第25話
青年官僚SがMのもとを訪れてきたのは初夏の昼下がりだった。眩い光の入る玄関口。
「博士の危惧されていたことが的中しそうです」
「どういうことだ?」
「念の為、併せてパトロム管理網のチェックも済ませておきました。詳細はこの紙面をご覧下さい」Sは薄い封筒を差し出すと踵を返した。Mはその後ろ姿を怪訝そうに見送ってからその封を切る。中には3枚のコピー用紙が入っており、その1枚にMは見覚えがあった。例の失踪「パトロム」から送られてきた設計図らしき画像。しかしそれは設計図ではなく、やはり或る都市の真上からの市街写真のようだ。そして別の1枚には英語で書かれた某社製PC・モバイルの製品検査報告書。最後の1枚は「P2」の開発者リストだった。Mは凡(おおよ)その予想はついていたものの、実際意図的・組織的に今回の騒動が仕組まれていた事実に驚きと憤りを禁じ得ない。3枚の紙を封筒に戻そうとした時、中に付箋が貼り付けてあるのに気がついた。
「身辺の変化にご注意下さい。 S」
Mは封筒を机の引き出しに入れながらその付箋をはぎ取り、掌で丸めてズボンのポケットに忍ばせた。
首謀者の目的は何か。Mは想像する。連動するハード機器とアプリを使って個人から何を引き出そうとするのか。単に個人情報だけならアプリのみで相当の情報が入手・分析できるはず。しかし今回の生体を変容させてまでの行動には仕掛ける側にも相応のリスクがあるに違いない。そこまでして彼らは何を…。
しかし手の打ちどころはこれである程度絞られた。特定製品の発売中止と回収、そして「P2」との連携機能の追調査だ。「アダム」で検証した際には見られなかった現象もおそらく確認できるだろう。Sの忠告通り身辺の動きに注意しながら行動を急ごう。事実、敵はどこに潜んでいるか分からない。
B子からの通信はいまだに届かない。やはりもう接触(コンタクト)の機会はないのか。Aは落胆を押し隠すように物語を紡ぎ続ける。
「この話ってさ、主人公は誰?MとWか?」
「まあ、そうですね」
「脇役もいるよな。今度はSっていう官僚。彼は正義の味方なのかな?」
「まだ分かりませんが、一応事態を真っ当に導こうとはしてますね」
「実はこういうタイプが一番危ないんだよ。有能なだけに目的が共有できない時は即座に敵に回る」
「分かる気はしますが。実際Mのような年配者には不得手なこともあります。彼のような存在がどうしても必要です」
「MとWはどこかで繋がるのかな?」
「どうでしょう。今のところそれは考えていません」
「そろそろさ、いきなり黒幕を出すって手もあるよな」
「え、そうですか?」
「前にさ、例のB子さんと話をしていたことあるだろう?『ビッグブレイン』がどうとか」
「ええ。人間の記憶を集めた巨大CPU」
「そうそれ。彼女は確か人工抑制の手段として匂わせてたよな」
「はい」「それってAIなのか?」
「分かりません。ただその後人間の管理から離れた『パトロム』たちが、挙って『ビッグブレイン』を奪い合うらしいです」
「何の為に?」「多分自分たちが次なる人類になる為に」
「争う必要はないだろう」「そうですね。そこは私も分からないところですが」
「どっちにしろ、それまでには人類は一掃されてるわけだよな。あるいは奴隷化されている。あれ?これって『猿の惑星』か?」
「確かに。でもそうなると物語はすでに別次元になってますね」
「う~ん、そうだよなあ。やっぱり終わらせ方が難しいか」
「Mは『ZONBA』の秘密に迫りつつあります。そしてWもそのうちネットを通じて仲間たちと真相に近づいていくでしょう。ただ、どちらにしても時計の針は戻せません。一番自然なのは、突如始まった『パトロム』の暴走を人類がAIの手を借りて収束させ、そして最後のシーンで『ビッグブレイン』の存在が現れて終わりってところでしょうか?」
