「義兄上」

 部屋で油川城攻めの支度をしていた為信を齢十五の青年二人が尋ねてきた。

「お主たちか。如何した」

「はっ、此度の義兄上が戦にて申し上げたきことがございます」

「ほう。お主もか」

「……はっ」

 為信から見て、右にいる小柄で物静かな者が小さく頷く。左にいる者は隣の様子を見て、すぐに口を開いた。

「故に、今宵にお訪ねしてもよいか、伺いに参上した由」

「よいぞ。待っておる故、いつでも構わぬ」

 二人は福の弟にあたり、為信のことをよく支えてくれていた。

 まだ元服をしている訳ではないため、戦で勇猛さや智謀を発揮していない。とはいえ争い事が絶えない東北に生まれてきたおかげか、武人である自覚を持った行動をきちんと示している。

 己を律した姿勢は家臣たちからも将来の大浦を背負って立つと評判が高い。為信も二人のことは期待しており、元服した後には様々なところで活躍してほしいと願っている。

 為信自身、彼らに少々過保護なところがあるが、許される範囲だと勝手ながら思っている。

 彼にとって公私共に支えてくれる良き義弟である。

 公ではまだ評定や軍議には参加出来ないものの、聞いた情報から為信に進言してくれる。

 時折、舌を巻くようなことも言ってくれる頭脳は後々の支えとなるだろう。

 そして為信が期待しているのはそれだけではない。二人は共に性格も良く、とても福と同じ親から生まれた可能性は思えないほどに表裏が無い。家臣からの覚えも良く、端整な顔立ちから男女共に噂を立てている。

 誰が彼らに嫁ぎ、当主一族という箔を手に入れるのか。愛らしいと評判の家臣の娘の中で誰がその隣を射止めるのか。

 無論、元服した後と為信は噂話をはぐらかしている。早めに決めた方が良いと意見も聡明とはいえまだ子供であるから焦らなくて大丈夫だと。

 しかし、その上辺だけの返答を続けている理由は為信も彼らを側から離したくないという親心と違う思いがあるからだ。

 義弟には良い嫁を紹介しなければならない。その一方で自身の側にも置いておきたい。そして、自身の心の癒しとなってほしい。それが本心であり、欲に忠実になった為信の思いだ。

 他家では蘆名の当主がその気が強く、揉め事を起こしたこともある。自らも慎まなければと程良く理性を保っていた。だが、男である以上、それなりに欲に忠実でなければ公の儀を乗り切ることなど出来ない。

 福とは子宝に恵まれず、側室を取ったが、睦み合うことが無いわけではない。それでも自らの気分のままにいさせてくれる者がいた方が良いに決まっている。あの二人は自身に忠実であり、派手な女好きではない。だからこそ一度覚えさせてしまえば後はどうとでもなる。

 ふつふつと湧き上がる情熱を抑えつつ為信は城を出る。

 屋敷へと向かう途中、何人かの家臣とすれ違ったが、頬の力を入れて堪える。二人の元服まであと数ヶ月。嫁のことも考えなければならないが、どうにかしてこちらの方に目を向けさせるかも思案しないといけない。

 俯き加減でおとがいに手を当てながら歩いていると屋敷の門前まで来ていた。結局、良案は浮かばなかったが、すぐにでも決めなければならないものでもない。

 肩を上下させると兵に扉を開けさせる。珍しく福が出迎えに来ている。

「お帰りなさいませ」 

「うむ」

 一瞬怪訝そうな目を向けたが、公の場を考えて威風堂々と答える。二人の間柄は家に仕える従者たちにも知られていない。知られればその者は口を封じておかなければならない。

 門を潜り、履物を脱ぐと福を連なって部屋へと戻る。普段なら途中の分かれ道で頭を下げて自分の部屋に戻っていくが、今日は一緒に付いてくる。

「如何した」

「今宵はよろしいかを尋ねに」

 数十日ぶりに聞いた台詞だった。間が悪いと舌打ちをしたくなるが、堪えて歩みは止めずに顔だけ福の方に向ける。

「今宵は来客がある故、そちらを先にする」

「来客とは」

「お主の弟たちよ」

 福の眉根にしわが一気に寄った。だが、ここで怯んではならない。

「済まぬが、戦のことについてだ」

「……御意」

 不機嫌な感情が滲み出ている。外に出て行った後もそれが伝わってくるようだ。だが、ここは仕方ないことだと福だって分かっている。全ては津軽や東北の雄となるための布石であり、その瞬間を見るためだ。

