第27話

「多分、生きていく熱力みたいなものでしょうか」

 Aはその短いコメントを見た。B子だと確信する。「お久し振りです。お元気でしたか?」

「はい、何とか」B子は応えた。「随分御無沙汰していました。でも物語は時々読みかえしていました」

「そうですか。良かった」Aはほっと胸を撫で下ろす。「一度あなたに向けてメッセージを書きました。読んでいただけましたか?」

「はい。でも個人的にいろいろあった時期でしたので返事はできませんでした」

「何か大変なことでも?」

「そうですね。そうとも言えますが、大丈夫。今は何とかやっています」

「そうですか。長く連絡がなかったので僕もいろいろ考えていました」

「有難うございます。でもAさんのせいではありません。歯車が少しおかしな回り方をしただけですから」

 歯車?Aはその言葉に怪訝な気持ちになる。そして同時にこめかみの奥がじっと痛み、思わず表情を歪める。どういう事だ?それに以前のB子とは何処か、何かが違う印象がある。具体的に言えるわけではないが、まるでそれまでかかっていたBGMからいつの間にかボーカルの声だけが失われてしまったかのような。

「そういえば僕にもいくつか変化がありました」

「たとえば?」

「筋トレを始めました。それに長年止めていたピアノの練習も」

「Aさんはピアノが弾けるんですね」

「小さい頃親の見栄で習わされたんです。ずっと嫌で嫌で、中学の時自然消滅的に止めたんですけど」

「どんな曲を練習してるんですか?」

「クラシックとか、ドラマのテーマ曲とか。それも初心者向けの楽譜ですが」

「素敵ですね」

 良かった。心持ち以前のB子の様子が窺われる。

「B子さんにはありますか、趣味とか?」

「今は特に」

「そうですか。筋トレもピアノも練習は退屈できついんですが、自分を保たせるためには良いと今更気がつきました。それに最近では少しずつですが外へも出るようにしています」

「自分を鍛える為に?」

「そうですね。でも、以前思っていたよりもハードルはだいぶ下がったようです。結局自分の頭で壁を拵えていたんでしょうね」

「羨ましいです」

 え?Aはまた戸惑う。羨ましい?この僕のことが?「どういうことですか?」

「他意はありません。そうですね、私の趣味はAさんの物語を読むことでしたね。これからも時々お邪魔したいと思います。それでは」

 それきり通信は切れ、納得のいかないものがAの中で溶けずに残る。そしてその代わり、こめかみの疼きはいつの間にかどこかへと消え去っていた。


「ZONBA」に関わる社会的変異(ZNAと公称)の最たるものは「物質が人間を変容させる」ことの新たなレベルが示されたということだ。猛毒が人を死に追いやるように、IT機器を使用することで人体が多大な影響を受け、結果死を招いてしまう。誰が今回その毒を盛ったのか?それともこれは何かの警告なのか?

 Mは一旦「パトロム」の開発・改良の職から退き、新たなAIロボットの研究に入っている。そうした中、最近気になるニュースを耳にした。アメリカがこれまでとは全く違うAIの開発に成功したというもの。Mは俄かにはその知らせを信じることができない。何故ならそれには「生きているAI」という呼び名が付いているからだ。Mがこれまで研究してきた自ら学習し成長するAIではなく、「生きているAI」とは何を意味するものなのか。Mはいぶかしむ。つまり生命体を作り上げたということなのか?しかしそれではそもそもの矛盾を孕んでいることになる。AIはあくまで機械であり、それは同じ製作工程を踏めば何度でも再生可能ということだ。しかし「生きている」ということはその対極に不可逆性としての「死」があるはず(だからこそ例えクローンであっても生命はそれぞれオリジナルということになる)。AIの死…、それは何を意味するのか?

 もしかして…。Mは一瞬ある命題を思い描き一旦それを中断する。それはいかにも怖ろしいことだ。科学者のロマンティズムでは済まされない。Mはひとり呟いてから、今自分が作っている新たな搭乗型電脳ロボット、「GR(ギア)」の重厚なボディに目をやった。


 Aは書いた後で「生きている」ことの定義について自分なりに考えてみる。食べて飲んで、生体を維持しながら仕事をしたり勉強したり、時には遊んで友人・恋人と語らいの時間を持つ。そしてやがては年を取り、人生の儚さを持て余しながら余生を過ごす。いや、それはむしろ恵まれた「生」に違いない。「生きている」ことの定義は時間尺の長さではない。むしろ時間そのもの。生きているこの瞬間モノを考え、何かを為そうとしていること…。しかしそれでは余りにも日常的過ぎて、最先端のAIと結びつく糸口は見つかりそうにもない。

