十二

 徳川による天下の治世が進む中、津軽では為信から信建への世代交代の準備が着々と進められていた。

 もっとも、最初に言い出したのは福である。

「良き頃合いで平太郎に家督を継がせましょう」

「何故だ」

「いつしか平穏を望まない輩が出てくるわ。その時に自由に動ける方が良い」

 信建は三成に属していたため、それを面白くないと思う者もいるだろう。為信が生きている間に家督を譲った方が御家のためにもなる。

 そう考え、福に頷き、信建を呼んだ。

「お前には上方に行ってもらい、津軽の名代としてよくよく励んでもらいたい」

「それは、上方の情報を掴み、遅れを取らぬようにせよと」

「言わばそうだ。平太郎、あまり気負うな。何かあればお前の判断で動いても構わぬ。ただ、報告はするように」

「某が家臣を引っ張っても構わぬので」

「うむ。その方に任せる」

「ありがたきお言葉。ならば、一つお願いがございまする」

「申せ」

「我が子、熊千代のことをお頼みしたい」

 やや身構えていたため、思わず鼻で笑ってしまった。

「相分かった。上方の情勢はそれほどまでに不安であるならやむを得ん。熊千代のことは任せおけ」

 戦続きだったため、折角の孫との時間を過ごせる時があるのも悪くない。

 続けて為信は間髪入れずに三男の信枚も呼び寄せた。

「お呼びでございまするか」

「平太郎は上方で津軽の名代として動いてもらう。お主には俺の補佐をしてもらうぞ」

「はっ」

 信建と違い、怜悧な面を色濃く受け継いだ鋭い目を開いたまま頭を下げてくる。雪原を思わせる白い肌に痩せた頬は病弱ではないかと心配されることも多い。

 自分には福がいるように、信建には信枚がいる。互いの良いところをきちんと認め合い、これからの津軽を任せていきたい。

(まぁ、俺と福の真の関係までは模倣してはならぬがな)

