十
為信は天下分け目の大戦を前に静観を続けていたが、結局、伊達や最上、佐竹といった東北の大大名がこぞって徳川率いる東軍に属し、上杉のみが西軍に付いた状況を鑑みて表向き、東軍に付くこととした。
その旨を伝えると徳川から鳥肌が立つほど、感謝の内容を認めた書状が送られてきた。
不気味に感じたが、今さら反故にする理由も無いため、出陣の支度をすると徳川に味方する大名の領地を通り、江戸へと馳せ参じた。
家康との会見では、領土の拡大を約束された。
どれほどの規模でどこの地域かまでは約束されなかったが、必ず新たな領地を与えると念を押されたので良しとした。
その一方で、豊臣に奉公に出していた嫡男の信建は万が一に備えてそのまま石田に付いておくように密命を下した。
これにはお福も構わないと言ったため、胸を撫で下ろした。
側室に産ませた子のためか、彼女の息子たちに対する態度はどこか冷たい。
その後、徳川の指示で逆心ありと噂されていた上杉の討伐に赴き、続けて石田三成が兵を挙げると反転して彼を討つと明言した家康に従い、西へと向かった。
そして水野勝成の下、西軍に占拠された大垣城を本隊との合流を防ぐために包囲し、しばらくは様子見を続けていた。
「ふむ」
為信は意味も無く空を見上げる。すでに星が散りばめられた夜空が広がっている。新月のためか辺りはかがり火を焚いていなければ容易に闇に飲まれるだろう。
視線を落とし、火の影の揺らめきを見る。周りを明るくしようとする動きは人を浄化し、心を洗おうともしているように見える。
すでにお福に全てを預けた為信にとっては無意味なものでしかないが、無駄な足掻きをしているようで滑稽に感じる。
嘲笑うように炎の動きを見ていると不自然な影の動きに気付き、顔を上げる。前方にいつの間にか老練な密偵が控えていた。
「如何した」
表情を無に戻し、感情がこもっていない口調で声をかける。
「報告、領内で謀反が起きた由」
「なに」
平静を保っていた為信の頭に血を上らせ、反射的に立ち上がらせるには充分だった。
「仔細を申せ」
「尾崎の者たちが兵を集め、堀越を攻めている模様」
「我が本拠を攻めるとは……」
おもむろに差していた指を震えながら引っ込める。だが、ここで密偵を問い詰めても意味が無い。
落ち着くように心に言い聞かせながら顎髭をさすり、頭の中で地図を浮かべる。為信はこの大戦を前に動員できる兵を最大限率いてきた。周囲の大名も皆が東軍に属しているため、守備を行う兵は南部との国境を除いて各城や砦がほとんど老兵や弱兵を置いている。
領内の家臣達にも同様に精鋭を集わせるように命じていたが、兵を隠していたと考えれば面倒なことになる。領内の統治に失敗したと咎められれば領地を増やしてもらうばかりか、改易させられる可能性もある。
「国に戻り、仔細をさらに調べよ。分かっておろうな。このことは他の者には絶対に言うでないぞ」
「御意」
為信はすぐさま外で控えている兵を呼び、直ちに重臣たちを集めるように命じる。
そして、入れ代わり立ち代わりように別の兵が陣幕の前で声を上げる。
「殿、東軍本隊より密偵が」
家康率いる東軍本隊は大垣城の包囲と同時に関ケ原に向かった。計算上、今頃は合戦の最中である。わざわざ来たということは、それなりの動きがあったのだろう。すぐに通すよう、報告に来た兵に伝える。
入ってきた密偵を見て、為信は目を誰にも気付かれないほど、一瞬だけ丸くし、すぐに元の表情に戻る。
入ってきた密偵の衣服は汚れに汚れ、顔や体は汗にまみれ、どのような表情をしているのかさえも分からないほどだ。
為信はひとまず密偵を座らせ、兵に手拭いと水を持ってくるように指示を出す。
密偵は出された水を一気に飲み干すと許可なく近くに置かれた水瓶から椀ですくい、三杯ほど口に運ぶ。途中、兵が不敬を咎めようとしたが、為信が制して持ち場へ戻らさせる。
