
「うん!」
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「リンゼ。君の名はリンゼ=サナス。僕はエミレン=サナス。いい?」
王都の街を歩きながらエミレンは言った。
「まぁ。身分を隠して暮らすなんて、帝国の諜報一族の小説みたい!なんかわくわくするわ。」
「うん。僕もだ。けど、まあ、状況は似たようなものだよ? リンゼは姫様の学友として近づくんだけど、実質護衛役だからね。気をつけてね。」
まあ。リンゼに関しては心配ないけどね。エミレンは思った。
「あたしにできるかなぁ。護衛なんかやったことないけど?」
「オオカミの群れを一人で退治したのは誰だっけ? 護衛のやり方なんて、知識的にはその可愛い頭に詰まってるんじゃないの?」
「あの時は、オオカミさんが勝手に引き揚げてくれたでしょう?」
リンゼの不満顔を見遣りながら、エミレンはその時のことを思い返していた。
エミレンはまだ幼いリンゼを連れて、薬草獲りに館の近くの森まで出かけた。普段は安全な森だが、稀に野生の獣に遭遇することはある。その時はそんな状況だった。オオカミの群れ十頭程に遭遇し囲まれたのだった。エミレンは龍麟の加護がある他、剣の腕もまあまあであるから、身の危険を感じるまでもなかったが、その時はリンゼを守ることに意識を割いていた。リンゼも加護を持っていて、実質的には問題ないが、嚙まれたら痛いものは痛いし、まだ幼い子供にはオオカミの群れは怖いものと映るだろう。エミレンはその辺を心配した。
剣というのは一対一では有効だが、大勢を相手するのは不向きだ。リンゼを守りながら剣を振るっていたが、隙をついたヤツがリンゼを襲った。エミレンはしまった、と思ったが、その瞬間オオカミはキャンと悲鳴をあげて吹っ飛んだ。リンゼは泣き声をあげる訳でもなく、涙目で少し怯えながらもしっかりとオオカミを見つめ、何を考えてか手を差し伸べた。件のオオカミはリンゼを警戒しながら起き上がって後ずさりし、遂には逃げ出した。他のオオカミも釣られて逃走し事なきを得たが、エミレンがリンゼの反射というものを初めて見た出来事だった。
エミレンが考えに浸りながら歩いていると、広い通りに面した少し大きな門構えが現れた。
「ああ。この屋敷。セリーナ姫様が住むところね。覚えといてね。姫様はセリン=エストリアを名乗ることになってる。僕たちは一般下級貴族扱いだけど、さすがに姫様は生活上一般人という訳にはいかないからね。アリス様の旦那様、つまり宰相エストリア公の縁者扱いね。けど学園では生徒同士は対等だから覚えておいてね。」
「ふむふむ。何故、ちぃ兄さまはそんなに詳しいの?初めから用意周到過ぎない?お父さまの仕事とは思えないわ。」
「リンゼは手厳しいな。確かにこれは父さまの手配じゃないよ。アリス様の要請を受けたに過ぎない。それでも政治不干渉の立場を堅持する父さまとしては異例の事じゃないかな。どうやら南の隣国、フォースタリアで不穏な動きがあるらしい。まだ公にはなってないけどね。当事者以外ではラスアスタの上の方しか気付いてないんじゃないかな。これはどうもラスアスタも巻き込まれる可能性が大きい。少なくともラスアスタのシンクタンクはそう判断しているみたいだね。つまり、何が起こるか分からないので、転ばぬ先の杖的な?」
ラスアスタとフォースタリアは長らく友好関係を築いてきた。貴族間でも姻戚関係を結ぶ者も多く、悪い言葉で言うと様々なしがらみがラスアスタに影響を及ぼすということだ。
フォースタリアはラスアスタより若い国ではあるが、前王国を革命により打倒して立国した経緯があり、活躍した英雄五家による持ち回りで政権を担っている。だが最近ではその仕組みがうまく回っていない様なことを聞く。つまり、英雄五家間の確執だ。
「政って難しいわ。どんなに体制を整えたって、いずれは腐敗するもの。違う主張が現れると確執が起こるし、厄介よね。」
リンゼは時々ふと大人びた考えを披露することがある。幼い容姿と言葉が乖離してて、そのギャップのせいで見てる方は微笑ましく感じる。エミレンはふふっと頬が緩むのを抑えられなかった。
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色々な店を回って、当面必要なものを買い揃え、家に届けてもらう手続きをして帰路についた道で、突然悲鳴が聞こえた。そこそこ人通りの多い場所である。何事かと周りの人がキョロキョロしている。場所はどうやら姫様の屋敷の近くの路地中のようである。駆けつけると三人の男と、歳の頃リンゼと同年代の箒を抱えた栗色髪の娘が厳しい表情で対峙している。悲鳴の主は男の一人で、蹲っている。急所をやられた様だ。
「何をしている!」
エミレンは騒ぎの間に飛び込んだ。
男達は周りに人が集まって来たのに気付き、覚えてやがれ! と捨て台詞を吐いて急いで立ち去った。
「まぁ! 覚えてやがれ、ですって! そんなセリフが現存するのですね! まぁまぁ!」
リンゼは両手を頬に当て、何が受けたのか興奮している様子だ。
「お嬢さん、怪我はなかったかい? 一体どうしたんだい? 必要なら衛兵所に付き合うよ?」
様子がおかしいリンゼを横に見ながらエミレンは箒を抱いた娘に声をかけた。娘は服装からしてどこかの使用人だろうか。硬い表情でエミレンとリンゼを見て言葉を返した。
「あ。ありがとうございます。いえ。大したことでは無いのです。この箒を買いに行ってて帰って来たのですが、何だか先の男の人に箒が触れたようで、難癖をつけられていたのです。ちょっと、勢い余って反撃してしまって・・ 」
「それは災難だったね。家まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。お家はすぐそこですから。ありがとうございます。」
娘は薄く微笑んで礼を言い、駆けて行った。
「うん? あれ?」
エミレンの首を傾げる様子にリンゼが声をかけた。
「ちぃ兄さま。どうしたの?」
「いや、今の娘、姫様の屋敷に駆け込んだんだよ。それで思い出したんだけど、姫様に似てたなって。」
「姫様が箒の買い出しに行くの?」
「それな。無いわな、普通。以前見かけた姫様は大人しい深窓の令嬢って感じだったし、大立ち回りは似合わない。気のせいかもな。」
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