灯台守りの伝説
建物の中はひっそりとしていて、岩壁に打ちつける波の音が響く。
部屋の中央には、ラウンド型の少し大きめの木製テーブルに椅子が一脚。その奥の壁際に大きな土器の瓶と釣竿や箱などが置かれていた。部屋は整頓されている様子はなく、本などが床に積み上げられたり、テーブルに広げられたままだ。それにとても埃っぽい。
ふと上を見上げると、建物は吹き抜けで最上階にだけ小部屋がある。そこに行くには、壁伝いに螺旋状に打ちつけられた、腕ほどの太さの丸太の階段で登っていけるようになっていた。明かりは無く、ひび割れ、欠けた建物の隙間から陽の光が差し込んでいる。
「誰かいないかー」
マッシュが大声で訊ねる。
「お客さんかね?」
突然上方から声がした。驚いたクルックスが真珠の足にしがみついて、声のする方を指差す。最上階の部屋らしき場所から誰かが顔を覗かせている。マッシュは上を向き、大きな声で呼びかけた。
「おはよう、灯台守りの方よ、実は訊ねたいことがあり、お邪魔させてもらった」
「おぉ? 旅人が訪ねて来るとは珍しいの。どれ、今そちらに行くから待っとれ」
声の主はそう言うと、ポワッと翠色に光り、ロウソクのように揺れながら近づいてくる。
それを見て、マッシュが驚いたように言った。
「あなたはフラシアス先生!?」
クルックスが真珠の足元から恐る恐る聞く。
「お知り合いですか? マッシュさん」
「はて? 誰だったかの?」
「ご無沙汰しております! マッシュ・ギャレットです!」
まだわからないといった様子で、声の主はマッシュを見つめた。
『フラシアス先生』と呼ばれたその人物は、巨大な蛍のような外見をしていた。お尻の辺りから漏れ出ていた翠色の光が、静かに点滅し、揺れながら歩いてくる。年のせいなのか、もともとそうなのか、真珠にはわからなかった。
――なぜこのエルセトラには、こんなに不思議な生き物ばかりがいるんだろう? 貴族風のキザなカエルに、空飛ぶクジラ、木掘りのカッコウに、年老いた蛍。人間はいないのかしら?
真珠がアレコレ考えている最中も、当たり前のように二人の会話は続いていった。
「パット先生の一番弟子のマッシュです! フラシアス先生!」
「おぉ!? パットのところの者か! パットは元気か?」
「はい! フラシアス先生もお元気そうでなによりです!」
マッシュは膝をついて感激している。返事の素直さが新鮮だ。こんなにかしこまったマッシュを見るのは初めてで、真珠は二人の会話の間中、少しにやついていた。
「思い出していただけたようでよかったですね!」
真珠の足元でクルックスが言う。
「ええ、そうね」と真珠が返した。
「フラシアス先生がここにいるということは、まさかここが三角岬の灯台?」
「そうじゃが、パットが完成させた大陸の地図にも書いてあるじゃろ?」
「いえ、実は今、この三角岬は大陸から離れ、大きな島として海に浮かんでいるんです!」
「なんじゃと!?」
フラシアスは慌てて灯台の最上階に登り、マッシュの言ったことが真実だったと悟ったのか悲鳴をあげた。
「ずっと上にいて、気がつかなかったのでしょうか?」
真珠の足元から顔を見上げながらクルックスが言った。
「ほんとよねぇ……」
二人は苦笑いして顔を見合わせた。
憔悴気味にフラシアスが降りてくる。
「いったいどうなっとるんじゃの?」
そう言った瞬間、さっきの地震が再び建物を揺らした。
「また地震……! 先生大丈夫ですか?」
「ここのところ頻繁しとっての。……。はて? 大陸移動に地震?」
フラシアスはなにかつかんだかのように、部屋に散らかる本を漁り始める。
「どうしたんですか? フラシアス先生」
フラシアスが山積みの本の中から、埃にまみれた一冊を見つけ出すと、おもむろにページをめくり始めて言った。
「あった。あった。これじゃよ!」
「それは?」マッシュが開かれたページを覗き込む。
「島亀じゃよ」
「島亀!? そうか! 三角岬の灯台が建っている付近は、大陸じゃなくて島亀だったのか!」
真珠とクルックスは会話についていくことができずにいた。のけ者にされた感覚を覚えて少し苛ついた感じの口調で真珠が口を挟む。
「ねぇ! その島亀ってなに?」
話に夢中で真珠たちのことが視界に入っていなかったと見えて、フラシアスがじーっと二人を凝視する。
「この者たちは何者じゃ?」
「おぉ!? これはこれは失礼いたしました」
マッシュは紹介がまだだったことを両者に詫びながら、フラシアスに説明する。
「フラシアス先生、彼女たちは私と一緒に旅をしている、真珠嬢とカッコウ時計の番人クルックスです」
