龍の在る世界

はちなしまき

第1話 お話聞かせて? 

大陸の北西部を占めるアルジス帝国。冬の厳しい寒さはあるが広い国土と豊富な資源に恵まれ、大陸では一大勢力の一つである。

 帝国の国力にも応じた広さを持つ、その玉座の間の中心にはその場にそぐわぬ異様に大きな大剣が刺さっていた。かつての帝国の主従はその大剣を見るたびに心を引き締めたという。

 アルジス皇家には密かに伝わる教訓があり、家訓と言ってもいいものがある。曰く、『グランタナには手を出すな』。


 そこは深い森の緑に囲まれた土地。

 険しい山脈も間近に迫り、北の未開拓地や西の帝国とも境を接する王国北部の辺境の地。

 僅かに開けた平野部は割と肥沃で、山脈から流れ落ちる水は清らかであり、天候さえ安定なら農作物も良く育つ静かで平和な邦である。

 治めるのはグランタナリウスアイゼン辺境伯爵家。ここ、ラスアスタ王国建国五百年来の古い家であり、王国の歴史と共にあり、王国を北と西の脅威から守り続けて来た王国不動の守護家である。

 そういった辺境の地勢であり、山脈に近く天候は不順。冬はほぼ雪に閉ざされる。西隣には、大国アルジス帝国の存在があり、北側は山脈を介して、魔法を駆使する魔獣や魔族が住むと言われる不気味さも相まって、なかなか人は寄ってこない。領地は広いが人が集まる街などは少ない。

 グランタナリウスアイゼン辺境伯爵は家名が長いので、グランタナ伯爵と略されることが多い。この土地もいつしかグランタナ領と呼ばれるようになって久しく、いつの間にか定着している。

 伯爵家でもそれを訂正する意思は全く見られず、それらは公式文書でも記載されるようになり、伯爵家の正式な家名を言える者も殆どいなくなってしまった今日この頃。

 そのように大らかな面を持ち合わせている伯爵家ではあるが、武力は著しく高く、他家の貴族より抜きんでていると噂される。噂である。何故なら伯爵家が武力をどこかで行使した歴史が残っていないからだが、それでも北の脅威を抑え、西の帝国からの侵入を阻んでいる事実がある。大陸の中規模国家であるラスアスタ王国が生き残ってこられたのは伯爵家あってのことである事は、この北辺の地を任されている事実が雄弁に物語っているからである。

 それだけに、王都において伯爵家は一部では尊敬を、また一部では無闇に警戒を受ける家柄であるが、伯爵家の者は我関せずと、王家主催の催しでさえ殆ど出ることなく、顔を知る王族貴族たちも僅かである。要するにその功績と地位にも関わらず華やかな社交界では影が薄い。

 そして伯爵家を特徴づけるもう一つの噂。権威つけに創られた伝承と言う者もいるが、それは、グランタナリウスアイゼン辺境伯爵の祖が龍神である、というもの。この伝承、間違いではあるが真実に近い。


「わあ! ちぃ兄様? 戻っていらしたの? 今回はどこに行ってたの? お話聞かせて!」

 リンゼアリスティアは本から目を上げ、深い赤色に近い銅金色の髪を揺らせて、振り向いた。エメラルド色の目がキラキラしている。

「やぁ。久しぶりだねリンゼ。二年ぶりの我が家だな。ちょっと帝国にね。行ってきた。」

 癖のある黒髪を掻きあげて、グランタナ伯爵家三男のエミレンクライスアレスが腕を広げた。わーいと言って、リンゼはそこに飛び込もうとしたが、寸前で踏みとどまった。

「ちぃ兄様ぁ 先ずはお風呂にしましょ。埃だらけよ? 髪色も落として。その間に食事の用意をしておくわ。」

「あはは。まぁ、これはひどいね。服もボロボロだしね。じゃあ。食事の席で今回の冒険譚を話してあげよう!」 

「うん!」


 実のところ、伯爵家の者は人族ではなく龍人である。山脈の北側に在る、人族のいう所の所謂魔族の系譜であった。

 グランタナ伯爵家には当主と夫人の間に三男一女の子供がある。龍人としては大家族だ。だが、館はみんな留守で、今はリンゼとエミレン、そして家令のベンジャミンだけである。伯爵家の身分ではあるが、使用人などは少なく、屋敷や庭の掃除と管理を担う人手を雇っているだけである。食事の用意は自分達でする。

