第4話 魔法研究会

 私は大学のサークルにも部活にも入っていない。だから、まあ、大学ではぼっちなのだけれど、十代のころのようには気にしていない。熱中している趣味があるわけでもなければ、大学の成績も低空飛行で、我ながら何をして生活しているのだろう、と思う。ぼんやりとしているうちに、二十四時間が過ぎてゆく。

 受講している講義のない水曜日の朝、「今日は何をしよう」としばらく考えて、図書館で勉強をすることにした。私にしては珍しい。偉い、偉い。

 黒のスキニーパンツに水色のチュニックを身に付け、黒いリュックサックを背負ってサンダルを履く。「芋」とか「ださい」とか周りには思われているんだろう。別に、それでも良い。私には、おしゃれをする理由が分からない。清潔感があって、それなりに群衆に溶け込めるのなら、それで良いと思う。男の子にアピールしたくもないし、自分にとって着飾るのが楽しいこともない。そもそも、服を買う金もない。

「いってきます」

 出かけようとすると、美羽ちゃんが

「待って」

と慌てたような声を出した。

「どうしたの?」

「私も、行く」

 彼女は鏡の前で、長い髪を二つに結び始めた。

「買い物?」

「違うわ。あなたの大学に用があるの。『魔法研究会』ってサークルに行かなくちゃならなくて」

 私は首をかしげた。あそこは、魔法使いではない学生たちが、文献や公的な調査を元に様々な考察をするサークルだ。美羽ちゃんの興味をひくことなんて、何もないと思う。

「ユウキ。あなたは、一般人を甘く見ているわ」

「そんなつもりじゃ……。魔法使いもただの人間だと思ってるよ」

「でも、魔法を使えない人には魔法のことは分からないと思ってるわよね。案外、当事者よりも客観的な視点を持ってる研究者の方が、真実を探し当てることもあるのよ」

 美羽ちゃんは身支度を終わらせると、私を急かした。

「早く、行かなくちゃ」


 美羽ちゃんの目的が気になったので、彼女についてゆくことにした。

 学生会館と呼ばれる、サークル室のたくさん入った建物に向かう。オーケストラ部や軽音楽部の練習の音が鳴り響いている。色々な音がごちゃ混ぜになってしまい、何の曲なのかよく分からない。こうなったら、雑音ととられても仕方ないだろう。実際、この二つのサークルに対する苦情は多いらしい。

「『展覧会の絵』に、『美術館で会った人だろ』ね……ふふっ」

 美羽ちゃんが、口元に手を当てて笑い始める。

「聞き分けられるの?」

「まあね」

 驚異の耳のよさ。聖徳太子かな。私は、どちらの曲も知らなかったので、当てようもない。

「昔から、クラシックのコンサートにはよく行くの」

 ふうん、と私は呟いた。


 魔法研究会のサークル室の、木製の扉をノックしてみる。返事がない。美羽ちゃんは構わず、扉を開けた。

「こんにちは」

 十畳ほどの部屋。テーブルに、いくつか並んだ一人掛け用のソファー、ホワイトボード、本棚。雑然とした印象だ。眼鏡を掛けた猫背の青年が、部屋の隅で携帯ゲーム機を弄っている。

「あれ……夢の魔女さんと……悪魔ちゃんかな?」

 青年は顔を上げ、気だるげにそんな失礼なことを言った。魔法研究会の人々に、私は「夢の魔女」と呼ばれている。それは、もちろん私のせいだ。入学したばかりのころ、興味本位でこのサークルの新入生歓迎会に行き、サークル長の巧みな話術に乗せられて、自分について洗いざらい話してしまったのだ。別に、隠す必要もないのだけれど。