「ほぅ。人間のお嬢さんに……おぬしカッコウなのか? 鳩じゃなく?」
「カッコウです! わたくしカッコウ時計のカッコウです!」
「はじめまして……」
真珠は、先ほど声を荒げて二人の会話を止めたことが急に恥ずかしくなって、どもるように挨拶をした。
「ほっほっ。人間の、しかもこちら側の住人でないお嬢さんとは珍しい」
「エルセトラにも、わたしのような人間はいるんですか!?」
真珠は慌てて聞いた。
「ほっほっ。おるよ。しかし彼らは他種族との交流を極端に嫌うからの、あまり見かけることもないわの」
「そんなことよりフラシアス先生!」
真珠とフラシアスの会話をマッシュが割いて、大陸の話以外は今は重要ではないというように、興奮して何やら難しい話を続ける。再び置いていかれた真珠だったが、エルセトラにも自分と同じ人間がいたという事実に今は衝撃を受けていた。そしてあることが気になり始め、クルックスに向かって質問する。
「ねぇクルックス、あなたはわたしがエルセトラの住人でないってことはすぐに気がついた?」
「ええ! もちろんです」
マザーツリーもフラシアスも、そしてクルックスも、真珠を見てすぐに異国の出身であることに気がついていた。それはなぜなのか。頭に浮かんだ新しいその疑問を解決したくて、真珠はクルックスの答えを待つ。
「匂いですよ! 匂い。エルセトラにはない、あなた方特有の匂いです」
それを聞いて真珠は少しショックを受けた。
――わたしってそんなに臭いのかしら?
「しかし驚いたのぅ……」
マッシュとの会話が一段落してから、フラシアスは最上階の小部屋の横に設置されている小窓まで、丸太の階段を進んでいった。海を眺めながら言う。
「いつの間にやらこんなにも流されておったとは。大陸が遠いのぉ。それよりおぬしらどうしてここへ?」
フラシアスの頭に日が差し、その頭部に大きな傷跡があることに一行は気づいた。古い傷跡のようだ。
マッシュの師匠であるパットとフラシアスは古い親友で、彼らがまだ冒険家だった時代からのつき合いだ。数多くの冒険談があるに違いない。この大陸の地図を作り上げたくらいなのだから。マッシュが一人かすかに感涙しながら、地階からフラシアスを見上げて質問する。
「ああ、それをご説明せねば! フラシアス先生、大陸を渡った先の地図をお持ちではないですか?」
「いや、持っておらんが? ……なぜじゃ?」
マッシュはフランクに関わるこれまでのいきさつを説明した。フラシアスは椅子に座って目をつむり時折「ほぅほぅ」と相槌を打ちながら聞いていたが、すべて聞き終わると目を開いて堂々と言った。
「群れから逸れた白クジラか、なるほどのぉ。じゃが安心せい! この時期白クジラが目指す場所は心辺りがある。多分じゃがな……。どれ! そこまでの行き道を考えてやる代わりに、おぬしらわしに協力せんかね?」
「本当ですか! ありがとうございます! で? 私たちは何をすれば?」
真珠は、自信があるのかないのかよくわからないその説明に少し不安を覚えたが、マッシュは意気揚々として、机に両手をついて身を乗り出していた。
「ふむ、島亀に元おった場所に戻ってもらおうと思っての」
「このままじゃダメなんでしょうか?」
「この灯台は漁師たちの道標での。その道標が動きまくっとったら皆、海で迷子じゃ」
フラシアスは、そうじゃ迷子じゃ迷子じゃと繰り返しながら、大きな円卓の上に散らばった本をさらに積み上げながら、また何か探し始めた。
「亀はなぜ動きだしたの?」真珠が質問する。
フラシアスの視線と手は机の上を忙しく行ったり来たりしているが、何度も同じ本を積んだり降ろしたりしているのを見て真珠はもじもじした。
手伝おうとするが何をしてよいかわからず、埃の積もった古いチェストのようなものを見つけると、丸テーブルの所まで持ってきて、埃を払ってそこへ座ってフラシアスの次の言葉を待つことにした。
フラシアスは、えんじ色の本の中から、ひときわ重厚な緑の背表紙の分厚い辞典を手にした。金色の刺繍が施されている。
「おぉ!」と感嘆して、その本をドンとテーブルの真ん中に置き、自分もその横へ飛び乗った。
それまでフラシアスが座っていた椅子が空き、クルックスがそこへ飛び移る。薄茶けた紙はとても古く、所々破れかけているようだが丈夫らしい。
フラシアスは、ページをパラパラと繰りながら目的の箇所を見つけると言った。
「……ここじゃな。この本によると、島亀は数百年に一度、食事のために目を覚ますらしいの。ほほ! わしもまだモウロクしとらんて。懐かしいのぅ。昔はパットとともにこれを担いで、行った先々で生物の研究もしたもんじゃ」