「まあ、一応の着地点って感じかな。まだまだ先は長いな。君、大丈夫かい?」「え、何がですか?」
「いや、疲れが溜まってるんじゃないかって思ってさ」
「そうですね。大丈夫とは思いますけど、正直ひと息つきたいところではありますかね」
「是非そうしろと言いたいところだけど、ここで現場を離れるリスクもあるからな」「平気ですよ。体は前より丈夫になってますから何とか進めてみます。有難うございます」
「倒れる時は事前に言ってくれよな。ボクがピンチヒッターで書いてやるから」
「それも楽しそうですね」
「冗談だよ」コメント終わり。
Wは投稿仲間から連絡を受ける。どうやら「ZONBA」変容のメカニズムが解明されつつあるとのこと(それも日本で)。情報を●チャンネルに書き込みした者がいて「至急拡散」を呼び掛けているらしい。それによると変容原因は「P2」だけではなく、PC・モバイル機器との相乗作用であり、即刻その両者の使用中止を訴えている。「機種はすべてFULL・MODE社製、2年前に発売された最新CPUも入っている」、投稿仲間は変容した知人がまさしくそれを使用していた事実を付け加えていた。
Wの呼吸が速くなる。自分の中でも思い当たることがある。そうか。そういうことか。Wは事態が俄かに人為性を帯びてきたことに戦慄を覚える。頭の中に今まで自分が観察してきた「ZONBA」たちの様子が甦る。あの者たちはある日を境に、静かに、そして根こそぎ日常を奪われてしまった。一体何の為に?いや、如何なる理由であれ、人類が同じ人類に対してこのような仕打ちを行うことが許されていいものだろうか。
Wは自ら投稿し「拡散」を開始する。
Aは物語がいよいよ終わりに近づいているのを感じる。理由は分からない。おそらくミツオと話したような、未来の在り様にまでは手が届かないだろうが。
昨日Aは昼間外へ出てみた。まる2年半振りのこと。空は曇りなのに太陽の光が体全体に降り注いでくるのが感じられた。おそらく人気(ひとけ)のない、近くの河川敷まで歩いてみた。見慣れた風景。葦が生い茂っている。そのまま遊歩道を歩いていると部活の学生たちが列になってランニングしていた。彼らが通りすがりAに挨拶していく。「コンニチハ」思わずAも返すが、その声が彼らに届いたかどうかは分からない。しかし、それで満足だった。何かが自分の中にようやく戻ってきた感じがする。それからAはしばらくただ立って、飽きるまで川面を眺めていた。
他人は思っている程、僕のことを気に掛けてはいない。帰宅した後でAはふと気づいた。実際周りの人は、自分のことなどありふれた風景の一部としか思っていなかったろう。そう。自分が自分のことで精一杯であるように、人は人で自身のことで精一杯なのだ。ただ、それだけのこと。それが日常の当たり前の風景なのだ。
今日は少し体が熱い。エクササイズは惰性でやったが、最後は変な汗をかいてしまった。弟がまだ帰宅していなかったので今日2度目のシャワーを浴びる。そして部屋に戻ってベッドに横になる。扇風機からの周期的な風が気持ち良いのと同時に、体に異様な感覚の研ぎ澄ましを感じる。目を瞑り物語のことを考える。Mのこと、Wのこと、「ZONBA」たち、関係研究者・官僚・政治家たち、あるいはそれ以外の市民たち、最後に「アダム」と「パトロム」。それらが全て溶け出し、やがては一つの塊となる。それは多分、僕自身だ。Aは俄かに寒気を覚え始め、思わず扇風機のスイッチを切る。そして毛布にくるまり身中の変化に意識を集中する。ゴーゴーと間断ない微震が感じられる。やがてそれは身体じゅうに伝播し、Aは意識もろとも飛ばされそうになる。
外で誰かが何かを叫んだ気がしたが、すでにその時Aは深い昏睡の中にあった。吹雪が鎮まるのをひたすらに待ちながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます