第4話 夏の夜、三人で抜け出して

 長崎への修学旅行が近付いている。最終日の自由行動の時間、三人以上で行動しなければならないという規則があるのだが、僕は今の所ぼっちである。余りものになってしまった。

「ごめん、夏織。私、他のグループに誘われてるんだわ」

 彩ちゃんは本当に申し訳なさそうに、手を合わせてうなだれた。彼女と一緒に街を散策するのを楽しみにしていた僕は、当然手に入れられると信じ込んでいた計画をびりびりび破かれて、呆然とする。口から魂が抜けてしまいそうだった。

「でもさ、夏織と私が一緒の班になったとして、もう一人はどうするつもりだったの? 入ってくれる人、全然いないでしょ」

「そーなんだけどさぁ。でもさぁ」

 ずるり、と椅子から滑り落ち、床に尻餅をつく。

 中学校最大のイベントは、親友と一緒に過ごしたかった。もちろん、恥かしいし情けないので口には出さないが。

「グループの子に、夏織も入れてもらえるように頼むよ」

「良いよ。正角ちゃんとか飯原ちゃんとかのグループだよね。僕、あの子たちとあんまり仲良くないもん」

「ほんっと、ごめん。ごめんなさい。おわびに、夏休みに一緒に大阪へ遊びに行こ」

 僕は椅子に座り直す。深くため息をついて机に突っ伏していると、背中を誰かに突かれた。

「彩ちゃん、何よ」

 顔を上げないままで不機嫌に聞くと、ぱちんと軽く頭をはたかれた。

「夏織くん。一人ぼっちで泣いてるあんたに、救いの手を差し伸べてやるわ」

「へ……?」

 顔を上げると、仁王立ちしている灰原さんと目が合った。彼女の後ろでは、まどかちゃんが居心地悪そうにもじもじしている。

 彩ちゃんもびっくりしたようで、

「えっと、隣のクラスの……」

と目を円くする。

 灰原さんはフンと鼻を鳴らす。

「まどかが、修学旅行の自由班にあんたを誘いたいって言うから。まあ、どのみち私たち二人では一人足りないもんね。苦肉の数合わせよ。あんたを認めたわけじゃないわ」

 偉そうな言いぐさにムッとしたらしく、彩ちゃんが

「一体、何様のつもりなんだか」

と悪態をつく。二人の間でバチバチ火花が飛んでいる様を幻視する。二人とも気が強すぎるのだ、相性が悪い。

 胸の前で腕を組んで不機嫌そうにしている相棒の背中を、まどかちゃんがぽんと押す。表情のなかった口元を少しだけほころばせ、

「夏織ちゃんと、もっと仲良くなりたかった。灰原ちゃんはこんなだけど、まどかたちと一緒に遊んでくれる?」

と小首を傾げた。可愛い。僕は嬉しくなって、何度もうなずいた。


 でこぼこな二人組が去った後、彩ちゃんが

「いやー、まさか、夏織に私以外の友だちができるとは。しかも、あの二人」

としみじみ言った。

「失礼な。僕にだって、知り合いはいっぱいいる」

「廊下をすれ違ったら挨拶はするけど、修学旅行の自由班には誘ってくれないぐらいの関係でしょ」

「分かってるなら、僕を一人にしないでよ!」

「それについては、ホントごめん」

 彩ちゃんは筆箱からリップクリームを取り出し、唇を軽くなぞった。瑞々しく震える、赤い唇。僕はそれをじっと見つめる。もいだばかりのトマトのようだ。目が離せない。僕の乾いてがさがさなものとは、全く違って見える。

「あの二人と一緒に行動するの、ちょっと不安だけど。修学旅行には行けそうで良かった」

 僕がそう言うと、彩ちゃんは唇をニコっと引き上げた。


 長崎へは、大型フェリーで向かう。部屋はクラスごとに出席番号順で分けられていて、僕は彩ちゃんともまどかちゃん達とも違う部屋になってしまった。二段ベッドの下の段に寝転がって、備え付けのテーブルでカードゲームをするルームメイトたちの話し声をぼんやりと聞き流す。

 突き上がっては落ちるのを何度も繰り返す船体。規則的な揺れが気持ち悪い。エンジンの音。波を切る音。女の子たちの笑い声。吐くほどではないが胃の辺りが不快で、鈍い頭痛までしてきた。腕時計を見ると、針は夜の九時を指していた。トイレに行こうとベッドについているカーテンを開けたとたん、思いがけない人と目が合って、「わ」と声が漏れる。

「まどかちゃん、どうしたの?」

「迎えに来た。もうすぐ、橋の下をくぐるよ」

 まどかちゃんに手を引かれる僕を、ルームメイトたちは驚いたような顔で見送っている。

 部屋の外では、灰原さんが腕と脚を組んで待っていた。長崎のイメージに合わせたのか、今日はステンドグラスのような柄のヘアバンドを付けている。

「あんたの部屋、悪霊がうじゃうじゃいるんだけど。気分が悪くて入れなかったわ」

 吐き出すような言葉に、僕の胸がずきりと痛んだ。まどかちゃんの言葉を思い出す。偽物の霊感。嘘つきかもしれない女の子。けれど、灰原さんの顔色は悪い。船酔いしているだけかもしれないけれど。