 ベンジャミンと言えば王家から派遣されてきた人族だが、伯爵領の運営をグランタナ伯爵ゼノの代わりとして一手に担っており、超多忙故、滅多に顔を出さない。

 つまり、館にはリンゼ以外殆どいないことが多い。放浪癖がこの一族の本質なのである。

 かの伝承、龍神の末というのは大げさだが、伯爵家は龍の一族である。正確にいうと、龍自体が最早神話の存在なので、あくまで一族に伝わる伝承であり、自らは龍人を名乗る。そして、放浪癖と収集癖は龍の特徴と言っても差し支えない。

 館より蔵の方が大きいのは長年の収集の賜物である。

 また、この一族は見た目通りの歳ではない。当主、ゼノビアラバストルはラスアスタ建国の立役者本人であり、つまり五百年以上生きてることになる。この事実はラスアスタ王家とごく一部の者しか知らず、伯爵家の当主交代は不自然が無いように、公的には行われていることになっているが、実態は動いていない。人前に出ない理由の一つでもある。中央では忘れられている家。そんな扱いの辺境伯家であった。

 王家とは建国以来の契約に基づき、今の立場を謳歌していると言ってもいい。そもそも建国当時は主従が逆だった。王家の立場をラスアスタに押し付け、その代わり国を守護するとの約束で、ゼノ本人は辺境伯の立場に収まったのである。



「そら! お土産だぞ!」

 エミレンの冒険譚にリンゼは目を輝かせながら耳を傾けて食事をした。その後、リビングでお茶を飲みながら話の続きをしようとしていた時だった。

「お!おぉ~!」

 分厚い本が十冊ほど。リンゼは思わず飛びついた。

「帝国の面白そうな本を見繕って持ってきたよ。」

「ちぃ兄様! ありがとう! 嬉しい!」

 リンゼはお茶そっちのけで、表紙を捲っている。リンゼも例に漏れず収集癖を持っており、それは書物という形で代表される。正確には新しい知識や物語であり、リンゼは人の話を訊くのも大好きであった。館には図書室と呼べる規模の書物が収まった部屋があるが、リンゼの所有する蔵はそれに劣らない規模の書物が収集されていた。

 リンゼは本を読むのが大好きで、その分、放浪癖が希薄となっており、伯爵家のものとしてはちょっと変わり者と皆に思われている節がある。

 リンゼの見た目は十代はじめだが、既に生を受けて五十年は経つ。龍の一族は成長が遅いが精神的な成長も遅く、大体見た目通りの振る舞いをする。

 本大好きな彼女にとって、帝国語を読むなど障害ではない。頬を赤らめて読み進めるリンゼを眺めながら、エミレンは楽しそうに微笑み、ハーブの良い香りがするお茶を飲んだ。



「やぁ。久しぶりだねリンゼ。エミレンも帰ってたいたか。 三年ぶりの我が家だな。」

 昨日と同じような光景に既視感を感じながらリンゼは目をぱちくりとした。

「わぁ! おかえりなさい。お父さまぁ。お母さまも!」

 ゼノビアラバストル伯爵と夫人のエレノアンゼリーゼが昨日エミレンがやったように腕を広げてきた。それに対し、リンゼは迷うことなく母親の腕の中に飛び込んでいった。

「あらあらまあまあ。相変わらずあまえんぼさんねぇ、リンゼは。ふふっ」

 伯爵と言えば、行き場を失った両の手を見ながら、エミレンに視線をやった。さあ!来い、と言わんばかりのポーズに、エミレンはフッ と微笑むのだった。



「どこを回ってきたの? お話聞かせて!」

 これもまた昨日と同じような繰り返しの光景だ。リンゼは言いながら少し可笑しくなった。

「ああ。国に戻って少しゆっくりした後、海路で南に下り、セントレートでぶらぶらしてラスアスタ王都に滞在ってルートだな。」

 伯爵は炎の様に逆立った真っ赤な髪を揺らしながらソファに深く腰掛け、くつろいで語った。見た目は三十歳くらいだろうか、龍人はゆっくり成長し、大体見た目がそこで止まる。精神的にも。