「つまり、お腹が空いてご飯を食べるために起きたってこと?」
「そうか! ならば、満腹になればまた眠ってくれるというわけか!」
マッシュはジェリービーンズをカシャカシャやりかけていたが、珍しく慌てて胸ポケットにしまい直して、フラシアスを見て先生の言葉を待つ。
「そうじゃ、しかし眠らせれば良いというわけでもないぞ?元いた場所に戻ってもらわねば地形は変わったままじゃ」
「でもどうやって? それにこんなに大きな亀さんですし、それを満腹になって眠くなるまでとは、いったいどれほどお食事をご用意すれば良いやら……」
「こやつは喰っては寝るだけのやつじゃからな、量はさほど要らぬと書いてあるわ。しかしこれだけの巨大亀じゃ、それなりには必要じゃろう。問題はどうやって元おった場所に戻すかじゃが……」
全員が頭を悩ませている。
「フランクに語りかけるみたいに、島亀を説得してみる?」
「フランク? あぁ、白クジラの坊やのことじゃな。無駄じゃ、島亀はコミュニケーションそのものを持たぬ」
灯台の中で、一脚だけある椅子にちゃっかり座っているクルックスを見て、真珠は冗談っぽく言った。
「じゃあクルックスにオトリになってもらう?」
「え、えぇー!?」
「一瞬で喰われてしまうの」
フラシアスも笑いながら、慌てて飛び上がるクルックスを見つめる。
「ん!? 待てよ、オトリ……」
しばらくしてフラシアスが閃いた。
「おぉ! そうじゃ! 良い作戦があるぞ!」
「作戦?」
「そうじゃ」
そう言うとフラシアスは机の上で立ち上がり、翅を大きく広げた。ベルベットのような漆黒の前翅ぜんしが、重さを感じさせないほどに美しく持ち上がっていく。重厚感のある翅はねが上がっていくのにつられて、皆上を向いた。
「そっちは刀の鞘さやのようなもんじゃて。こっちじゃこっち」
フラシアスはそう言って、前翅の内側にあるうっすらとした翅を指した。後翅こうしは薄く分厚いセロファンのようだ。繊細な羽の中を、根を生やしたように気持ち悪いほど美しく、翅脈しみゃくが細かく張っている。
「おまえさん、わしを誘惑してみろ」
フラシアスは、にやっと笑って急に真珠の方を向いた。真珠が戸惑っていると「ほっほ。まあ無理じゃわな」と言って話を続けた。
「わしが深闇の閃光と呼ばれとった頃じゃ。海の上じゃろうが、樹海じゃろうが怖いもんはなかった。そんなわしがただ一人惚れた女がおっての」
フラシアスは懐かしそうに遠い目をした。
――大丈夫だろうか……真珠は話が脱線してないか、不安になってマッシュを見た。マッシュは机に座って足を組み、興味深げに話を聴く体勢を整えている。クルックスも興味津々だ。……聞くしかないようね。真珠は諦めた。
「森一番の美人さんでの。毎日求婚する輩が列をなしておった。そこでわしはパットと作戦を立てた。海の上での求婚じゃ! わしは踊ったぞ。自分で言うのもなんじゃが、湖とは違って、揺らめく海の文様に映りこむわしの姿は、なかなかに幻想的じゃった。作戦は大成功じゃった! 見事、森一番の美人さんは海で求婚するわしから目を離せんくなったらしい。あの時のわしを見つめる目! 色っぽかったのぅ……」
フラシアスは翅をブルブルッと震えさせると、お尻から発光し始めた。翠色の光がほんのり紫がかって、その色を力強く変えていく。灯台の中は薄暗い。セロファンのような後翅にその光が反射して、素晴らしく幻想的に輝いた。
マッシュが部屋の隅から写真立てを持ってきて聞いた。
「もしかして、彼女ですか?」
それを見るとフラシアスのお尻はさらに照れるように光を増した。
「何時見ても美しいのぅ……。ほっほ。思い出したら興奮してもうた。しかしじゃな、目を離せんくなったのは美人さんだけじゃなかったわけじゃ。ほれ」
そう言って、翅の裾を皆に見せる。そこにはかじられた痕があった。左の後翅の裾が一部小さく散り散りに破れていた。
「魚の群れがのぉ……わしに群がってきおったんじゃ。とんでもない数での。わしは天地がわからんくなるほどびっくりして危うく海に落ちそうになった。慌てたパットが必死にわしを連れ戻してくれんかったら、わしは魚に喰われとったじゃろうな。ほんなわけでわしは閃いた! さすがダークネスライジングじゃ」
「おまえさんたち。悪いがあそこの土器の壺と木箱をこっちへ運んでくれんかの」
フラシアスは翅を閉じて、赤い蝶ネクタイを大事そうに撫ぜた。
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