 甲板に通じるドアを開けたとたん、冷たい風がざあっと僕たちの髪を巻き上げた。強風。手に持っていたスマホのキーホルダーが、どこかに飛ばされそうになる。慌てて、紐をしっかりと腕に巻き付けた。

 タールのように真っ黒な海と、切れ目がないように見える対岸の街。星の海、という言葉がぴったりの光景だった。無数の小さな光が足を四方に伸ばしてまたたいている。冷たくて寂しくて、美しい夜の街。呑み込まれそうな闇の海。流れ星のように、白い波がキラキラと流れては消え、また生まれる。

 まどかちゃんが、空を見上げた。前髪が風に巻き上げられて、白い額が露わになっている。いつもより大きく見える目には白い星が散り、制服のシャツがばたばたと小さなつばさのようにはためく。暗く黒い世界の中で、彼女の姿は白く浮き上がって見えた。彼女自身が描く、一枚の絵のように。

 僕はその光景を網膜に焼き付けると、そっと目をつむった。消えてしまわないように。遠い未来に、思い出せることを願いながら。

「何、目瞑ってんのよ。橋、通りすぎちゃったわよ」

「えっ、嘘」

 灰原さんが、わざとらしく肩をすくめた。

 手すりから身を乗り出し、船の後方に目をやる。淡い水色にライトアップされた橋が、小さく見えた。

「大丈夫、写真撮ったから」

 まどかちゃんに慰められ、僕は手の甲で目をぬぐった。涙が出たのは、橋を見逃したせいではないと思う、多分。

「せっかくだし、記念写真でも撮る?」

 灰原さんがそう言うので、僕は自分のスマホを構えた。灰原さんがまどかちゃんの肩を抱き、まどかちゃんはピースサインをしている。星の海を背景に、真ん中に二人が映るように調整していると、

「何やってんの。三人で撮るのよ」

と灰原さんが不服そうに言った。

「え、僕も入って良いの?」

 てっきり、灰原さんにとって僕はお邪魔虫扱いなのだと思っていた。まどかちゃんとの仲をかき乱す、気に食わない奴。認められたことを嬉しがっている僕を、灰原さんがにらむ。

「当たり前じゃない。帰ったら、グループごとにレポートを出さなくちゃならないんだから。提出する写真に一人だけ映ってなかったら、変でしょ」

「なんだ、そういうことか……」

 肩を落とした僕を見て、まどかちゃんがくすくす笑った。

「まどかは、三人の写真が欲しい。大切にする」

「ありがとう」

 照れる僕。灰原さんは、フンとそっぽを向いた。


 宿泊する旅館の夕ご飯は、ものすごく豪華だった。ぱりぱりの皿うどん、豚の角煮まんじゅう、白身魚のお鍋、あんこの入ったゴマ団子、てんぷら……などなど。どの料理もとても美味しかった。特に、皿うどんを食べたのは初めてで、珍しさも相まって感涙しそうになるほどだった。とても食べきれる量ではなかったのだが、残したくなかったので、無理をしてお腹に詰め込む。ズボンのウエストがキツい。しばらく動けそうになかった。時間が経つにつれ、周りの生徒たちの箸も重くなってゆく。食べることよりも、談笑することの方に気持ちが移っているようだ。クラスで一番体格の良い男子が、小食の女の子たちから集めた角煮を大食いし、周りの生徒たちが爆笑している。旅先という非日常的空間で、みんなのボルテージが最高潮に達している。僕はそれを半笑いでながめつつ、水をがぶがぶ飲んでいる。味の濃いものを食べ過ぎたせいで、喉が渇いて仕方がない。

 隣の席に座っていた彩ちゃんが、

「ねえ、あの子、具合悪いのかな」

と耳打ちしてくる。彼女の指す先に目をやると、そこにはまどかちゃんが、肩身が狭そうに座っていた。食事に全く手を付けていないように見える。隣の席では、灰原さんがぐったりとしていた。

 僕は重い腰を上げ、二人の元へと歩いてゆく。

「大丈夫?」

 声を掛けると、まどかちゃんは泣きそうな目で私を見上げる。

「食べられるものがなかったの」

「まどかは偏食だから」

 灰原さんが苦しそうに言う。自分の分だけじゃなく、まどかちゃんの分もなるべく食べようとして、限界を迎えてしまったらしい。

 まどかちゃんはお腹にそっと両手を重ねると、

「お腹すいた……」

と呟いた。かわいそうで、なんとかしてあげたくなる。

「そうだ、良いこと思いついた」

ぽんと手を合わせた僕を、灰原さんが不審げに睨む。

「今から抜け出して、コンビニ行こう。大丈夫、先生たちはお酒が入ってるから。気付かないよ」


 騒がしい食堂から、僕たちは抜け出す。トイレに立つ生徒も少なくなく、周囲の人たちに怪しいとは思われなかったようだ。

 受付の前は通らず、喫煙所の中を通って裏口から外に出る。クーラーの効きすぎた建物から外に踏み出したとたん、むわっとした熱気に包まれた。気だるい夏の夜。煙草の煙で喉をやられたのか、まどかちゃんが咳き込んでいる。灰原さんがその背中をそっとさすり、

