第10話

 私がウォーター・ウォール街で水中人と地上人の間に立つ通訳者になってから、もう一年が経つ。


 海底に建てられた家から見える朝日はいつもゆらゆらと輪郭が揺れていて、その曖昧さをとても気に入っている。ベッドの上で仰向けになったまま、しばらくぼんやりと白い光を浴びていたけれど、意を決して疲れの取れていない体を起こした。

 顔を洗い、昨日ベッドの横に吊るしておいた淡い水色のドレスに袖を通す。派手すぎず、それでいて二十代半ばという若さに合っているシンプルな服。選んでくれたのは、樋口さんだ。彼女が高校を転校したのを機に一時期疎遠になっていたけれど、同じ大学に進学したことで、付き合いが復活した。くっ付きすぎず離れすぎない、良い友だち関係だと思う。

 家を出ようとしたとき、ポストに手紙が入っているのに気付いた。読むのを後回しにしようと思ったのだが、送り主の名前を見て、慌てて封を切る。


「自分の娘を自分の手で育てたい、という身勝手な望みのために、私は娘の人生の大部分を奪ってしまいました。そのことを悔やんでも悔やみきれず、自殺を考えたこともありました。彼女には、広い世界を見る権利があった。教育を受け、自分の力で未来を紡いでゆく権利があった。今さらそんなことに気付く私は、愚かです」


「来月、私は刑務所から出所します。もし、許されるのなら。娘に会いにいきたいと思います。彼女は最近、手紙をくれるのです。私に孫を見せたいと、行ってくれるのです。こんな、親失格の私に」


 玄関先に立ったまま何度も読み直し、そして私はその手紙をバッグにしまった。そろそろ出発しなければ、間に合わない。


 今日は、スミレさんとののやんの結婚式だ。会場は、ウォーター・ウォール街で最も人気のあるサンゴ礁の庭園である。

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