 それにしても、彼はどうして美羽ちゃんのことを「悪魔」と呼んだのだろう。

「美羽ちゃん、この人と知り合いなの?」

「いいえ、初対面よ」

 彼に問いかけてみる。

「この子、悪魔に見えますか?」

「うーん、そうだねぇ。少なくとも人間じゃないでしょ」

 彼の言葉に、美羽ちゃんはうなずいた。

 彼女が超人的な言動をするたびに、私も「何かおかしい」と思っていた。間違いなく、ただの家出少女ではない。

「悪魔ちゃん、じゃなくて、美羽と呼んで」

「あー、はいはい。じゃあ、俺は、鈴木ね。夢の魔女さんは、確か、結城さんと言うんだっけ」

「そうです」

「うーん、二人とも、好きな椅子に座ってよ」

 私たちは、なるべく鈴木さんに近い場所に座った。彼は、ゲーム機の電源をオフにし、脚と腕を組む。なんだか、萌えアニメの博士キャラみたいだ。

 こちらが話し出すのを待っているような構えをされ、美羽ちゃんがおもむろに切り出す。

「私が来たのは、あなたたちが今月作った会報誌を譲ってもらいたいからなの」

「ああ、あれね。一応、会の外には出さないことになってるんだけど」

「私は、悪魔よ? あなたを呪い殺すこともできるわけ」

「一応、って言ったでしょ。あげるよ、あ、げ、る」

 テーブルの上に乗っていた雑誌を取り上げ、こちらに差し出す。家庭用のコピー機で刷って、ホチキスで留めただけのようにみえた。表紙にタイトルなどの文字はなく、女の子のイラストだけが印刷されている。女の子は髪が長くて、どことなく美羽ちゃんに似ていた。

「今回は、最近行方不明になった魔法使いの家族について分析した記事が載ってたんだ。それが欲しかったんでしょ?」

 ええ、と美羽ちゃんはうなずいた。彼女が開いて熱心に見ているページを、私ものぞきこむ。円グラフや棒グラフがいくつか載っている。文字は、小さすぎて読めない。

「今年の一月から先月までの五ヶ月で、魔法使いの素質を持つ人間は、全国で百人ほど行方不明になっている。幼い子ども……十二才以下が多いとか、池の近くでいなくなることが多いとか。調査をした会員は、『子どもの方が魔力量が多い』ことと、『魔力は空気に溶けやすいけど、水には溶けにくい』ことと結びつけていたね。僕も、彼の推察は正しいと思う」

 鈴木さんはため息まじりにそう言って、椅子の上でのけぞった。

「会報誌が出た数日後に、その会員は行方不明になったけどねー。まあ、元々放浪癖のある奴だから、それほど心配はしてないけど。あいつも、魔法使いの素質を持っていたからねえ」

「『ノワールマブ』にさらわれたと、お思いになっているのですか?」

 私の質問に、鈴木さんは答えなかった。

 例の記事を読み終えたらしい美羽ちゃんが、顔を上げてニヤニヤ笑いながら鈴木さんを見る。

「あなた、『ノワールマブ』の正体を、分かってるわよね?」

「なんで、そう思うの」

 鈴木さんは、不機嫌そうに美羽ちゃんを見下した。

「まあ、ね。絶対に、口には出さないけどね」

 そして、彼は大きく息を吐いた。

「美羽ちゃん、もしかして僕を煽りに来たの? 僕は、『ノワールマブ』と闘う気もないし、魔法使いになる気もないよ」

「あら、そう」

 二人が、あまりにも私を置いてけぼりな話をするので、眠くなってしまった。使う言葉こそ強いけれど、サークル室に緊張感はない。鈴木さんは退屈そうにしているし、美羽ちゃんは子どもらしく楽しそうにニヤニヤしているから。

「ありがとう。そろそろ、行くわ」

 美羽ちゃんが立ち上がったので、私も慌てて立つ。

 私たちが部屋を出る間際、鈴木さんが、それまでの気だるげな口調ではなく、はっきりとした声で言った。

「魔法使いは、彼らには狙われない。だから、自分の大切な人のことは、君自身が守るんだよ」


 大学の昼休み、いつものように一人でキャンパス内を散歩していていた。時間を潰す方法を、私はあまり知らない。スマートフォンのデータ通信量を無駄に消費したくないし、図書館の自習用スペースに空きはない。ラウンジで本でも読めば良いのだろうか。「何のために?」と思うと、やる気がわかない。

食堂の前の広場にはちゃちな噴水があって、水しぶきがキラキラしている。十歳ぐらいの幼い女の子が、人工の浅く透明な池のきわにしゃがみ込んで、水に手を入れて遊んでいる。近所に住んでいる子なのか、大学職員の娘なのか。手を伸ばすたびに帽子に着いた兎耳が揺れて、可愛い。

私は思わず立ち止まって、その女の子をじっと見ていた。だから、水面に異変が起こったことに、すぐ気付いたのだ。噴水の根元で突然、人の腕ように水面が盛り上がり、少女に近付いてゆく。ハッとして、私は彼女に駆け寄った。後ろから抱きしめようとするが、相手の方が早かった。伸びた水の腕が女の子の足を掴み、水の中に引きずり込もうとする。バランスを崩した女の子は叫び声を上げる間もなく、倒れて水中へと……。

「待て、このやろう」

 後ろで大声がして、振り返ると鈴木さんがいた。彼はものすごい勢いで走りよると、池に飛び込み、女の子を抱き上げた。池の深さは、彼の尻ほどあった。びしょ濡れになった女の子は、火のついたように泣き叫び、鈴木さんは黙ってその頭を撫でる。二人とも、無事なようだ。