「お風呂の時間までには戻って来なくちゃ」

と言った。

 料理屋の店先に吊るされた赤い提灯、民家から漏れるオレンジ色の光、白い街灯、儚く光る月。色とりどりの光で際立つ、濃密な闇。路地の昏さ。額にじっとりと汗が滲む。高い空に、自分たちの声が吸い込まれてしまって、よく聞こえない。

 僕たちは目立たないように身を寄せ合って、坂道を上ってゆく。行く手に、青いコンビニの看板が見える。

「ありがとう、夏織くん、灰原ちゃん」

 一歩先を歩いてたまどかちゃんが振り向いて微笑んだとき、突然、男が駆け足で突っ込んで来た。体当たりをされ、まどかちゃんがよろめく。その体を灰原さんがとっさに支え

「ひったくり!」

と叫んだ。僕はぎょっとして、走り去って行く男の方に振り向く。そいつの手には、ピンク色のポシェットがぶら下がっている。

「逃がすか!」

 僕は飛び出した。下り坂を、飛ぶように駆け下りてゆく。太った男の足は遅く、ぐいぐい背中が近付いて来る。彼が路地を曲がろうとする直前、僕はジャンプする。その勢いで、背中を蹴り上げた。男がよろめき、ポシェットを地面に落とす。すかさず、男よりも早く取り上げる。大丈夫、無事に取り戻せた。男は僕に憎しみのこもった一瞥をくれたが、よろよろと路地の奥へと消えて行った。

「夏織くん、大丈夫?」

 まどかちゃんと灰原さんが、駆け寄って来る。

「うん、取り戻せた」

「鞄のことじゃないわ。怪我しなかったか、って聞いてるの」

「灰原さん、僕なんかのことを心配してくれるんだ」

 彼女の顔にかーっと血が上って、耳たぶまでピンク色に染まる。僕が微笑みかけると、ぷいとそっぽを向いた。

「夏織くん、脚速いんだね」

 まどかちゃんも、暑さのせいか頬を真っ赤にしていた。

褒められたのが嬉しくて、にやにや笑いを抑えることができなかった。


 まどかちゃんはおにぎりを、僕と灰原さんはアイスクリームを買って、食べながら帰途につく。

 お腹がいっぱいのはずなのに、冷たいアイスクリームは全身に染みわたって、気持ちが良かった。

 バニラアイスをぱくりと口に入れたあと、灰原さんはしばらく複雑な表情で手元を見つめていた。おもむろに、唇を開く。

「……夏織くん、って呼んで良いの?」

「えっ、ああ」

 うなずきながら、そう言えばどうして、まどかちゃんは僕を「くん」付けで呼ぶのだろうと思った。てっきり誰にでもそうしているのだと思っていたけれど、灰原さんのことは「ちゃん」と呼んでいる。

 しばらく考えて、「まあいいや」という気持ちになった。まどかちゃんに呼ばれ始めて、「ちゃん」よりも「くん」の方が自分にしっくりくるような気がしていた。

「夏織くん、ね。じゃあ、あんたも私のこと、灰原ちゃんって呼びなさい」

 灰原さんがはにかむ。

「えっ、なんで?」

「なんでって、そりゃあそうでしょう」

 彼女に背中をぱしんと軽くはたかれて、僕は首をひねった。まどかちゃんがクスクス笑う。夏の夜が、ゆっくりと深まってゆく。



幕間「牢獄」


 文・カオリ 絵・西平まどか


 夢の世界にある牢獄から出るための保釈金は、街の小さな本屋をいっぱいにできるほどの「美しいお話」。昼間の世界の私は今日も仕事をサボって、図書館通い。子どもにまざって絵本の棚を散策する。


 夢の世界で出会った人は、皆どこかで見たことがあるような気がする。けれど私たちは互いの名前も知らず、自己紹介をしようにも過去の記憶はあいまいで。その場でなんとなく決めたあだ名で呼び合う、一夜限りの旅の連れ。


 朝起きたとき、なんだか頭が重いと感じるのは、夢で遊び過ぎたせいだろう。昼間の世界はこんなにも薄暗くぼんやりとしか見えないのに、目を瞑ると全ての物が鮮やかに嘘き出す。

 いつの日か、朝が来ても醒めることができない日が来るんじゃないかって、根拠のない不安が日常を侵す。

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