煌きアゲハと秘伝の粉

 壺の口は皮でしっかり蓋されていた。フラシアスが皮を留めてある紐をほどく。大きな壺の中には半分ほど、灰のように細かい粉が入っていた。


「クルックスじゃったか? すまんがちょっと体を借りるぞ」


 フラシアスはそう言って、クルックスの頭に粉を塗りつけた。


「な? なんですか?」


 クルックスが両羽で頭を確認する。


「ほっほ。大丈夫じゃ」


 フラシアスは続けて小さな木箱に手をかける。


「はて。どのくらい残っておったかのぅ」


  留め具を外し、カチッと小さな音を立てて蓋が開いた。


 木箱の中で、何とも言えない光が発光している。


 蓋を開けた時の小さな衝撃で、小さく何かが舞い上がった。皆思わず息を飲んだ。舞い上がった何かが、ゆっくりと箱の中に降りていく。


 フラシアスは木箱の中に手を突っ込んで、クルックスの頭にさらに塗りつけた。


「!?」


  マッシュと真珠が目を向いてクルックスを凝視する。


「ほっほっほ。煌きアゲハの鱗粉じゃ。ほんでこっちは秘伝の粉。わしの発明品じゃて」


 クルックスの頭が虹色に煌き始めた。

「な!? なんですか? わたくしどうなったんでしょうか!?」

「ほっほ。前置きが長くなってすまんの。これを使えば誰でも釣りの名人じゃて」


[秘伝の粉]


 フラシアス特製の秘伝の粉。その正体は三角岬周辺の林などでも捕れる草やら花やら木の実の殻やらを粉々に擦り潰し、細かく刻んでさらに潰し、またさらに細かく刻んでの作業を延々と繰り返した物を乾燥させた粉。


 この粉の効能は釣り餌のミミズに味つけやら色づけなど行う際、この粉と一緒に味やら色の材料を練り込んでおくと、それにミミズを漬け込んで餌として海に投げ込んでも、味やら色はミミズに付着したまま剥がれないというスグレモノ。


[煌きアゲハ]


 腐葉土の豊富な熟齢の森にのみ生息するアゲハ。


 詳細は不明。樹齢百歳以上の樹液や花の蜜を好むがそれのみでエネルギーを得ているのではなく、樹液を消化器官で発酵させ、特殊な酵素を作ることによって体内の栄養を賄っている。その副産物として鱗粉に酵素液が含まれる。


 特にその鱗粉が闇夜にキラキラと煌くことからその名がついた。蝶としては非常に珍しく、夜行の飛行も認められるが、紫外線を飛行の足掛かりとすることはわかっているため、エルセトラの熟齢の森以外では生息しないことと、何らかの関わりがあると考えられている。蛾の一種との説もある。

 

 翅脈に区切られた翅室の部位によって鱗粉の密度が異なり、そのため非常に複雑な光を醸し出す。


(『エルセトラ生物百科大辞典』より抜粋)


 フラシアスの秘伝の粉は、超強力接着剤とでもいったところか。


 秘伝の粉を用いて、ミミズと煌きアゲハの鱗粉を合わせ「煌きミミズ」を作成する。

「煌きミミズ」によって大量の魚群を集め、それを島亀の頭付近へ誘い込み、そのまま誘導して大陸まで連れていく。それがフラシアスの作戦だった。


「いわば二重オトリ作戦ですね! これは面白い!」


 マッシュは興奮を隠せない。


「アゲハの鱗粉はもうほとんどないでの。捕りにいってもらわんといかんが。ミミズも大量に必要じゃ」

「頑張りましょう! 亀さんに戻っていただかなければ!」

「ミミズ……」


 ウキウキする三人を後目に、真珠だけがうげーっとする表情を見せた。



 [作戦の内容]


 ①ミミズと煌きアゲハを捕獲


 ②煌きアゲハの燐粉を取り出す


 ③ミミズに秘伝の粉とアゲハの鱗粉を調合


 ④「煌めきミミズ」を作り、魚をおびき寄せる餌にする


 ⑤誘導飛行部隊(フラシアス、クルックス)

  島亀の頭付近で「煌きミミズ」を巻きながら魚を集め、島亀を大陸側に誘導する


 ⑥待ち受け地上部隊(マッシュ、真珠)

  大陸側から「煌きミミズ」を撒き、魚を集めておく


 ⑦追い込み潜水隊長(フランク)

  海に潜り、魚群を見つけ、亀と大陸の間に追い込む



 フラシアスに軽い食事をご馳走になりながら、四人は作戦を何度も確認した。


「わしはカッコウと一緒にミミズを掘ってくるでな。おまえさんたちはちょっと遠いが森へ行って煌きアゲハを頼むぞ。アゲハがおるのは中央部の方じゃ。わかるかの」


 久しぶりに外へ出ることになったフラシアスは、もうベレー帽を被っている。赤い蝶ネクタイに緑のベレー帽。冒険家というよりは学者といった風だ。フラシアスは窓の外を見てまぶしそうに目を細めた。


