第16話

 ネットの動画サイトには「ZONBA」を映したものが随分増えた。見るも無残な情景もあれば、まるで彫刻のようにほとんど動かない者もいる。視聴者のコメント欄にはそれぞれ勝手な感想が書き込まれているが、その中には後から必ず各「ZONBA」への渾名を付ける者がいる(その的確さは或る種の才能といってもいい)。政府の発表によると「ZONBA」の余命平均は約一か月。85パーセントが餓死だそうだ。動画にも人知れず息絶えた「ZONBA」の遺体の様子が上がってきては、その度に人道上の問題から削除される。しかし普段の生活でも時折見掛けるようになったせいで特にショックは感じなくなった。それは或る意味、社会が「ZONBA」に慣れてしまったということ。市民生活においても、各市町村では当面の危機管理マニュアルが住民に配布されるようになり、随時説明会も開催されている。特に身内のことで困っている人には専門の窓口を用意したところもあるらしい。

 しかし、依然「ZONBA」の感染原因、および経路は解明されていない。


 名前か…。Aは独り事ちる。最近日本では、〝N・G〟と云うサイバー・マフィアが政財界にまで手を伸ばし暗躍を始めているらしい。彼らはその圧倒的な機動力と技術力で次々とネット社会の常識を覆しているらしく、その仲間内の絶対的連帯を表すのが、組織からメンバーに下される「NAME」と呼ばれるものらしい。公にはなっていないが既に有名企業の中にも数多くそれを拝しているところがあるらしく、その影響力は表の実力者の椅子をも揺らすほどに急成長しているとのこと。

 Aは考える。顔の見えないこの社会だからこそ、そんな名前が重宝されているに違いない。

 自分の名前は祖父が付けたと云う。日明(あきら)。不思議な字面だ。謂れは分からない。祖父のこと自体あまりよく聞かされていない。父とは違ってなかなか豪快なひとだったらしいが、自分が生まれてすぐに死んだとのこと(ちなみに母親はその祖父が大嫌いだったらしい。分かる気がする)。

 それにしても体が痛い。そして部屋が汗臭い。筋トレが一通り終わると、全身の汗腺からのべつ汗が流れ出てくる。それをタオルで拭き、着替えてから窓を開けるが、カーテンは閉めたままなので換気はほとんど利かない。扇風機を回してもどうしても臭いは残る。Aは思う。今更空調を親にせがむのも面倒だ。今夜あたり、またこっそり家を抜け出してコンビニまで脱臭剤を買いに行こう。そういえばこの前久々に表に出た時、道端に花束を供えてある処があった。元々車道ではないので奇妙にも思えたが、それが今ふと思い出された。


 奇跡的に「ZONBA」生体のMRI画像が撮れた事例がある。その者は変容以後ずっと自宅で眠り続けていたらしい。“ 彼女 ”の場合ラッキーだったのは、外部に対して抵抗を示さない分、点滴を通じて餓死だけは免れ得たことだ。発見後“ 彼女 ”は早速病院に担ぎ込まれ脳機能のチェックを受けた。一部の脳科学者からはそれまで認知症の亜種と考えられていた「ZONBA」が、やはり全く独特の疾病であることがひと目で分かったという。発表された限りでは脳細胞の損傷はなく、機能としては至極正常に活動しているらしい。ところが外界からの電気パルス等の刺激には一切反応はなく、誤解を承知の上で表現するならば「ヒトとして生きながら、人間として死んでいる状態」とのこと。併せて別の脳科学者は「本来在るべきの脳の可塑性がほぼ完ぺきに失われている」とコメントしている。そして科学者たちは声を揃えて言う。「どうすれば日常の生活からこの状態に変容できるのか、全く理解できない」と。

 Mは思う。もしかしたら「ZONBA」変容は元々人間の脳に用意されていた自衛本能かも知れないと。つまり生存すら危ぶまれる状況下で個体を存続させる為、敢えて可塑性をストップさせ謂わば脳の「冬眠状態」を作っているのではないかと。

 だが…。Mは即座に自説を却下する。それでは85%の確率で「ZONBA」たちが結局は餓死という末路を迎えていることの説明はつかない。何故この21世紀の現代社会で、人々がそんな無機質な死を迎えなければならないのか。確かに事態は一見落ち着きを見せつつある。しかしこれが更なる厄災の前兆ではないと誰が断言できよう。それほどこの現象は不自然であり、普遍的であり、また不可逆的なのだ。

 Mの苛立ちの元は他にもあった。「パトロム」の担当主任の座から済し崩しに降ろされてしまったことだ。きっかけは所謂「顔認証システム」の導入についてだった。「パトロム」の導入から間もなくそれについての提案は既に政府の方から出てはいたが、Mはけんもほろろに話を流していた。その一番の理由としてはまずその提案に政府の思惑が露骨に見え隠れしていること。次に「顔認証」プログラムと「パトロム」AI機能との相性の悪さからだった。人間の場合、個としての「顔」の違いは歴然として存在する(元々「顔認証システム」はそれを前提とするものだ)。しかしそれゆえに「パトロム」自身についてはそれを同一かつ多く存在するもの(レギオン)として事前に認識させておく必要がある。ところが一方で個体としての「パトロム」認証(通称:Number)も同時に欠くことができず、つまり後のち支障が出る可能性が高確率で予測できるのだ。政府はそのデリケートな案件を単純かつ安易にしか捉えていない。

 Mの頭には当然AIロボットの未来が描かれている。今の段階でAIの「個性」に関わる問題に踏み込むのは時期早々と考える。加えて政府の思惑は、一歩間違えば警護ロボットによる「監視社会」実現を招きかねない。そういうMの慎重な姿勢が政府関係者から煙たがられたに違いない。事実Mに知らされないままに導入実験が重ねられ、試験導入の公式発表まで彼は態良く海外視察に回されていたのだから。

 しかしそれに関してMはまだ楽観している。むしろ政府の対応は稚拙にすら思える。勝手に開発を進めるのなら好きにすればいい。ただし、尻拭いを自分たちでできるのならば。かつて奇人科学者と揶揄されていたMは思う。本当に危険なことはもっと別のところにある。それを理解している人間が政府内に一体どれだけいるのだろうか?海外でも「ZONBA」の被害は驚愕的だ(そして日本とは比較にならないほど破壊性に富んでいる)。アメリカはいち早く警護ロボットの導入を進め、それでも追いつけないほど日夜方々で暴動とパニックが起きている。州によっては「安殺法」と銘打った法案が議会を通り、「ZONBA」は公認処刑人もしくは兵器ロボットによって処分されるところにまできている。まさに世も末。Mは人間の奔放さを通り越した残虐性に打ちのめされている。社会そのものの「ZONBA」化を見る思いすらする。

 この事態に収束はあるのだろうか?Mは中世ヨーロッパを席巻したペストを思い起こす。人口の三分の二近くを死滅させた疫病。それは社会の構造そのものにも影響を与えたと聞く。今回の「ZONBA」現象がそこまで発展する危険性はないのか?むしろこの事態の先に人類が想像もしていない歴史の転換が待ち受けているとしたら…。

 MはAIを使っての未来シュミレーションに取り掛かる決意をする。

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