「しばらくは気を付けよう」

 緊張感から解放された肩を揺らす。無意識に入っていた力がゆっくりと抜けていき、水のように床へと流れていくようだ。 

 その日の夜は新月で、密なることをするには絶好の空模様である。

 足音が近付いてくるごとに心が昂っていき、それを抑えるために自身で戦う。あくまでも二人の来客は相談のために来ている。

「義兄上、ただいま参上致しました」

「入るが良い」

 扉が開き、蝋燭の火が揺らめく。風が穏やかに吹いているのだろう。外の木々はあまり揺らめいていない。枝と枝が擦れるが僅かに聞こえる。静かに襖が閉められ、密閉された狭い空間に男三人が膝を詰め合う。

「して、言いたいことは」

「はっ、まずこれは某が思うたことでにございます」

 話は丑の刻ほどまで続いた。

 二人の意見は実に理に適っており、実戦にも使えるものだった。とても戦を経験していないものとは思えない。

 聞けば彼らは重臣たちだけでなく、下々の兵たちにも意見を積極的に聞き、実戦とは何かを学んでいるらしい。たしか以前、兵たちがまだ見たこともないはずなのに二人のことを噂にしていた。

「なるほどな……お主らの姿勢は実に良い」

「有り難きお言葉」

「されど、お主らはまだ元服も済ませておらぬ。あまり出過ぎるは危険ぞ」

「申し訳ございませぬ」

 為信はさすがと何度も頷く。元服を済ませていない内から才能を発揮すれば嫉妬する味方や警戒する敵も増える。その意味がこれだけで分かるほど聡いのであればなおさら彼らを懐に押さえておかなければならない。

(今が内に大浦としての繋がりをより深いものにせねば……)

 不意に膝が動いた。繋がりを深める。つまりはより大浦への忠誠を高めることであり、為信と親しくなることでもある。

「……一つ教えるとするか」

「ご教授願えるのでござるか。よろしくお願い致す」

 どこまでも素直な二人が揃って頭を下げる。ならばと為信に迷いは無かった。

「奥に参れ」

 自ら襖を開け、二人が先に入るよう促す。

「真に、自らの身を警戒しない奴らよ……」

 言葉とは裏腹に為信は口元の緩みを抑えることが出来ない。鎮めようと息を吐こうとしたが、止めた。今となって落ち着くのは本能に背く。

(疼きが収まらぬ……)

 素早く静かに閉ざされた襖は朝まで開かれることは無かった。

 

 それから一月が過ぎ、いよいよ義弟二人の立てた戦略を試す戦がやってきた。喜びと不安が交互する胸を手で押さえながら為信は出陣の支度を整える。

 これから攻める油川城は南部家の重臣の一人である小笠原氏一族の奥瀬氏の居城で、外ヶ浜を通って南部方面への道を作る上で欠かせない土地である。

「義兄上、ご武運をお祈りしております」

「おう。留守役の大役、しかと任せた」

 元服をあと数日後に控えている。戦にはまだ出せないが、これぐらいのことを経験させていた方が良いだろうと為信が自ら命を下した。反対する者もおらず、皆が二人の成長を見込んでいるとよく分かった。 

 それに沼田祐光という頼れる重臣を側に置いてある。彼は天文や陰陽に通じており、京など中央との繋がりも深く、陰で津軽を支えている。感情の起伏が乏しく、道具のようなところがあるが、大浦のために誠実に働いてくれている。

 彼が側にいれば万一に南部が攻めてきても対処してくれるだろう。戦での華々しい功績は無いが、森岡に継ぐ知略の持ち主でもある。

「俺が戻った時、元服の儀を挙げることになるだろう。その時が今より楽しみだ」

「恐れ入ります」

「……真に楽しみぞ」

 独り言は誰にも聞かれなかった。これで堂々と何度でも二人を屋敷に呼ぶことが出来る。

 それが今の為信の士気を上げる最大の支えになっている。初めて二人を寝所に招いてからも幾度か誘った。しかし、二人はまだ子供であり、彼らにいかがわしい行為を教えた罪は重い。だから隠密かつ綿密な調整をして呼んだ。