「君って時々ペンが先走っちゃうんだよな」

 ミツオだ。「でも悪いことじゃない。物語っていうのは或る意味預言なんだ。深層心理からのね」

「そうですか。僕はただ話の流れに抵抗を付けないだけで」

「うーん。でもさ、君の元々の生真面目さが余計な説明を入れたりもするからな」「でも、少しは相手に伝わりやすいようにって」

「それが余計なんだよ。表層の意識と深層の無意識は初めから通い合う言語が違うんだ。物語を作るってことは何かを書くことよりも何かを書かないことの方がずっと大事な場合も往々にしてある」

 確かに言われてみればそうかも知れない。しかし急にそんな難しい話をされても、Aにはそれ以上議論を重ねる意欲はない。

「どうした?今日はやけに大人しいな。例のB子さんのことか?」

「そうですね。気にはなってます」

「それこそ生きてるといろいろあるさ。君だってその部屋を出ればすぐにそれを思い出す」

「まあそうでしょうけど。でも、知った人が悩みを持っている時は心配になるでしょう、普通」

「普通はね。まあ、いいじゃないか。ボクは君の人生指南には興味ない。それで、これから話はどうなるんだい?」

「そろそろ終わりが近づいている気がするんです」

「ふーん、まだまだ先は長い気がしてたけどな」

「そうなんです。僕もまだ具体的にどう終わらせるかは全く見えてないんですが」

「『ZONBA』騒動は一応終息しちゃったし、残ってるのは黒幕探しくらいか」

「ですが、それはあまり意味がないというか」

「まあ、そうだな。放っておいても文明は進む。行き着くところまで。人の欲も同じだ。それともここでいきなり神様が降りてきて、今までの歴史を総括しちゃうとか」

「そんな無理矢理な」

「そう?悪くないと思うけどな。一旦平和を取り戻しかけた人類に最後通告、『お前たちはすでに用済みだ』ってね」

「衝撃的ではありますけど。ミツオさんこそそういうのは大丈夫なんですか?」

「何が?」

「お話としてですよ」

「エンディングなんて本当は大した問題じゃない。ある朝人々が目覚めたら空に巨大な階段が浮かんでる。『何だ、あれは?』それで終わり。どこでどう切り取ったところで、それまで語られたことにさほど問題ではない」

「なるほど」そう云うものか。Aは妙に感心する。

「それで、君は語り終えたのか?」

「分かりませんよ。そもそもテーマが何なのかさえ分かってないんですから」

「感覚だよ。一応の区切りは感じるんだろう?」

 なんとなくだが、今日のミツオはいつもより追及が厳しい…。Aは思う。「そうですね。でもまだもう一越えある気はします。確かに世界はどうにか平穏を取り戻しましたが、そこには大きな謎というか、黒い靄みたいなやつが見え隠れしてるんです」

「そうか。何だ、その正体は?やっぱり世界的巨大資本か。それとも国家陰謀か」

「いえ、多分違うと思います。もちろんそういう要素も絡んでいるとは思いますけど」

「もっと根源的な問題?」

「今思いついたんですが、おそらく人類の『生殖能力の消滅』です」

「あははははは(続笑)。良いねえ。さすがだよ、君。それでどうなる?」

「AIが人類そのものの余命年数を割り出すんです。そして世界に衝撃が走る」

「子ども、それから若い女の奪い合いになるな」

「局地的には」

「というと?」

「その事実はおそらくだいぶ以前から分かっていたことなんです。そして一部ではすでに手が打たれていた」

「まさか、それがあの『ZONBA』騒動と関係していたとか?」

「そう…かも知れません」

「おい、どうした。急に勢いがなくなったな」

「はい、何だかそうなると話は変な方向に行きますよね」

「良いんじゃないか、望むところだ」

 その時、瞬間AはB子のことを思い出す。その事実は、おそらくだいぶ以前から分かっていた…。「ビッグブレイン」。人類記憶の総締め。

「ミツオさんはどうして、僕みたいななんでもない人間の書いた作り話なんかに拘ってるんですか?」

「別に拘ってはいないさ。ただ面白いと思ってさ」

「何気に暇なんですね」

「お、妙に絡んでくるな。どうした?急にやる気になったか」

「質問があるんです。いいですか?」

「ああ、特別だぞ」

「あなたはAIですか?」

「(笑)違う」

「分かりました。では、人間ですか?」

「そうありたいと思っているが」

「人間なんですよね?」

「君が認めてくれたら」

「もちろん僕はそう思ってきました。もしかしてあなたは?」

「残念だ」そこで通信は中断。

 Aは何かに思い当たる。「B子さん。もしできましたらお願いします。返信を下さい。あなたに是非お聞きしたいことがあります」

 タイプし終えるとAは立ち上がり窓から外の様子を眺める。いつの間にか夜になっている。家々の明かりが夏の灯籠のように浮かび上がっている。やがて戸を閉め、いつもより順違えになっていた筋トレを開始する。いろんな思いがその途中で頭を過るが、その度に筋肉の動きに意識を移動させる。中ほどまで来ていつものように汗が噴き出してくる。白い身体をその汗が伝っていくのが分かる。Tシャツを脱ぎ、思わずその幾筋もの跡を拭う。

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