「父上、何か」

「いや、何でもない。早速だが、津軽の領地に安寧を与えるため……」

 信枚は為信の目を見ながら表情を変えず、頷きもせずに聞き入っている。

 喜怒哀楽どれか一つでも現してくれれば話しやすくなるのだが、どうやらそうもいかないらしい。

 これから教育していけば良いだろう。

 為信は凝り固まった肩と腰を伸ばすと足早に熊千代の下へと向かう。いずれは信建の跡を継いでもらうが、まだ幼い彼に厳しくするのは自分ではない。

 熊千代がいる部屋に入ると為信の姿を認めた目の丸い幼子が破顔する。

「息災のようだな」

 為信は丸い目を思いきり平たくし、熊千代を抱きかかえる。

「何をしていたのだ」

 そう言うとお手玉を握った。

「そうかそうか」

「こちらで共に寛ごうか」

「あい」

 言うのが遅いぐらいの早さで膝に乗せる。

 一昨年産まれたばかりの赤子の手は実に可愛らしい。手のひらに人差し指を置くと弱い力で握り締めてくる。

 実に可愛らしい。息子達もだったが、何故か孫の方が可愛いと思えてしまう。

 廊下から入ってくる隙間風に身を震わせ、近くにあった火鉢にさらに近付く。寒さに身をやられるのも早くなってきたような気もするが、それは熊千代がいるからだろう。

 家督は継いでもらうが、権力は隠然として持っておけなかければ信建や熊千代に安定した地盤を受け渡せない。

 御家を存続させるには何事もなく、次の代へと引き継ぐのが最上の行いである。

 為信は瞼が重くなるのを感じつつ、孫を抱く力は緩めずに首を傾ける。

 人というのは眠りに着けば自分がやっているつもりでも現実とは乖離が生まれる。

 いつの間にか意識を眠りの世界へと手放した為信の腕は力を緩め、熊千代が身じろぎをして上半身を乗り出すには充分となった。

 重さの釣り合いが変わり、為信の体も合わせて前へと屈む。

 それから数秒後、熊千代の慟哭が近くの部屋という部屋に響き渡った。

「しまった」

 為信は目の前の惨状を見て意識をすぐに覚醒させ、火鉢から熊千代を引き剥がす。

「殿、いかがなされた」

 駆け込む近習達の声に反応できない。否、熊千代の顔を見てとても誰かに構うことなど出来なかった。

 先程まで幼く麗しかった顔肌の三分の一は火傷によって白くなり、丸い可愛らしい顔が不気味に一回り膨れ上がっている。

「大丈夫か」

 気が動転し肩を揺さぶるが、赤子にそのようなことを言っても返事が返ってくるはずもなく、ますます泣き喚くばかり。

 背後で熊千代の顔と乱れた火鉢を見て諸々を察した近習達が「薬師を呼べ」と叫びながら走っている。


 それからのことはあまり覚えていない。

 気付けば泣き疲れて眠った熊千代が顔に白布を巻いて眠っていた。目の前で看病をしていた薬師から火傷の痕は生涯残り続けるだろうということを聞かされた。

 福にこれでもかと制裁を加えられた。薬師から熊千代の将来のことを聞かされた時よりも痛みを感じることがなく、ただ空虚な時間が過ぎていった。

 任されたにもかかわらず、守ることが出来なかったことに心が抉られた。

 老いたのか、自分が元より浅はかだったのか。否、そのようなことなどどうでも良い。現にこうして自身の過ちは未来に取り返すことの出来ない形で目の前にある。

「父上、兄上から書状です」

「うむ……」

 いつの間にか背後に構えていた信枚から震える手で受け取る。

 内容は案の定、我が子に怪我をさせられた怒りに満ち溢れたもので、終いには為信に預けるのは不安であること、領内の政も落ち着いているので熊千代をこちらに寄越してほしいとある。

 信頼して託したはずの息子がこのような様になったのだから当然だろう。

「平太郎の様子は」

「使いの者が言うのは大層立腹だとか」

 為信は息を吐く。予想が当たり、このままでは埒が明かなくなるのは目に見えている。

 だが、ここで返書を認めたところで信建には聞かないだろう。

「平太郎からの使いの者の名は」

「天童と申しておりました」

「すぐにここに連れて参れ」

 為信は一人になった部屋で腕を組む。信建の信頼は落ちたが、彼には御家を守る使命がある。それを理解できないほど愚かではないだろう。

「使いの者を連れて参りました」

「入るが良い」

 信枚の後ろから続いて入ってきたのは小柄で細身の若い男。為信と信枚がいるからか、緊張したように唇を強く結んでいる。

「お主が平太郎より使わされた者か」

「はっ、天童衛門四郎と申しまする」

 やや声が上擦っている。自分が怒っていると思っているのだろうか。確かに怒っているが、自分自身に対してであり、信建に対するものではない。

「平太郎は熊千代を戻ってくるよう躍起になっているらしいな」

「仰せの通り。故に自ら文を認めた次第」

「此度、熊千代がかような目にあったのはわしの責任だ。それについては詫びを申すと伝えてくれ」

 天童は表情を固くしたまま目を瞬かせる。

「されど、平太郎には大坂での役目をしかと果たしてほしい故、熊千代は変わらずここに置かせてもらう」

「それでは殿が承服いたしかねまする」

「わしの不注意だ。故に、わしだけでは面倒は見ぬ。必ず信頼の置ける屋敷の者を付けておく。これならば問題はあるまい」

「されど、殿は某に必ず若君を大殿より取り戻すよう厳命されておりまする……」

 段々と声がか細くなる。直情的な信建の性格が悪い方に出てしまったのだろう。

「ならば、わしも自ら書状を認める。それで良かろう」

「感謝申し上げまする」

 安堵したと天童の少し声が大きくなった。繊細な性格をしていて、使者としては向いていないと思いつつ、控えていた小姓に紙と筆を持ってこさせる。

 机を置かせ、天童の目の前で信建に対する謝罪と今後もよく大坂での役目を果たすようにと記す。

「これを平太郎に届けよ。そして、熊千代のことは変わらず任せよと伝えるのだ」

「大殿のお言葉、しかと殿にお伝えいたす」

 為信は小姓に案内されて天童が去ったのを見届けると疲れたと溜め息を吐いた。

 信建とてあれだけ誠心誠意に父から詫びを入れれば許してくれるだろう。

 改めてよく自分からあれだけ誠実で直情的な性格の息子が産まれたものだと思う。もっとも、乱世が終わった後にあのような者こそが必要なのかもしれないが、その時に自分がいない可能性が高いのは残念である。