 屋敷の者にも口止め料を払い、福にさえ黙っていた時もあった。功を奏して二人との間柄を噂にする者はいなかった。だが、それも元服を終えれば隠さなくても良い。堂々と二人と関係を持ち、羨む者たちの視線を浴びながら優越感に浸れる。何と嬉しいことか。

「さぁ、行くぞ」

 出陣する兵たちに向かって声を上げる。為信とは対照的に士気があまり高いように感じられない。安東との戦いからしばらく戦らしい大きな戦が無かったせいだろう。だからこそ彼らを奮い立たせる必要がある。

 この昂った思いを敵にぶつけて味方を鼓舞するような。

 ほくそ笑みながら為信は馬を反転させ、手綱を打った。

 

「此度の戦、殿のご活躍はこれまでのをも遙かに超えるものでございましたな」

 油川城自体は油川周辺の寺を自分の味方に引き込み、一揆を起こさせて油川を混乱に陥れた。結果的に奥瀬が一戦も交えずに逃げたために呆気ないものだった。だが、他の豪族との戦で為信はとにかく暴れた。自ら前線に立ち、三つの首を取った。

 戦略も義弟二人が立てた策に為信と森岡が実戦に向いた動きに修正したものが大いにはまり、犠牲らしい犠牲もさほど見受けられなかった。

「お主もそう思うたか。俺もおかしいと思うたほどよ」

「ますますの健勝お喜び申し上げる。されど、あまり前に出られては我らの心も持ちませぬ」

「すまぬな。これよりは気を付ける。かつてとは違うからな」

 森岡は小さく頷く。忠言しているが、口元が軽く緩んでいる。かつてよりも軍の力に余裕が出来ている。そのためか、留守居のことも気にすることも無くなり、城のことを安心して任せられる者もいる。

 為信は今回の戦で自ら首級をいくつか上げた。そのため郎党たちは気が気でない状況を作る時もあり、森岡から戦の後に諫言をくらった。為信自身、少し逸りすぎたと分かっていたので仕方ないと受け入れたが、心踊る状態はまだ続いていた。

 この昂ぶりはやはり女でも男でも抱かなければ収まらない。口元の緩みを引き締めるのに必死になる。

「殿、見えて参りました」

 森岡の声で顔を上げる。本拠が見えてきた。主たる者、威風堂々として領内を通り、皆に応えなければならない。一方で二人に早く会えると思うと体が疼き、落ち着かなくなってしまう。

 ちらほらと畑が見えて農民が作業をしている。普段から為信は領民の作業が滞らないように出迎えは無用だと言っている。民は為信たちに気付いて一礼すると作業に戻る。

 ただ単に福が取れるだけのものを取るのに無駄に手を止める必要など無いと為信に進言したからそうしただけのだが、領民からの反応は良い。

 徐々に城下町が見えてきた。商人たちは距離が近くなるため、自ずと皆が頭を下げようとこちらに向かってくる。そして、城門が見えてきた。森岡が後ろで唸っているのが聞こえる。

「いかがした」 

「戦に勝ったと言うに、何かおかしさが見受けられるので」

 為信も目をこらす。たしかに主の帰還というのに家臣たちが出迎えにくる気配が無い。それにどことなく重苦しい雰囲気が漂う。

「既に早馬で今日の日と刻を伝えているので、もう出てきても良い頃にございますが」

「ふむ」

「万一のことがあると困るので、殿はここで少し待つべきかと」

 そう言うと森岡は小隊を率いて城門まで向かい、開門せよと伝える。

 自らの犯した行為を返してやられるほど恐ろしいことはない。謀反を起こした為信にとって家臣からの裏切りは最も恐れている。福がはたして無事なのだろうか。

 結局、その恐れは杞憂に終わった。城門が開き、中から家臣たちが左右に別れて歓迎の道を作った。慌てている様子が見ていて分かる。森岡が小隊から一人抜け出して家臣の一人に話を聞いている。咎めているような表情が徐々に焦りへと変わり、こちらを何度か見ながら話を進めている。すぐにまとまったのか小隊を引き連れて戻ってくる。