「喋れるようになったか」
密偵が無言で頷く。肩で息を続けているあたり、かなり急いでやって来たのだろう。
「関ケ原にて東軍が、勝利した由」
密偵の震える口から出された言葉に為信は思わず立ち上がった。
「真か」
「はっ」
為信は埋もれるように席に座るのを必死に堪える。
疑いたくもなるが、密偵が自身を徹底的に痛めつけてまで知らせてくれた報告を偽りだと思えない。そして報告してきたのは、為信が津軽を独立させてきた時から従っている最古参の密偵。疑う余地が全くと言って良いほど無い。
勝利に安堵するのは良いが、関ケ原に両軍が布陣したのは計算上、一昨日か昨日である。そう己を戒め、密偵に尋ねる。
「何故にかように早くに決着が付いた」
「西軍は小早川、脇坂、赤座らが寝返ったが故」
「あい分かった」
最初から呂律が回っていなかったが、ここに来るまで昼夜を問わず走ったのだろう。下がるように伝えると緊張の糸が切れたのか、倒れ込んでしまった。すぐに控えていた兵に休ませるように命じ、密偵を運ばせる。
それから四半刻もしない内に主だった者達が集まってきた。
為信は明日からの攻城のことだろうかと思っているであろう重臣達に重々しく口を開いた。
「関ケ原で東軍が勝利した」
早過ぎる勝利の報せに皆が顔を見合わせる。
「真だ。先程、我が軍の草より報告があった」
誰かが問うてくるよりも早く口を開く。迷いのない口調に家臣達も黙ってうつむくしかない。
為信は全員の様子を確認すると一つ頷く。
「かねてより伝えた通り、これよりも我らは徳川に忠義を誓うことを鮮明にせねばなるまい」
「殿、すでに我らは東軍に付いている身。これ以上何を」
側に控えていた沼田が小さな声で聞いてくる。森岡の後を継いだと思っている彼だが、これまで無言で小さくなっていた様が嘘のように口を開くようになってきた。
だが、してくることは大体が持ち上げる発言や伺いを立ててくることばかりのため、全くと言って良いほど、役に立っていない。
本人は周囲からの評判など気にもかけず、痩せこけていた頬が餅のように豊かになるぐらい生活でも図に乗っている。
「知れたこと。貢ぎ物だ」
「何がよろしいでしょう」
呆れたと心中で嘲ながら沼田に答えを教える。
「大戦の後故、兵糧となるものや金子がよかろう。早くに手配せい」
「されど、今は我らも多くの兵を連れている故、兵糧の確保は難しいかと」
沼田が焦燥感を全面に出した表情で訴えてくる。為信はその様を見て頭を抱えたくなった。
「案ずるな。先程、西軍が敗れたという報が入ったであろう。我らは一月耐えられる量を持ってきておる。少し減ったところで何になろう」
「左様でございました。さすがは殿でございまする」
色々と物申したいが、ここで家臣達を萎縮させて今後に響くことも考え、無視する。
「徳川殿に祝いの使者を向かわす。兼平、お主が向かえ」
為信から見て右の一番手前にいる中年の武将が静かに頭を垂れる。
兼平は為信に仕えた年数が森岡の次に長く、軍功も彼に次いでいた。森岡や沼田のようにあれこれと発言する性格ではないため、目立たないが、御家の代表とするのであれば申し分無い。
沼田が嫉妬を込めた目線を彼に向けているが、徳川の下に彼を出しても津軽の顔に泥を塗るのは目に見えている。
「徳川の動きをよくよく見ておけ。何かあれば些細なことも伝えよ」
「されど殿、西軍に付きました若様のことはいかが致しましょう」
弱々しく発した沼田の言葉が為信の表情を懊悩で歪ませた。
稀にこうして頭が切れるところが沼田の地位を簡単に崩すことが出来ない原因である。
為信は秀吉が在命の頃、豊臣に忠誠を示すために長男である信建を実質の人質として仕えさせていた。
正直、情報が錯綜していた中で、中央から離れている陸奥に正確な情報が入ってくる可能性が低いと判断した為信とお福はどちらに味方をするのか明らかにするのは下策と考え、信建をそのまま西軍に付かせ、生き残りを図った。