 とはいえ、裏を読み取れないような愚かな人間ではない。もしかすると外交的に良い働きをするかもしれない。

 いずれにしても、ここで互いの緊張を緩和しておかなければ面倒なことになるだろう。

 目をつむり、自分の真意が信建に通じるのを祈るしかない。


「殿、一大事にございまする」

 沼田が血相を変えて訪ねてきたのは翌日の夕暮れ時、そろそろ邸宅に戻ろうかとしていた時だった。

「如何した」

「若様が殿の文に大層お怒りになり、天童を使者としての役目を十分に果たさなかったと人質としていた家族を斬り捨てたと」

 為信は目を見開き、手足の指先が固まった。

「なに、家族を殺したのか」

「誰もお止めする間もなかったそうでございまする」

 思わず立ち上がる。確かに天童は使者として向いている性格ではなかった。だが、報告で受けたようなことをするのであれば、信建の方へ皆の不安が募ることになる。ひいては津軽という御家の尊厳に関わる問題へと発展しかねない。

「すぐに紙と筆を持て、直ちに平太郎を問い質す」

 沼田が慌てて去っていき、一人になると力なく座り込む。

 これで信建の家中の評価が決まってしまう。このままでは津軽の内部で騒動が起き、徳川に目をつけられてしまう。

 戻ってきた沼田から差し出された書状に今回の所業について、詰問し、不手際が天童にあるわけではないと伝える書状を認める。

「すまぬが、すぐにこれを平太郎に送れ」

 沼田がすぐに頭を下げ、早足で去っていく。

 実に面倒くさいことになったが、はたしてこれをどう処理すべきか。

「ずいぶんと忙しなさそうね」

 部屋を右往左往していると福がいつの間にか入っていた。やや機嫌が悪そうにしている。

「平太郎の奴、余計なことをしてくれた」

「そうねえ。天童の家族がどんなのだったか記憶に無いけど、いくら平太郎だからって穏便に済ませれば納得してくれないでしょうね」

「されど、重い処罰を望めばせっかく徳川に下げた頭が台無しになる」

「平太郎はもう少し、家の主であることを自覚した行動を取ってもらわないと」

「それよりも、御家騒動となれば徳川に責められよう。何か良い手立てはないものか……」

「平太郎じゃなければ、腹を切らせるんだけどね」

「謹慎で済ませようと思っている」

「それで良いんじゃない」

 福は座ると扇子を取り出して扇ぎ始める。為信はその様を呆然と見る他ない。

「なに」

「いや……」

 もう少し福が自分の意見を言ってくるのかと思った。偶然、彼女との意向が一致したと思えばそれまでだが、今のやり取りはこれまでに無い軽薄さを感じた。

 その原因がどこにあるのか分からなかったが、それが違和感となって胸の中を曇らせた。


 翌朝、にわかに騒がしい外の音で為信は目を覚ました。側に寄り添っていた孫の熊千代は相変わらず苦しそうな寝息を立てている。

「殿、ご無礼仕りまする」

 沼田が許可なく部屋に入ってきた。かなり焦燥しているのか、朝にもかかわらず額に汗が浮かんでいる。

「いかがした」

「天童衛門四郎が一族とともに決起いたしました」

「真か」

「はっ」

 為信の舌打ちが部屋に響く。おそらく狙いは信建だろう。

「すぐに出せるだけの兵を集めろ。平太郎を救うのだ」

 再び一人になったところで溜め息が漏れる。早くも信建の撒いた火種が暴発するとは思わなかった。

 喧騒がここまで聞こえてこなかったということは一族の少数が決起したのだろう。とはいえ、本拠でこのようなことが起こるとは何ともない情けなさを感じる。

 謀反を起こされ、城を一時は占拠されたこともあったが、信建の場合、目に見えて自らの過ちが原因であるのが分かる。

「やはり、俺が動く他ないか……」

 妙に落ち着くことができたため、それから部屋から一歩も出ずにゆったりと過ごしていた。

 そのような時間が一刻ほど経ち、再び沼田がやってきた。

「終わったか」

「はっ、天童の一族は捕らえましてございまする」

「平太郎のことだ。すぐに斬り捨てようとしているのだろう」