「何事ぞ」

「殿が義弟のお二方がご逝去された由」

「なんと」

 表情は丸い目をさらに見開く程度で抑えた。だが、内心は全く落ち着いていなかった。八つ当たりに刀を抜き、城内の庭にある竹林の枝という枝を切り捨てていきたい。屋敷内の私物をいくつも破壊してようやく気が収まるだろうか。それも分からない。

「殿、今は落ち着いて城内へとお戻り下され」

「うむ」

 一瞬、城外であることを忘れていた。為信は兵や民には心優しく慈悲深い主である。それを崩してしまう様をここで見せてはならない。心を落ち着かせるために目を瞑り息を吐く。だいぶ落ち着いたのを馬を歩かせる。

 家臣の間を通り、城内へと入る。城門が閉じられたのと同時に沼田を呼び出して射貫くような目付きを向ける。為信とあまり齢が変わらないというのに十は上に見えるほどに顔のしわが浮き出ている。

「して、何故に命を落とした」

「川にて溺れたと」

 死んだような目をして沼田は言う。目の下の隈が濃いのはいつものことだが、いつも以上に黒くなっているように見える。

「馬鹿な。二人は水練に長けておったぞ」

「されど、見ていた者は左様だと」

「その者らは何故助けなんだ」

「流れの早い所故、助けられずにいたと」

「……その者らを捕らえよ」

「御意」

 沼田は静かに頭を下げるとゆっくり去って行く。主家の親戚が亡くなったというのにあの様子を見ると疑いの目を向けたくなる。だが、彼は元からあのように人だけでなく自身の危険にも興味が無いような態度をこれまで取ってきている。

 六羽川の戦いの時も本陣付近に敵が来てもぼんやりと座っていた。

 そういう奴だ。諦めてそう思いつつ為信の体は森岡の方に傾けられていた。

「如何に思う」

「落ち着きが過ぎておるように見受けられますが、あれは前よりそういう者にございます」

「やはり、聞くしかないか」

「はい」

 馬を進ませて城内に入る。中は帰ってきた主君や兵を迎える家臣たちが頭を下げて並んでいる。出迎えが遅いという不満は既に為信の中から消えていた。

 他に目もくれず、真っ先に城の外れに向かう。馬から下りて一番に牢へと入る。為信が入ってきた途端に主自らの訪問に驚いた囚人たちが驚いて見てくる。

 すわ恩赦か。と期待するような眼差しを向けてくる者たちもいたが、彼らを無視して目的の牢まで真っ直ぐ進む。

 およそ真ん中あたりの牢に普段、馬廻をしている二人の家臣たちが同じ牢の一室に閉じ込められている。

「何故に儂がここにいるか。お主らなら分かろう」

「真に申し訳ございませぬ」

「我らの不手際にて……」

「黙れ。御託はいい」

 冷めた口調に家臣二人は項垂れた。これで自分たちの命は無いという絶望が表情に浮かんでいる。為信も一瞬、勢いで処断しようとしたが、時間も経ってさすがによく調べもしない内に殺すのは如何なものかと心を落ち着かせる。

「されど、聞かねばならぬこともある。何故に二人は川で溺れた」

「そ、それが……我らが目を離した隙のことにございまして……」

「お主らは二人でいたであろう。何故、どちらかが義弟たちを見ていなかった」

「互いに違う方から聞こえた音に気を取られておりました」

 護衛たる者、様々なことに注力しなければならない。二人が取った行動は何も責められることではない。

「手練れ……」

「殿、何か……」

「なんでもない」

 二人を縮こませると為信は再び思考に入った。やり方としては一人での行いではない。そして、護衛の二人や義弟二人も気付かずにやったとなるとかなりの手練れ。しかし、偶然ということもある。偶然に偶然が重なり合い、義弟二人が死んだ。しかし、為信はとてもそれだけで片付けられる気がしなかった。

