第29話

お互いの息遣いが伝わるほどに私と深瀬先輩の顔が近くにある。

(これは…キス、するのかな…。)

覚悟を決めて思い切ってそっと目をつぶる。ドキドキしすぎてどうにかなってしまいそうだ。

「美恋ちゃん…。」

小声で名前を呼ばれた後、額に柔らかく少し温かい感触がした。目をゆっくり開けると、いつの間にか水袋は階段に落ちていた。深瀬先輩に意識が行き過ぎて気づかなかった。

(額にキス…されたんだ。)

思わず両手を額に持って行って余韻に浸る。深瀬先輩は水袋を拾いながら私の顔を見ていたずらっぽく笑った。

「早く治るおまじない。そろそろ戻ろうか。」

「はい…。」

先を歩く深瀬先輩を慌てて追いかける。いつもと同じような深瀬先輩だけど、耳が赤くなっているのを発見して、なんだかかわいいなと思った。


「美恋!大丈夫だった?」

家庭科室に入ると小春が飛びついてきた。周囲を見るともうすでに食べ終え、片付けに入っているようだ。

「うん、多分大丈夫だと思う。」

「力ちゃん、美恋ちゃん、お帰り。ずいぶん遅かったね、なんかしてたの?」

鈴木先輩の言葉にドキリとする。深瀬先輩は何事もなかったかのように、保健室に入れなかったから水袋で冷やしていたと事の顛末を説明している。もちろん、キスの件は伏せて。

「梨野さんは休んでて、俺らで片付けするから。」

グループの机に小春と戻ると、島田君がそう声をかけてくれた。お言葉に甘えて丸椅子に座って部員の作業を見ることもなしに見ていると、ふと私が作ったホットケーキの存在を思い出した。

「あれ、私が作ったホットケーキってどうしたの?捨てた?」

私の疑問に小春が洗い物をしながら答える。

「ううん、焦がしたところを削って食べたよ!おいしかった、美恋才能あるよ!」

「あ、そうなんだ。食べてくれてありがとう。」

「どういたしまして!」

しばらくして全てのグループの片付けが終了したため、今日の部活は終了となった。帰ろうと声をかけてきた小春にちょっと待っててと言い残し、黒板前で鈴木先輩と話している深瀬先輩のもとへ行く。

「深瀬先輩!」

「美恋ちゃん。どうしたの?」

「今日は本当にありがとうございました。ご迷惑をおかけして…。」

「大丈夫だよ、気にしないで。気を付けて帰ってね、小春ちゃんも。」

「はーい!」

いつの間にか私の背後に来ていた小春が元気よく返事をする。鈴木先輩にも挨拶をしてから、少し薄暗くなった廊下を小春と2人で歩く。

「ね、それでどうだったの?」

「え、何が?」

小春がじれったそうに両腕を揺らして私の顔を覗き込む。

「深瀬先輩と2人で保健室行ったとき!なんかなかったの?」

キスのことを思い出して1人ドキッとする。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る