東軍が勝利した今、西軍に付いた大名や武将は処断される刑場の土になる。世情で言えば、心に鬼として息子でも斬り捨てるべきだろう。だが、世継ぎである長男を見殺しにすれば家臣達から不信感を抱かれる。
致し方ないと一つ溜め息を吐くと口を開く。
「……助命を徳川に請願するしかあるまい。聞けばあやつは大坂にこもり、戦には出ておらぬようだ」
「恨みを買う真似はしておらぬ、と」
「されど、念には念を入れよう。大垣城を落とすための策を献上し、手柄を立てる。紙と筆を持て。皆はもう下がって良い」
家臣達は指示に従い、全員陣幕から出て行った。それを確認してから手元に置かれた筆に手を取り、大垣城の現状と取るべき策を認める。
大垣城を守るのは主に九州の大名の連合。石田や毛利の影響がないまま割り振られたようなものである。一枚岩ではない上、西軍が負けたことを知れば、御家を少しでも存続させようと動くはずだろう。
それを利用した策を献上し、全てを水野に与え、その代わりを頼めばさすがの徳川も納得してくれる。
一気に書状を認めると為信はすぐに水野がいる陣へと向かった。
松明の火を頼りに向かう中、何人もの徳川の兵とすれ違った。
相変わらず、東北の田舎侍と聞こえよがしに言ってくる連中が多くいる。慣れているが、その偏見を無くさないから農民上がりの豊臣に天下を先取りされ、関東に飛ばされたのだろうにと毒を吐きたくなる。
傘下にある以上、声にはしないが、見栄ばかり張るといずれ痛い目を見るだろう。
為信も南部の衰退や自身の身を持ってよく知っていた。
守備兵に声をかけ、中へと入る。おそらく、関ヶ原の勝利が耳に届いているのだろう。兵たちも緩みきって地面にあぐらをかいて談笑している。
さらに奥へ進むと水野がいる陣の中からも笑い声が響いてきた。やはり、本隊の知らせが届いているのだろう。
表情を引き締めると見張りの兵に要件を伝える。待っている間、意味も無く、夜空を見上げている。期待するわけではないが、心中にくすぶる何かを声にして天に祈りたいと思ってしまう。
許可が降りたと兵が幕を上げ、そこから中に入る。顔を紅潮させた水野が家臣達と上機嫌で迎え入れてくれた。
「夜分に申し訳ござらぬ」
「いやいや、よう参られた」
四十に近いにもかかわらず、白髪の一本も無い彫りの深い強面の水野が表情を崩しているのを見ると本戦に参加できずに苛々していた昨日までの彼と同一人物かと疑いたくなる。
「随分と機嫌が良いですな」
とぼけると水野は何かを思い出したように空を見上げ、満面の笑みを為信に向ける。
「殿が関ケ原で石田を破った。これで我らも勝利したも同然よ」
「なんと。それほどまでに早くに決着が着くとは……さすがは徳川様にございまする」
「うむ。して、何用でこちらまで」
「はっ。大垣城を落とす策を献上しに参上した次第」
「申してみよ」
言われた通り、先程考えた策を水野に伝える。もちろん為信もすでに関ケ原の結果を知っていることを黙って、彼のことを立てることも忘れない。
「水野様は確か九州の大名とも面識があったかと」
「うむ。殿の下を離れていた際、世話になっていた者が幾人か大垣城におる」
「それはまた好都合にござる。水野様が本戦の勝利をお伝えすればこちらへとなびきましょう」
「ふむ、良い策だ。二の丸まで攻め入ったが、打つ手にかけていた故な。して、いかにして大垣城の者達にこのことを伝える。使者を送ろうにも九国の者達は血の気が多い。使者を送ったところで斬り捨てられるのが目に見えておる」
為信は心中で口端を吊り上げる。これも想定内の回答であり、思い通りになってくれている水野が愉快でたまらないのだ。
「かの者達は、まだ本隊の勝敗を聞いてはいないかと。水野様が仰る通り九国の者達の性分も某、存じておりまする。間者を忍ばせるのも下策でしょう」