 下手人は必ずいる。

 犯人を裏表の伝手を駆使して必ず見つけ出して処断する。表向きでは斬首ということにしておいて裏で明よりも昔から大陸で行われている凌遅刑のような方法で殺してやる。

(両手両足の指の骨を全て折って、五日間飯も食わせずに放置して腰から切れ味の悪い鋸で切り落としてやる)

 為信の心はこれまでにないくらいに燃え上がっていた。どこへ逃げようと伝手を使い、この世から逃がさずに必ず捕らえる。

「殿、お耳をよろしいか」

「む……」

 森岡の声がかけた水は心の炎を少しだけ消した。

「このことを奥方様が知らないはずがございませぬ」

「当然だろう。二人は弟だ」

「何故にすぐ知らせなかったのか。某、検討が付きませぬ」

「何が言いたい」

 口調を少し荒げる。森岡のもったいぶりも今に始まったことではないが、今日は為信の機嫌が悪い。

「何故に殿にこれまで隠しておくように声にせずにいたのか。ということにございまする」

「馬鹿な」

「万一ということもございます」

 為信はそれでも首を横に振った。

「よい。これ以上はお主の察するところではない」

 森岡は自身の出過ぎた言動に気付き、頭を下げて先に牢から出て行く。その背中が見えなくなると為信は再び視線を牢の二人に向ける。 

 彼は福を疑っている。確かに彼女は弟二人のことが原因で機嫌を悪くしていたこともあった。しかし、公私を混同させるほど愚かな人間ではない。将来有益となる二人を殺すようなことを考えるだろうか。彼女のことだから二人との蜜月な関係も気付いているだろう。裏切るようには見えない。しかし、問い詰めない理由が無い訳でもない。知らせる必要のあることを知らせなかったのは確かに気になる。無闇に知らせて味方の士気を下げないためでもあるだろう。

 福が絡むと全て疑念を感じるから実に不思議だと首を曖昧に左右に振る。

「殿」

「聞いてみるか」

 許されるかもしれないと淡い期待を抱いていた兵二人に一切関心を持たず、為信は外に出た。抱き続ける疑念が増長しては有り得ないと消えていく。

 本質的に言えばやっているのかやっていないのか。どちらにしても何故知らせなかった。その思考の中で為信は何となく察していた。

 福は絡んでいると。

 確信しているわけではない。だが、問い詰めなければ胸中でうごめく気分の悪さは晴れない。

 為信は屋敷に戻ると家人たちの迎えもそこそこに福が待っているであろう最奥の部屋へと向かう。いつもより時間の遅い。福であって欲しくない思いとそうなのだという疑念が錯綜して脳内を巡り回っている。

 最奥の部屋の前に立つと中から人の気配がした。福であると為信はすぐに察して襖を開ける。

「おい」

「あら、お早いお戻りで」

 仰々しく福は頭を下げる。鎧姿のままの為信を見ても眉の一つも動かさない様を見て、確信を得て愕然としてしまった。

「人払いは済ませてある。何故に義弟たちが亡くなったことを知らせなかった」

「だってあなたが狼狽えると皆に影響を与えるのよ」

 睨み付けてくる。確かに彼女の言うとおりではある。しかし、言わなければならないことであるはずだ。

「少し風があって寒いわね」

 問い詰めようとした口を噤み、襖を全て閉める。そして改めて福の正面に座った。

「お前の弟二人が水遊びをしている間に死んだと聞いたが」

「私がやったのよ。まぁ、少し面倒だったけどね。もちろん私は何もしてないわ」

 惚けても無駄と思ったのか、福は呆気なく白状した。何となく察していたが、こうも簡単に言われると拍子抜けしてしまう。だからといってここで気を抜くわけにはいかない。為信は拳を握り締めてゆったりと扇子を扇いでいる福を睨む。

「何故殺した?」

「いつか変なことを考えて揉めるのは面倒じゃない」

 満面の笑みを浮かべている。跡継ぎの問題のことを言っているのはすぐ分かった。福自身、良いことをしたと思っているのだろう。しかし、為信は同調できるわけがなかった。これからの支柱になってくれると思っていたからこそなおさらである。 

