第五章

追いかけっこ

 ブルネラの農耕地に近い場所で、大人たちの目をかい潜り、森へと入っていく子どもたちの姿があった。子どもたちは森に入ると周囲を見渡しながら歩いている。


「よお、パール、早く用事済ませてくれよ! こんなの大人たちに知れたら大目玉だぜ?」

「本当だよ、ついて来てほしいなんて言うから来たけど、まさか森に行くなんて知ってたらぼくは来なかったよ!」

「ゴメン! ゴメン! でも、どうしてもお母さんの誕生日に素敵なネックレスを作ってプレゼントしたいのよ。カラフルな木の実や羽を集めたいの!」

「町の中の木の実じゃダメなのかよ?」

「町で集めてたら作る前にバレちゃうでしょ! バカね」


 パールと呼ばれた少女は、文句を言う少年たちを後目にして、さっそうと森の深みに入っていく。


「アクセサリーに使えそうな物があったら全部拾ってね!」


 子どもたちが森で木の実を探していると、どこからか町の男たちの声が聞こえてきた。


「今、子どもたちが森に入っていかなかったか?」


 少年がやばいという顔をして、声をひそめて言った。


「まずい! 大人たちだ! 見つかる前に引き返そうよ!」

「そうだな! おい! パール帰るぞ!」


 小さく合図する少年たちに向かって、一人森の先へ進んでいたパールが大きな声で言った。


「まだ材料が集まってないのよ!」

「バカ! 大きな声を出すな!」


 男たちがその声を聞き騒ぎ始めた。


「向こうの方で声が聞こえたぞ!」


 男たちが走ってくる。


「逃げなきゃ!」

「もう、好きにしろ! おれたちは行くからな!」


 少年たちは大人たちが向かってくる方向をかわすように町へと走り出した。


「もう!」


 そう言うとパールは少年たちとは逆に森の奥へと走り出した。


(ハァハァ……)


 パールは息を切らして走りながら、後ろを振り向いた。男たちの姿は見えないが追いかけてくる声はまだ十分に近い。見つかったらせっかく集めた材料を取られちゃうわ!


 パールは完全に男たちを撒こうと森の茂みに逃げ込んだ。足元が悪く、何度も転びそうになる。木の枝でかすり傷ができるが仕方ない。身を隠すようにさらに茂みの中へ入り込んでいった。


「スノーディアにはどれくらい滞在するかわからないから、なるべくたくさん集めておこう」


 パールの耳に、追いかけてくる男たちとは違う声が聞こえてきた。


 ――なんだろう。誰かいる!?


 パールは茂みの向こうに何やら怪しげな者たちを見つけた。何かを拾っている。


 近くの木に身を隠して様子を見る。帽子を被った黒いスーツのカエルと木の鳥がベラベラと喋っている。それに後ろ姿しか見えないが異国の少女まで!


 ――あれは異種族!? なんでこんなところに?


 その時、男たちの声がすぐ近くまで迫ってきた。


「いたぞ! あそこだ!」

「わー! マッシュさん! 人間のイカツイ方々がこちらにやって来ます!」

「なんでこんなところまで!? 真珠! 逃げるぞ!」

「おい! 子どもたちじゃないぞ! 異種族だ!」


 男たちは、異種族をはっきりと視界に捉えた。腕を勢いよく上げて、彼ら目がけて走る。


「ああ! やっぱりこうなるのね!」


 異種族の三人は森の奥へと逃げ込んだ。「森を出ていけ!」と町の男たちが追っていく。


 ――なんだか知らないけど、助かったわ!


 パールは身を隠していた木から出た。今日はもうダメね――パールは家に帰ろうとして、ふと異種族が何かを拾っていたのを思い出す。


 ――そういえば異種族の彼らは何を拾っていたのかしら?


 パールが枝を乗り越えて、三人が逃げ出した辺りまで来ると、オレンジ色の小粒な実が落ちていた。一粒拾い上げてみる。見たことのない木の実だ。


 ――珍しい実ね……。使えるかわからないけどこれも拾っておこう。


 そう思いついて、いくつかの実を拾う。拾いながら、あれ?と思った。これは彼らの食べ物なのかしら。匂いを嗅いで見るが香りはしない。ポイッと口に入れて噛んでみた。ものすごく苦い。