もったいぶるように一度、ここで間を置く。水野達を一瞥すると早く説明しろと睨むような目が語っている。
為信は内心、ほくそ笑みながら前のめりになる。
「そこで、某はこうすべきと思っておりまする」
水野に策を授け、納得した彼にその手柄を全て渡すと伝える。
彼は最も大きな笑い声を上げ、酒を振る舞い、為信を自陣へと返した。
手柄を譲るということは、つまり敵に敗北した際の責務も負わなければならない。幸い、途中で水野の性根を完全に理解した為信は策を認めた書状を渡さずにそのまま持ち帰ってきた。よほどのことが無い限り、彼のような有能な武将が失敗するとは思えない条件が揃っている。
しかし、念には念を入れておいた方が良い。
為信はすぐに認めた書状を松明に焚べ、隠滅を図る。後は水野達に任せれば良いという非常に楽な戦になった。
おそらく彼は手柄を取りたいがために先のことを考えていない。
失敗すれば押し付けてくるかもしれないが、いざという時は彼がこちらに伺い、献策をしたが、よく精査しないまま実行していたと総大将としての怠慢に訴えれば良い。
結論付けていると外から入って良いか確認する声が聞こえ、承諾して通す。
「殿、奥方様より書状が」
「これへ」
関ケ原の結果がまだ陸奥に伝わっているとは思えない。
おそらくと思いながら中に入ってきた使者から書状を受け取り、文面を読む。案の定、反乱についてのことだった。
「中を改めたか」
「いえ、奥方様より殿にお見せするまで開いてはならないと仰せつかっている故」
「左様か」
使者を下げると中身を改める。
反乱については、城が落ちてしまったが、金氏が奮戦して反乱軍を押し返している。
また、お福は主だった者達と付近の砦に避難して機会を伺っており、余裕があれば援軍として部隊を陸奥に撤退させてほしいとある。
応えたいところだが、ここで一部とはいえ、兵が少なくなったことが徳川の目付役に気付かれるとあらぬ疑いをかけられる。
次に東北の状況についてである。どうやら上杉が戦いを優勢に進めており、伊達と最上は上手く足並みが揃わずに後退を続けているらしい。
それでも関ケ原で西軍本隊が敗北したと報せが届けば、領内の反乱共々、軍の士気は一気に逆転するだろう。
最後に大坂にいる信建についてもある。
いざとなれば徳川への忠誠を示すために利用することも厭わなくて良いとある。そしていざとなれば次男や三男に跡を継がせる準備をしておくとも書かれている。
だが、最後にいざとなればとしつこく認めてあるように嫡男を簡単に見捨てることは難しいと考えているのだろう。それは為信も同じであり、徳川に掛け合う他ない。
応じてくれるほどの手柄を立てたわけではないため、何かを代償とされる可能性が高いが、御家存続のためには致し方ない。先程、水野に上申した策が上手くいけば話は別だが、あの緩んだ雰囲気では嫌な予感が全身を駆け巡るばかり。
おそらく、このまま徳川の天下となれば泰平の世はそう遠くない。将兵に漂う厭戦気分を見ると下剋上を行うような者など出てこないだろう。逆に考えれば反乱を起こせば徹底的に叩かれる存在となって内から崩れる可能性もあるということだ。
津軽の家中もおそらく戦に疲れた者がいるだろう。性根を叩き直すのもおそらく禍根が残り、将来に良からぬ影響を与えかねない。
為信はここに野望の終焉を迎えたことに肩を落とす。南部も徳川に味方しているため、本領を安堵されるのは必然。陸奥を全て手中に収めるべく東奔西走してきたが、今後の徳川が豊臣と同じ轍を踏むとは思えない。
空を見上げれば泰平を祝うかのように明るい夜空に星が輝き続けている。陸奥の半分程度を持つ大名など誰も興味を示さない現実を恨むしかない。
大垣城攻めは為信の策略どおりに事が運んだ。
