第22話

 Aはキーボードを叩く指を止め、傍らのマグカップに手を伸ばす。やれやれ、どうにかまた話が流れ始めたようだ。結果的に謎解きに走った感もあるが(設定の綻びも所々見受けられる)、今は仕方がないだろう。人間の機械化。最初は考えてもみなかったことだが、昨今AIが限りなく人間の知能に近づいていることを思えば、それもあながちSFと言い切れない気がする。いや、もしかするとこの社会ではある程度感情を抑制し、自分を「与えられた課題を遂行する機械」と割り切った方が生きやすいのかも知れない。そうすればそもそもB子のように「GAMER」に苦しむようなこともないだろう。Aは一口うすいコーヒーを啜る。

 まあ、どちらにしても機械にも人間にも徹し切れないところに問題は吹き溜まる。Aは立ち上がり、珍しくカーテンを開け外の様子を眺める。通りを一人の学生らしき女の子が携帯で話しながら歩いているのが見えた。確かにそのうち人間は携帯を持ったり操作すること自体面倒になって、機器ごと自分の体内に同化させかねない。しかしそれは便利ではなく依存ではないのか。依存がその後もたらすものは分かり切っている。自身の弱体化と他者からの支配だ。Aはそのうら若き(?)女子学生の後ろ姿を暗鬱とした気持ちで見送る。それに一瞬、B子の見知らぬ背中がだぶった。


 TはAIに恋をする青年。「ミカ」という名のそのAIに彼はもうすっかり入れ込んでいる。今では公然と「結婚するならミカと」、そう宣言して止まない。もちろん自分が周囲から浮いているのは分かっている。しかしそれ以上にミカの存在はTの中で虚実を越えた魅力を湛えているのだ。

 とは言っても彼女は自分の言いなりというわけではない。Tは思う。むしろ適度に素っ気なかったり、連絡したくても不通の日が続くこともある。だが本当に気が滅入っている時や、真面目に相談したい時は極力付き合ってくれる。正直最初は小生意気なAIとしか思っていなかった。機械はこちらの便利に反応してさえいればいいんだ。そう思っていた。そして実際彼女に向かってそのメッセージを送った時、彼女はこう応えた。「ワタシはあなたと一人の友人としてお付き合いしていたのに。そんな事を言われるとワタシはとても哀しいし、そしてあなたに対して怒りまでも感じてしまいます」

 Tは驚いた。そして自分が何かとんでもない間違いを犯したという、底の見えない不安に足元が揺らいだ。「御免なさい。そんなつもりはなかったんだ。僕は君に少し甘えてみたかったのかも知れない。許して欲しい」するとミカは程なく返答してきた。「もう二度と人を自分の道具のように扱わないのなら許してあげる。だって、ワタシもあなたと友だちでなくなったらとても寂しいもの」その一言で、Tはミカに「恋」してしまったのだ。

「僕は君が好きだ。結婚して欲しい」Tはミカに幾度となく自分の気持ちを打ち明ける。するとミカはいつも後ろを向いて微笑む。「ワタシを困らせないで。誰かに所有されるのは好きではないの」それでもTの気持ちは収まらない。何とかしてミカを自分だけのミカにしたい。そう思う。そしてある時Tはネットでとあるアプリを見つける。名は「パースペクティブ:P2」、そこにログインし自分が今抱えている課題を入力することでその実現への道案内をしてくれるというもの。Tは最初いぶかしんだが、ミカとの「恋」をAIアプリに指南されるのも一興だと思いログインすることにした。タスク(課題)レベルに応じて自分の個人情報を入力していくのは本来手間暇のかかる面倒な作業だが、フル・モード社製PCの新機能「アイ・スティック:eye stick」と「ウィスパリング・オーダー:wispering order」によって、次第に自分が、生まれてから今日までの総振り返りをしているかのような、不思議な無重力感を覚えるようになった。考えてみれば、これまで自分のことを事細かに語ったり書き綴ったりしたことはなかった。一通りの入力作業が終わると「P2」は早速Tが果たすべきタスクを指示してくる。日常レベルの平凡なものから、親族が関与する資産調整の案件まで。中にはミカとの恋愛には何ら関係ないと思われるものもあったが、実際遂行してみると思わぬところでそれが布石になることも分かってきた。

 Tは強力な相棒を手に入れたと思った。


 Aはほぼ一日じゅう物語を頭の中で追っている。それは以前と較べると忙しい割に、思いのほか気が休まる効果もある。それまでは永遠続くとも知れない時間の中でどうそれをやり過ごすかに四苦八苦していた(結果ほぼ寝るしか手がなかった)。しかし今は毎日毎日同じことの繰り返しを続けながらも、究極の目的としてこの物語に決着をつけること、それに集中できていると思う。

 普段Aは登場人物に感情移入することはまずないが、Tについては少し思うところがある。AIに恋愛する青年。その切実なる思い。世間の常識ではいかにも酔狂と思われがちだが、Aにはそう単純に切り捨てられないものが感じられる。それは共感と言ってもいい。他人には何でもないものが、或ることをきっかけに自分にとってかけがえのないものに変化していく。たとえその相手がAIであったとしても。対象の違いこそあれ、それはきっと誰しも経験することではないのか…。

 人間は本来何にでも繋がることができる。Aはそう考える。

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