 クルックスが飛んでいってベレーの上に羽を降ろした。すっかり懐いているらしい。


「煌きミミズを作るのは本当に久しぶりじゃ。ワクワクするのぅ」

「本当に楽しみですね! わたくし頑張ります!」


 食事を終え、フラシアスとクルックスが短い別れを告げて林に入っていく。

 マッシュはジェリービーンズを一粒放り込むと真珠に向かって言った。


「真珠、森へ入るには一度フランクのところまで戻らなければ。準備を整えてから煌きアゲハを捕りに森へ入ろう。もうお昼を回っているし少し急がないとな」


 マッシュと真珠は、林を抜けた先の、フランクが待つ草原を目指した。


「あ! 真珠! マッシュ! おかえり、どうだった? クルックスは?」


 マッシュが事の次第をフランクに説明すると、面白そうに聞いていたフランクがブルブルッと体を震わせて言った。


「そっかー! じゃあ絶対に島亀に元に戻ってもらって、フラシアス先生にぼくの仲間の居場所を聞かなくっちゃね!」


「目指すべきはこの陸地、島亀の中央部辺りの森だと言っていた。フランク。我々を乗せて中央部のできるだけ近くまで行ってくれないか。そこから森に入ろう」

「うん! わかったよ!」


 二人はフランクとともに中央部の森を目指す。森を左に見ながら少し回り込む形だ。その間、マッシュは何やら大きな箱を引っ張り出して捜し物をしている。


「何を捜してるの?」

「虫取り網だよ。先生の所にあったやつは穴が開いていたからね。それと大きめの籠が必要だ。鱗粉をいただいたらアゲハを返してあげなくては」


 最後に先生が煌きアゲハを捕ったのはいつなんだろうとマッシュは思った。

 網を見つけたマッシュが真珠に網を渡す。


「一本しかないの?」


 真珠が聞くと、マッシュは胸ポケットからジェリービーンズを取り出し、一粒空に投げた。


「私にはこれがある」


 そう言って長い舌でビーンズを空中キャッチして、絡めたまま口の中へ放り込んだ。得意げに喉を膨らまして、無邪気に真珠を見つめている。


「そ、そうね……」


 真珠は苦笑いした。


 フランクを森の手前で待たせて、マッシュと真珠は森に入り、早速煌きアゲハを探し始めたが、なかなか見つからなかった。マッシュの籠を担ぐ肩が痛くなってきて、それを心配した真珠が交代する。


「なかなか見つからないわね。本当にいるのかしら」


 どれくらい捜し回ったのか、陽はだいぶ傾いていた。


「お腹が空いたわ。この森にもマザーツリーはいるの?マザーのリンゴが食べたい」

「おそらくこの森にはもうマザーはいない。もう少し我慢してくれたまえ」

「え? いないの?」


 マッシュはフランクに乗って森に近づく間、この森を観察していた。冒険家に観察眼はいつでも必要だ。


 マザーは常に森の中央部に位置している。マザーがいるとすれば、その厳格な佇まいは、周りの木々と比べれば一回り大きく、空から眺めれば一目瞭然だ。この森の中央部は少しくぼんでいた。熟した森。この森にはもうマザーはいない。発ってからしばらく経っている。マッシュはそう推測していた。そしてそれは正しい。


「この森はもう熟したのさ。マザーツリーは役目を終えると、次に森が必要な大地を探して移動する。同じマザーかどうかはわからないが、灯台へ行く途中の林に一本巨大な木があったろう。あれがマザーさ」


 真珠には、マッシュの言う巨大な木の記憶がなかった。

 よく見ているわね、全然気づかなかったわ。

 そう感心しながら質問を続けた。


「マザーツリーはどれくらいいるの?」

「さあ……。相当な数がいるんじゃないか?マザーが移動する瞬間をいつか見てみたいものだ」


 この世界は本当に不思議ねと、改めて真珠は思う。もう少し奥へ行ってみようというマッシュに従って森の中を進むと、少し開けた場所に出た。そこにはたくさんの花々が咲いていた。


 真珠は思わず疲れを忘れ、はしゃいで花々の咲く場所に走り出した。足元はこれまでになくフカフカしている。とても土が柔らかい。長い年月をかけて積もった森の生きた証が、際限なく細かくなってベッドを作り、花を咲かせているようだ。


「ハハッ! マドモアゼル。我々の目的は花摘みではありませんぞ」


 マッシュが笑いながら、少しおどけたように言う。


「ごめーん、あんまり綺麗だったから!」


 そう言って真珠は花畑に寝ころんだ。

 すると、真珠の目の前を煌めきアゲハが舞った。真珠に驚いて、飛び上がったようだ。


「ああ! いた!」

「本当だ! 早速捕まえよう!」


 大量の煌めきアゲハを捕獲して、二人が森を出たのは夕方頃だった。


 森の出口を間近にして、赤紫に染まった暮れの木々越しにフランクの姿が見え始めると、真珠もマッシュもほっとして、足の疲れが少し軽くなったように感じた。


「おまたせ! フランク。急いで灯台に戻らなきゃ。林の入口まで草原を行ってくれる?」


 フランクはいつも留守番が多い。でも不満なんて一度も言ったことがない。わたしならきっと寂しくて堪らないわ。


 真珠はそう思いながら「煌きアゲハはどうだった?」とニコニコと話をきくフランクの頭の上で寝そべり、そっと白い体に頬を寄せて一時の休息を得た。


 草原を泳いでいくと、林の入口付近から煙が上がっているのが見えた。その脇で、小さく光る塊が見える。目を凝らして見ると、クルックスとフラシアスが火を起こして何かを炊いているらしい。光っていたのはクルックスの頭だ。フラシアスに塗られた秘伝の粉と煌きアゲハの鱗粉を落としていないようだ。