相良頼房、秋月種長、高橋元種が東軍に寝返り、垣見一直、木村由信、木村豊統、熊谷直盛らを殺害したことで西軍に尽くす武将がほとんどいなくなり、家康が直々に遣わした使者の説得によって残った将兵も降伏した。
その後、西軍の処理は素早く行われた。石田三成は捕らえられ、首をはねられた。彼に与した大名はほとんどが改易や減封させられ、本領を安堵されたのは津軽とは正反対に位置する薩摩の島津家のみだった。代わりに家康は東軍に与した者を加増させ、主要な土地を徳川一族に与えることで権力を集中させた。その結果、栄華を誇った豊臣は諸大名と同程度の国力まで落ちてしまい、徳川が新たに日ノ本掌握したことが高らかに伝えられた。
もちろん、徳川に味方した大名らにも領地が加増され、新たな体制が築かれることになる。津軽にも徳川に味方し、大垣城の攻略に一役買ったことが評価され、家康より感状が届いた。
同時に国内で起きていた反乱は予想通り西軍敗北の報せが届くとあっという間に瓦解した。
為信が戻るとあっという間に鎮圧され、首謀者は撫で斬りにした。
森岡の暗殺と為信が進めていた大名型の統治への移行への不満増大だろうと考えた。だが、領内の不穏分子は消え、自身に忠誠を誓う者だけが残された。
素早く対処したことで徳川にも内政で不安視される心配も無く、加増される領地がどこか待つだけとなった。
そして、関ヶ原の戦いから数十日後、ようやく徳川から感状がやってきた。
早速、内容を読むと実に喜ばしい内容が書いてあった。
「徳川殿は、上野にある一部の地を与えると」
家臣たちも感嘆の声を上げる。
「上野ならば、江戸からも近く、あらゆる報せを受けることができましょう」
沼田が考えていたことを代弁する。
毛利や石田に与した者はことごとく改易や減封されたと聞いていたため、もっともらえるのではという希望もあったが、信建を西軍に向かわせたため、文句は言えないだろう。もっとも、南部も徳川に与したので彼らの土地を削れなかったのは残念だが。
為信は目を瞑り、今後のことを考える。
家康が豊臣の二の足を踏むとは思えない。かつて徳川が豊臣の脅威だったように、今の徳川の脅威は豊臣になった。現状、豊臣を討つ理由が無いため、動くことは無いだろう。
つまり、新たな日ノ本全土を巻き込む騒乱はほとんど起きないことになる。戦による加増は見込まれず、政が必要になってくる。
それを理解する者が家臣の中にどれほどいるか。
しばらく思案にふけっていると外から奉公人の声が聞こえてきた。
「平太郎(信建)様より使者が来られた由」
部屋の雰囲気が多少晴れた。
「すぐにこれへ」
為信が言うと足音が遠のく。
信建は為信の嫡男で、今回の戦では西軍に付いていた。
秀吉が存命中は豊臣に仕えていたためだが、他の大名でも同じような対処をしていた。
まさかそれが逆に不審に思われたためにあのような対処になったのかと一瞬勘繰ったが、大坂にいた彼に西軍にとどまるように命じたのは為信自身であり、責める理由にはならない。
「平太郎様が使者にございます」
「面を上げよ」
使者は傷の無い整った顔立ちだが、畿内からここまで休まずに来たのか、こけた頬と疲労をごまかそうとする鋭い目つきをしている。
「その方、見たことの無い顔だな」
「某、津山甚内と申します。先の合戦の途上、平太郎様にお仕えした故、ご無礼をお許しください」
信建には護衛として長年仕えている家臣の一族をあてていたが、西軍に属していたため、彼らを遣わす余裕も無いのだろう。
「して、平太郎は何と」
「お役に立てず、申し訳ございませぬ。と」
「ふ、奴らしいな。良い。盛者必衰の理に豊臣は早うに巻き込まれただけのこと。あれだけでどうともならぬ」
「ありがたきお言葉。平太郎様は京の混乱と東軍による監視が続いている故、動くことができず素性が晴れていない某が参上した次第」