 落ち着かない様子で自身を見ている為信に福も徐々に不機嫌な表情へ変わってくる。

「何か言いたいなら言えば良いじゃない」

「とてもあれらが左様なことを考えているとは思えぬが」

「今はそうかもしれないけど」

「後にそうなっていたやもしれぬと?」

「だって私の弟よ」

 福の扇子が勢い良く閉じられる。邪魔な人間を石ころを蹴るように斬り捨てる自分の血が流れている。だからいつ心に邪推なものを抱くか分からない。

 福の言わんとしていることは分かる。だが、兄弟は得てして真逆の性格を持つことだってあるのだ。それでもあの汚れなき眼がはたして福のような野心に満ちあふれたものに変わるというのか。

「もう良いわ。死んでしまった者のことを考えても仕方ないし」

 福の目線が外へ向けられる。自分が殺したという罪悪感など欠片も無い。

「お前……」

 胸倉を掴もうと詰め寄る。福は簡単によけると空いていた首下に扇子を刺した。

「身を守る術は持っている。そう婚姻の時に言ったはずよ」

 為信の虚しい唸り声が響く。彼の手は福の体に届かない所で止まっていて、完全な敗北を示している。彼女は幼少から習っていた舞を応用した護身術を持っている。そのことさえ忘れるぐらい頭に血が上っていた。

「それより、十郎左衛門の方はどうなの」

 そのままの姿勢で福が尋ねる。黙っていれば扇子を首にめり込ませるだろう。素直に口を開いた。

「なかなかに難しい。まだその時ではない」

 常に目を光らせている。しかし、森岡は元々隙を見せない。言動から何か揚げ足を取るようなことも出来ず、人望も厚いため、讒言をしてくる者などいない。

「急いては事を仕損じると言うけど、過ぎたるはなお及ばざるが如し」

 福の目つきが変わる。為信にしか見せない、恐怖を植え付ける鋭さが背筋を凍らせる。

「きちっとわきまえなさい」

「……ああ」

 福の言うことは正しい。為信の謀略によってここまでのし上がったと世では思われている。大浦の実態は福が裏で手綱を引いているなど誰も思っていない。

 他家からすれば女が御家を指揮しているなど言語道断である。暴かれれば家臣たちは為信に失望して多くの者が再び下剋上を企むかもしれない。

 確かに森岡の存在は福にとって邪魔なのかもしれない。だが、為信と森岡との付き合いは為信と福以上に深い。そもそも森岡の父は為信の父である為則の後見役であり、両家の繋がりは非常に深い。

 父の跡を継いだ森岡は二歳年下である為信をよく支えてくれた。子供の頃、ふざけたことをしていた為信を諌めてくれたり、共に勉学や鍛錬をするのが当たり前だった。

 元服してからも石川を攻めた時に落とした和徳城を城主として統率して旧石川家臣たちを牽制し、火種があれば必ず暴発する前に消してくれた。

 数年前の大光寺城攻めでは泥に馬の足を取られた為信の窮地を救ってくれた。あれが無ければ為信は確実に敵の的になり、討たれていたかもしれない。それだけではなく、彼はずっと為信の傍らで支えてくれた。

 森岡は今、和徳城にいるとはいえ、心では必ず互いに助け合えると信じているだろう。 

 そもそも、何故彼女はここまで森岡のことを憎むのだろうか。確かに自分たちの関係を一番に知れるところにいる。だからといってそこまでの相手なのだろうか。仮に殺すにしてももう少し利用しても良い存在ではないだろうか。

「聞いているの」

「ああ、聞いているよ」

 福の冷徹な目が為信に浴びせられる。嘆息の後、ようやく福は扇子を首から離してくれた。不意に首へと手が回る。跡は残っていないだろうが、心にはそれなりの傷跡が出来た。普段、死線を走っている自分が屋敷の中にいることが多い女に遅れを取った。

 武芸をそれなりに嗜んでいる福だが、武人とは全く違う動きをされて付いていくことが出来なかった。

「あまり期待しない方がいいと思うわよ」

 それは為信に対する残された時間のことだろうか。それとも森岡の離叛が近いということか。福の目を伺うが、気持ちは計り知れない。

 これ以上問い詰めて福の感情を損ねても良いことはない。諦めたように為信が小さく頷くとやっと分かってくれたかと溜め息で返してきた。

 せっかく戦に勝ち、二人に会えると最高潮になっていた気分が奈落にはまったかのように一気に落ちた。

「この話はもういいわ。次はどうするの」

「千徳だ」

 福は一切表情を変えない。彼女にとってはその程度の相手であるからだろう。千徳は一族で分裂しており、為信と同盟を結んでいる浅瀬石城の政氏と南部との同盟を重んじる田舎館の政武の間で対立している。