 フラシアスとクルックスが、遠くからフランクたちを見つけると先生が手を振った。


「マッシュ! クルックスたちが来てるわ!」


 フランクが草原に体を降ろす。

 フラシアスとクルックスが歩み寄り、声をかけた。


「お疲れさんじゃったの」

「皆さん、おかえりなさいませ。煌めきアゲハは捕まえることはできましたか?」

「ただいま! たくさん捕れたわ! でもどうしてここへ?」

「そろそろ戻る頃じゃろうと思っておったよ。クルックスが皆で食事をしたいと言っての。灯台では白クジラの子が来れぬから寂しいと言うもんじゃで。それにミミズの仕込みも皆でやった方が早いじゃろ?」


「フラシアス先生! ぼく、森の外で待ってる間、先生はどんな人なのか、たくさん想像してたんだ!」

「おぉ。白クジラの坊や。おまえさんらの種族と会話するのはわしも初めてじゃ! 心地好いのう。出会った記念にたくさんわしの冒険談を聞かせてやるぞ!」


「ええー! ずるいー! なんでフランクだけ?」


 真珠が本気で悔しそうに言うと、皆が一斉に笑った。


「さあ夜は冷える。今夜はここで温かい食事をとろう。わしがとっておきのスープをご馳走してやるぞ」

「……それにはミミズは入ってないわよね?」

「私はまったく構わないが」


 マッシュはそう言うと、フラシアスたちが集めてきたミミズの袋から一匹摘まみ上げ、舌をピュッと出してベロベロっと波打たせてから引っこめて見せた。


「やーめーてーーー!」


 真珠が顔面蒼白になって悲鳴を上げる。


 その時また軽い地震が起こった。しかし今は、皆揺れながら、その地震を歓迎するように笑った。


「スープをこぼさんようにな!」


 笑い声はいつまでも続いた。


 月が高く昇ってからも、一行は煌きミミズの仕込みを頑張っていた。

 少し疲れたクルックスがフラシアス先生の外したベレーの中に潜って、ぬくぬくとしながら訊ねる。


「ところでフラシアス先生。その頭の傷も、海で食べられそうになった時のものなのでしょうか」

「これは魔物に噛まれた痕じゃ!」

「ええー!」


 皆が一斉に手を止め叫んだ。


「ほっほ。嘘じゃよ。実はこれがパットとの出会いのきっかけなんじゃ。真夜中の森をわしゃ警戒もせんとチョロチョロと飛んでおっての。木に擬態化しておったパットの舌に捕まってかじられたんじゃ。今でもあの時のことは夢で見るの。恐ろしい悪夢じゃ」 


 そう言って高らかに笑った。


「あの~~~。パット先生って……」


 真珠が恐る恐るマッシュを見ると、マッシュが澄まして答えた。


「カメレオンさ」


 煌きアゲハの鱗粉は、一匹ずつブラシで丁寧に落とし布袋に溜めていった。地道な作業だ。一匹ずつ翅から鱗粉を落とす度、フラシアスが「すまんのー」と口にしてその場に解き放す。放された煌きアゲハは、なぜかその場に留まって中空を舞っていた。


「ポォー? アゲハさんたちは飛んでいかないので?」

「こやつらはのぉ、仲間意識が強いもんじゃで、まだここに捕らわれとる仲間と一緒になるまでは飛んでいかんのじゃろうな」


 マッシュがそれを聞いてフラシアスの隣に座る。


「それでは皆で一気にやって、森に戻ってもらおうではないか!」

「ポー♪ すまんのー♪ すまんのー♪」

「ぶ。クルックスったら! すまんの~♪」

「あはは! 真珠まで。ゴメンネ! アゲハさんたち!」


 鱗粉を頂いた後の煌きアゲハが、一匹また一匹と、皆の周りを舞う。鱗粉を取り除いても、煌きアゲハの腹部は内側から透けるように七色の煌きがしっかりと残っていた。


 すべての煌きアゲハの鱗粉を落とし終えると、辺りにゆっくりと舞っていた百匹ものアゲハたちが、共同体のようにまとまって上空へ舞い上がっていく。群れの姿を変えながら、ゆっくりと森へ向かうその姿はあまりに美しい。闇夜にゆらゆらと煌くアゲハを見送って、皆は明日の作戦の成功を願った。


 その後一行は、幾袋にも詰まった大量のミミズと格闘し、心地好く疲れ果ててともに眠った。灯台へ続く坂道と照らす光が昨日に増して穏やかに感じる。明日はきっと素晴らしく晴れるわ。そう感じながら真珠は眠りについた。




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