「うぇー。苦いだけじゃない! よくこんなもの食べられるわね」


 パールは口に含んだ実を吐き出して、町に戻るために駆けていった。


 一方、マッシュたちは町の男たちに追いかけられ、森の中を逃げていた。


「しつこいなー。どれ、紳士風に話し合いで解決してみるか!」


 走りを止めたマッシュが振り返り、追ってくる男たちと対峙する。


「やっと追いついたぞ! 観念しろ!」

「ああ、諸君、聞いてくれ。我々は君たちに危害を加えるつもりなどない。だからこのまま穏便に森の外へ逃がしてくれないだろうか?」


 少し離れたところで真珠とクルックスが、マッシュと男たちのやり取りを固唾を呑んで見ている。


「いや、駄目だ! この森はおれたちの森だ。勝手に侵入したおまえたちをおれたちは逃がしたりしない。仲間を呼んで仕返しに来るかも知れないしな!」

「これは呆れた! いやいや、我々はそんなことは絶対にしない。このエルセトラに誓おう」

「駄目だ! 信用できない! 捕まえて町長の前に出してやる!」

「ああ、やはりそうなるのか」


 真珠たちに向かってマッシュが走ってくる。


「すまない。交渉は決裂だ!」

「そのようね!」


 再び三人は森の中を走り出していった。


「クイーンの深い森に比べたらここの森なんてまだまだ走りやすい方ね!」

「油断は禁物だ!」

「おふたりとも! こちらです!」


 クルックスが体の小さいのを活かして、二人が抜けられそうな経路を先回りして行き道をガイドする。


 男たちの走るペースが少し落ちてきている。自分たちを追う声が少しずつ離れていく。しかしまったく諦めていないのか、追う声の威勢の良さだけは相変わらずだ。


 クルックスを先頭にして二人は駆けていき、ようやく森の抜け道が見えてきた。しかし森を抜けた先には広がる農耕地が垣間見える。まったく、方角を失っていた。町に向かってまっすぐ走ってしまったらしい。


「ねぇ、あれってひょっとして……」

「ああ、何ということだ、ブルネラだ!」


 一行は躊躇して走る足を止めかけるが、後ろから男たちの声が迫って来る。


「ポォ! 町のイカツイ方々がすぐそこまで来ております!」


 町を迂回しても辺りに身を隠すものはない。


「仕方ない! 町まで逃げてどこかで身を隠すか!」


 マッシュはなんだかワクワクしてるようにも見えた。

 三人は農耕地を駆け抜ける覚悟で一目散にまっすぐ走った。


 農耕地では多くの人間たちが農作業に精を出している。老齢の者、若い者、男、女、様々だったが、皆一様にマッシュたちを凝視して、腰を抜かしたり、悲鳴を上げたり、威嚇の声を上げたりした。追っ手の数が少しずつ増していく。


 とにかく三人は無我夢中で農耕地を走り抜け、やっとの思いで町に入っていった。


 点在していた町の建物が少しずつ密集していく。明るい町の中は、女、子どもが多く、ゆったりとした時が流れている。


 マッシュが走りながらコンパスを取り出して方角を確認した。


 町の北側にある農耕地から入り込んだ自分たちは、町の大きな通りを南に向かって逃げているようだ。追っ手の声が依然として後方で騒いでいる。


 美しい噴水広場が現れた。町の人で溢れている。


「……人が多すぎる! 私がオトリになるから真珠たちは裏路地に逃げ込め!」

「でも! そしたらマッシュが!」

「大丈夫さ」


 マッシュは走る足をひとり緩めた。心配御無用と帽子を高くあげ会釈する。


「必ず君たちに合流するから信じて逃げるんだ」

「でも!」


 真珠が、自ら後れていくマッシュを振り返りながら躊躇う。


「私が今まで約束を守らなかったことがあったかね?」


 マッシュは踵を返して追っ手に向かって走っていき、裏路地に姿を消した。


「真珠さん、早く!」


 クルックスに促され、真珠たちも別の裏路地に逃げ込んだ。


 裏路地を逃げる真珠とクルックス。


 ほとんどの追っ手はマッシュを追ったらしい。真珠たちの後方にはもう追っ手の声はしない。でもまだ安心できないというように、ひたすら真珠とクルックスは逃げていた。


 裏路地は複雑に入り組んでいる。まるで巨大な迷路のようだ。外部からの来訪者をまったく意図していない街の造り。生活に根差した利便さを追求した結果だろう。


「どっちへ行きましょう!?」クルックスが分かれ道に戸惑って真珠を見た。

「えーい! こっち!」


 真珠が路地を適当に右へ曲がって先に出た時、激しく何かと衝突した。ぶつかった相手は老人だった。二人はお互いに跳ね返されるように勢いよく転倒してしまった。後ろからすぐに追いかけたクルックスが、転んでいる真珠を見て慌てて飛び寄る。


「真珠さん! 大丈夫ですか?」

「わたしは大丈夫。それよりおじいさんが」


 真珠は立ち上がり、転んでいる老人に寄って抱き起こした。クルックスも手を貸す。


「おじいさんごめんなさい! わたしたち急いでいて……大丈夫ですか?」

「驚いたが、私は大丈夫だ。ありがとう」


 老人はそう言って腰を押さえながら真珠たちを見て目を丸くした。


 しまった! 見つかった!


 真珠は、ここがエルセトラの人間が住むブルネラだというのを思わず忘れていた。


 ――逃げなきゃ!


 真珠がそう思った瞬間、老人の声が高くなった。


「クルックスに真珠じゃないか! どうしてここに?」

「ポォ~!?」


 真珠とクルックスは目を疑った。目の前に立っていたのは、あの時計職人のノランだったのだ。


 ノランは草原で初めて出会った時とは少し違って見えた。伸び放題だった髪と口髭は少しさっぱりと切り揃えられ、ブラウンのシャツの上に、古いがきちんと手入れされた茶色のジャケットを着こんでいる。


 ノランは笑いながら、なんとも不思議な縁もあるものだと言った。


「ところで君たちがここにいるということは、まだ旅の目的は達成されていないということだね? とにかくこの町は部外者に対してあまり友好的とは言えない。外にいては何かと問題だ。私に着いて来なさい」


 そう言ってノランは、辺りを見渡しながら歩き出した。真珠とクルックスも後についていった。

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