「国って、龍人の国でしょ? おじさま元気だった?」

 龍人の国は、北の山脈を越えた魔族が住むと噂される、人族にとっては未踏の領域にある。何故なら人の身でその山脈を越えることができないからだ。物理的に越えられないのではなく、そこには魔法的な障壁が張られていた。そんな理由でそこは人族の侵入を阻んでいる。山脈の向こうに広がるのは魔法的な生き物の世界。人族に認知されない者達から、龍人の様に見た目人族と変わらない者達まで、様々な生き物が暮らしている。

 逆にその者達は山脈を越えられるかと言えば、移動は可能である。但し、人族の世界は物質的であり、こちらに来たとしても殆ど認識されないし、人族の世界には干渉できない。例えばこちらで精霊と呼ばれるものはそんな存在である。逆に言えば、その両者に大きく関われる龍人という存在は特別であろう。

 そして、より物質的な生き物も少ないが存在する。人族にとっては脅威となる、例えばワイバーンや巨大なタウロスなどである。これらは山脈のこちら側に出ないように龍人によってコントロールされていた。

 リンゼの伯父、つまり伯爵の兄はその領域を統括する龍人の頭領であった。魔族とは即ち龍人を筆頭にする魔法的な生き物の事である。龍人は物質的な人族に最も近い存在なので、人族に認知された上で両方の世界を行き来でき、その共存関係の管理を任されている。無益な諍いを好まない魔族は北の地に引き籠り、平和な世界を謳歌している。それ故に、一部を除いて人族と関わりを持ちたくないのだった。つまり、グランタナ領は人族、魔族お互いの境界上にあって、バランスを取っていると言えた。

「うふふ。相変わらずだったわよぉ。おじさまは。挨拶しようにもなかなか捕まらなくって。ねぇ。ゼノ?」

「はは。私たちも人のことは言えんよ。まぁ。人探しもなかなか楽しいじゃないか。エレン?」

 伯爵夫人は、リンゼに似た赤金色の艶やかな髪を持ったふわっとした雰囲気の女性である。リンゼは母親譲りのところが多くみられる。

 龍人の外見の特徴として、その赤い髪色が挙げられる。赤い髪は人族にもいなくはないが、龍人のそれは、色味の鮮やかさで非常に目立つ。殆ど忘れられているが、人族の伝承にも残っている。エミレンもそんな訳で、目立たないように旅の最中は黒髪に染めていた。

 現代は龍人の存在自体伝説になっている。もちろんそう仕向けたのは龍人達であるが、自分達の自由を謳歌する為に、細心の注意を払ってその存在を消してきた結果である。

 因みに、エレノアはゼノの従妹の娘にあたるが、頭領のことはおじさま呼びである。ついでに言えば、曾祖母などもおじさま、おばさま呼びであった。長寿の一族はその辺が複雑になるのはやむ負えない。



「今日、ここに帰って来たのには理由がある。」

皆で食事をして、存分に語らった後、伯爵は唐突に切り出した。

「なぁに? お父さま。」

「実はな、リンゼ。お前に王都に行ってもらいたくてな。」

「まぁ!」

 リンゼは両手を頬に当て、目を瞠った。リンゼの驚いた時や、考え事をしている時の仕草だ。今は後者だろう。エミレンは妹の表情をそう見て微笑んだ。リンゼは人一倍好奇心旺盛だ。本の虫ではあるが、外の事に興味が無いわけではない。本を読むのを優先して、結果的に外に出なかっただけだ。きっかけさえあれば冒険事に飛び込むことは嫌じゃない。少しの葛藤の後、リンゼは手を下げてゼノの方に身を乗り出した。