息子に仕えているが、初めて踏む土地と城内で周りの目も厳しい中、場馴れしているのかよく堂々と事情を話している。
「平太郎は戻るつもりは無いのか」
「帰参すれば、逃げ帰ったと見られる故、御家を守るためにいかなる結末を迎えようと立ち向かうと」
家臣たちは感嘆のため息を吐く。
御家のため、生き残りをかける大名の跡継ぎとして何と立派な姿勢だろう。
為信も思わず苦笑いを浮かべそうになり、唇が歪む。
「津山と申したな。平太郎のこと、委細承知した。その方のことも良きに計らう」
「有り難き幸せ」
「お主と腹を割って話したい。他の者は下がれ」
「殿、せめて身を改めてからに」
沼田が津山を睨みながら異を唱える。だが、為信は良いと制し、全員を下げさせる。
襖が閉じられたのを確認すると上座から降り、津山の前にしゃがむ。
「お主のこと見覚えがある。治部殿の下におったな」
驚いたと津山は為信の見てくる。だが、特に隠す素振りも見せずに頭を下げてくる。
「謀りしこと、お許しください。されど、平太郎様にお助けいただいたことは紛れもないことにございます」
「ならば、その証を見せよ」
低い威圧感のある声を出すと素早く書状を懐から出して差し出してくる。
その場で折り目を開き、中を検める。確かに信建の文字と花押があり、津山を三成から引き取り、津軽に仕えることを許してもらいたい旨の内容が書かれていた。
「よかろう。治部殿には恩もある」
「有難き幸せ。されど、もう一つ願いがありまする」
「聞こう」
津山は懐よりもう一つの書状を出す。
「我が殿より津軽殿へ」
受け取り、文面を読む。
慌てて書いたのだろう、三成らしくない小さい文字とやや書き下しが混じっている。
為信の無表情は徐々に眉間にしわを寄せ、唇を噛む驚愕と苦悶の表情を浮かべる。
「我らに治部殿の子息を頼むということか」
「なにとぞ寛大な処置をお願いいたす。殿も津軽様を信を置けると」
「某だけでなく、他にもおろうて」
「畿内や西国は西軍に与した者が多い故、これよりは徳川の目も強くなりましょう。されど、陸奥は最北端の津軽様ならば東軍に与し、悟られることは無いかと」
為信も考えていた模範解答が返ってくる。
三成が津軽を頼ったのは他に人がいないからである。
日ノ本の東の勢力は上杉を除いてほとんどが徳川に味方した。
津軽や真田のように御家を分けて生き残りを計った大名もいるが、真田は徳川の家臣である本多の娘を迎えており、経由して家康の耳に入るかもしれない。
「して、治部殿の子息は何処に」
「すでに到着しており、宿坊にて待たせております」
津山は様子見を兼ねていた。
徳川への忠誠の証として津山と三成の息子を拘束すれば、津軽は安泰だろう。
未だに西軍の残党狩りは続いている状況だと畿内の間諜から報告が届いている。
しかし、ここで二人を捕えたとして畿内からどうして最北端の地にまで来たのか、誰かが手引きをしたのではないかという疑問が浮かぶ。
「時に、お主はいかようにこの地に参った」
「船にて」
「商船か」
津軽と畿内を結ぶ交易船がいくつかある。
信建が手配して二人を匿えるようにしたのだろう。
しかし、それが徳川の耳に入れば津軽の改易につながりかねない。
徳川は津軽が関係していると言って、聞いてくれるとは思えない。
諦めるしかないと溜め息を吐き、頭を前に倒す。
「治部殿には恩もある。ここでそれを返すべきだろうな」
「では」
「直ちに迎えに行くが良い。されど、決して悟られるな」
津山は初めて表情を崩し、涙を堪えて歓喜の表情を浮かべる。
何度も感謝の意を示すと急ぎ足で城下へと向かって行った。
為信はとりあえず落ち着いたと息を吐く。
そして、もう一つやらなければならないことをするべく、お福が待つ自身の屋敷へと向かった。
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