「……仰るとおりにて」

「俺が行く故、必ず生かしたままにしておくように伝えろ。厳命だとな」

「御意。されど、間に合わぬ場合は」

「ともかく急げ」

 そう言うと為信も重たい体をゆっくりと起立させ、本丸の方へと向かう。

 今回の失態は明らかに自分と信建が原因である。これに天童の一族が腹を立てたのは誰もが理由を聞けば納得する。それを誅殺したとすれば、津軽ではいう家の主は何と理不尽で傲慢なのだろうと言われてしまう。

「あれは誰だ」

 本丸にもう少しで入るという坂の前で、本丸の方から見慣れぬ女がこちらに走ってきている。笠を被っていて表情は見えない。

「女子にしてはかなり大きいようで。あのような者、見たことがありませぬ」

 後から女中の物たちも続いているが、目に入った女だけがどうしても気になってしまった。為信は沼田に目をやって無言で女の方を顎でしゃくる。

 その意図を読んだ彼とともに本丸へと走り、女に声が通るぐらいの距離まで近付く。

「止まれ。何者か」

 沼田が前に出て言うと件の女の足が止まり、笠をより深く被る。

 明らかに怪しげだが、敵意は感じられない。よく見ると女にしては肩幅が広く、腕も太い。

「平太郎か」

 体格と敵ではないが、正体を隠すような素振りですぐに察した。

 相手は無言を貫くが、それこそ肯定と捉えていいだろう。信建に女の高い声を出せるような器用な真似などできない。声を出せば変装していることが割れてしまうのを恐れているからに違いない。

「情けないと思え」

 信建は無言で頷く。笠の中から唇を強く噛み締める様だけが見てとれた。よほどの屈辱だったのだろうが、彼の性格が治らないままであれば内政に影響を及ぼすのは明白。

 為信は致し方ないと肩を揺らして大きく息を吐いた。

「前より考えていたが、城を変える」

 信建だけでなく、沼田や信建に付いていた女房も驚きの目でこちらを見てくる。

「津軽の安寧とこれから我が領地の中で生きる民のために必要なことだ。否とは言わせぬ。皆にも伝えておけ」

 信建は俯き、奥歯を噛み殺す。その様から内心を悟った為信は表情を無にして口を開く。

「ならば、俺が皆に伝える。良いな……それから、平蔵(信枚)も畿内に連れて行け」

 暗に今のお前では一人で上洛させるのは不安だ。

 そう伝えると返事を待つことなく、城内へと入る。

 信建が逃げるということはまだ天童一族の中で激しく抵抗している者がいるのだろう。

 彼らを押さえ、城内の混乱を収めるため、堂々とした足取りで本丸御殿へと進む。

 こちらの存在に気付き、膝を着く者達にそのままで良いと声をかけながら刀を抜いてさらに奥へと進む。そして、広間へと続く襖に手をかけた時だった。

 

 天童の遺族が殺害した信建とその後の対応に不満を抱き、堀越城を襲撃した。

 いわゆる天童事件がきっかけで津軽為信、信建親子は関ヶ原の戦いの前後に起きた反乱と相まったことも弘前城築城の一端とされているが、史実かどうかは不明である。


「終わった」

「お疲れ様」

 平淡な声で福が出迎えてくれた。

「良い機会だから城を変えることも伝えておいた」

「あら、良かったじゃない」

 さして興味がないと外を見ながら返事をしてくる。

 元々、決めていたことをやったのだからさして関心を抱かないのだろう。

 為信が畿内にいる間に起きた反乱の頃から城を変えるようにと彼女から言われ続け、なかなか機会がないまま今日まできていた。

「此度のことは平太郎の失態だが、まぁ、御家が良き方へ向かったと思えば。な」

「そうね。あなたが主導でやりやすくなったでしょうし」

 福は立ち上がるとこちらに目を合わせることなく去っていった。最近、外に出ることが多いと女中が噂していたが、さして気にすることでもないだろう。

 昔、若かった頃より減ったが、本来の彼女はあれだけ動く。

「さ、件の地へ向かう手はずを整えねばな」

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