「詳しく!」

 そもそもゼノがリンゼの王都行きを示した時点で、これは決定事項だ。ゼノの話をリンゼは興味深げに聞いた。

 事の発端は、現王の第一王女であるセリーナ姫の王立学園の編入にある。

 ラスタリア王家の王位継承は実力主義である。現王には二男一女の子供があるが、これに左右されることは無い。生まれ、性別等に関係なく、継承権を持つものが様々な実績を積み、頃合いを見て王が決める。国の将来を決める大事なので、王はかなりの労力をこれに割く。おかげで他の国の様に継承争いなどはあまりなく、愚王が出ることもなく、五百年の間安泰に国を統治できていると言える。王侯貴族はこの制度を誇りを持って受け止めている。

 セリーナ姫には6歳と3歳年上の二人の兄がいる。クラウスと呼ばれる長兄はそこそこ優秀だがちょっと残念な面がある愛嬌たっぷりな王子であった。次兄のアルターも優秀だが、学者タイプのどちらかというと偏屈な性格と受け取られる王子である。つまり、現王の継承権を持つのは主にこの三人。他の親族にも対象となる者がいるが、継承の可能性は低いだろう。

 継承には様々な利害が絡むのは必然。そんな制度にも問題が無い訳では決してない。継承候補者は未成年の場合、その身分を隠して行動する。つまり、幼年の頃から審査が開始されているとみていい。 当然、学園生活なども一般人として過ごす訳で、その身分を知る者の攻撃に晒される可能性は高い。そこで、どうしても護衛を付ける必要がある。その人選は様々で、当人が決めることもあるし、王が決めることもある。

「アリスに頼まれたのだ。セリーナとは歳の頃も一緒だし学友になってくれないか、とね。クリス伯母上の口添えもあってなぁ。」

 なるほど。歳の頃が一緒というのは語弊があるが、リンゼはその一言で大体を理解した。アリスとはこの国の現王。因みにリンゼの名前の中にあるアリスから取り、前王が名付けをしたらしい。生まれたアリス女王と見た目の歳が近いリンゼの間に縁を結びたかったのだろうか。

 それにクリス伯母、即ちクリスティアランゼエルフィはラスタリア初代王の妃となった龍人である。

 龍人と人族の間では子は成せないことになっていたが、例外は存在する様だ。即ち、アリスやセリーナは龍人の血を引く。

 そしてクリスと呼ばれる元妃はゼノの伯母にあたり、その頼みとあらば引き受けない選択肢は無いだろう。因みに、リンゼにとって、クリスは祖母の世代になるが、おばさま呼びである。

「アリスちゃんは、それはそれはセリーナちゃんを可愛がっていてねぇ。本音は継承競争なんかには巻き込みたくないのよ。でも、これは継承候補者の義務だから仕方ないけど。最強なリンゼが傍にいたら安心ね。うふふ」

 エレンが何やら不穏な言葉を混ぜながら懐かしむ様な目をしてリンゼを見つめた。

 王族の一部だけには伯爵家の正体等が明かされている。これは国家最高機密であり、知る者は極々限られる。

 伯爵家の影の薄さに対して、妙な優遇具合が気に入らない貴族諸氏がいるのは否めない。しかし、伯爵家は基本、王家の運営方針や、政治面に対して不干渉の立場だ。辺境防衛に特化していると言っていい。王国に余計な争いごとを持ち込まない為である。そんな伯爵家であるから、今のところ平穏な生活を送れている。

「セリーナと友達になってくれると有難いな。それに、学園に入ると洩れなく王立大図書館の閲覧ができるぞ?王城図書の閲覧権も付けてやろう! どうだ!」

「行くっっ!」

 決定的な餌をぶら下げられ、リンゼは即答した。

「あ~。僕も王城図書の司書として赴任することになったよ。リンゼだけで王城図書に踏み込むのは不自然だろ?」

 エミレンが頬を掻きながら言った。

「まぁ!それは心強いわ。でも、ってことは全部既に決まってたってことよねぇ?」

(父様にしては根回しが良すぎない? 兄さまが一時にしろ、腰を落ち着けるのも不自然だわ。)

ちょっと首を傾げるリンゼであった。

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