 池から上がってきた彼は、私の方に視線を向けた。

「夢の魔女さんは、こんなときにも役立たずなんだね」

「本当に、良かった。無事で……」

 涙が流れるのを感じた。服の袖で目を拭っている私を、鈴木さんはあっけにとられて見る。

「魔法使いのくせに、泣くのか」

「これは、涙じゃなくて、雨なの」

「はぁ……? まあ、いいや。この子は品川教授の娘さんだから、研究室に連れてゆこうと思う」

「私も、行きます」


 女の子の父親……品川教授には、この子が誤って池に落ちたようだと伝えた。この子自身にも、何かに引きずり込まれたという意識はないらしく、教授に「そうなのか?」と訊かれると、うなずいた。研究室にあったバスタオルを頭から被っているけれど、季節のせいなのか服はもうほとんど乾いている。

「鈴木君、本当にありがとう」

 頭を下げる教授に対し、鈴木さんは笑顔も見せない。

「そうですねぇ。お礼を言うぐらいだったら、今学期の成績、『秀』にしてもらえませんか?」

「それはちょっと。君のあのレポートには、百歩譲っても『可』しか付けられないな」

 私は思わず、笑い声を出してしまう。鈴木さんも、少し照れたように口元を緩めた。

「冗談ですよ、教授。お子さんが無事で良かったです」

「本当に、ありがとう。私はそろそろ、家に帰るよ」

 私と鈴木さんは一礼して、研究室を後にした。


「ねえ、君。サークル室で茶でも飲む?」

 なんとなく二人並んで廊下を歩いているとき、鈴木さんに誘われた。今さっき起こったことについて彼と話し合いたい気分だったので、私はうなずいた。あれは、『ノワールマブ』のせいなのか。彼らは、あんな日中で人目もある場所で人間を攫うのか。よく分からないことが、たくさんある。

 「魔法研究会」のサークル室には他に誰もいなくて、私たちはテーブルを挟んで向かい合って腰掛ける。鈴木さんは、不機嫌そうな表情でぐったりと背もたれに寄りかかり、手足を投げ出した。しばらくの沈黙の後、彼が口を開く。

「あの教授、魔法使いだよ」

「えっ、そうなんですか?」

「いくら夏とはいえ、こんなすぐに服は乾かないでしょ。僕の、ジーパンだし」

 確かに……。品川教授は、物を乾燥させる、水を移動させる、のような魔法を使えるのだろう。

「やっぱり、あの子が水に落ちたのは、『ノワールマブ』の仕業なんでしょうか」

「さあね」

 よっこらしょ、と鈴木さんは立ち上がった。背の低い本棚の上にある電気ポットに、ペットボトルの水を入れる。彼の後ろ姿は、なぜかとても親しげなものに見えた。自分の部屋にいるように、落ち着く。

「どれにする? レモンティー、ミルクティー、コーヒーと麦茶とほうじ茶、抹茶と……」

「ミルクティが良いです」

「はい、はい」

 二つの紙コップそれぞれに、異国の文字が書かれたビニールのスティックから粉末を入れ、スティックはゴミ箱に放り込む。お湯を注ぎ、割りばしでかき混ぜて、タオルを鍋掴みがわりにコップを運ぶ。

 とん、と私の前に置かれたそれからは、スパイスの香りがした。一口飲んで、思わず「あっ」と声を漏らす。

「これって、チャイなのでは……」

「ミルクティーと、何か違うの?」

「いえ」

 思っていたより、鈴木さんは細かいことを気にしない人らしかった。

「美味しいです」

「良かった」

 鈴木さんは、紙コップを右手で上から掴み、くるくる回す。

「結城さんって、好きな映画はある?」

「『千年女優』です」

「あー、ね。今敏監督ね。良いよね。僕は、黒澤明監督の『夢』かな」

「見たこと、あります。狐の嫁入りを見てしまう話が好きでした」

「狐の嫁入り、か。もしかしたら、悪の組織によるテロと言うより、そちらの方が近いかもしれないね」

「えっ? 行方不明事件のことですか?」

 鈴木さんは体を起こして、私を真っ直ぐに見た。

「あんまり気にするな、ただの冗談だから」

「はっ、はあ……?」

 成り立っているようで成り立っていない会話は、なんだか演劇の台詞みたいな感じがする。怖いとは思わなかったけれど、体がふわふわと浮いているような気分になる。

「君に一つ覚えていてほしいのは、魔法使いは詩で、僕らは評論家だということだよ。互いになくてはならない存在だ。だけど、君たちは、僕たちのことなんて気にしない方が上手く歌えるだろう」