 為信としては高潔で誇り高い政武を降伏させて津軽地方の統一の片腕としたい。しかし、如何せん政氏の存在が邪魔である。政武と比べれば容姿から才覚まで劣る彼をいつまでも同盟関係としてはいたくない。

 だが、簡単に同盟を破棄すれば千徳が一つにまとまってしまうかもしれない。

 今の状態でも降伏出来るように政武には幾度も使者を送っているが、良い返事はまだ返ってこない。

「もう諦めてあの見栄っ張りを討ったら」

「簡単に言うな。それに、奴は根っから潔白だ」

 一度だけその目で見たことがある。

 政武の目は曇りがなく、武士や民分け隔て無く仲良くなれる包容力が一番の武器だと感じた。しかし、福にとってどうでも良いことに過ぎないのだ。つまらなそうに眉を寄せながら扇子を為信の方に向ける。

「何とかするのが貴方の役目でしょう。現にいつまでも待ってたら埒が明かない」

「確かに、そうだが……」

「仔細は任せるわ。わざわざ口を挟むまでもない」

 有無を言わせぬと勝手に結論付けられた。それから福はもう興味が無くなったと扇子を開く。確かに安東や南部と比べれば容易く勝てる規模である。しかし、人望のある彼を容易く討てば後の統治に支障が出る。

「今から策を練ってくる」

 去り際の為信の言葉に振り向きも返事もせずに福は外を眺めている。視線の先はただ木々が揺れているだけのいつもの景色。

 構っても意味も無いと為信は怒りと悲しみを抑えて立ち上がる。

「殿、よろしいでしょうか」

 襖に手をかけようとした瞬間、不意に襖越しからかけられた声に二人はその方向へと顔を向けた。

「何用だ」

「森岡様がお目通りを願っております」

 声を聞けば最近新しく入った女中だった。まだ若く、右も左も分かっていないと古参の者が愚痴を言っていた。

「……通せ」

 女中の小さな足音が消えていく。恐らく話している途中にやってきた。以前のようにこの場で斬り捨てるようなことはしてならない。客人もいる。もしかすると本当に足音も小さくて気付かなかっただけかもしれない。

「後で殺しなさい」

 情を抱いた心に冷たい声が突き刺さる。福を見ると真っ直ぐな瞳でこちらを見ている。いつからここに近付き、話を聞いていたのか福も分からなかったのだろう。だから為信の表情を見て言ってきた。

「分かった」

 為信は大きく肩を揺らすと福に目で端に座るよう合図する。彼女は素直に従い、楚々とした佇まいに直る。為信に与えていた恐怖は全て内に隠し、関わらないと口を真一文字に閉じる。

 森岡にはついて渋っているが、それ以外については必ず福の言う通りにすると誓っている。義弟二人についてはもうすでに手遅れになっている以上、なおさら彼のことには目を配る必要がある。

 これが原因で森岡が福への疑いを深めて二人の関係を確実に捉えてしまえばそこで主従関係は終わる。現に彼は福が絡んでいるのではと思っている。

 ひとまず後で違っていたと言わなければならない。そう思いながら為信は堂々とした姿勢で森岡を待つ。耳をすませば外から微かに吹く風の音と廊下から聞こえる二人分の足音。近付くほどに迷いが大きくなり、自身の無力さを思い知る。それでも為信が己を律することが出来るのは福の存在と大浦の主であるからである。

「殿、十郎左衛門にございます」

「入るが良い」

 森岡は隣にいる福を確認してから為信に頭を下げる。眉根が若干動いたが、見なかったことにしようと為信は彼に問いかける。

「如何した」

「豊臣が四国を平定したとのこと」

 為信は目の色を変えた。すぐに立ち上がり、重臣を集めるよう指示を出した。

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