 そこで、私は目を覚ました。


 布団の上で、しばらくぼんやりと天井をながめていた。

今まで、半日分の出来事を夢見ていたらしい。チャイの熱さも、涙の生温かさもやけにリアルで……けれど、痺れたような頭で思い返そうとすると、火を点けた写真のように記憶が溶けてゆく。あれ、私、最後に誰としゃべっていたのだっけ。白いフレームの眼鏡が、セピア色の海にぼんやりと浮かんでいる。


 午前七時半。私が出掛ける支度をしていると、ピンク色のパジャマのままテレビを見ていた美羽ちゃんが、画面から目を離さずに、意味深なことを言った。

「今日、水場には気を付けなさいね」

「えっ、なんで?」

「『ノワールマブ』よ。この前魔法研究会でもらった会報誌に載っていた資料によると、今日みたいな天気の日は、危ないらしいから」

 美羽ちゃんは、カーテンの開いた窓から空を差した。

「お天気雨が降ってるの、今」

 私は口の中で、呟いた。「狐の嫁入り……」何かが引っかかる。記憶の底の泥沼に腕を突っ込もうとして、時間がないのでやめた。

「行ってきます」


 昼休み、胸騒ぎがしたので、昼食を食べる前に噴水に向かった。十歳ぐらいの女の子が、人工の池のそばに座って遊んでいる。そばに寄ってしゃがみ、「こんにちは」と話し掛けてみた。女の子は大きな丸い目をこちらに向け、不思議そうな顔をした。小声で、「こんにちは」と返してくれる。

 彼女は首を傾け、髪を揺らした。

「お姉さん、今日、虹を見た?」

「見てないよ」

「そう」

 女の子がまた水で遊び始めたので、私は立ち上がった。そして、噴水に背を向け購買に向かって歩き出す。

 そのとき、背後で男の怒鳴り声がした。

「この野郎!」

 ハッとして振り返ると、鈴木さんが池に飛び込む姿が見えた。

 ――そこで私は、今朝見た夢を、はっきりと思い出した。

 女の子を抱いた鈴木さんが、怪訝そうな顔をして近づいて来る。

「魔法使いのくせに、泣くんだな」

「自分が情けないんです、すみません」

 それから起こったことは、夢と全く同じだった。


「君に一つ覚えていてほしいのは、魔法使いは詩で、僕らは評論家だということだよ。互いになくてはならない存在だ。だけど、君たちは、僕たちのことなんて気にしない方が上手く歌えるだろう」

 彼の言葉について少し考えてみる。私はバリバリの生命科学系の学生で、詩とか評論とか、いまいちピンと来ない。

「それって、私と鈴木さんが対等な……相利共生ってことですか?」

「まあ、そういうことだね」

 私は、チャイを一口だけ飲む。不思議な味だ。優しい甘さの中に、隠された辛さ……。

「今朝、今日起こることの夢を見たんです。細部は少し違うんですが、教授の娘さんが池に落ちるところとか」

「君が魔法を……夢を現実にする魔法を使ったから、ああなった、って言いたいの? それは、ないと思うよ。今日みたいな天気は、事件が起こりやすいから」

「お天気雨のことですか?」

 鈴木さんは黙ったままだった。だけど、きっと答えは「イエス」だろう。

「違うんです。そうじゃなくて……私は多分、あなたとここでチャイを飲みたかったんだと思います」

「えっ? は、はあ……」

「教授の娘さんが池に落ちたのは、私のせいじゃないかもしれないです。元々、起こることが決まっていたのかもしれないです。けれど、私がその場に居合わせて、鈴木さんに誘われることは、私が魔法で現実にしたことなのかな、って」

「……君、それ、僕に対する愛の告白だよ?」

 心臓が、びくりと跳ねた。鈴木さんは、やれやれというように頭を掻く。

「確かに。この宇宙には、あらかじめ運命として決まっていることもあれば、自分の意思で変えられることもある。君は、その『運命』を知った上で、細かい部分を自分に都合の良いように魔法で変えている、と」

「ちょっと違いますが、そんな感じです」

 鈴木さんはため息を吐くと、呆れたように微笑んだ。

「そんなにここに来たいんだったら、『魔法研究会』に入れば良いよ。僕が、推薦を出してあげる」

「えっ、良いんですか? 魔法使いは入れないんじゃ……」

「あー、そういう決まり事は、建前でしかないから。歓迎するよ」


 私は、自分がぼっちであることを気にしない。どこかに所属したいとも思わないし、何かに熱中したいとも思わない。なのに、なぜか、この部屋にいたいと思った。鈴木さんと、会いたいと思った。

 ――こういう心の動きを、人は恋と呼ぶ。

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